玉依の裁定 dropout 兎城 × 貳
様々な思いに苛まれ 葛藤を続けながらも、兎は『成すべき事』を成し遂げ―――
そしてまた同時に、ある程度の心の整理をもつけた上で、漸くにして 櫛名田邸裏手の『南門』にまで辿り着いた。
此処へ来るまでに、実は最短ルートの およそ10倍以上の距離を迂回してきている。
勿論、万が一にも尾行が付いていた場合のための備えなのだが―――
そのルートの殆どが、連なる他人の家々を 屋根伝いに走り抜くものであったり、また或いは、大きなビルの中を縦横無尽に暫く動き回るようなものであったりと、『道なき道』ばかりを踏破する行程であった。
「そしてやっと着いた…… か。 玉依様や龍岡中隊長は、やはり失望なさっておいでだろうか」
兎は 自らの行動を振り返り、自分なりに悔やむような失策はなかったと思ってはいるが―――
しかしながら、だとすればそれは同時に、兎自身のそもそもの能力が、上官の信頼に応え切るには全くの役不足であったということの証左にもなるではないか。
兎は沈む気持ちを奮い立たせて門を潜り、ともすれば重くなりがちな足取りを何とか鼓舞しながら、取り敢えず 邸内の主屋である洋館へと向かう。
敷地の南側に設えられた英国式庭園の径を抜け、洋館手前の『前中庭』付近まで来た時、ちょうど聞き覚えのある声が幾つか 風に乗って聞こえてきた。
「この声は…… 櫻子様に桐子様? ということは、まだお声は聞こえていないが 恐らく柏子様も御一緒に居られるのだろう」
そこまで聞き分けた時、それらに交じって玉依の声も耳に届いた。
と同時に、手前の建物の陰から徐々に見えてきた庭の一角には、声の主である櫛名田家の面々の姿が、まだ遠目ではあるが、訓練を積んでいる兎には何とか目視できた。
声を掛けようとも思ったが、まだかなり距離があるために少し躊躇っていると―――
意外なことに 向こうでも兎の姿を見付けてくれたようで、櫻子が大きく手を降りながら、良く通る声で呼び掛けてくる。
「まぁ! そちらに居られるのは、兎さんですかぁー? 一別以来でしたわねぇー、ごきげんようー! お元気でしたかぁー!?」
初めに気付いたのはどうやら櫻子であったようだが―――
実は、夜目を使う訓練の出来ていない者が この暗さの中で相手を視認するには、まだ相当な距離があった。
故に もしかすると、彼女固有の異能である『非 人型生物の思考流入』によって、逸早く兎の存在を察知し得たのかもしれない。
しかしだとすれば、もうこの時点で此方も それなりの『思考閉塞』を行った状態で以て櫻子に相対し、接しなければならないということになるが―――
「それにしてもこれは一体? 櫻子様と此方側との距離は、まだ優に50mは離れているというのに…… 」
だがもし、本当にこの距離で察知されたというのであれば―――
現状、中隊内で認識されている『櫻子の固有異能の有効範囲』を大きく越えている。
この事は 急ぎ各員とも確認し合い、共有すべきであろう。
「あぁー、本当だぁー! ウサギのお姉ちゃぁーーん!」
櫻子に続き、桐子もそう言って自分に手を振ってくれているのが見え、他の者たちも兎の方を見遣っているようだ。
彼らに近付くにつれ その様子がだんだん解ってきたのだが、輪の中心にいる桐子と柏子は、何やら派手でおかしな衣装を身に付けており…… しかもそれらは あちこちが引き千切られたようにぼろぼろで、しかも所々 焼け焦げたりもしていた。
何事かあったのかと一瞬緊張しかけるが、彼らの朗らかな様子から察するに、訳は解らないながらも 特に危険を伴う何かが起こったということでもなさそうだ。
「あの…… 大変ご無沙汰を致しております、皆様」
まだ少し距離はあったが、取り敢えず程々のところで一度立ち止まり、恭しく一礼する。
「兎さん、また暫く何処かへ行かれていたのですわね。 今戻られたのですか? お仕事の方は無事お済みになりましたの?」
櫻子の問いは、勿論純粋に兎を労ってのものであったが、今の兎には少し耳が痛い。
「はい、お陰様を持ちまして。 櫻子様や…… それに桐子様、柏子様もご健勝のご様子。 何よりでございました」
「これはどうもご丁寧に…… って、それはそうと兎さん!? その一風変わった――― しかも、とっても寒そうなお召し物は いったい…… 」
実は 兎はずっと、木花邸の兎小屋に非常用として隠してあった、まるでレオタードのようなタイトな薄手の衣装を身に付けていた。
因みに、毎夜食事のために抜け出していた際の普通の衣服はというと、行きつけの居酒屋裏手の軒下あたりに隠してあったのだが…… まぁ、この先はもう着ることもあるまい。
実は少し気に入っていたのだが。
「あ、これは…… このような礼を失する姿で罷り越しまして、誠にもって とんだご無礼を…… 」
「兎のお姉ちゃん、だぁいたぁーん!」
「兎姐 その格好 なかなかどうしてだね そそるぜ」
桐子が逸早く駆け寄ってきて抱き付き、柏子は何やら此方を向いて親指を立てているが…… 一応、褒めてくれているのだろうか?
「てか兎…… オマエのその話し方、畏まり過ぎだろう。 一体いつの時代の人間なんだにゃ」
地面に小じんまりと座っていた玉依は苦笑ぎみにそう言うと、礼をもって迎えるかのように、静かに背筋を伸ばした。
櫻子に何やら衣服の心配をされ、双子たちには囃され―――
そして、誰あろう玉依の穏やかな様子を確認できたことで、先程まで抱いていた緊張感や不安の念が、少しだけ緩んだような気がした。
「あ…… あの、玉依様、ただいま帰投致しました」
「ああ、ご苦労だったにゃ。 さっき『ムシ』が届いた。状況は把握しておるよ」
「はっ 」
玉依の言葉に対し、反射的に軍人らしく 敏速な動きで礼を返すのだが…… どうにも二の句が継げない。
「えーっと…… じゃあ、桐子ちゃんに柏子さん、そろそろ寒くなって参りましたし、ワタクシの部屋に服を置いて、さっさとお風呂に入っちゃいましょうか」
「はぁーーーい!」
「うん 風呂入って もう寝る」
兎たちの様子に何かを感じ取ったのか、櫻子は双子たちを促し、屋敷の中に戻る素振りを見せる。
「兎さんも その格好だとお寒いでしょうから、早く中に入って着替えてくださいね。 では玉さま、明日は午前中から『霞が関』ということで」
「ああ、解ったにゃ。 事前の段取りは任せたぞ」
「ええ、お任せくださいな。 それでは兎さん、ごきげんよう」
櫻子はそう言って、双子たちを伴い 屋敷の方へと戻って行った。
◇
「さて、兎特務曹長――― 改めて、長い間 ご苦労だったにゃ」
玉依は屋敷を背にした位置で地面に姿勢良く座り、まずは兎に労いの言葉をかける。
「いえ、突然このような形で帰投致しましたこと、お詫びのしようもございません」
「ん? 今回の件、確かに急ではあったが…… 貴官に落ち度はにゃいだろう」
玉依はそう言って小首を傾げ、不思議そうにしている。
「あ、いえその…… 『木花 珠姫に 読心の異能があるのでは』という疑念は当初からあったにも関わらず、結果的にはその事を棚上げにしたまま、一年と半年にも及び事案を放置し――― あまつさえ その間ずっと、小官の思考を彼のモノの脳内に 漏洩し続けせしめたという可能性すらあり…… 」
玉依は、兎の相変わらずの生真面目さに思わず苦笑してしまいそうになるが―――
本人は この状況を余程 深刻なものと受け止めているようなので、取り敢えずはその意を汲み、一笑には附さず、暫し話を聞いてやることにする。
「ふむ…… とは言え、実際本当にそうにゃのか? 貴官のことだ、これまでもその娘の前では極力思考を止め、心も閉ざしてはおったのだろう――― 櫻子と接する時のように」
「それは…… 勿論そうですが――― 」
「なら問題はなかろう。 矛連のヤツに気取られた訳でもあるまいしにゃ。 第一、潜入当初に貴官は逸早く鋭敏にその疑念を持ち、ワガハイに即時 適切に報告を入れてきておったではにゃいか」
改めてそれを思うと、やはり兎の直観力の鋭さと判断の的確さ、そして何より 行動規範の誠実さには 端睨すべからざるものがあると、玉依も舌を巻く思いであり、それが嬉しくて堪らないのだ。
「そしてだ――― その進言を受けた上で、更なる潜入監視の任を『継続』せしめる裁定を下したのはこのワガハイだし、それについては貴官所属の部隊長である龍岡大尉も了承しておる。 その命に服して任務を遂行しておった貴官には、やはり何の落ち度もあるまい」
玉依は、人型で直立して後ろ手を組んでいる兎の足元に―――
それと比べれば随分と小さな猫の姿で じっと姿勢良く座ったまま、少し小首を傾げて見せた。
「それにだ、報告内容から察するに 珠姫という木花家の娘は、少なくとも現状は此方に対して害意を持っておるとは思えん。 まぁ、毎日のようにウチの双子どもが遊びに行っておる現状で、そんなものを持たれておっては それこそ堪らんが…… もしも そうした向きがあったとすれば、双子ら自身が気付かん訳がなかろうしにゃ」
「はい、それは大丈夫かと。 彼の家の『第二世代』二名は、現状においては極めて善良で、特に桐子様や柏子様に対しては 非常に友好的であり誠実です」
あくまで、まだ子供である『現状において』とは付け加えたものの、あの素直で心優しい木花家の姉弟たちを兎は好ましく思い、そして信用に足ると直観している。
「なら良いではにゃいか。 そしてにゃあ――― いつまでも ウチのエースを兎小屋なんぞに入れておく訳にもいかんと、このところ常々思っておったところでもある。 そこへ上手い具合に、『八上 勢理奈の一件』という土産話まで持って帰ってきたのであるからして、貴官のその功を誉め 労いこそすれ、苦言を呈するなどとは思いも及ばん事だにゃ」
「は、有り難うございます!」
兎はこの瞬間、急に脳内や顔中の表層が痺れたような感覚に見舞われるとともに、胸がこの上もなく熱くなるのを感じた。
自分の居場所があり…… そして自分をしっかりと見、受け止めてくれる 頼るべき存在があって―――
そしてその上官は、こんなにも尊敬できる懐の深さを持ち…… しかもこんなにも『愛くるしい』姿をしているのだ―――
ワタシはなんて幸せなのだろう。
兎は思わず、うっとりとした熱い眼差しで、自らの前の足元に 凛とした姿勢で座っている、黒く美しい毛並みの 小さな一匹の『猫』を見下ろす。
本当に――― 何と気高くお優しく聡明で、そして 超絶的にお可愛らしい……。
「え…… えっと――― にゃんだ、この微妙に面妖しな間と空気感は。 急に一体どうした?」
「いえ――― お気になさらず、玉依様…… いえ、ティマィョ・レィ主席統制官補。 何ひとつ、何ひとつ問題などございません。 この兎、一生アナタ様に付いて参ります!」
「いや、『一生』って――― え、何だこれ……?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 同刻譚 】
同刻、櫛名田邸内 洋館1階 大広間次室付近―――
櫻子 「さぁさ、お二人とも! さっさと着替えて、
お風呂に入りましょうねぇ 」
桐子 「お服はどうしたらいーい? 櫻姉さまぁ 」
櫻子 「服はワタクシがお部屋に持って帰りますわ。 明日までには ちゃーんと、新しく創り直しておきますからね」
柏子 「櫻姐 異能つかって作りなおすんでしょ 一度見てみたい」
櫻子 「あらまぁ…… では お風呂のあとで、またワタクシのお部屋にいらっしゃいな。 確かに、寝るには少し早いですわね」
桐子 「あー! 桐もー、桐も見たーい!!」
櫻子 「はいはい、じゃあ お二人でいらっしゃいな。 でも夜更かしはいけませんからね?」
桐子 「はーい!」
柏子 「え…… やっと目が覚めてきたところなのに」
桐子 「あははー、柏ちゃん『ヤコーセー』だもんねー。 今日も夜中まで、ずーっとゲームするんでしょー?」
櫻子 「まぁ…… 睡眠はちゃんととらないと、お肌にもお身体にも 宜しくありませんのよ?」
柏子 「大丈夫 アタシはそのために 昼はいつも動かず 体力を温存してる」
櫻子 「あら、柏子さんが桐子ちゃんと比べて とっても大人しいのは、そういうことでしたの? ワタクシ…… いえ 恐らくは誰もが、お二人は『生まれつき性格が真逆』なのだと、そう思っておりますわよ?」
柏子 「そんなことない アタシだって 桐姉みたく 能天気に 『きゃっきゃ えへへ』な生き方をしたい」
桐子 「んー? えっと、柏ちゃん…… 桐ってぇ、 そういうイメージ?」
柏子 「桐姉 大丈夫 『いい意味で』だよ リスペクト的なアレ」
桐子 「へ… へぇー、そか…… うん、アレねー。 ならよかったー! ――― ん? うーん…… よかった… のかなぁ……?」
櫻子 「ま、まぁまぁ…… と・に・か・く! まずは… そう、お… お風呂に 入っちゃいましょおー!! ね? ねー?」
葉月 「おぃーっす、こんばんにゃー! お、そこな我が愛しの娘っ子たちよぉー! なんやなんやぁー? まぁた オモロそうな匂いが プンっプンすんでぇー!?」
櫻子 「お母さま…… 本当に いつもながら、最悪のタイミングで いらっしゃいますわね…… いっそ感心致しますわ」
葉月 「おぉう!? なんやねん、双子らぁの そのカッコ! なになになぁにぃー!?」
弓弦 「お母様、みんな困ってるから…… 」
桐子 「あー、弓弦兄さまだー! ねぇねぇ、見て見てぇー! これねー、魔法少j…… むぐふぅ!?」
柏子 「桐姉 早く着替えて お風呂いくよ」
桐子 「ん゛ぅー!? ぐ ぐむ… ふむぅぅ…… っぷはぁ! え゛ー、なになに!? な゛なんなの 柏ぢゃーん!?」
櫻子 「(ナイスですわよ、柏子さん。 お母さまなんかに『魔法少女』の一件を知られたら――― もう本当に収拾がつかない状況に陥ってしまいますわ…… )」
葉月 「んんー? ほっほぉぉおーん…… なぁなぁ 柏、どうやら取り敢えずぅ…… この場の空気的には『グッジョーブ!』な感じやったんやろなぁ、今のぉ。 でも、ホンマにそかなぁー? んっふふぅー、ここはほらぁ…… お母ちゃんにぃ、あることないこと 赤裸々ぁーんな感じで、気軽に相談してみぃーひん? なぁー?」
柏子 「いかがわしさがハンパない 触れただけで即死のやつだコレ」
葉月 「ふっふぅーん、因みにやなぁ 柏? 『猛毒』っちゅうんはぁ…… 時に えっらい『クスリ』になることなんかも、あーんねーんでぇー? ぐっひひひひひ」
弓弦 「うゎ…… この人、末の娘に自分のこと『猛毒』って言いきったよ」
櫻子 「ワタクシの実の母親ながら、なんって禍々しい『気』なのかしら……。 だ だめですわ! そんなアクマの囁きになんか、誰も耳を貸したり致しませんことよ!」
柏子 「へぇ 毒をもって毒を…… か うん なくはない案」
櫻子 「か 柏子さん、アナタ…… お二人を懸命に守っているワタクシの背中を、いつも後ろから 躊躇なくぶっ刺してこられますわよね……。 最近、これでもう三度目ですわよ…… ぐすん」
葉月 「うーん、アンタらのことはなぁ…… なんや、すーぐ解ってまうねんなぁー コレがぁ。 やっぱぁ、母親…… やからなんかなぁー? あっははぁー! いやん、照ぇれるぅーん♪」
桐子 「うっわぁー! 母さまってぇ、すっごいんだねぇー!!」
櫻子 「いやいやいやいや、怖いキモい怖い! キモ怖いんですのよ、お母さまはぁ!」
葉月 「てか 櫻ァ、アンタらがほしいもんってぇ…… ぶっちゃけ、『ウエポン』やろ?」
櫻子 「は… はいぃぃ!? ど どど… どうして、それを!?」
弓弦 「うーわ…… 何でそんなものがほしいのか経緯がさっぱりだけど、でもそれ 当たってるんだ…… お母様、本当に怖いよ。 『娘たちの気持ちが解る』とか言うと聞こえは良いのだけれど…… 何故か『母親らしさ』とかが 一切感じられないんだよね…… ただただ普通に怖い」
柏子 「武器がほしいアタシたち…… そして防衛技官の母さま――― 母親をもって桐姉を制すか」
櫻子 「柏子さん、言いたいことはなんとなく解りますけど……。 今日はなんだか、いつにも増して手厳しいですわよね…… 」
 




