玉依の遡行 foster 鞘 × 壹
此処は、都の有形文化財指定を受けている櫛名田本邸 屋敷地内―――
その主屋、洋館1階の東側に位置する『喫茶室 副伯』。
元は『第一応接の間』と『小客間』の2部屋に別れていたのであるが、それらの間の壁を抜き、現在は 前当主である槍慈 自らが道楽で運営するための茶房となっている。
喫茶室と言っても 外部からの客などはとっておらず、主な用途としては、家人・使用人の別を問わずに憩い集う『邸内の賄い処』として、専ら使われている。
とは言え、店舗としての機能は有していないながらも、外部へと通ずるテラス側の扉の上には、『副伯〈 Viscount 〉』と書かれた鋳物製の看板が ご丁寧に下げられており―――
かつてこの有り様を見た 都の文化財課の担当者は、大層 弱り果てていたものである。
さて、本日はこの部屋に―――
一族の者としては、玉依・槍慈・瑞穂・櫻子の四名、そして使用人側としては、龍岡・猪去・鹿沼医師の三名が、一先ずは顔を揃えていた。
だが、実はこの他にも もう一人―――
外見は10歳くらいと思われる、端正な顔立ちをした少年が カウンター席に行儀よく座っており、槍慈お気に入りのセーブルのカップに淹れられたホットミルクを、ほぼ無表情な面持ちで静かに飲み下している。
ただ 異様に目を引くのは、その少年の髪が 後ろだけでなく前髪も含め、自らの腰の辺りにまで達して伸びていること。
また、その服装がTシャツに短パン姿であり―――
そしてその服自体は、桐子が普段 屋敷内でよく着ているものに、どことなく似ていた。
但し、それらはどうしたわけか随分とぼろぼろで、所々には泥のようなものも付いている。
因みに、そのTシャツには横文字で何やらごちゃごちゃと書かれているのであるが、それらは何故か『鏡文字』であった。
そんな少年の様子を、カウンター上に ちょこんと座っている体の一匹の黒猫が覗きこんでおり―――
その傍らで珈琲豆を挽いている初老の男に、目線も姿勢も動かさないまま 無機質な声音で話しかける。
「おい…… なぁ、槍慈よ」
「はい、なんでしょう玉依さん?」
「この小汚ないガキんちょは、一体 何なんだにゃ」
「それをワタシに聞かれましてもねぇ。 と言うか、これはアナタ絡みの案件…… 恐らく、その『成れの果て』の状況なのでは?」
と、槍慈に痛いところを突かれるかたちで投げ返された玉依は、多少ばつが悪そうに俯きつつもゴニョゴニョと答える。
「あぁ、いや…… うん――― それは恐らく、ワガハイも承知しているところではあるのだがにゃ……。 だがそのー 何だ、すぐにはこう… 受け入れられなくてだにゃあ……。 まぁ、一応聞いてみた」
ここで漸く 槍慈は目線を上げ、玉依や その後ろに控える一同、そして今回の騒動の当事者たるカレの姿を視界に入れて言う。
「やれやれ…… ですがまぁ、いきなり直視できない類いの状況なのであろうことは、何となく お察し致しますがねぇ…… 」
少しく呆れたように首を振る槍慈だが、それに対し―――
「面目にゃい。 いやぁ、オマエが突然連れて来たという流れだったもので…… つい、にゃ?」
自らが劣勢の空気感を払拭するように、努めて明るい声音で返す玉依。
「ふふ、まぁ良いでしょう。 ですが『突然』と言われてしまいますと、それはワタシにとっても同様なわけでしてねぇ。 午前中、牛岐軍曹と柏子さんから送られてきた通信を、運悪くワタシが受けてしまったもので……。 それで已む無く、急ぎ学校から連れ帰って来たというだけの話なのですよ」
この槍慈という男、普段であれば こうした厄介事からは常に身を遠ざけておきたい性分の持ち主であり―――
その点、孫の弓弦にも見られる同様の気質などは、正に『この祖父にして…… 』といったものであると言えよう。
「そうか。 まぁ、そいつはご苦労だったにゃあ――― うーん…… 」
そして室内には再び、何とも言えない微妙な静寂が漂う。
「 ――― で、あのぉー…… 玉さま?」
と ここで、今回の一件絡みでは まだ良いところの全くない櫻子が、遠慮がちに小さく手を挙げて おずおずと声を出す。
「おぅ、どうした櫻子? 何か聞きたい事が…… まぁ、山程あるだろうがにゃあ」
「えーっと、はい…… あの、お伺いしても?」
玉依と櫻子、両者とも意識せず互いに小首を傾げ合う姿が、如何にも『似た者同士』という趣で何とも言えず―――
周りの者たちが、つい密かに口の端を上げてしまっていたのであるが…… 取り敢えず、当の本人たちは気付かない。
「うーん… まぁ恐らく、聴かれるであろう内容は容易に想像出来る。 それにオマエとて 概ねの状況は、もう既に解ってしまっておるのではにゃいか? ふん… だが まぁ良い、一応聞こうか」
「あー、はい――― あのー、コチラの方はいったい…… 」
「うん。 やっぱりオマエという娘は、それを まんまど直球で聴いてしまうのだにゃ…… まぁ、いっそ潔くて微笑ましいわ。 で、逆に聴くが オマエは何だと思う? そしてソレをどうしたい?」
玉依が、櫻子の顔を下から覗き込むように尋ねる。
「えーっと、いやぁ…… 『どうしたい?』と言われましても――― そのー、コチラの方がどういった存在なのかはひとまず置かせていただくとして――― 当面の設定の方は、『遠い親戚の… お子さん?』… とかでしょうか…… 」
如何にも自信がなさそうに答える、今日は始終 弱気なスタンスの櫻子。
「うん、まぁ その辺りなのであろうにゃあ。 いや良かったよ、もしも『実の弟 設定』とかを持ち出されでもしておった日には、裏のしず江の家にでも逃げ出しておるところだ」
と、図らずも瞬殺で自らの失策を言い当てられ、思わず躊躇ぎ 顔を引き攣らせる櫻子。
因みに しず江というのは、屋敷の東側住宅地に住む古くからの顔馴染みで、最近は暇さえあれば彼女の家の縁側に『野良猫の体』で顔を出し、その都度 牛乳や菓子類などを供されるままに貪り食う…… というのが、近頃の玉依の日課となってしまっている。
「あー…… いやぁー、あは… あはははは……。 いやいやぁ、玉さま… まっさかぁ~! いくらワタクシでも、それはさすがに…… ねぇ? お… おほ…… おほほほほ♪」
この 櫻子の不自然極まりない反応から、この場にいる殆どの者たちが 概ねの状況を察する。
玉依も溜め息混じりに首を振り、そして執事の龍岡以下の使用人勢は皆、遠慮がちに目線を床に落とすが―――
取り敢えず、居たたまれない的な空気感の濃密度が この上もない。
「ねぇ、櫻子ちゃん…… アナタって昔から、誤魔化すのが 痛ましいくらいに下手よねぇ…… 」
一応、助け船でも出したつもりで瑞穂が声を掛けるが…… 櫻子にとっては、正に止めの一撃としか言いようがない。
「はうぅ、お… お祖母さま…… どうかもうワタクシのことは、そっと捨て置いてくださいませ…… 」
「はぁ~…… やれやれ、まぁ良いわ。 取り敢えず学校側には、結果的に『遠縁のガキんちょ』という事で説明してきたのであろう? ふぅ、全く…… 弓弦や柏子のヤツが傍に居てくれて良かったにゃ」
「はい――― 重々、面目次第もございませんわ…… 」
がっくりと項垂れる櫻子に一瞥だけ呉れると、玉依は話を元に戻すべく、改めて件の少年の方を見遣る。
「でだ、コイツをこれからどうするか……。 槍慈よ、オマエはどう思う?」
「ふむ、そうですねぇ……。 まぁ、どういった『遠縁』なのか…… などの、謂わば些末な類の設定については追々考えるとして――― まずは、もっと基本的な部分での諸々を、なるべく早急に処理し 固めていきませんと」
ここで槍慈が言っている『基本的な諸々』というのは、今後この少年が『ごく当たり前に』『誰にも後ろ指を指されることなく』存在していくための大前提的なアリバイ工作と、そしてそれに伴う諸手続きのことだ。
例えばその中には、この東方の島国における『戸籍等々の偽装取得』や、見た目的な年齢に見合った『学校への就学』なども含まれる。
「ねぇ 玉ちゃん玉ちゃぁーん、まずはほらぁ… お名前を…… ねぇ? つけてあげないとぉ、いけないと思うわぁー! うふふ♪」
そう、そして確かに何を進めるにしても、まずは『氏名』が欠かせなさそうではある。
「うん…… 瑞穂よ、確かにオマエの言う通りだにゃ。 よし、ではその辺りの事を含め、まずは本人に聴いてみるか」
そう言って玉依は、ちょうどホットミルクを飲み終えたらしい少年に向かって声を掛けてみる。
「おいオマエ、名前は何だ? 言えるものなら言ってみろ」
「 ―――――― ?」
幼子への口の聞き方が、もう壊滅的に なかなかどうしてなレベルの玉依。
しかし その高圧的な言に対し、少年の方は特に動じる様子もない。
だが、それを見た瑞穂が―――
「もぉ、玉ちゃんったらぁ! こぉーんな小さい子に、そんな ぶっきらぼうな聴き方がありますか!」
と、堪らず頬を膨らませて叱責するも―――
「ふん、じゃあオマエが聴けよ。 だがコイツ、猫の姿であるワガハイが喋っておるのを見ても、それに対しての違和感や怖れなどは 特に感じておらんように見えるにゃあ」
玉依は悪びれる素振りもなく、むしろ少年の態度や反応の観察に余念がない。
そしてそのスタンスは、槍慈や他の面々も同様のようだ。
「ふむ、だとしますと…… 例えばこの子は、基本的な知識や常識が欠如している? もしくは、そうした特異な事象に対する許容値が大きい…… 或いは、感情の起伏が極端に少ないとか……。 まぁ いずれにしろ、この子からはもっといろいろと お話を聞いてみませんとねぇ」
「ふん… ところでコイツ、そもそもワレワレの言葉自体は解しておるのか?」
確かにこの少年は、櫛名田邸に来て以来 一度も言葉を発してはいない。
だが―――
「ええ、それは恐らく大丈夫でしょう。 ワタシがここへ連れてくるまでの間には、まだ一言も口をきいてくれていませんが……。 でも初等科に現れた際には、『自分は櫛名田家のモノだ』…… というようなことを、言葉少なながらも話していたそうですのでねぇ」
この間、槍慈たちのこうしたやり取りを、少年はただじっと無表情に見つめている。
その顔立ちや佇まいは如何にも無機的で、そこから読み取れる情報などは皆無のように思われるのであるが―――
しかし何故か、ここで交わされている会話は逐一しっかりと理解し、心に留めているように見えなくもない。
そんな彼に、今度は瑞穂が満面の笑みを湛えながら声を掛ける。
「ねぇ、ボクちゃーん? お名前はぁ、言えるかなぁー? この、怖ぁーい黒猫ちゃんのことは気にしないでぇ…… お姉さんに、なにかお話ししてみてぇー?」
一瞬、動作思考が完全に停止する一同。
「 ――― え… えーっと? いや あの…… お祖母さま?」
「おい瑞穂…… オマエ、齢108にもなって『お姉さん』はにゃかろう。 どうした、まさか痴呆たのではあるまいにゃ」
瑞穂の 渡佐臭紛れの妄言に、取り敢えず身内側からの突っ込みが入る。
「まぁ、みんなひっどぉーい! 特に玉ちゃんったらぁ、さっきから本当にもぉ~!」
盛大に膨れる瑞穂。
それに対し、夫の槍慈が一応のフォローを入れ―――
「ほらほら皆さん、瑞穂さんはご覧のとおり、とってもお若いですよ。 ねぇ?」
だがまぁ 確かに瑞穂は、宇宙人である槍慈の元に嫁いだ折、遺伝子レベルでの生体強化や余命延長などの処置を受けているため、見た目で言えば せいぜい30代前半くらいの容姿である。
そしてまた、今は『初老』の風体である槍慈にしても、実際にはもっと若い姿が本来であるのだが……。
しかし何の拘りか、この喫茶室で珈琲を淹れる際には 必ず老けた容姿でカウンター内に入るのだ。
しかしまぁ、そんな話は余談。
「あらまぁ、嬉し♪ ねぇ槍慈さん? 今はあいにく 刀眞や弓弦さん、それに柏子ちゃんまでいないのですからぁ――― きっと、まともなのはワタシたちだけよぉ? だからぁ…… 二人でなんとか、頑張りましょうねぇー♪」
「おい瑞穂、オマエにゃあ…… 」
「え… ちょっ――― ぉお… お祖母さま!? ワタ… ワタクシも、この『四つ足毛玉』と同じ扱いなんですの!?」
どうやら『まともでない』らしい一人と一匹が不満の声を上げるが、当の瑞穂は素知らぬ顔で 呑気に鼻歌など唱っている。
「てか櫻子、オマエもまた言うに事欠いて…… って、まぁ良いか――― それよりもアレだぞ? ワレワレ『武闘派』なんぞは、端からお呼びではにゃいのだそうだぞ?」
「いや… ですから、そもそもこのワタクシを 玉さまと同じ括りにしないでと…… 」
「ふん…… だがそうとなれば櫻子よ、ワレらはもう こんな厄介事は放っておいて、一緒に何処か遊びにでも行こう。 そうだ、先日 葉月のヤツにパワーアップしてもらった『ねず子さん・改』を連れて、裏のしず江の家にでも…… 」
「いやいやいや、行きませんってば。 一応 仮初めにも『今どきのJK』であるこのワタクシが、どうして不吉な黒猫や 怪体なネズミ傀儡なんかを引き連れて、ご近所のお年寄り宅に遊びに行かなければならないのです」
「だって、お菓子や牛乳が出るのだぞ?」
「いや、いりませんし」
と ここで、相変わらずの長尺茶番が過ぎると判断した槍慈が、いつものように 事の矯正に入る。
「あのー、皆さん? 本来、この場の主役であるはずの コチラの坊っちゃんが、完っ全に置いてきぼりのようなのですが…… 」
「あらあらぁ、そうだったわねぇ。 ごめんなさいねぇ…… あ、そぉだ、お腹はすいてなぁい? お寿司でもとる?」
すると、『この場の主役』たるべき少年が、少しく反応を見せた。
「 ――― タ… タマ…… セン…セ――― サク… ラ…… ネェサ… マ――― 」
「お? コイツ今、ワガハイらの名を呼んだぞ」
「 ――― ミズ ホ… オバァ………… オネェ… サ… マ…… ?」
「おい…… コイツ今、特殊スキル『忖度』を発動したんじゃにゃいか?」
と、すかさず突っ込みかける玉依の言を遮るように瑞穂が―――
「まぁまぁー! なぁーんて可愛らしいボクちゃんなんでしょぉー!? ねぇ 龍岡さん、お寿司は特上で…… いえ、もう お店ごと買い取っちゃってくださいなぁ~♪」
「はい。 畏まりました、瑞穂様」
瑞穂の更なる世迷言に 一切動じる素振りを見せず、恭しく一礼する龍岡。
正に、執事の鑑と評するべきであろう。
「いや 龍岡、買わんで良いからにゃ――― 全く… 瑞穂も少し落ち着けよ。 そもそもコイツ、飯を食うのかどうかも判っておらんのであるからして…… 」
「でもでもぉ、温かい牛乳は さっきまで飲んでたみたいよぉ♪」
「ふむ、では 以上の事象を勘案しますと…… 少なくともカレには『記憶』や『判別』、そして更には『慮り』の能力なども備わっている…… ということになるのでしょうなぁ。 あぁ、あと 食物も『摂取』…… と」
引き続き、生真面目に着々と少年の仕様を見極めようと努める槍慈。
そして、漸く少し立ち直りかけたらしい櫻子が、少年に声を掛ける。
「ねぇ アナタ、お名前は解りますかしら? あとは…… そう、何かやりたいこととか食べたいものとか…… なんでも構いませんわ? どうかワタクシに話してみてくださいな」
「 ――― ボク…… ニ… ナマエ…… ハ…… マダ… ナイノ… ダ… ケレ… ド――― 」
ちゃんと目を見て話しかけてやると、辿々しいながらも きちんと答えを返してくる少年。
「ほう、やはりある程度の意志疎通は出来そうだにゃ。 それに、『名前』の概念があり、『それを持たぬ』という自己の状況把握も出来ておると見える」
「しっ! 玉さま、まだ何かお話しされたいようですわよ」
「 ――― ツケ… テ…… ボクニ… ナマ… エ………… オネガ… イ…… タマ… セン セ…… 」
懸命に 何とかそこまで言葉を紡ぐと、少年は玉依の黄色く丸い瞳を、まるでその内部の奥深くまで見透かそうとでもするかのように 静かにじっと見つめ…… そしてそのまま、また微動だにしなくなってしまう。
「え……? にゃ… 何ぃ!? ワ… ワガハイ!? いやいやいや、何でまた しかも名指しで…… 」
玉依が珍しく動揺し、そして その様子を見ている瑞穂は、いつにも増して何やら楽しそうだ。
「あらあらまぁまぁ、良いんじゃなぁい? 他の子たちのお名前だってぇ、これまでも みーんな、玉ちゃんがつけてきたんだからぁ。 ねぇ? つけておあげなさいよぉー♪」
「いや、そんな事を急に言われてもだにゃあ。 それに他の連中の場合、生まれてくるまでの間に いろいろと考える時間もあった訳で…… 」
すると更にそこへ、櫻子までが推しの参戦。
「玉さま! この際、もうなんでも宜しいではありませんか。 あまりお待たせするのも お可愛そうですし、どうか佳いお名前を、疾く疾く つけて差し上げてくださいな」
「いや、しかしだにゃあ――― そんなに急かされても、安易につけられるものでは……。 だって、犬や猫ではにゃいのであるからして…… 」
「あらまぁ、猫さんが いったい何を宣っておられるのだか」
「はっはっは! それにしても相変わらず、何だかんだと言いながらも玉依さんは、そういうところ 本当に生真面目というか…… 律儀ですよねぇ」
などと、身内連中から矢継ぎ早に囃されて、いつになく しどろもどろになっている玉依に対し―――
櫛名田家付の軍医である鹿沼までもが、悪乗りするかのように混ぜっ返しにかかる。
「そう言えば日頃より中佐殿は、ワレら種族の『ネーミングセンス』や『芸術性』の劣性を、随分と気にしておられましたからなぁ。 ここは、腕の見せ所なのではありませんかな? はっはっはっはっ!」
「おい、さっきから煩いぞオマエら! はぁ…… でもまぁアレだにゃ、何れにしろ『遠縁』などという設定が外部に出てしまっておるのであるからして…… 取り敢えずはその方向で、可及的速やかなる『辻褄合わせ』を講じていく必要があるという事だにゃ」
「えーっと…… 辻褄合わせって、具体的には何をされるのです?」
「そんなもの決まっておる。 先ずは急ぎ、コイツの『戸籍』を用意せねばにゃらん。 あとは諸々の細かな設定を組み立て、そしてその『裏付け』となるものを逐次捏造し、周囲の各要所へと周到にばらまき 固めていくのだ」
玉依は、そう 事も無げに言うが―――
つまりは 公文書偽造をはじめ、本来であれば ありとあらゆる側面から見て『犯罪』と見做されるような手段が、最早 必須かつ目白押しのようだ。
まぁ、彼らが宇宙人であるという事実が、一応の免罪符になるのかどうか。
「なるほどですわね……。 でもそんなこと、簡単にできるんですの?」
「そこはそれ、そのー何だ――― ワレワレの持つ権能を、もう此処ぞとばかりに須く使い倒してだにゃ……。 まぁ要は、財力や人脈… そして異能などをも有効に乱活用し、仕上げに時間遡行で以て 一切をきちんと整えてやれば、それで完了だ」
「はっはっは! 心配は要りませんよ、櫻子さん。 玉依さんはねぇ、こうしたことを数百年かそれ以上もの間、嬉々としてやり続けてこられたのですから」
カウンター内の槍慈が、既に三杯目となる珈琲を淹れながら、緊張感の欠片もないような面持ちで言う。
「いや槍慈よ、別にワガハイとて 嬉々としてやっておる訳ではにゃいのだが……。 しかしまぁ 職掌柄、多少 慣れてはおるかも知れんにゃあ」
するとここで、再び少年が言葉を発する。
「タマセン… セ…… ドコ カ… イク… ノ…… カナ…… ?」
「ああ、そうだ。 なかなか察しが良いではにゃいか。 まぁ、致し方にゃいから このワガハイが少しばかり『過去』まで、オマエと一緒に行ってやるよ。 ふむ、そうだにゃあ…… オマエ、10歳くらいか? ――― うん、では今から早速 10年程前に行ってだにゃ…… そしてその『戻った分』の期間、オマエさんの面倒を見てやるよ」
「ほう、10歳というと…… ではちょうど、双子ちゃんたちの『弟分』にでもされるおつもりで?」
「そうだ。 無論 実の弟ではにゃく、あくまでも『弟的な遠縁のガキんちょ』といった設定だがにゃ。 こうとなってはワガハイも腹を括った。 早速 今から、コイツの『これまでの人生』を創ってきてやろう程に」
ここで、執事…… いや、櫛名田家付の特務部隊長である龍岡大尉から、漸くにして本来の職務上の言が発せられる。
「玉依様、ワレワレは如何致しましょう」
「そうだにゃあ、医者である鹿沼は外せんとして…… あとは、猪去伍長に白鳥…… いや、今回は兎城准尉を連れて行こうと思うが、どうだ龍岡?」
「はい、隊としては構いませんが……。 しかし何故、将校過程履修のために明日立つ予定の兎城を?」
「いや、ほんの思い付きなのだがにゃ。 10年もの時間をただ無為に、『裏工作』と『家族ごっこ』だけに明け暮れて過ごすよりはだ――― せめて、もうひとミッションこなしてやろうと思ったのだ。 どうも『使われ体質』が抜けきらん兎城に、『使う側としての機微や心構え』でも教えてやろうかと思ってにゃ」
「成る程、了解であります。 どうかご存分に」
「うん、じゃあな槍慈、この時点以降での諸々の手配りは任せたぞ」
「はい、畏まりましたよ、玉依さん。 どうかお気を付けて」
「え…… もう行ってしまわれるんですの!?」
「玉ちゃん、行ってらっしゃぁーい♪ その子のこと、くれぐれもお願いねぇ。 そうそ、あと…… お名前もね?」
「ああ解った、任せておけ。 ではにゃ」
一度 話が決まると、行動がやたら素早いカレら…… やはり、軍人としての性なのであろうか。
それにしても、彼らにとってみれば大した時間でもないといった感覚なのかどうか、取り敢えずこの屋敷にはもう10年は戻ってこられないというのに、身支度もそこそこに もう出て行ってしまった。
「玉さま、随分またあっさりと……。 ですが 10年もお別れとなりますと、さすがに少し寂しいですわね…… 」
そう独り言ちる櫻子に対し 槍慈が何か言いかけた時、部屋の扉が勢いよく開いた。
そして、そこにいたのは―――
「おう、みんな久しいにゃ。 今戻ったぞ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 過日譚 】
此処は北海道札幌市内、とある高層マンション最上階の一室―――
玉依たちが時間遡行を行った後の『10年前』の世界。
兎城 「玉依様、この度は小官を共にお連れくださり、超絶的に光栄であります!」
玉依 「ちょ… 超絶? ああ、いや……。 それより、明日にも本国へ向かう筈であったところ、急に10年も先延ばしにしてしまって、すまなかったにゃあ」
兎城 「とんでもございません。 この上ない喜びに、胸が打ち震えんばかり――― それにこのまま10年の任を全うすれば、元の時間軸では予定通りとなるわけでありますから」
玉依 「それはそうだが…… 」
兎城 「そのようなことよりも玉依様…… 不肖この兎城、不束者ではございますが、どうか末永くご指導ご鞭撻のほどを、お願い申し上げたく…… 」
玉依 「ん? あ、あぁ……。 だが、別に末永くはなかろう? たったの10年だからにゃ。 いや、こちらこそ宜しく頼む。 ところで鹿沼よ――― 」
鹿沼 「あぁ、はい。 えーと… カレの状況と、ワシの見立てた診断所見なんかをお話しすれば良いですかな?」
玉依 「ああ、頼む。 だがまぁ… やはり『亜空間人間』…… という結論… なのであろうにゃあ…… 」
鹿沼 「まぁ、そのようですなぁ。 取り敢えず 概ねの所見は、『庭のワニ君と同じ』といったところでしょう」
玉依 「そうか……。 やれやれ、こうとなってはもう 意地でもこの件、ワレら一族とオマエたちの胸に仕舞い込み、墓場まで持って行く覚悟を決めんといかんようだにゃ」
鹿沼 「ほう、ワシらが死ぬまでですか? そいつはまた、お気の長い……。 まぁ、始めの100年さえ巧くやり過ごすことができれば、あとは惰性でいけるでしょうがなぁ。 それにその頃には、きっとワタシら自身も忘れてしまっておりますよ。 あーっはっはっはっは!」
猪去 「鹿沼先生…… 相変わらず適当くさい見通しですね」
鹿沼 「んん? いやぁ でもなぁ、これくらいの感じでないと、櫛名田家付の侍医など、とてもじゃないが やってはおられんぞ?」
玉依 「ふふ… いつもすまんにゃあ、それに今回の件も。 ところでだ、コイツやワニの話に戻すが、目などの透明な部位の構造はどうなっておるのだ?」
鹿沼 「ああ、はい――― 体内に充満した亜空間を覆っている外皮は、色も素材も臨機応変のようですからな、角膜はちゃんと透明素材ですよ。 あとは、その透けた内部の光彩や瞳孔なんかの部分を緻密に擬態すれば、生き物として違和感のない外見になる…… とまぁ、そういったところでしょうかな」
玉依 「ふん、理屈は解る。 解るが…… それはどうにも――― 」
鹿沼 「ふむ、どうにも『作為的』…… ですなぁ」
兎城 「あの…… 『作為的』というのは、例えばカレが 何者かの意思によって創造、擬態化された存在かもしれない…… という意味でしょうか?」
玉依 「ああ。 つまりは『観測者ありき』の、何者かによる『恣意的な』擬態である可能性…… だ――― とは言え、直接的にコイツを作ったのは恐らく桐子だ。 桐子にしてみれば、慕っておる弓弦に似せたいという想いが無意識に生じた結果…… というだけの話なのかも知れんがにゃ」
鹿沼 「ですがワシらは、芸術や造形的なセンスが致命的にありませんからなぁ。 その辺りが多少、腑に落ちないというか引っ掛かるというか…… 」
玉依 「ほう、流石だにゃあ鹿沼、そこまで考察しておったか。 オマエは本当に、医者にしておくには惜しい男だにゃ――― でだ、『魂』は?」
鹿沼 「あるでしょう。何しろ、カレには『自我』がちゃんとありますからな。」
玉依 「では例えば、脳にあたる何かしらの器官が自立思考している…… などの可能性は?」
鹿沼 「人工知能的な話ですか? いや、ですからカレには自我がある。 自我と思考は別物ですよ。 脳というものは思考や記憶、そして知覚や各所の制御などをすることはできても、それが自我にまで昇華するということは絶対に有り得ません」
玉依 「ほう、言い切るにゃあ。 つまり脳には、記憶の集積を行い それを基に分析し考察する… あとは神経からの情報を知覚・認識して全身を制御する事までしか出来ん――― 謂わば、そうした諸々の機能を持った『臓器の内のひとつ』に過ぎん…… という見解なのだにゃ?」
鹿沼 「ええ、まぁ…… ワシはね。 だが人工知能や、地球星のスーパーコンピューターとかいうやつだってそうでしょう? つまりそれらに対し、如何に膨大な情報を与え、そしてどれだけ処理速度を上げさせようとも…… 思考に似た『分析』までは可能であったとして、だがそれは『自我』ではない。 それにそもそも、それが出来るくらいであれば、今回の件とて桐子嬢ちゃんの特殊異能をこんなにも特別視して大騒ぎする必要もないということになる」
玉依 「成る程、確かににゃあ。 自我を持たせた自律稼働式人工知能を作れる見込みがあるとするならば――― 別に桐子の異能などに頼らなくとも、そいつを搭載させた人型兵器や労働メカの量産化さえ行えれば事足りる…… か」
鹿沼 「左様です。 まぁ、論法は逆説的かもしれませんがね、今回の件に当て嵌めてみると、より解りやすい」
猪去 「そうかぁ…… ロボットや機械なんかに魂が宿るなどの怪現象は有り得ない…… そういうことになってしまうんですねぇ」
鹿沼 「当たり前だよ。 そのような考え、地球星産の『アニメ』とやらの見過ぎとしか思えん」
玉依 「ん…… 取り敢えず、オマエの見解は解った。 で、血は出るのか?」
鹿沼 「血ですか? いや、ワニ君と同様で出ませんよ。 それに中身を覗いてみても、血液はおろか 内臓や骨すらも見当たらない。 カレの体内には、ただただ無限の亜空間が 拡がり詰まっているばかりですよ」
玉依 「そうか。 ではやはり、病院などでの検査や健康診断、特に採血などが行われるような場への参加はタブーだにゃ…… それに、人前で怪我などもさせられん。 で、脈は?」
鹿沼 「ほう…… やはり、中佐殿はさすがですな――― それが、実はちゃんとあります…… 面妖なことにね。 あと、体温も人間のそれと同様ですし… しかも完全に一定ではなく、朝晩での微妙な変動なども巧みに再現されておるようで――― 」
玉依 「それは一体、何の為だと思う? 誰に見せる為の擬態機能だ? 一体…… 誰の仕業にゃのだ」
鹿沼 「ふむ…… いや、言いたいことは解りますよ中佐殿。 だがしかし、現状ワレワレの知り得る範囲では、カレを産み出したのは 紛れもなく桐子嬢ちゃんですよ」
玉依 「ああ、そうだにゃ――― ふん、今のところの詮索は此処までか。 だが、ワガハイの懸念…… 引っ掛かりの部分はそういった辺りだ。 各位、頭の隅にでも留めておいてくれ」
一同 「は、了解であります」