玉依の奇譚 about 槍慈 × 壹
此処は、櫛名田邸 屋敷地内の主屋である洋館の1階、その東側に位置する部屋だにゃ。
元は『第一応接の間』と『小客間』の2部屋に別れておったのだが、それらの間の壁を大胆に抜き、更にはテラス側に新たな屋外出入り口を設け―――
槍慈のヤツが趣味でやる為の『喫茶室』なんぞにしてしまっておる。
それにしてもアイツ…… 『隠居した』などというのは、あくまで地球星社会に対する表向きだけの話で、実際は さほど暇になった訳でもにゃいはずなのだが……。
しかし槍慈という男は なかなかに凝り性で、カタチ上『隠居』という事になった次の日には すぐに人手と材料を集め始め、翌週にはもう この部屋はこんな有り様にしてしまっておった。
お陰で 都の文化財担当部局のモノたちが、可愛そうに大慌てで此処まで駆け付けて来ておったが……。
全く…… いつも のほほんと暮らしておるようでいて、実は相当に律儀で神経質…… かつ一面、異様に夢見がちな男でもあるのだ。
この喫茶室の件にしても、どうせヤツの頭の中では『趣味に走った楽隠居』などといった、勝手な脳内設定に基づく 演出のひとつででもあるのであろう。
アイツは昔から、何事も常に『カタチから入る』性質であったからにゃあ。
それにしても、現在この部屋で使われておる調度品は どれもなかなかのもので、客に出すカップもマイセンやセーブルなど 相当に上等な品ばかりだ。
また、カウンターや棚などに置いてある、『古い』という共通項以外は全くもって不揃いな世界各地の小物類は、ワガハイや槍慈が永い永い刻をかけ、いつの間にか最も手元近くに置くようになった『逸品』ばかりであるによって、その『価値』は相当なものである…… と、ワレらは勝手に思っておるのだが―――
と言うかこの発想…… ワレら、もうすっかり地球星人だよにゃあ。
で、この喫茶室であるが…… 普段は主に 一族のモノや使用人たちが休憩をとる時、もしくは小腹がすいた時などに立ち寄ったりして使っておる。
その他、週末の昼食後の珈琲やら、後は双子どものおやつやら何やら―――
だが当初は、この家の前当主である槍慈が 給仕や調理まで一人で行うという事で、龍岡ら使用人のモノたちは多少遠慮しておったようだ。
しかし今では 特に気兼ねする事も無く、槍慈に茶を煎れさせたりオムライスを作らせたりと、すっかり邸内の『賄い処』として馴染んできておる。
まぁ… そもそもヤツらは、実際には ワレらの『使用人』などではないしにゃ。
そして かく言うワガハイも、特に成すべき用も見当たらにゃい折などには、日がな一日カウンターの上で寝そべりにゃがら、ミルクセーキなどをぴちゃぴちゃとやったりしておるのだにゃ。
そういった具合で、此処を利用するモノは殆どが身内だけと言っても間違いではない程なのであるが…… とは言え、一応は店らしく外からも入って来られるようにしてある。
従って扉の外には、どうやら槍慈が考えたらしい『副伯 < Viscount > 』という店名の、取り敢えず意匠だけは妙に小洒落た鋳物製の看板が、ちゃっかりと掲げられておったりする。
別に客を呼びたい訳でも何でもにゃいのであるからして、実質『看板』などは一切不要であるのだが―――
まぁ、槍慈はとにかく 凝り性だからにゃあ。
それにしても『副伯』か―――
この家が旧子爵家であるから、それを多少 捻ったつもりにゃのであろうが…… 相も変わらず、やはりワレワレは全般的にネーミングセンスが全く無い。
因みにであるが、邸外から此処へ来るには、まず静かな裏通りに面した『東門』から入って庭園の中の径を抜け、洋館東側のテラスに上がって そこから入る事になる。
但しまぁ、ワレらが『聖域』たるこの屋敷地に、何処の誰とも判らん有象無象どもが勝手に入って来てくれても困る故、当然 予約無しの一見客なんぞはとっておらんし―――
そもそも此処に『喫茶室』などというものがあること自体、ワレらと非常に近しい ごく僅かなモノたちしか知らんのであるがにゃ。
◇
それにしてもこの部屋は…… あの槍慈が気紛れに創ったものである割には、なかなかに趣深い。
元々、床や腰壁の部分は市松に張られた大理石であったのだが、それらは全て剥がし、代わりに風合いの良い木製の古材を、ちょうど解体される事になった由緒ある某屋敷から廃材として譲り受け―――
それらを全くもって器用な事に、槍慈自らの手で張り替え、内装一切を設え直したのである。
まぁ当然、異能を使っての作業ではあるし、使用人たちも総出で手伝わされておったのだが。
まぁ それはさておき、ワガハイが最も気に入っておるのは そんな古ぼけた床や壁などではなく、美しい光を採り込めて輝く、この部屋に設えられた『窓』であるのだにゃ。
そう、最早芸術と言っても良いであろう この『色彩と光の閃き』―――
この部屋の南側壁面の上方には、精緻かつ色の配分も美しい…… そしてまた とにかく丁寧に嵌め込まれた、12枚で一連なりのステンドグラスたち……。
それらが 薄暗い室内をコントラスト豊かに、かつ眩く華やかに彩っておるのだにゃ。
その趣向は、各月毎の歳時や植物などをモチーフに、計12枚の絵柄によって表現されており―――
これがもう、それぞれに大変結構な出来映えなのである。
特に晴れた日の午前中などは、この枯木色がちの錆びた室内に 様々な色彩がきらりと眩く流れ込み―――
それが刻とともに床から壁…… そして天井側へと、まるで機械仕掛けの如くに、律儀で正確な軌跡を描いて、優しく滑るように撫で上げてゆく。
その様を、夢現の微睡みの中で焦点も合わせず無心に眺めておると…… それはそれはこの上もなく浮わついた、何とも言えない気分になってきてしまうのだ。
そんな、捉まえ方によっては 日常の中の取るに足らない『小さな景色』のひとつではあるのだが―――
実はワガハイは、なかなかに気に入っておるのであるにゃ。
しかしにゃがら…… 今はもう陽がかなり西に傾いてきておるによって、この部屋も薄暗く陰気な感じになってきた。
正直、暗い場所はあまり好かんのでにゃ…… そろそろ居場所を何処かに移そうと、思案を始めたいところではある。
何しろ、『ワガハイは猫ではない』のであるからにゃあ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 過日譚 】
過日、櫛名田邸内 洋館1階 喫茶室―――
都職員 「ご当主…… あのー、これはいったい…… 」
槍慈 「ああ… ワタシも漸くこの度、息子の刀眞に家督を譲りましてねぇ。 これからは余生をゆっくり、此処で珈琲でも淹れながら過ごしてみようかと」
都職員 「あぁ、成る程…… いやぁ、長い間 大変お疲れ様でございました」
槍慈 「はい、有り難うございます」
都職員 「て、いや――― あの… ですね? 大っ変に趣深い、素敵な『喫茶室』に仕上げられておいでではあるのですが…… ですね? その――― 」
槍慈 「いやいや、過分にお褒めいただき有り難うございます。 そこのステンドグラスなども、とても良いでしょう? 奥の瑞穂が下絵を描きましてねぇ。 そしてそれを基に、ワタシと…… あとは 孫の桐子や柏子が手伝ってくれまして、とても美しく出来上がりましたよ」
都職員 「はぁ… いやぁ ですから、まぁそれはそれとして…… って、えぇ!? これ… この大きなステンドグラス、ご家族が自前で作られたのですか? これを!?」
槍慈 「はい。 やはり家族との手作りが一番ですよねぇ。 何より思い出も一緒に作れますから」
都職員 「いっやぁー! しかしこれは、もう完っ全にプロの仕事ですよ…… ワイドなんてこれ、幾つあります? 10m近くはありますよねぇ!?」
槍慈 「いやまぁ、人手だけはたくさんありますので」
都職員 「それにしたって…… あ、いやいや――― ごほん、それはまぁ さておき……。 あー… 我々が本日、急にお伺いしましたのはですね? 要はその…… 一応、こちら様の邸宅は… ですね? 都の『有形文化財』といったものに登録されておるわけでございまして……。 それでそのー、こういった…… ですね? 大規模な改修工事を成される際には、出来ればその…… まずは当方にご一報いただいてから… ですね? お手続き等の手順を、ある程度 踏んでいただきませんことには…… あの、いろいろと障りが――― 」
槍慈 「あぁ…… はいはい、そういったご用向きでしたか。 それはそれは、申し訳ありませんでしたねぇ……。 あの、大丈夫でしょうか?」
都職員 「あー、いや… まぁ…… もうこちら、私どもが拝見したところ 完っ全に『喫茶室』として仕上がってしまっておられますもので……。 まぁ、今更その… どうにもこうにも…… 」
槍慈 「ははぁ…… ちゃんとお断りしてからやるべきでしたかぁ…… それはそうですよねぇ。 ではもう、文化財としての登録は抹消…… とかなんですかねぇ」
都職員 「あ、いやいや! そうではございません、ご当主。 こちらのお屋敷はですね? 大っ変にこれが 人気も高ぅございまして… ですね? 都と致しましても、『最重要案件』のひとつといった次第でありまして……。 また幸いなことに、その… この度のこちらの『喫茶室』の出来がですね? 非っ常に宜しくていらっしゃいまして… ですね? 所謂『文化財としての品格』を損なうものではない… ということで、当方と致しましても何とかかんとか…… その、役所的な辻褄さえ合わせられればと…… 」
槍慈 「そうですか、有り難うございます。 いやぁ、ほっと致しましたよ」
都職員 「いや こちらこそ、今後とも宜しくお願い申し上げます――― で… ですね? 時にご当主、一点お伺いしたいのですが…… 」
槍慈 「ええと、もう当主ではないのですが…… はい、なんでしょう?」
都職員 「今回、大正期の このようにご立派な旧華族邸宅に対して これだけの大改装を、しかもたったの3日という短期間で施工した――― その施工会社さんの方を… ですね? 出来れば後学のために、お教えいただければと…… 」
槍慈 「え…… あぁ… 成る程、そういうことですねぇ――― うーん、はいはい…… 」
都職員 「床や腰壁の大理石を跡形もなく綺麗に剥がして、しかも壁まで大胆にすっかり抜いてしまっておられます。 また、給排水やガス工事までもお入れになられて… ですね? それらをたったの3日で設えるという、そんな神業的な施工を行ったのは一体どこの業者さんなのかと… ですね? うちの営繕の担当者からも、興味津々で問い合わせが来ております次第でして」
槍慈 「えーっと、社名の方はちょっと失念してしまいましてねぇ……。 後程、思い出してからお電話差し上げるということでも 宜しいでしょうか?」
都職員 「ああ もう、勿の論でございますよ、ご当主。 では、お手間で大変恐縮ですが、宜しくお願い致します」
槍慈 「はい、それでは ご機嫌よう――― 」
( ――― うーん…… この状況は、もしかするとちょっとだけまずいですかねぇ。 まさか『ワレワレ宇宙人が総出で様々な異能を使い倒して作った』だなんて、とても言えやしませんし……。 これはまた、玉依さんに怒られてしまいますかねぇ)
◇
更にその後刻、櫛名田邸 屋敷地内 前中庭の西洋池の畔―――
玉依 「馬籠軍曹、今日 急に来てもらったのは他でもにゃい――― 突然ですまんのだが、貴官には 文化財建築の修復を得意とする…… 所謂『工務店』を起業してもらいたいのだ」
馬籠 「工務店…… で ありますか、中佐殿」
玉依 「うん、設定としては『曾祖父の代から同族経営を続け、今年で創業105年の老舗』…… という感じだ。 各所への根回しや手続き、そしてあらゆる記録の改竄等工作処理は、全てこちらに任せてくれれば良い。 万事、早急に整える」
馬籠 「はぁ…… 経緯がまだ良く解りませんが、取り敢えず 了解致しました」
玉依 「うむ、助かるよ。 でだ、その『経緯』… というやつなんだがにゃ…… 」
馬籠 「はい。 もしも差し支えないようでしたら、参考までに…… 」
玉依 「解った…… いや、重要な設定のひとつでもあるから、むしろ話しておかねばならんのだが… 気が進まんにゃあ…… 」
馬籠 「あの、そんなに重要な…… 何か軍機にでも関わるような事柄なのでしょうか?」
玉依 「いや、あまりに下らなくてにゃ…… 口にするのも忌々しいだけだ」
馬籠 「はぁ… いや、えーっと…… はい?」
玉依 「まぁ良い。 本件の重要な設定 かつ 眼目はこうだ。 貴官も良く知っておる、あの『槍慈の喫茶室』だがにゃ…… アレを作ったのは軍曹、オマエが経営する会社『馬籠工務店』という事になる」
馬籠 「え、それはまた どういう…… 」
玉依 「先日、ワレらが異能を乱用して3日間で作った あの『喫茶室』を見て、都教委の連中が『是非その施工業者を紹介してほしい』…… などとにゃ」
馬籠 「あー、成る程…… 概ね見えてきました、了解であります。 それは、槍慈様が大層お困りでしょう…… 」
玉依 「ふん、アイツの薄っぺらい焦燥などはどうでも良いが…… 察しが早くて有り難い。 という事でだ、その『古建築改修に秀でた業者』とやらを、もう今からでも でっち上げて作るしか無いという状況だ。 まぁ、その辺りの経緯と詳細はにゃ、すまんが槍慈のヤツと…… そして 都の『ですね氏』に聞いてくれ」
馬籠 「はい、承知致しました」
玉依 「そして 今後は早速、都教委や文化財課からの発注を適当に受けてやってほしい。 もう、赤字でも何でも構わん…… と言うか逆に、そこそこの負債でも抱えて さっさと潰してしまえにゃ」
馬籠 「了解であります。 ですがまぁ――― 少し面白そうですので、折角ですから 多少は頑張って経営してみたいのでありますが…… 」
玉依 「ん? まぁ… 日々の任務に支障が出ない範囲であれば、貴官の好きにしてもらっても構わんが…… 余計な仕事が増えるだけだぞ?」
馬籠 「有り難うございます! いやぁ、普段の『庭師』の仕事の延長のようなものですし、却って面白そうです」
玉依 「そうか、解った。 ではにゃ、貴官の下に付く従業員役の人員は、取り敢えず 星系軍の新兵や予備役の連中を中心に、ある程度 使えそうなヤツを10名ばかり手配しておくによって…… 社員教育その他は、社長であるオマエに任せるとしよう」
馬籠 「は! 了解であります、中佐殿」
玉依 「でだ、その『工務店』の社屋を、そうだにゃ…… 都内だとまた障りがありそうだから 少し遠くの…… そうだ、かつて都が置かれたりなどした、関西方面の街中にでも用意しておこう。 此処との行き来は、転移装置を適宜 自由に使ってもらって構わん。 あと、会社の登記なども此方でやっておくが…… 社名は、『有限会社 馬籠工務店』で良いかにゃ?」
馬籠 「あ… いや、えーっと その…… 出来ましたら――― 」
玉依 「ん…… 何だ?」
馬籠 「 ――― あの…『株式会社』で、お願いしたいのですが…… 」
玉依 「え、そこに拘るか? て、オマエ…… 結構 本気で社長業やるつもりなんだにゃ…… 」