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旧家 ❀ 櫛名田一族の聖域  作者: 漣 ✾ 黒猫堂
『生』 chapter 009
39/40

玉依の遡行 foster 鞘 × 壹



 此処(ここ)は、都の有形文化財指定を受けている櫛名田(くしなだ)本邸 屋敷地内―――

 その主屋(しゅおく)、洋館1階の東側に位置する『喫茶室 副伯』。


 元は『第一応接の間』と『小客間』の2部屋に別れていたのであるが、それらの間の壁を抜き、現在は 前当主である槍慈(そうじ) (みずか)らが道楽で運営するための茶房となっている。


 喫茶室と言っても 外部からの客などはとっておらず、主な用途としては、家人・使用人の別を問わずに(いこ)(つど)う『邸内の(まかな)(どころ)』として、もっぱら使われている。


 とは言え、店舗としての機能は有していないながらも、外部へと通ずるテラス側の扉の上には、『副伯(ふくはく)〈 Viscount 〉』と書かれた鋳物(いもの)製の看板が ご丁寧(ていねい)に下げられており―――

 かつてこの有り様を見た 都の文化財課の担当者は、大層 弱り果てていたものである。


 さて、本日はこの部屋に―――

 一族の者としては、玉依(たまより)槍慈(そうじ)瑞穂(みずほ)櫻子(さくらこ)の四名、そして使用人側としては、龍岡(たつおか)猪去(いさり)鹿沼(かぬま)医師の三名が、一先(ひとま)ずは顔を(そろ)えていた。


 だが、実はこの他にも もう一人―――

 外見は10歳くらいと思われる、端正な顔立ちをした少年が カウンター席に行儀よく座っており、槍慈(そうじ)お気に入りのセーブルのカップに()れられたホットミルクを、ほぼ無表情な面持(おもも)ちで静かに飲み下している。


 ただ 異様に目を引くのは、その少年の髪が 後ろだけでなく前髪も含め、(みずか)らの腰の辺りにまで達して伸びていること。

 また、その服装がTシャツに短パン姿であり―――

 そしてその服自体は、桐子(きりこ)が普段 屋敷内でよく着ているものに、どことなく似ていた。

 但し、それらはどうしたわけか随分(ずいぶん)とぼろぼろで、所々には泥のようなものも付いている。

 因みに、そのTシャツには横文字で何やらごちゃごちゃと書かれているのであるが、それらは何故(なぜ)か『鏡文字』であった。


 そんな少年の様子を、カウンター上に ちょこんと座っている(てい)の一匹の黒猫が覗きこんでおり―――

 その(かたわ)らで珈琲豆(コーヒーまめ)いている初老の男に、目線も姿勢も動かさないまま 無機質な声音(こわね)で話しかける。


「おい…… なぁ、槍慈(そうじ)よ」


「はい、なんでしょう玉依(たまより)さん?」


「この小汚(こぎた)ないガキんちょは、一体 何なんだにゃ」


「それをワタシに聞かれましてもねぇ。 と言うか、これはアナタ(がら)みの案件…… 恐らく、その『成れの果て』の状況なのでは?」


 と、槍慈(そうじ)に痛いところを突かれるかたちで投げ返された玉依(たまより)は、多少ばつが悪そうに(うつむ)きつつもゴニョゴニョと答える。


「あぁ、いや…… うん――― それは恐らく、ワガハイも承知しているところではあるのだがにゃ……。 だがそのー (にゃん)だ、すぐにはこう… 受け入れられなくてだにゃあ……。 まぁ、一応聞いてみた」


 ここで(ようや)槍慈(そうじ)は目線を上げ、玉依(たまより)や その後ろに(ひか)える一同、そして今回の騒動の当事者たるカレ(・・)の姿を視界に入れて言う。


「やれやれ…… ですがまぁ、いきなり直視できない(たぐ)いの状況なのであろうことは、何となく お察し致しますがねぇ…… 」


 少しく(あき)れたように首を振る槍慈(そうじ)だが、それに対し―――


面目めんぼくにゃい。 いやぁ、オマエが突然連れて来たという流れだったもので…… つい、にゃ?」


 (みずか)らが劣勢の空気感を払拭(ふっしょく)するように、努めて明るい声音(こわね)で返す玉依(たまより)


「ふふ、まぁ良いでしょう。 ですが『突然』と言われてしまいますと、それはワタシにとっても同様なわけでしてねぇ。 午前中、牛岐(うしき)軍曹と柏子(かしわこ)さんから送られてきた通信を、運悪く(・・・)ワタシが受けてしまったもので……。 それで()む無く、急ぎ学校から連れ帰って来たというだけの話なのですよ」


 この槍慈(そうじ)という男、普段であれば こうした厄介(やっかい)(ごと)からは常に身を遠ざけておきたい性分の持ち主であり―――

 その点、孫の弓弦(ゆづる)にも見られる同様の気質などは、まさに『この祖父にして…… 』といったものであると言えよう。


「そうか。 まぁ、そいつはご苦労だったにゃあ――― うーん…… 」


 そして室内には再び、何とも言えない微妙な静寂が(ただよ)う。


「 ――― で、あのぉー…… (たま)さま?」


 と ここで、今回の一件絡みでは まだ良いところの全くない櫻子(さくらこ)が、遠慮がちに小さく手を挙げて おずおずと声を出す。


「おぅ、どうした櫻子(さくらこ)? 何か聞きたい事が…… まぁ、山程あるだろうがにゃあ」


「えーっと、はい…… あの、お(うかが)いしても?」


 玉依(たまより)櫻子(さくらこ)、両者とも意識せず互いに小首を(かし)げ合う姿が、如何(いか)にも『似た者同士』という(おもむき)で何とも言えず―――

 周りの者たちが、つい密かに口の端を上げてしまっていたのであるが…… 取り敢えず、当の本人たちは気付かない。


「うーん… まぁ恐らく、聴かれるであろう内容は容易に想像出来る。 それにオマエとて (おおむ)ねの状況は、もうすでに解ってしまっておるのではにゃいか? ふん… だが まぁ良い、一応聞こうか」


「あー、はい――― あのー、コチラの方はいったい…… 」


「うん。 やっぱりオマエという娘は、それを まんまど直球(・・・)で聴いてしまうのだにゃ…… まぁ、いっそ(いさぎ)くて微笑ましいわ。 で、逆に聴くが オマエは(にゃん)だと思う? そしてソレをどうしたい?」


 玉依(たまより)が、櫻子(さくらこ)の顔を下から覗き込むように(たず)ねる。


「えーっと、いやぁ…… 『どうしたい?』と言われましても――― そのー、コチラの方がどういった存在なのかはひとまず置かせていただくとして――― 当面の設定の方は、『遠い親戚の… お子さん?』… とかでしょうか…… 」


 如何(いか)にも自信がなさそうに答える、今日は始終 弱気なスタンスの櫻子(さくらこ)


「うん、まぁ その辺りなのであろうにゃあ。 いや良かったよ、もしも『実の弟(・・・) 設定』とかを持ち出されでもしておった日には、裏のしず()の家にでも逃げ出しておるところだ」


 と、はからずも瞬殺で(みずか)らの失策を言い当てられ、思わず躊躇たじろぎ 顔をらせる櫻子(さくらこ)


 (ちな)みに しず()というのは、屋敷の東側住宅地に住む古くからの顔馴染みで、最近は暇さえあれば彼女の家の縁側に『野良猫のてい』で顔を出し、その都度つど 牛乳や菓子類などを(きょう)されるままに(むさぼ)り食う…… というのが、近頃の玉依たまよりの日課となってしまっている。


「あー…… いやぁー、あは… あはははは……。 いやいやぁ、(たま)さま… まっさかぁ~! いくらワタクシでも、それはさすがに…… ねぇ? お… おほ…… おほほほほ♪」


 この 櫻子(さくらこ)の不自然極まりない反応から、この場にいる(ほとん)どの者たちが (おおむ)ねの状況を察する。

 玉依(たまより)も溜め息混じりに首を振り、そして執事の龍岡(たつおか)以下の使用人勢は皆、遠慮がちに目線を床に落とすが―――

 取り敢えず、居たたまれない的な空気感の濃密度が この上もない。


「ねぇ、櫻子(さくらこ)ちゃん…… アナタってむかぁしから、誤魔化ごまかすのが 痛ましいくらいに下手(へた)よねぇ…… 」


 一応、助け船でも出したつもりで瑞穂(みずほ)が声を掛けるが…… 櫻子(さくらこ)にとっては、(まさ)(とど)めの一撃としか言いようがない。


「はうぅ、お… お祖母(ばあ)さま…… どうかもうワタクシのことは、そっと捨て置いてくださいませ…… 」


「はぁ~…… やれやれ、まぁ良いわ。 取り敢えず学校側には、結果的に『遠縁(・・)のガキんちょ』という事で説明してきたのであろう? ふぅ、全く…… 弓弦(ゆづる)柏子(かしわこ)のヤツがそばに居てくれて良かったにゃ」


「はい――― 重々(かさねがさね)面目(めんぼく)次第もございませんわ…… 」


 がっくりと項垂(うなだ)れる櫻子(さくらこ)一瞥(いちべつ)だけ()れると、玉依(たまより)は話を元に戻すべく、改めて(くだん)の少年の方を見遣みやる。


「でだ、コイツをこれからどうするか……。 槍慈(そうじ)よ、オマエはどう思う?」


「ふむ、そうですねぇ……。 まぁ、どういった『遠縁』なのか…… などの、わば些末(さまつ)たぐいの設定については追々(おいおい)考えるとして――― まずは、もっと基本的(ベーシック)な部分での諸々(もろもろ)を、なるべく早急に処理し 固めていきませんと」


 ここで槍慈(そうじ)が言っている『基本的(ベーシック)諸々(もろもろ)』というのは、今後この少年が『ごく当たり前に』『誰にも後ろ指を指されることなく』存在していくための大前提的なアリバイ工作と、そしてそれに伴う諸手続きのことだ。

 例えばその中には、この東方の島国における『戸籍等々の偽装取得』や、見た目的な年齢に見合った『学校への就学』なども含まれる。


「ねぇ (たま)ちゃん(たま)ちゃぁーん、まずはほらぁ… お名前を…… ねぇ? つけてあげないとぉ、いけないと思うわぁー! うふふ♪」


 そう、そして確かに何を進めるにしても、まずは『氏名』が欠かせなさそうではある。


「うん…… 瑞穂(みずほ)よ、確かにオマエの言う通りだにゃ。 よし、ではその辺りの事を含め、まずは本人(・・)に聴いてみるか」


 そう言って玉依(たまより)は、ちょうどホットミルクを飲み終えたらしい少年(・・)に向かって声を掛けてみる。


「おいオマエ、名前は(にゃん)だ? 言えるものなら言ってみろ」


「 ―――――― ?」


 幼子(おさなご)への口の聞き方が、もう壊滅的に なかなかどうしてなレベルの玉依(たまより)

 しかし その高圧的な(げん)に対し、少年の方は特に動じる様子もない。


 だが、それを見た瑞穂(みずほ)が―――


「もぉ、(たま)ちゃんったらぁ! こぉーんな小さい子に、そんな ぶっきらぼうな聴き方がありますか!」


 と、(たま)らず(ほお)を膨らませて叱責(しっせき)するも―――


「ふん、じゃあオマエが聴けよ。 だがコイツ、猫の姿であるワガハイが(しゃべ)っておるのを見ても、それに対しての違和感や怖れなどは 特に感じておらんように見えるにゃあ」


 玉依(たまより)は悪びれる素振(そぶ)りもなく、むしろ少年の態度や反応の観察に余念がない。

 そしてそのスタンスは、槍慈(そうじ)や他の面々も同様のようだ。


「ふむ、だとしますと…… 例えばこの子は、基本的な知識や常識が欠如(けつじょ)している? もしくは、そうした特異な事象に対する許容値が大きい…… (ある)いは、感情の起伏が極端に少ないとか……。 まぁ いずれにしろ、この子からはもっといろいろと お話を聞いてみませんとねぇ」


「ふん… ところでコイツ、そもそもワレワレの言葉自体はかいしておるのか?」


 確かにこの少年は、櫛名田(くしなだ)邸に来て以来 一度も言葉を発してはいない。

 だが―――


「ええ、それは恐らく大丈夫でしょう。 ワタシがここへ連れてくるまでの間には、まだ一言も口をきいてくれていませんが……。 でも初等科に現れた際には、『自分は櫛名田(くしなだ)家のモノだ』…… というようなことを、言葉少なながらも話していたそうですのでねぇ」


 このかん槍慈(そうじ)たちのこうしたやり取りを、少年はただじっと無表情に見つめている。

 その顔立ちや(たたず)まいは如何(いか)にも無機的で、そこから読み取れる情報などは皆無のように思われるのであるが―――

 しかし何故(なぜ)か、ここで交わされている会話は逐一(ちくいち)しっかりと理解し、心に()めているように見えなくもない。


 そんな彼に、今度は瑞穂(みずほ)が満面の笑みを(たた)えながら声を掛ける。


「ねぇ、ボクちゃーん? お名前はぁ、言えるかなぁー? この、(こっわ)ぁーい黒猫ちゃんのことは気にしないでぇ…… お姉さん(・・・・)に、なにかお話ししてみてぇー?」


 一瞬、動作思考が完全に停止する一同。


「 ――― え… えーっと? いや あの…… お祖母(ばあ)さま?」


「おい瑞穂(みずほ)…… オマエ、(よわい)108にもなって『お姉さん』はにゃかろう。 どうした、まさか痴呆(ぼけ)たのではあるまいにゃ」


 瑞穂(みずほ)渡佐臭どさくさまぎれの妄言(もうげん)に、取り敢えず身内(サイド)からの突っ込みが入る。


「まぁ、みんなひっどぉーい! 特に(たま)ちゃんったらぁ、さっきから本当にもぉ~!」


 盛大にふくれる瑞穂みずほ

 それに対し、夫の槍慈そうじが一応のフォローを入れ―――


「ほらほら皆さん、瑞穂(みずほ)さんはご覧のとおり、とってもお若いですよ。 ねぇ?」


 だがまぁ 確かに瑞穂(みずほ)は、宇宙人である槍慈(そうじ)の元に(とつ)いだ折、遺伝子レベルでの生体強化や余命延長などの処置を受けているため、見た目で言えば せいぜい30代前半くらいの容姿である。


 そしてまた、今は『初老』の風体(ふうてい)である槍慈(そうじ)にしても、実際にはもっと若い姿が本来であるのだが……。

 しかし何の(こだわ)りか、この喫茶室で珈琲(コーヒー)()れる際には 必ず老けた容姿でカウンター内に入るのだ。

 しかしまぁ、そんな話は余談。


「あらまぁ、うれし♪ ねぇ槍慈(そうじ)さん? 今はあいにく 刀眞(とうま)弓弦(ゆづる)さん、それに柏子(かしわこ)ちゃんまでいないのですからぁ――― きっと、まとも(・・・)なのはワタシたちだけよぉ? だからぁ…… 二人でなんとか、頑張りましょうねぇー♪」


「おい瑞穂(みずほ)、オマエにゃあ…… 」


「え… ちょっ――― ぉお… お祖母(ばあ)さま!? ワタ… ワタクシも、この『四つ足毛玉』と同じ扱いなんですの!?」


 どうやら『まともでない』らしい一人と一匹が不満の声を上げるが、当の瑞穂(みずほ)は素知らぬ顔で 呑気のんきに鼻歌など唱っている。


「てか櫻子(さくらこ)、オマエもまた言うに事欠いて…… って、まぁ良いか――― それよりもアレだぞ? ワレワレ『武闘派』なんぞは、(はな)からお呼びではにゃいのだそうだぞ?」


「いや… ですから、そもそもこのワタクシを (たま)さまと同じ(くく)りにしないでと…… 」


「ふん…… だがそうとなれば櫻子(さくらこ)よ、ワレらはもう こんな厄介(やっかい)ごと)は放っておいて、一緒に何処(どこ)か遊びにでも行こう。 そうだ、先日 葉月(はづき)のヤツにパワーアップしてもらった『ねず子さん・改』を連れて、裏のしず()の家にでも…… 」


「いやいやいや、行きませんってば。 一応 仮初(かりそ)めにも『今どきのJK』であるこのワタクシが、どうして不吉な黒猫や 怪体(けったい)なネズミ傀儡(ロボ)なんかを引き連れて、ご近所のお年寄り宅に遊びに行かなければならないのです」


「だって、お菓子や牛乳が出るのだぞ?」


「いや、いりませんし」


 と ここで、相変わらずの長尺茶番が過ぎると判断した槍慈そうじが、いつものように こと矯正きょうせいに入る。


「あのー、皆さん? 本来、この場の主役であるはずの コチラの坊っちゃんが、完っ全に置いてきぼりのようなのですが…… 」


「あらあらぁ、そうだったわねぇ。 ごめんなさいねぇ…… あ、そぉだ、お腹はすいてなぁい? お寿司でもとる?」


 すると、『この場の主役』たるべき少年が、少しく反応を見せた。


「 ――― タ… タマ…… セン…セ――― サク… ラ…… ネェサ… マ――― 」


「お? コイツ今、ワガハイらの名を呼んだぞ」


「 ――― ミズ ホ… オバァ………… オネェ… サ… マ…… ?」


「おい…… コイツ今、特殊スキル『忖度(そんたく)』を発動したんじゃにゃいか?」


 と、すかさず突っ込みかける玉依たまよりげんさえぎるように瑞穂みずほが―――


「まぁまぁー! なぁーんて可愛らしいボクちゃんなんでしょぉー!? ねぇ 龍岡(たつおか)さん、お寿司は特上で…… いえ、もう お店ごと買い取っちゃってくださいなぁ~♪」


「はい。 (かしこ)まりました、瑞穂(みずほ)様」


 瑞穂みずほの更なる世迷言よまいごと一切いっさい動じる素振りを見せず、うやうやしく一礼する龍岡たつおか

 まさに、執事のかがみと評するべきであろう。


「いや 龍岡(たつおか)、買わんで良いからにゃ――― 全く… 瑞穂(みずほ)も少し落ち着けよ。 そもそもコイツ、(めし)を食うのかどうかもわかっておらんのであるからして…… 」


「でもでもぉ、温かい牛乳は さっきまで飲んでたみたいよぉ♪」


「ふむ、では 以上の事象を勘案しますと…… 少なくともカレには『記憶』や『判別』、そして(さら)には『(おもんぱか)り』の能力なども備わっている…… ということになるのでしょうなぁ。 あぁ、あと 食物も『摂取』…… と」


 引き続き、生真面目きまじめに着々と少年の仕様スペックを見極めようとつとめる槍慈そうじ

 そして、ようやく少し立ち直りかけたらしい櫻子さくらこが、少年に声を掛ける。


「ねぇ アナタ、お名前は解りますかしら? あとは…… そう、何かやりたいこととか食べたいものとか…… なんでも構いませんわ? どうかワタクシに話してみてくださいな」


「 ――― ボク…… ニ… ナマエ…… ハ…… マダ… ナイノ… ダ… ケレ… ド――― 」


 ちゃんと目を見て話しかけてやると、辿々(たどたど)しいながらも きちんと答えを返してくる少年。


「ほう、やはりある程度の意志(いし)疎通(そつう)は出来そうだにゃ。 それに、『名前』の概念があり、『それを持たぬ』という自己の状況把握(はあく)も出来ておると見える」


「しっ! (たま)さま、まだ何かお話しされたいようですわよ」


「 ――― ツケ… テ…… ボクニ… ナマ… エ………… オネガ… イ…… タマ… セン セ…… 」


 懸命に 何とかそこまで言葉を(つむ)ぐと、少年は玉依(たまより)の黄色く丸い瞳を、まるでその内部の奥深くまで見透かそうとでもするかのように 静かにじっと見つめ…… そしてそのまま、また微動だにしなくなってしまう。


「え……? にゃ… (にゃに)ぃ!? ワ… ワガハイ!? いやいやいや、(にゃん)でまた しかも(にゃ)()しで…… 」


 玉依(たまより)が珍しく動揺し、そして その様子を見ている瑞穂(みずほ)は、いつにも増して何やら楽しそうだ。


「あらあらまぁまぁ、良いんじゃなぁい? 他の子たちのお名前だってぇ、これまでも みーんな、(たま)ちゃんがつけてきたんだからぁ。 ねぇ? つけておあげなさいよぉー♪」


「いや、そんな事を急に言われてもだにゃあ。 それに他の連中の場合、生まれてくるまでの間に いろいろと考える時間もあった訳で…… 」


 すると(さら)にそこへ、櫻子(さくらこ)までが()しの参戦。


たまさま! この際、もうなんでも(よろ)しいではありませんか。 あまりお待たせするのも お可愛そうですし、どうか()いお名前を、()()く つけて差し上げてくださいな」


「いや、しかしだにゃあ――― そんなに()かされても、安易につけられるものでは……。 だって、犬や猫ではにゃいのであるからして…… 」


「あらまぁ、猫さんが いったい何を(のたま)っておられるのだか」


「はっはっは! それにしても相変わらず、何だかんだと言いながらも玉依(たまより)さんは、そういうところ 本当に生真面目(きまじめ)というか…… 律儀りちぎですよねぇ」


 などと、身内連中から矢継ぎ早に(はや)されて、いつになく しどろもどろになっている玉依たまよりに対し―――

 櫛名田くしなだ家付の軍医である鹿沼かぬままでもが、悪乗りするかのように混ぜっ返しにかかる。


「そう言えば日頃より中佐殿は、ワレら種族の『ネーミングセンス』や『芸術性』の劣性(れっせい)を、随分(ずいぶん)と気にしておられましたからなぁ。 ここは、腕の見せ所なのではありませんかな? はっはっはっはっ!」


「おい、さっきからうるっさいぞオマエら! はぁ…… でもまぁアレだにゃ、いずれにしろ『遠縁』などという設定が外部に出てしまっておるのであるからして…… 取り敢えずはその方向で、可及的速かきゅうてきすみやかなる『辻褄(つじつま)合わせ』を講じていく必要があるという事だにゃ」


「えーっと…… 辻褄(つじつま)合わせって、具体的には何をされるのです?」


「そんなもの決まっておる。 ()ずは急ぎ、コイツの『戸籍』を用意せねばにゃらん。 あとは諸々(もろもろ)の細かな設定を組み立て、そしてその『裏付け』となるものを逐次ちくじ捏造ねつぞうし、周囲の各要所へと周到にばらまき 固めていくのだ」


 玉依たまよりは、そう 事も無げに言うが―――

 つまりは 公文書偽造をはじめ、本来であれば ありとあらゆる側面から見て『犯罪アウト』と見做みなされるような手段が、最早(もはや) 必須かつ目白押しのようだ。


 まぁ、彼らが宇宙人であるという事実が、一応の免罪符になるのかどうか。


「なるほどですわね……。 でもそんなこと、簡単にできるんですの?」


「そこはそれ、そのー(にゃん)だ――― ワレワレの持つ権能(チカラ)を、もう此処(ここ)ぞとばかりに(すべから)く使い倒してだにゃ……。 まぁ要は、財力(カネ)人脈(ヒト)… そして異能(ジン)などをも有効に乱活用し、仕上げに時間遡行で(もっ)一切いっさいをきちんと整えてやれば、それで完了だ」


「はっはっは! 心配は要りませんよ、櫻子(さくらこ)さん。 玉依(たまより)さんはねぇ、こうしたことを数百年かそれ以上もの間、嬉々として(・・・・・)やり続けてこられたのですから」


 カウンター内の槍慈そうじが、すでに三杯目となる珈琲コーヒーれながら、緊張感の欠片(かけら)もないような面持おももちで言う。


「いや槍慈そうじよ、別にワガハイとて 嬉々としてやっておる訳ではにゃいのだが……。 しかしまぁ 職掌(しょくしょう)(がら)、多少 (にゃ)れてはおるかも知れんにゃあ」


 するとここで、再び少年が言葉を発する。


「タマセン… セ…… ドコ カ… イク… ノ…… カナ…… ?」


「ああ、そうだ。 なかなか察しが良いではにゃいか。 まぁ、致し方にゃいから このワガハイが少しばかり『過去』まで、オマエと一緒に行ってやるよ。 ふむ、そうだにゃあ…… オマエ、10歳くらいか? ――― うん、では今から早速さっそく 10年程前に行ってだにゃ…… そしてその『戻った分』の期間、オマエさんの面倒を見てやるよ」


「ほう、10歳というと…… ではちょうど、双子(キリかし)ちゃんたちの『弟分』にでもされるおつもりで?」


「そうだ。 無論 実の弟ではにゃく、あくまでも『弟的な遠縁のガキんちょ』といった設定だがにゃ。 こうとなってはワガハイも腹をくくった。 早速さっそく 今から、コイツの『これまでの人生』を創ってきてやろう程に」


 ここで、執事…… いや、櫛名田くしなだ家付の特務部隊長である龍岡たつおか大尉から、ようやくにして本来の(・・・)職務上のげんが発せられる。


玉依(たまより)様、ワレワレは如何(いかが)致しましょう」


「そうだにゃあ、医者である鹿沼(かぬま)は外せんとして…… あとは、猪去(いさり)伍長に白鳥(しらとり)…… いや、今回は兎城(うさぎ)准尉を連れて行こうと思うが、どうだ龍岡(たつおか)?」


「はい、隊としては構いませんが……。 しかし何故(なにゆえ)、将校過程履修(りしゅう)のために明日立つ予定の兎城(うさぎ)を?」


「いや、ほんの思い付きなのだがにゃ。 10年もの時間をただ無為(むい)に、『裏工作』と『家族ごっこ』だけに明け暮れて過ごすよりはだ――― せめて、もうひとミッションこなしてやろうと思ったのだ。 どうも『使われ体質』が抜けきらん兎城(アイツ)に、『使う側としての機微(きび)や心構え』でも教えてやろうかと思ってにゃ」


「成る程、了解であります。 どうかご存分に」


「うん、じゃあな槍慈(そうじ)、この時点以降での諸々の手配りは任せたぞ」


「はい、(かしこ)まりましたよ、玉依(たまより)さん。 どうかお気を付けて」


「え…… もう行ってしまわれるんですの!?」


(たま)ちゃん、行ってらっしゃぁーい♪ その子のこと、くれぐれもお願いねぇ。 そうそ、あと…… お名前もね?」


「ああ解った、任せておけ。 ではにゃ」


 一度 話が決まると、行動がやたら素早いカレら…… やはり、軍人としてのさがなのであろうか。

 それにしても、彼らにとってみれば(・・・・・・・・・)大した時間でもないといった感覚なのかどうか、取り敢えずこの屋敷にはもう10年は戻ってこられないというのに、身支度もそこそこに もう出て行ってしまった。


たまさま、随分ずいぶんまたあっさりと……。 ですが 10年もお別れとなりますと、さすがに少し寂しいですわね…… 」


 そうひとちる櫻子さくらこに対し 槍慈そうじが何か言いかけた時、部屋の扉が勢いよく開いた。

 そして、そこにいたのは―――


「おう、みんな久しいにゃ。 今戻ったぞ」





 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





一掬いっきく過日かじつたん



 此処ここは北海道札幌市内、とある高層マンション最上階の一室―――

 玉依(たまより)たちが時間遡行を(おこな)った後の『10年前』の世界。


兎城うさぎ玉依(たまより)様、この(たび)は小官を共にお連れくださり、超絶的に光栄であります!」


玉依(たまより) 「ちょ… 超絶? ああ、いや……。 それより、明日にも本国へ向かう(はず)であったところ、急に10年も先延ばしにしてしまって、すまなかったにゃあ」


兎城 「とんでもございません。 この上ない喜びに、胸が打ち震えんばかり――― それにこのまま10年の任を(まっと)うすれば、元の時間軸では予定通りとなるわけでありますから」


玉依 「それはそうだが…… 」


兎城 「そのようなことよりも玉依(たまより)様…… 不肖ふしょうこの兎城(うさぎ)不束者(ふつつかもの)ではございますが、どうか末永くご指導ご鞭撻(べんたつ)のほどを、お願い申し上げたく…… 」


玉依 「ん? あ、あぁ……。 だが、別に末永くはなかろう? たったの10年だからにゃ。 いや、こちらこそ(よろ)しく頼む。 ところで鹿沼(かぬま)よ――― 」


鹿沼(かぬま) 「あぁ、はい。 えーと… カレ(・・)の状況と、ワシの見立てた診断所見なんかをお話しすれば良いですかな?」


玉依 「ああ、頼む。 だがまぁ… やはり『亜空間人間』…… という結論… なのであろうにゃあ…… 」


鹿沼 「まぁ、そのようですなぁ。 取り敢えず (おおむ)ねの所見は、『庭のワニ君と同じ』といったところでしょう」


玉依 「そうか……。 やれやれ、こうとなってはもう 意地でもこの件、ワレら一族とオマエたちの胸に仕舞い込み、墓場まで持って行く覚悟を決めんといかんようだにゃ」


鹿沼 「ほう、ワシらが死ぬまでですか? そいつはまた、お気の長い……。 まぁ、始めの100年さえ(うま)くやり過ごすことができれば、あとは惰性(だせい)でいけるでしょうがなぁ。 それにその頃には、きっとワタシら自身も忘れてしまっておりますよ。 あーっはっはっはっは!」


猪去(いさり)鹿沼(かぬま)先生…… 相変わらず適当くさい見通しですね」


鹿沼 「んん? いやぁ でもなぁ、これくらいの感じでないと、櫛名田(くしなだ)家付の侍医など、とてもじゃないが やってはおられんぞ?」


玉依 「ふふ… いつもすまんにゃあ、それに今回の件も。 ところでだ、コイツやワニの話に戻すが、目などの透明な部位の構造はどうなっておるのだ?」


鹿沼 「ああ、はい――― 体内に充満した亜空間を覆っている外皮は、色も素材も臨機応変のようですからな、角膜はちゃんと透明素材ですよ。 あとは、その透けた内部の光彩や瞳孔なんかの部分を緻密(ちみつ)に擬態すれば、生き物として違和感のない外見になる…… とまぁ、そういったところでしょうかな」


玉依 「ふん、理屈は解る。 解るが…… それはどうにも――― 」


鹿沼 「ふむ、どうにも『作為的』…… ですなぁ」


兎城 「あの…… 『作為的』というのは、例えばカレが 何者かの意思によって創造、擬態化された存在かもしれない…… という意味でしょうか?」


玉依 「ああ。 つまりは『観測者ありき』の、何者かによる『恣意的しいてきな』擬態である可能性…… だ――― とは言え、直接的にコイツを作ったのは恐らく桐子(きりこ)だ。 桐子(アイツ)にしてみれば、(した)っておる弓弦(ゆづる)に似せたいという想いが無意識に生じた結果…… というだけの話なのかも知れんがにゃ」


鹿沼 「ですがワシらは、芸術や造形的なセンスが致命的にありませんからなぁ。 その辺りが多少、()に落ちないというか引っ掛かるというか…… 」


玉依 「ほう、流石(さすが)だにゃあ鹿沼(かぬま)、そこまで考察しておったか。 オマエは本当に、医者にしておくには惜しい男だにゃ――― でだ、『(たましい)』は?」


鹿沼 「あるでしょう。何しろ、カレには『自我』がちゃんとありますからな。」


玉依 「では例えば、脳にあたる何かしらの器官が自立思考している…… などの可能性は?」


鹿沼 「人工知能的な話ですか? いや、ですからカレには自我がある。 自我と思考は別物ですよ。 脳というものは思考や記憶、そして知覚や各所の制御などをすることはできても、それが自我にまで昇華(しょうか)するということは絶対に有り得ません」


玉依 「ほう、言い切るにゃあ。 つまり脳には、記憶の集積を行い それを(もと)に分析し考察する… あとは神経からの情報を知覚・認識して全身を制御する事までしか出来ん――― ()わば、そうした諸々の機能を持った『臓器の内のひとつ』に過ぎん…… という見解なのだにゃ?」


鹿沼 「ええ、まぁ…… ワシはね。 だが人工知能や、地球星(アルド)のスーパーコンピューターとかいうやつだってそうでしょう? つまりそれらに対し、如何(いか)に膨大な情報を与え、そしてどれだけ処理速度を上げさせようとも…… 思考に似た『分析』までは可能であったとして、だがそれは『自我』ではない。 それにそもそも、それが出来るくらいであれば、今回の件とて桐子(きりこ)嬢ちゃんの特殊ハイパー異能ジンをこんなにも特別視して大騒ぎする必要もないということになる」


玉依 「成る程、確かににゃあ。 自我を持たせた自律稼働式人工知能を作れる見込みがあるとするならば――― 別に桐子(きりこ)異能(ジン)などに頼らなくとも、そいつを搭載させた人型兵器や労働メカの量産化さえ行えれば事足りる…… か」


鹿沼 「左様です。 まぁ、論法は逆説的かもしれませんがね、今回の件に当て()めてみると、より解りやすい」


猪去 「そうかぁ…… ロボットや機械なんかに(たましい)が宿るなどの怪現象(イレギュラー)は有り得ない…… そういうことになってしまうんですねぇ」


鹿沼 「当たり前だよ。 そのような考え、地球星(アルド)産の『アニメ』とやらの見過ぎとしか思えん」


玉依 「ん…… 取り敢えず、オマエの見解は解った。 で、血は出るのか?」


鹿沼 「血ですか? いや、ワニ君と同様で出ませんよ。 それに中身を(のぞ)いてみても、血液はおろか 内臓や骨すらも見当たらない。 カレの体内には、ただただ無限の亜空間が 拡がり詰まっているばかりですよ」


玉依 「そうか。 ではやはり、病院などでの検査や健康診断、特に採血などが行われるような場への参加はタブーだにゃ…… それに、人前で怪我などもさせられん。 で、脈は?」


鹿沼 「ほう…… やはり、中佐殿はさすがですな――― それが、実はちゃんとあります…… 面妖おかしなことにね。 あと、体温も人間のそれと同様ですし… しかも完全に一定ではなく、朝晩での微妙な変動などもたくみに再現されておるようで――― 」


玉依 「それは一体、(にゃん)の為だと思う? 誰に見せる為の擬態機能(カモフラージュ)だ? 一体…… 誰の仕業(・・・・)にゃのだ」


鹿沼 「ふむ…… いや、言いたいことは解りますよ中佐殿。 だがしかし、現状ワレワレの知り得る範囲では、カレを産み出したのは (まぎ)れもなく桐子(きりこ)嬢ちゃんですよ」


玉依 「ああ、そうだにゃ――― ふん、今のところの詮索(せんさく)此処(ここ)までか。 だが、ワガハイの懸念(けねん)…… 引っ掛かりの部分はそういった辺りだ。 各位、頭の(すみ)にでも(とど)めておいてくれ」


一同 「は、了解であります」







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