玉依の裁定 dropout 兎城 × 參
櫛名田家に仕える、龍岡特務中隊麾下―――
その内の女性部隊である第3小隊において、班長を務める兎特務曹長は、数々の厳しい訓練や任務を掻い潜ってきた、謂わば『生え抜きの軍人』である。
とは言え――― 実はもともと、さほど『天才的な才能』を持ち合わせていたという訳ではなかった。
それに何より、軍に入ったそもそものきっかけも、あまり裕福ではなかった実家の家計を助けたいというのが、志願した発端なのである。
だから、今までに自分が軍人に向いているなどと思ったことは一度もないし、この職業に憧れを抱いたという経験もない。
入隊後、兎は他者に倍する鍛練を日々積み重ね、それが 現在の彼女自身の身体や身分だけでなく、存在意義や居場所といった、あらゆる部分を形作っているのであるが―――
その並々ならぬ研鑽の原動力となったのは、通常の軍人が抱くような『祖国への忠誠』や『軍人としての誇り』、もしくは『功名心』などといった類いのものではなく―――
ただひたすら、『自分に与えられた仕事』を常に粛々と 遅滞遺漏なくこなす、そのためだけに我慢強く続けてきたものであった。
但し、彼女自身の持つ拘りの『美学』に照らして、その遂行の過程や結果を、極めて『完璧』かつ『速やか』に、そして何よりも『誠実』にこなしてきたのである。
そういう意味では、中隊きっての手練れとして抜きん出た功を重ねてきている彼女ではあるが―――
もともと、如何にも軍に入るべくして入ってきたような、謂わば生粋の『軍人気質』の者たちが多く集うこの隊内にあっては、多少異色の存在であったかもしれない。
とは言え、世の中には幾ら努力を重ねても報われない者たちが多いという現実からすれば、本人の自覚の有無は別として、実際に相当な結果を残し得ている彼女には、実は充分過ぎる『素質』が備わっていたということにもなろう。
そもそも素質とは、『努力もせず何でもやってのけられる天才性』などといったものを指す言葉でもあるまい。
人に倍する訓練に打ち込み、ひたすら実直に職務を遂行して、他の追随を許さない程の結果を出し続ける―――
それを『素質』と言わずして、一体 何だというのか。
「ところでだ、兎特務曹長。 これは前々から決めていたことにゃのだが――― 貴官を准尉に昇進させたい」
玉依の言葉に、兎は一瞬 耳を疑う。
「 ……………………… は? あ… いえその――― このワタシが…… で、ありますか?」
「うん、むしろ遅すぎたかも知れん。 すまんにゃ」
「いえ、とんでもありません! あの… 大変光栄なお話ではありますが――― その…… 実は小官、将校過程をまだ履修できておりません…… 」
兎は おずおずとそう答える。
准尉や特務曹長という階級は、下士官の中から特に優秀な者を選抜し、直近の『将校候補』とするために設けられた、『准士官』と呼ばれる枠である。
但し、そこから歴とした士官である少尉に任官されるためには、まずは本国の士官学校で『将校過程』を履修し終えた後、その経過成績と最終試験を上位で通過しなければならない。
兎も、既に特務曹長に選抜された時点で 軍側のそうした意向は了解しているため、今回の『士官候補』の話も 全くの寝耳に水ということではないのであるが―――
もともと本人にその気が さほどなかったことや、実際問題として 地球星での駐留任務が長かったことなどから、自分が士官候補生であるなどということは、正直全く意識の外に置いてしまっていたのである。
「うむ、まぁ確かに此処に居っては、そんな暇もなかったであろうからにゃ。 だから受けてこい、これを機に。 まさかオマエ、これだけ抜きん出た武勲を重ねておきながら、定年までずっと曹長のままで居続けられると思っていた訳でもあるまい?」
確かに、まだ若い兎が、定年までの相当に長い年月を、今後一切 昇進もなく居続けるなど現実的ではない。
まして、軍からも既に『上へ上がるための道筋』を提示されている以上、それを拒むのは 謙虚さなどというより、むしろ怠慢であると言われても仕方がないであろう。
特に、彼女に近しい周りの者たちからしてみれば、彼女ほどの武勲を上げてすら 昇進等の栄に浴することが出来ないなどという世知辛い状況を見せ付けられるのであるから、それでは当然 モチベーションも上がるまい。
またそれは軍としても、士気の低下のみならず、階級停滞による士官不足という実質的な弊害にも直結し兼ねない事案となるため、兎のように功ある下士官が、現状のように頭打ちでボトルネックに つかえてしまっているという状況は、あまり好ましくないのである。
「は、はぁ…… あ、いえあの… 申し訳ありません。 ワタシが士官などと、これまで考えたこともなかったもので」
「オマエには今後、実務の遂行だけでなく後進の育成にも努めてもらい、行くゆくは一隊…… と言わず、一軍をも率いてもらいたいと、そう考えておる」
この猫は、将来のどんなワタシを見ているのだろうか…… と、あまり人から評価されることに慣れていない兎は、正直かなり面喰らってしまっている。
『一軍を率いる』って……。
「しかしその…… そもそも今回、あのような失態を犯してしまいましたワタシなどが――― まさか昇進などとは…… 」
玉依も、兎のこの反応は ある程度予測していたようで、やや苦笑気味に、言い含めるように説明する。
「良いか兎、勘違いするにゃよ? 『昇進』とは、武勲を上げたモノへの『ご褒美』などではにゃい。 軍が定めておる階級制度というのは、各員を『適材適所』に配し統率するための、謂わば規律的な『能力に応じた格付け』だ。 オマエは部下を指揮し、範となるに値する経験と実績、そして資質を持ち合わせておる――― と、上官であるワガハイが判断したのだ」
「このワタシが…… 隊を指揮し、範 足り得る…… 」
「ああ、少なくともワガハイはそう考えておるし、中隊の連中とて異論はあるまい。 だがもし、やはりどうしてもそうは思えんと言うのであれば…… もういっそのこと、それが新たにオマエに課せられた『任務』だと思って自分を矯正しろ。 これまでオマエが、人知れず努力し続けてきたようににゃ。 だからにゃあ…… もう諦めろ」
玉依は猫なので 基本あまり顔に表情はないが、兎を見上げて少し首を傾げたその様子からは、優しげに笑いかけてくれているような印象を受けた。
だが言われてみれば確かに、士官となるべく昇進を目指すことが自分に課せられた次の『任務』であり、『それを成せ』というのが玉依からの命令であるとするならば―――
元より自分の能力を、冷静かつ正確に把握し得ている兎にとって、所詮『少尉程度の職責』を担うことなどは、さほどの無理難題とも思われないような気がしてきた。
だが そこで改めて、はたと気付く。
これまで、こんなにも自分のことを気にかけてくれた存在があっただろうかと。
それも、突然の失策に打ち拉がれて のこのこと帰ってきた―――
まるで敗残兵のような心弱い気持ちでいる、こんな自分に……。
「玉依様…… 了解であります! 兎特務曹長、現時刻をもって 前の木花家潜入監視の任を解かれ――― 引き続き、只今 下達されました将校過程の履修、並びに… うぐ…… しょぅ… 少尉任官を…… 速やかに達すべく… 努め……………… そして、いつか必ず…… 玉依様の… ご厚情に報い…………… アナタの… アナタのお役に立ちたい… です…… 」
兎は、思わず涙を幾滴も幾滴も、その上官の座る 目の前の地面に落とした。
「兎、良くやったにゃ」
玉依は、自分よりずっと高い位置にある兎の顔を、下から優しげな表情で見上げる。
「はい! 有り難う… ございます!」
兎にとって今日という日は、恐らく生涯忘れられない一日となるだろう。
突然の任務離脱となった最悪な状況と、そして今後の自分の新たな未来を切り開くであろう最良の出来事が、一時に怒濤のような凄まじさで降りかかってきたのだから。
そしてまた、他人に此処まで自らのことを気に掛けられ、それに感謝して心を開き―――
また何より、人前で憚りもなく こんなに泣いたのも、全てが初めてのことばかりであった。
加えて、玉依に対して芽生えかけている、この暖かくも少し胸苦しい、奇妙な気持ちの高鳴りも……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 同刻譚 】
同刻、櫛名田邸内 洋館1階 喫茶室―――
槍慈 「そう言えば、兎さんが帰って来られるのだとか?」
龍岡 「はい、槍慈様。 先程『ムシ』による報告がございまして、恐らくもう屋敷に着いておる頃かと」
槍慈 「それは急なことでしたねぇ。 では、この珈琲を飲んだら 早速出迎えに行くのですか?」
龍岡 「いえ、今日はこのまま会わずに帰らせていただこうかと。 もう今頃は玉依様が、彼女の労に報いて下さっておられることでしょうから」
槍慈 「良いのですか? アナタ方も、彼女のことは随分と気に掛けておられたでしょうに」
龍岡 「恐れ入ります。 しかし、ワタシは直属の中隊長という役目柄、今後も多少 過度な『厳格さ』で以て接してゆかねばなりません。 然るに…… 兎の生真面目さから察するところ、今日は相当に打ち拉がれた状態で帰投して参ることでしょう。 それに対し、まず初めに 慰めや労いの言葉をかけるのは、ワタシや小隊長である鷺山少尉などよりも、玉依中佐の方が適任かと思われます」
槍慈 「そうですか。 仲間同士の互いの思い遣りの中にも――― その立場や関係性によって、いろいろと機微があるのですねぇ」
龍岡 「いえ、恐れ入ります。 まぁ 特に今日の出迎えは、上官であるワタシや鷺山ではなく――― また例え、それが彼女の同僚や部下たちであったとしても…… 中隊のモノたちによるものではない方が宜しかろうと存じます」
槍慈 「成る程、そうかも知れませんねぇ」
龍岡 「まぁ、それが本当に正しいことであるのかどうかは判りませんが…… 少なくとも、『今の状況』を鑑みた『今のワタシ』に出来得る判断としては――― といったところでございましょうか」
槍慈 「ふむ、まぁ『判断』と言うか…… 『優しさ』…というふうにも聞こえますがねぇ。 ところで 龍岡大尉は、玉依さんとは 相当に長いのでしたよねぇ」
龍岡 「はい、古代エジプトで初めて御一緒させていただいて以来ですので…… もうかれこれ3000年程になろうかと」
槍慈 「それはそれは…… で、昔の玉依さんは どんな感じでした?」
龍岡 「基本的には、今と さほどお変わりはございません。 そう、思えばワタシが 初めて玉依中佐…… 当時はまだ少尉でいらっしゃいましたが――― あの方とお会いしたその頃、ワタシはまだ 地球星に赴任してきたばかりの下士官…… 確か 伍長でございました」
槍慈 「では、それからずっと…… いやぁ、面倒臭い『猫』だったでしょう?」
龍岡 「はは… それは何とも……。 ですが思えば、当時こんなワタシに目をかけていただき… 将校過程にご推薦までしてくださったのが、玉依様…… いえ、ティマイョ・レィ少尉でした。 そう…… ちょうど今、兎特務曹長にして下さっているように」
槍慈 「そうですか。 まぁ ご存じのように、ワタシもそうなのですがねぇ……。 全く、お節介焼きの猫さんですよ」
龍岡 「はっはっは、そのようなことを仰って。 ですが本国では、あの方の二つ名である『黒の賢魔術師』の名を知らぬモノは居ないという程の、謂わば『英雄』のお一人に数えられている程の御方でございますよ」
槍慈 「やれやれ…… 全く、『神様』だの『黒の なんとか』だのと、あまり玉依さんを煽てないでほしいものなのですがねぇ。 あの人、調子に乗ると本当に面倒臭いのですから」
龍岡 「ですが、常に何人よりも思慮深いご思考を巡らせておられるにも拘わらず、そういった役回りの立ち位置に身を置かれて尚 誰からも愛され、そしてご本人も ごく自然に、とても気さくに振る舞っておられる。 そうしたところも含め、やはり ご人徳なのでございましょう」
槍慈 「うーん、人徳ねぇ……。 あぁ、そうだ龍岡さん、今度 玉依さんの昔の話を、いろいろと聞かせてほしいのですが?」
龍岡 「はい、それは一向に構いませんが」
槍慈 「ワタシが知らない、約2500年分の地球星での話の中に、何か『面白いモノ』が埋もれているかもしれませんからねぇ」
龍岡 「はは… まぁ、上官を売るようなお話は出来かねますが…… しかし、単に『面白い話』というのであれば 幾らでもございますので、今度また お時間のある時にでも」
槍慈 「是非、お願いしますよ」
龍岡 「承知致しました。 あぁ… ところで、これは独り言なのですが…… 」
槍慈 「ほうほう…… 」
龍岡 「恐らく…… まさに今現在進行中の、玉依様と兎特務曹長とのやり取りは…… ワタシの勘によりますと、ここ数百年に一度くらいの『面白い話』になりそうな予感がするのですが…… 」
槍慈 「 ……………… さぁーてと、おぉ… もうこんな時間ですねぇ……。 そろそろ店仕舞いとしましょうか。 さぁ 急ぎますよ、龍岡大尉」




