玉依の奇譚 about 槍慈 × 參
今日は さしてする事も無い故、1階の槍慈の喫茶室に来て冷やかしておったつもりなのであるが―――
何時の間にか…… いや、いつも通り…… 何故だかワガハイの方が いじり倒されておる。
このまま此処に居っても、またつまらん思いをするだけであろう事が充分に予測され得るので、ワガハイは「フン」と少し鼻を鳴らし、しなやかな動きで音も無くカウンターから床に降り立つと、カウンターの中に居る槍慈のヤツに こう言い放つ。
「おい、ワガハイは裏の婆さんのところに行って来るからにゃ」
そう、『裏に婆さんが住んでいる』―――
これはもう この上も無く得難い、所謂『神設定』であると、当 櫛名田家では…… と言うか、少なくともワガハイ個人としては、相当に自負しておる。
しかも、当家の猫がだ…… って… いやいや、『ワガハイは猫ではない』というのは、絶対的に譲れにゃい主張ではあるのだが…… うーん、まぁ良いか。
その……『猫である』などと、あくまで便宜的に仮定されておるこのワガハイが、日々 足繁く、その『婆さん』のところに通っておるというこの現実―――
これはもう、四コマ漫画を原作とする 某国民的『海産物さん一家』と、そして当 櫛名田家を重ね、準えてしまわずにはおられんではにゃいか。
ふふん… どうだ!
流石はワガハイの創造者的 想像力。
しかもだ、奇しくもワガハイは、名を『玉』と発するのであるからして…… これはもう、何処から検証しても完璧な状況であると、断じてしまう他はないにゃー!
と、しかしまぁ…… この家、敷地が1500坪近くもあるからにゃ。
『裏』と言わずこの周辺には、年寄りどもなんぞ数え切れん程に大勢住んでおるし、そもそも『裏』の範囲が広過ぎるのであるが。
因みに、この敷地のどちら側を『裏』と定義するのかと言うと―――
まぁ、西側の門が最も大きく『表門』などという名称にもなっておるのであるからして…… となると、やはり『東側が裏』という事に なるのであろうかにゃあ。
実際、東側一帯は古くからの住人が多い 閑静な住居地域となっており、この喫茶室も『こちら側が静かで良い』という理由でこの場所にしておるようだしにゃ。
だがまぁ、そもそも『賑やかな方が表』という考え方自体が本当に正しいのかどうかは、正直 判らんのであるが―――
っと…… いかんいかん。
あまり横道に逸れると、またぞろ櫻子のヤツに叱られてしまうにゃ…… 桑原桑原。
という訳で、場面を喫茶室内に戻すぞ。
「ほう…… で、玉依さん、その『裏のお婆さん』というのは、いったいどちらの?」
と… カウンターの中で槍慈が、自分のカップに珈琲を注ぎながら問うてくる。
「アイツだよ… しず江だにゃ」
「はて…… しず江さんはまだ『お婆さん』などというお歳では…… おや? そう言えば今年で、お幾つになられるのでしたかねぇ」
「もう88だとか言っておったぞ」
「あぁ、そうですか…… いやはや、刻の流れというものは、本当に速いものですねぇ。 しず江さんも、ついこの間までは 可愛らしいお子さんだとばかり…… 」
「いやいや、嘘をつけにゃー!」
ワガハイはこの『すっとぼけ野郎』の脛のあたりに、すかさず猫パンチ…… いや、猫ではにゃいモノによる必殺パンチを喰らわせる。
「オマエにゃあ…… ワガハイらが幾ら地球星人どもと比べて長生きだと言っても、この450年余りの記憶はその都度、それなりの尺で残っておるだろ! オマエ、何時の間にか他勢力の連中にでも攫われて、脳ミソ弄くり回されておるんじゃないだろうにゃあ!?」
しず江の子供の頃の記憶はワガハイにもあるが、流石に『ついこの間』ではにゃいわ……。
全く 槍慈のヤツ、一体どんな時間感覚をしておるんだにゃ。
え… いや、まさか…… ボケてきておるのではあるまいにゃ……。
「まぁまぁ、確かにちょっぴり極端でしたかねぇ。 そう言われてみれば、しず江さんは戦後 女子高に行き、更に短大まで出られた後… 就職先の区役所で、ちょっと頼り無さげな印象の素敵な旦那様を見付けられて……。 そうそう、そしてその結婚式は ウチの庭でやったのでしたねぇ…… 本当に懐かしいことです」
「オマエ、先月しず江に『米寿の祝い』とやらで、何やら黄色い花束なんぞを渡しに行っておったであろうが!」
「あー、言われてみれば確かにそうでしたかねぇ…… はいはい、確かにそんなこともありました。 いやはや… 私ももう、すっかり歳ですかねぇ」
槍慈はそう言って、白々しく さらさらと可笑っておる…… 全く ふざけたヤツだにゃ。
「おい槍慈…… オマエくれぐれも、しず江や他の年寄りたちの前で ボロとか出すにゃよ」
「はい? 何のことです?」
「オマエは戦後、表向き2回死んで、その都度『遠方に住んでおった息子やら甥やら』などと称し、姿を変えて『独り代替わり』をしておるのだからにゃ」
こんなにも記憶が定かでない うっかりモノに、万が一にも何か迂闊な事などを口走ってしまわれては敵わんぞ……。
「あぁ、それは勿論 大丈夫ですよ。 ワタシだって地球星に来てから450年、そんなことを散々 繰り返してきているのですから…… いい加減 慣れましたよ。 ただまぁ、以前の名前がたくさんあり過ぎて、今となっては 主なもの以外あまり思い出せませんがねぇ」
「昔の名前なんぞは咄嗟に出てこんでもどうでも良いがにゃ。 ただ、最近はこの国の役所あたりでも、個人を特定するシステムが漸くながらに しっかりとしてきておる。 気を付けておく事だにゃ」
「はいはい、畏まりました」
槍慈は片手を軽く胸に当て、わざと恭しく辞儀なんぞをしておる。
ふん、全く何処までが本気なのやら…… この剽げモノめが。
「じゃあ、また後でにゃ。 飯の用意が出来たら、ムシを飛ばして呼んでくれ」
『ムシ』というのは、本来は諜報活動などに使っておる 葉月 謹製の超小型ドローンなのだが……。
平和な世の中というのは良いもので、現状一番多く使われておる『ムシ』の用途は、せいぜいこんな感じであるにゃ。
「では玉依さん、お気を付けて。 しず江さんと滝治くんに、くれぐれも宜しく伝えておいて下さいねぇ」
「ん? タ タキジ……? 誰だそれ、死んだしず江の旦那か?」
「何を言ってるんです。 一昨年 亡くなられたご主人は重与さんですよ。 滝治くんはしず江さんの3つ下の末の弟さんで…… ほら、覚えてませんか? いつもしず江さんの後ろに隠れて……。 その滝治くんも5年程前に奥さんに先立たれ、確かずっと東北の方に住んでおられたようなのですが、しず江さんがお独りになられたのを機に、『身寄りのない姉弟同士、また一緒に住もうか』ということになったようでして…… ご存じですよねぇ?」
えーっと、一体 何なのだ―――
いつも遊びに行っておるワガハイすら知らんような事を、何故コイツが事細かにすらすらと語っておるのかにゃ……。
てか、何か超イラつくわ。
あぁ…… しかしそう言われてみれば、たまに奥の部屋からシワ枯れた声がして、いつも誰かが寝ておるような気配はあったが…… もしかして、あれがタキジとかいうヤツにゃのか?
あーーー、でもそう言えば居ったかにゃあ……。
70年程前に、よくしず江にくっついておった鼻たれのガキんちょが……。
「 …… てかオマエ、さっきの『しず江の記憶』が曖昧過ぎておったあのくだり、あれは全部ワガハイをからかっておったのかにゃ! 細っっっかいところまでしっかりと覚えておってからに! 全く…… 真っ当に慎ましく生きておる健気な猫に、何という仕打ちだにゃ! この…… あほ槍慈め!」
「おや…… 玉依さんは、猫さんではなかったのでは?」
「うるさいうるさい、覚えていろ! オマエなんぞ、七代先まで祟ってやるからにゃ!」
「はぁ… それは嫌ですねぇ。 それにしても『七代』ですか…… ワレワレの場合、ざっと数十万年はかかりますねぇ、お気の長い話です。 と言うか、相変わらず地球星…… 中でも特に この国の古い諺とか言いまわし、玉依さん 本当にお好きですよねぇ」
◇
ワタシの言葉に、猫の玉依さんは再び「フン」とだけ鼻を鳴らし、少し開いていた扉の隙間からするりと出て行かれました。
やはりアレですねぇ、ただの地球星猫さんなんかより 断然面白いですよ、玉依さん。
おや、ちょうど入れ替わりで、外から幾つかの足音が近付いて来ますねぇ。
その数4…… 異能の波動も4―――
どうやら、ワタシの子孫であり実の孫でもある子供たちが、漸く帰って来たようですねぇ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 後刻譚 】
後刻、櫛名田邸東側宅地内 三峰家―――
しず江 「あらあら黒ちゃん、今日も来てくれたのねぇ」
玉依 「んにゃ」
しず江 「今日も牛乳飲んでくかい?」
玉依 「んにゃぁー 」
しず江 「はいはい、ちょっと待っててねぇ。 タッキー、今日も黒ちゃんが遊びに来てくれたわよぉー 」
滝治 「ほぁ… そがぁ、よぉ来だなぁ…… 猫ぉぉぉ~ 」
玉依 「に… にゃあぁぁ…… ぁあ?」
ふむ… この声がしず江の弟の滝治か―――
てか『タッキー』って…… なかなかにハイカラさんだにゃあ、しず江よ。
しず江 「はぁい 黒ちゃん、お砂糖入りの霜印牛乳。 たぁんとお飲みなさいねぇ」
玉依 「にゃー!」
しず江 「ふふ、嬉しそう…… よっぽど食べるのに苦労しているのかねぇ、可哀そうに……。 サイダーも飲む?」
玉依 「ん……? んにゃあ゛ー 」
すまん しず江…… 散々っぱら飲み食いしてきた後で、しかもこれからまた晩飯だにゃ……。
今度 双子どもに言って、羊羹でも持って来させよう程に……。
あと、炭酸は舌がイタイからいらんにゃ。
しず江 「それにしても、そうやって牛乳飲んでる姿を見てると、思い出してしまうわねぇ……。 櫛名田様のお屋敷で飼われてた、えーと…… そうそう、『お玉ちゃん』のこと」
玉依 「ぶふぁっ!? な… なにゃ? に にゃ… に にやあーーーご… ごろごろ… ごろ…… げっほぉぁ! かはっ… けっは…… こは……… 」
しず江 「あらあら、どうしたの黒ちゃん、大丈夫? まあまあ、縁側が汚れちゃってまぁ……。 やだ… 黒ちゃん、変な病気とか持ってないかしら。 あとで除菌のやつ、しゅっしゅしとかないとねぇ…… 」
おい、失礼だぞ しず江よ
しず江 「昔ねぇ、あなたに そぉーっくりな猫ちゃんが居たのよぉ? でもねぇ、その子は櫛名田様のお屋敷で飼われてた、とぉーっても品のある黒猫ちゃんでねぇ……。 でも… どうしてあなたみたいな|小汚い浮浪猫なんかが似てるのかしらねぇ……。 もしかして、ご落胤様なのかしら? あっははは、まさかねぇー?」
玉依 「しず江…… さっきからオマエ、ちょいちょい微妙に失礼なんだがにゃ」
しず江 「え…… えぇ!? 何? 誰!? 今 喋ったの、まさか黒ちゃんじゃあないわよねぇ!?」
玉依 「に ににゃあ!? にゃ… にゃあ゛ーーー 」
滝治 「ほぉぁああぃぃい…… しぃぃず姉ぇぇぢゃあぁぁぁ…… 猫ぉ まぁだ居るんがぁぁぁいぃ? 」
しず江 「あ… あらあら、タッキーの声だったのかしら? そりゃそうよねぇ。 はぁーーーい、まぁだ 居まぁすよぉーー 」
ふぅ…… グッジョブだぞ、タッキー。
それにしても、しず江は昔のワガハイの事を覚えておるのか…… 年寄りだが侮れんにゃ。
全く、これでは槍慈のヤツに『ボロを出すにゃ』などと、偉そうに言っておれんわ……。
滝治 「猫ぉぉぉ~、櫛名田様ぁのぉぉ~、槍慈ぃ様どぉ~…… 瑞穂ぉぉ様ぁにぃぃ~、よぉろしぃぃぐ なぁぁあ~~ぃ……… 」
しず江 「え!?」
玉依 「え゛!? …… あ、にゃ… にゃあ゛ーーー 」
一体 何なのだ今日は…… 寿命が1000年は縮んだにゃ……