木花の蠢動 crossing 八上 × 零
「木花会長、先日の話は ご検討いただけまして?」
黒い牛皮張りのソファに座る若い女性が、窓際に立つ恰幅の良い初老の男に尋ねる。
その様子は、一見 堂々とした物怖じしない芯の強さを湛えているようにも見えるが―――
その実、相手に気圧されまいと懸命に抗っているようにも見えた。
それに対し『木花』と呼ばれた男の方はというと、言葉遣いは一応 丁寧に繕いながらも、所々に不遜さが垣間見える応えを返す。
「ふむ… まぁ アナタ自ら、こうして二度までも此方に足をお運びいただいておるのですからな。 流石に、無碍にもできますまい」
「 ――― それはどうも、有り難いことですわ。 にしても、いつもながら本当に強気でいらっしゃるのですわね」
若い女性の方は、辛うじて「この私に対して」という言葉を呑み込んだような口振りで応える。
しかし、口調に多少 剣が乗ったのであろう―――
「おっと… いやこれは、もしやお気に障られましたかな? それはすまんことです。 いや しかしながら、ワシは生憎と怖いモノというのが、あまりない性質のようでしてな」
そう言って、愛想のつもりででもあるのか 少しく笑みを向けてくるが…… 恐らく、多少 恣意的に作っているのであろうその表情は、正直 凄まれているようにしか感じられない顔つきである。
「左様ですか…… とても お強くていらっしゃるのですね、さすがですわ。 でもそれが、傲慢や蛮勇などと言い換えられる類いのものでないことを祈っております。 これからの お互いのためにも」
「はっはっは! なんと仰る。 ワシは常に、謙虚で控えめな男ですよ」
突然の、それも思った以上に大きな男の笑い声に、女性は一瞬 少しだけ目を見開きかけたが―――
何とかそれを制し、口許に無理矢理 浮かべ続けている 笑みらしきものだけは崩さずに耐えた。
「まぁ、少なくともワシ自身としての 己に対する評価は そのつもりなのだが…… そう、常にいつ何時においても、その都度その刹那を 何とか辛うじてでも『生きてさえおられれば それで充分』などと……。 ふむ、歳のせいですかな、最近ではそんなことを連々と、考えたりしておる始末ですよ」
男はそう言うと、微動だにせず真っ直ぐに定めた視線で、女性の眼を見据えたまま少し間を置くが…… 彼女が黙ったままでいるので、再び話し始める。
「なればこそ、ふむ…… 例えば明日突然、何らかの理由で ワシが持つ財界での今の地位、その一切を失ったとしてもだ――― もしもそれが致し方のない状況であったとするならば、それをワシ独りが騒ぎ立てたとて詮無きこと。 その時は、四の五の謂わず速やかに身を引くことでしょう。 失った『実』を取り戻そうと足掻いた挙句、『名』まで失う愚は 冒したくないものですからな」
「なるほど… さすがは、木花グループをたった一代でここまで築き上げてこられた方。 お見事な潔さとご覚悟かと存じます。 ですが、それは少し 物解りが良過ぎるのではありませんこと?」
ここで漸く、女性の方が少しだけ本当らしい笑みを見せた。
虚勢を張り、少し饒舌になっているようにも聞こえる男の発言を聞き、却って「相手の底が知れた」とでも思えたのであろう。
「そうかもし知れませんな。 だが、それはあくまでワシが『致し方のない事である』と、そう自ら納得できた場合に限っての話。 もしも解せぬところが微塵でもあったのならば…… それはそれ、如何なる手段を用いたとて最期まで足掻き、そして立ちはだかるモノがあれば、それがどんな相手であったとしても 完膚無きまでに叩き潰す。 その時は例え、ワシの名など地に落ちたところで、別段 意には介さんよ」
男は、顔の表情はあまり変えないままに、眼だけを異様に細める。
その表情は 少し笑っているようにも、また逆に どこか不機嫌になったようにも見えた。
「そ… そうですか。 とても独特なお考えをお持ちのようですわね。 まぁいずれにしましても、今回の件については良いお答えを伺えそうで、良かったですわ」
女性は、再び少し鼻白んだような素振りを見せつつも、弱みを見せないよう 所作に細心の注意を払いながら 努めてゆっくりと立ち上がり、身支度を整え始める。
「ともあれ、財界の一角を成す八上家のご令嬢 直々のお話ですからな。 まぁ、出来得る範囲で お力にはなりましょう」
男の言い様は極めて無造作に軽く、あくまで事も無げな様子であり、恩着せがましさなど微塵も感じさせない口調であった。
それは、八上財閥宗家の長女である勢理奈の威光に屈したなどという訳では勿論なく―――
また或いは、この話を奇貨として、『今後 八上家と近付きになれる』などといった、打算や気負いのようなものも一切感じられない。
むしろ、そんなつまらない『些事』には 全くもって眼も呉れないとでも言うような―――
巨大財閥に相対する たかが一企業としては甚だ似つかわしくない態度であると、少なくとも勢理奈には そう感じられた。
「よ… よろしくお願いします。 それでは、私は そろそろ失礼致しますわ」
勢理奈はそう言って、なるべくゆったりとした動作を心掛けながら、自らが持ってきたバッグなどを手に取る。
だが心の内では、一刻も早くこの場を立ち去りたいという衝動に駆られながらも、そうとは気取られないよう優雅に立ち居振る舞うことに必死であった。
目の前にいる木花 矛連という男は、八上の名に諂うところが微塵もないばかりか、勢理奈が持ちかけた『大層 怪しげな厄介事』にも諾々と応ずる意を示した上で、さも『些末な事』とばかりに、見返りを要求する素振りも見せない。
何というか…… まるで『生物的強者』を前にした時の、身が竦むような怯えすら感じ、勢理奈は懸命に 自らの足取りの運びに注意を払いつつ、重そうな扉の方へと向かう。
そこへ 見計らったようにノックの音が聞こえ、そして意外なほど軽やかにその扉が開かれると、使用人と思しき人物が一礼して戸口に立ち―――
「八上様、お帰りでございましょうか。 お車のご用意は済んでおります」
と、慇懃に促す。
どこでどう察したのかと、勢理奈は薄気味悪く感じたが、始めに伝えておいた辞去の時刻が迫ったからだろうと自らを納得させ、振り向いて穏やかな表情を繕いつつ言う。
「それでは木花会長、夜分 失礼致しました」
「いやいや、ご足労いただき 却って申し訳ありませんでしたな。 これを機に、今後も誼しなに」
矛連のその言葉に 勢理奈は一瞬、「この男も所詮は八上との繋がりを悦んでいる」と感じ、ほんの少しだけ安堵しかけたものの、見れば矛連は、先程とは打って変わって優し気な笑みを浮かべており―――
それが逆に 勢理奈の直観力をして、つい今しがた迂闊にも抱きかけた 己の甘過ぎる安堵の念を完全に否定せしめた。
(違う、これは私に媚びたのではない…… 怖気づいた私を憐れんで投げかけた言葉だ)
勢理奈とて、生まれながらに財界の名門の子女として様々な人やモノに触れ、見聞きし、その中で多くの場を潜ってきた身である。
そうした見地からの、他人に対する検分の眼は確かであり、その自らの『眼』が、全てを無慈悲に悟らせた―――
相手の方が、生き物として絶対的に『格上』であると。
「え、ええ…… 今後ともよろしくお願い致しますわ。 それでは ご機嫌よう、木花会長」
そう言って そそくさと部屋を出ると、勢理奈は木花家の使用人に伴われ、自らの運転してきた車が用意されている車寄せへと向かう。
するとその途中、この家の令嬢・子息と思われる姉弟とすれ違い、二人から明るく礼儀正しい挨拶と紹介を受けたのだが―――
そこで目を引いたのは、弟と思われる方が両手で抱えている 真っ白な兎であった。
「あら、こんにちは。 可愛らしい兎さんね」
「はい、ありがとうございます。 これからエサをあげて、そのあいだに小屋を掃除するんです」
弟の方が にこにことしながらそう答えると、姉と思われる少女は弟の頭を優しく撫で、そして同様に こちらを見てふんわりと微笑んでいる。
この二人は矛連の孫だろうか子供だろうか。
名は、姉の方が珠姫、弟の方が鐸哉というそうだ。
いずれにしろ あの男とは違って、如何にも素直そうで優し気な印象を受けた。
「そう、偉いのねぇ。 頑張ってお世話してあげてね。 うさちゃんもバイバイ」
そう言って兎の顎のあたりを少し撫でると、その赤い目と視線が交錯した。
動物と目が合ったような気がするなどというのは良くあることだが―――
この兎の妙に思慮深そうな…… それでいて、鋭いとまではいかない程度に細められたその目に、何故か若干の恐れを抱かされたような気がした。
それは…… そう、とても奇妙なことながら、つい先程まで矛連に対して感じていた『生き物としての格の違い』を悟らされた時のような、諦観の念に似た重苦しい感情。
私はどうかしている。
きっとあの男の毒気に中てられ、尋常でなく気弱になってしまっているのだわ。
「じゃ… じゃあね、珠姫さんに…… えっと、鐸哉さん? あなた方とお話できて良かったわ。 では、ご機嫌よう」
奇妙な心の動揺から、勢理奈が多少 どもりながらも そう言葉をかけると、二人は丁寧に挨拶を返し、わざわざ門の外まで見送りに来てくれた。
すると別れ際、姉の珠姫の方が 少し俯き加減にこちらの方へ身を一歩進ませ、そして おずおずと小さく、だがとても澄んだ声で話しかけてきた。
「あの…… 八上さん、とてもお疲れのご様子ですが、どうか お気を付けてお帰りください。 それとその…… 父はなんというか、相手の方を変に威圧してしまうような態度や物言いをしますが…… 決して悪い人ではないと、ワタクシたちは思っておりますので…… 」
一瞬、今の自分の不安定な情緒を見透かされたような気がして少し驚いたが、どうやら疲れや動揺が、顔や言葉に出てしまっていたのだろう。
「珠姫さん、お気遣いありがとう。 でも大丈夫よ」
勢理奈は何とか笑顔を作ってそう応えつつも、心の中で「孫ではなくお子さんたちだったのね」などと考えていると―――
珠姫がちょうど偶然、まるで心でも読んだかのような絶妙なタイミングで、にっこりと笑った。
それがおかしくて、勢理奈も この屋敷に来て初めて、心からの笑顔を見せる。
それにしても…… 本当につくづく、矛連には似ても似つかない この姉弟たちの 優しさや屈託のなさが伝わってくるようで、勢理奈は少しだけ 心が癒されたような気がした。
車を発進させ、バックミラー越しに後ろを見ると、姉弟たちは まだ手を振ってくれており、弟の方は両手に抱えた あの兎の手を、小さく「ばいばい」と揺らすようにしていた。
その光景は、普段であれば微笑ましくも可愛らしい様子であるのだが―――
勢理奈はやはり、矛連と同様にこの兎に対しても すっかり苦手意識が醸成されてしまったようで、ついアクセルを普段より余計に踏み込み、一刻も早く逃げ出したい心持ちになってしまう。
こんなことではいけない。
私は八上家の長女として、一族の名実の一端を担う者として、一分の隙も見せることはできないのだから。
そのために『木花グループ』という、たかが一企業体の長でしかない矛連などという不遜な男に、下げたくもない頭を下げているのだ。
それにしても、さっきのお姉ちゃんの方…… 珠姫さんだったかしら?
うちの紀理江さんより少し年下くらいに見えたけど…… あの子たちなら なんだかきっと、良いお友達になってくれそうね。
『家』のために非情になろうと心に決めた傍から、『家族』…… 特に妹には甘い、素の自分がすぐに顔を覗かせる。
そんな自分に苦笑しながら、勢理奈は車を走らせて行った。
◇
「お姉さま、八上さんって、やさしそうな人だったね」
木花邸の前で勢理奈を見送った後、弟の鐸哉が 両手に抱えていた真っ白な兎を地面に下ろし、その頭を撫でながら 姉の珠姫に言う。
「ええ…… でもなんだか、とってもご無理をされてそうな印象だったわ」
珠姫は気遣わしげな表情でそう応えると、弟に撫でられている兎を見て少し目を細め、そして僅かに表情を曇らせる。
「本当に大変よね、大人の世界って…… 」
小声でそう独り言ちると、しゃがんでいる弟の頭にそっと掌をのせた。
八上 勢理奈にしろ、櫛名田の家に通じている この兎らしきモノにしろ―――
どうしてもっと 余計な柵を棄て、皆で幸せに… 素直に平凡に生きられないのだろうか。
「え? なぁに、お姉さま?」
鐸哉に下から見上げられ、曖昧に笑みを返すと、珠姫は気持ちを切り替えるように頷き、目の前の二人に声をかける。
「さぁ、鐸哉さんに 兎さんも、寒くなってきたから家に入りますよ」
「はーい」
鐸哉は素直に頷いて応えると、兎を再び抱え上げて 屋敷の方へと歩き出す。
珠姫から急に名指しで声をかけられた兎は、一瞬それに反応するように体を震わせたが―――
今は鐸哉の腕の中に踞り、まるで先程の不用意な挙動を誤魔化そうとでもするかのように、ぴくぴくと身体や四肢を無闇に震わせている。
そして 兎が珠姫の方に少し顔を向けると、彼女はまだずっと 兎の様子を優しげな笑みを浮かべて見つめ続けている。
それはまるで『全て解っているのだ』と、静かに悟らせるような表情であった。
「この娘、やはり固有の異能は『読心』か。 だとすれば恐らく…… 櫻子様のような『人間以外の生物全般』に対してというものではなく、『人間の心』が読み取れる能力…… 」
この兎は、木花家の ただのペットなどではなく、櫛名田家から、『最も警戒すべき異星系他勢力』のひとつである木花家 監視のために送り込まれている、特務中隊の工作員である。
「うさぎさん、また遊ぼうね。 明日は桐子ちゃんや柏子さんも遊びに来るよ。 じゃあね、おやすみー 」
鐸哉の腕から いつもの小屋の床に下ろされ、兎は如何にも兎らしくその場に踞り、鼻や耳を小刻みに動かしている。
鐸哉は 小屋の扉に鍵をかけ、何度か取っ手を引いて施錠を確かめると、少し離れたところで待っている姉のところへ、まるで跳ねるような仕草で駆けて行った。
その際、兎は珠姫の方を再び横目で窺ったが…… 彼女は最早、こちらには一瞥も呉れてはいないように見えた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 同刻譚 】
同刻、櫛名田邸内 洋館1階 大広間次室―――
鴨山 「ねえ、犬山先輩、ウチの兎特務曹長って、いつ帰って来られるんです?」
犬山 「んー? 兎班長ぉ? そうだねぇ…… もう一年半にもなるけど、まだ暫くは かかるかもしんないねぇ」
亀山 「うっわー、任務とは言え ずーっと小屋の中にいて対象の監視を続けるだなんて、大っ変ですよねー。 ワタシだったら もーお腹がすいちゃって、とてもじゃないけど耐えられませんよー 」
鴨山 「え…… あ、そうかぁ!? もしかして兎特務曹長、ご飯って ウサちゃん用の餌とかばっかりで過ごされてるんですかねぇ? 草みたいなのとか…… 良くてニンジンとか?」
犬山 「ん? あぁ、アンタたち知んなかったのかぁ? 兎班長、ほぼ毎晩 深夜に木花邸を抜け出してさぁ、あちこちのファミレスやら居酒屋やらで、結構いろいろと食べ歩いてるらしいよ」
亀山 「おぉー、それは良いですねー! 24時間営業のお店を夜な夜なハシゴ……。 あぁー、なんかちょっと羨ましいかもー!」
鴨山 「亀山先輩…… 相変わらず食べるの大っ好きですよね」
亀山 「うん、好きー! でも、確かに長期間 草や野菜だけしか食べてないと、人型の方の体幹もちゃんと維持できないし…… それに任務上のこと… だ… から――― おぉ? じゃあ これは当然、そういう深夜の外食って…… 『経費』… ですかぁ!?」
犬山 「んー? あーーー、う… うん。 てか亀山伍長、近い… 近いわ! そんなに身を乗り出してくんなぁ…… 」
鴨山 「亀山先輩… 目が爛々としてて、ちょっと怖いです…… 」
亀山 「犬山軍曹! ワタシ、次に何かそういう任務があったら、絶対に 志願しまーっす!」
犬山 「亀山伍長…… アンタ やっぱすっげーわ。 アタマ良くて、しかも何でもすっごく器用に出来んのにさぁ…… 食べることが常に最優先でブレないし。 取り敢えず『クールさ』とか全然ないもんな」
亀山 「お? 珍しくお褒めのコトバ? あざーっす! 上官からの超絶リスペクト、いっただきましたー!」
犬山 「するかぁ、リスペクト。 てか、超絶ぅ!? 褒めてすらいねぇーわ」
鴨山 「でも亀山先輩、そういう特別な任務って そんなにしょっちゅうあるわけじゃないですよね?」
亀山 「いやぁ 鴨ちゃん、わっかんないよー? 以外と兎班長、今夜あたり急に何かあって ひょっこり帰ってくるかもだし。 そしたら今度は、ワタシがその後釜に…… 」
鴨山 「えっと、世の中そんなに都合良く『何か』なんて、めったなことでは起こらないものかと…… 」
犬山 「てかさぁ…… もしそういうことがあったとしてもだ、木花家が『亀』なんか飼うとは思えねんだが?」




