玉依の概説 about 槍慈 × 零
ワレら櫛名田の一族が、『聖域』としておよそ450年の長きに渡り護り続けておるこの場所―――
実は、元々は由緒正しい…… かどうかは微妙なところだが、かつては『神社』であった。
そしてその『元 神社』の歴史はまあまあ古く、元亀・天正と呼ばれた頃に ワレら櫛名田の一族が… と言うか、ワガハイと槍慈とが 勝手にこの地に建てたところから始まった。
とは言え、ワガハイらが大工仕事をしたという訳では勿論にゃい。
有り体に言えば、宇宙人としての先駆技術と異能、そしてあらゆる威令権能や金の力…… 等々を余すことなく一気に使い倒し、たった一夜にして 総檜の素木 大社造りによる壮麗な社殿を荒れ野に出現させたのだ。
当然、まだ戦国の世の地球星人…… 地元のモノたちは腰を抜かして驚き、そして大層 有難がった。
だがそれもまぁ…… 今にして思えば、もうほんの少しでも後の時代であったなら、幕府や衆目も随分とうるさかったのであろうにゃ。
当時まだ、この東方の島国の情勢が良く解っておらんかったワレらにしてみれば、非常に運が良かったのだと言える。
その時代 此処ら辺一帯は、どうしようもない湿地が ただひたすらに延々と拡がっておったし、何より まだ徳川が関東に入封する前… どころか、豊臣による大規模な検地測量すら行われておらん頃であった。
そうした、未だ 中・近世における緻密な統治制度が敷かれる以前の混沌とした時代であったから、誰もが皆 随分と野放図なもので―――
たった一夜にして 突如 社殿が現れたこの怪現象を、「神仏の仕業じゃ!」などと、素朴に無邪気に 言い囃しておった。
そんな具合であったから、ワレら…… というよりその『神社』を 皆は大いに畏れ、また拝み倒しこそすれ―――
何処からも、いらぬ詮議や文句などは来なかったにゃ。
また、その時期はちょうど 北条が豊臣によって滅ぼされた頃であり、この地を治め 取り締まる有力な大領主が誰も居らんかったのが良かった。
半農半士の国衆や地侍程度のモノたちはあちこちに数多居ったが、カレらがそれまで従属していた、謂わば大樹たる北条家が急に倒れて 無くなってなってしまっていたせいか、ワレらの神社を新たな心の拠り所として求め、そうした有象無象が 次々と寄進に来ておったにゃ。
まぁ所詮、ワレワレにとって金品などというものは、如何様にも出来得る程度の詮なきものではあるのだが―――
しかしそれよりも いざという時の為、この地の周囲に生きるモノたちの『民心』だけは、常にしっかりと掴んでおかねばにゃらん。
その為の手段として、心の拠り所となり得る『神社』…… つまり『信仰の場』というものは、下手な武力や権力、財力などよりも 余程人の心を捉まえるのに適した、ひとつの正しいカタチであったのだにゃ。
そして、その『場』を生かし かつ 活かす為には、何より人の心を誘引する、『事』の発現が肝要だ。
他人から崇め奉られる為には、それこそ何処の星や国、時代であるにかかわらず、何かしらの『奇跡』を起こすのが最も手っ取り早い。
そうした事は、かつての大昔にワガハイ自身が既に一度 この星の裏側において経験済みであったから、この神社を創建する折も「巧くいって当然だ」などと、随分 能天気に考えておったものだ。
そして実際、思惑通りに巧くいったのではあるが―――
しかし今にして思えば、これも『運』に助けられたところが相当に大きいにゃあ。
そもそもの宗旨選定についても、当時は甚だしく短絡的ながら、「この国の土着信仰系のもので佳かろう」などという安直な理由―――
いや… それどころか、ただの思い付きに近い勢いだけで、奇しくも『神道』を選んだのであった。
だが この半ば偶然のような当時の選択に、今は本当に心底 胸を撫で下ろす思いなのであるにゃ。
と言うのも、ワレらが建てたのが例えば『仏寺』であれば、その後の各宗派による衝突やら盛衰やらの煽りを受け、恐らくは相当面倒な事に幾度も巻き込まれておったであろうし―――
ましてや、ちょうど当時は ある特定の宗派に対する大規模な弾圧と、それに対する多くの民衆による反動蜂起などもあった。
それにまた 万々が一、伴天連の『南蛮寺』などにでもしていたら…… 本当に、エライ事になるところであった。
まぁ、恙無く今日まで『この地』を無事に護ってこられたのは、誠にもって 何より幸いな事であるがにゃ。
その後も様々な事象がそれなりにはあったが…… 長く戦のにゃい近世江戸期という時代は、そこそこ平穏な日々であった。
また、ワレらの神社は 京の神祇大副とかいう高位の役目柄のモノとも代々 懇ろであったので、それなりの社格に加え 朝廷の官位なども貰えておった。
それが故か、幕府の奉行や代官どもも ワレらを下へは置かなかったしにゃ。
だから暫くの間は、安穏と暮らしておられたし―――
そして何より その間には、この国が『和』という独自の文化を創り出し、260年余という長い年月を連綿と受け継ぎ 熟成させてゆくという興味深い様も、じっくりと通しで眺める事が出来た。
だが、幕末から維新期にかけての数年は、さすがに大層な厄介事が幾つかあり―――
いや…… その『厄介事』というのは、この小さな島国の中での「幕府だ」「朝廷だ」などという、つまらん権力交代の話などではにゃい。
そうした この時代の混乱に乗じたのか、ワレらが地球星に来て初めて、この聖域に対し『他勢力』からの干渉を受けたのだ。
まぁ… そうした事々は、ワガハイと槍慈とで何とか巧く躱したのであるが、その後も更にいろいろとあって―――
明治の初めの頃、ワレらが300年間 護り棲み続けた『櫛名田神社』は、故あって自らの意思で廃社とした。
まぁアレだ、多少の寂しさも無いではなかったが…… それもまずは何より、『聖域』たるこの地を護る為であった訳であるからして、致し方のない話だにゃ。
このあたりの経緯は、今度また別の機会に詳しく…… そう、多少 盛り気味に面白可笑しく、そしてワガハイが より格好良い体で皆の胸に刻まれるよう再構成し、じっくりと話し聞かせてやろう程に。
さて、時は下って明治15年―――
この地にまず、当家の華族邸宅として初めの屋敷を建てたのであるが…… これもまた諸般の事情により、僅40年弱で ワレら自らの手によって焼失させ―――
って、うーん…… こうして顧みてみると、一体 何をやっておるのであろうかにゃあ……。
そして漸く、今のこの屋敷が建てられたのが 大正期の中頃であったか。
こうして現在に至るまでの間に、この地が被った震災や戦災を悉く無事に掻い潜り、今でも屋敷は厳然と 此処に遺っておるのであるにゃ。
まぁ 何れの折も、屋敷の防衛システムが稼働しておったのであるからして、この星で起こる程度の戦乱や天災などからは、無事であって当然と言えば当然にゃのであるが。
しかしそれ故に、現在ではこの屋敷地は「当時の姿を最も保存状態良く遺している」などの理由で、都から『有形文化財』の指定まで受けておるという訳だ。
まぁその辺は、槍慈のヤツの『思惑通り』…… とでもいったところか。
お陰で、この地を護る上でのひとつの懸念事項である『開発の波』からは、ある程度 逃れられておるのであるからにゃ。
そうそう、先程から度々話に登場しておる『かつての各時代の槍慈ども』についても、折角だから少し話しておこうかにゃあ。
昔、この地が神社であった頃には長年 宮司を務め、そして明治以降は 勲功華族として子爵に列せられておった。
これは先日来、既に幾度も話しておるにゃ。
で…… 『幕末』などと呼ばれたこの時期に、一体 何をもって『勲功』を認められたかと言うとだ―――
まぁいろいろあって、槍慈のヤツは宮司の身でありながら『維新志士』などというモノを、心ならずも演じておった事があったのだ。
正直…… 当時の機運からしても、また公平な眼から見ても、維新側の連中なんぞは全く好きにはなれなかったのであるが…… 実はそれで、一度失敗してしまっておってだにゃあ―――
まぁ… 背に腹は替えられず、大層面倒ではあったのだが…… 実は一度、『過去のやり直し』をした。
この辺りの事も、さっき言った『神社の廃社』や『初めの屋敷の焼失』などと絡み、諸々の経緯があるのだが…… それもまた全部ひっくるめて、今度 別の機会の話でにゃ。
それにしてもだ…… 『時代の波』などといったものは、異星系人であるこのワレらの知恵と経験をもってしても なかなかに計り難く―――
いや先ず以て、事程左様に…… 実に御し難きものであるのだにゃあ。
おっといかん、話を元に戻してだ―――
その槍慈だが…… 息子の刀眞に家督を譲り、全ての事物一切を周りのモノたちに伝え終えた後、さも満足したような笑みを浮かべて静かに―――
まだしっかりと生きておるわ…… 宇宙人だからにゃ。
知っての通り、この屋敷の1階で勝手気儘に 儲かりもせん喫茶室などを営み、外見が若い割には年寄りくさい鼻眼鏡なんぞをし腐っておるアイツが、件のソレ…… 槍慈だ。
表向き、旧華族の孫だとか曾孫だとかいう事になってはいるが、勿論 他ならぬ本人だ。
元亀・天正の頃から変わらずにずーっとにゃ。
それでもワガハイなどよりは随分と若く、確か今年で1067歳であったか。
当然、江戸期以前から同じ人間として生き続けておっては化け物扱いされてしまう故、時々 死んだ事にしては姿を変え、代替わりしているように見せかけながら此処までやってきた。
しかしだ、さすがに最近では役所も昔のようにいい加減ではなくなってきておる訳であるからして…… それで已む無く、槍慈が地球星に降り立ってから初めて、息子への代替わりを執り行った…… というところだにゃ。
では、その次はどうするかという事になるが―――
刀眞には既に子もおるし、その他にもいろいろと手は打っておるのであるによって…… まぁその辺りの見通しについては、さほどの心配は無いのではないかにゃあ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 後刻譚 】
後刻、櫛名田邸内 洋館2階 北東の間―――
瑞穂 「まぁまぁ…… 今日は槍慈さんの昔のお話を たーっくさん伺えて、とーっても 宜しゅうございましたわぁ。 玉ちゃん、ありがとうねぇー 」
櫻子 「もう、瑞穂お祖母さまったら…… のっけからそんなにお褒めになられては、ワタクシがこの『お喋り毛玉虫』をシバキ倒すことができなくなってしまうではありませんか」
玉依 「おい」
弓弦 「でもまぁ… 確かにボクら世代にとっては、かつてのこの家のことがいろいろと聞けて勉強になったね。 やはり玉先生のようなお年寄りの話は、いくら鬱陶しくても虫唾が走っても、まだ聞けるうちに多少は我慢して…… 嫌でも耳を傾けておくべきなのだろうね」
玉依 「おーい」
葉月 「うんうん、せやなぁ…… って、いやいやいや! もぉ、めっさ話が長いねんて、玉やんは! 相っ変わらずに! あ゛ー…… なんかもっとこう… アレや、パパーっと短こぅな? せや、例えば原稿用紙1枚くらいに箇条書きかなんかで、上手いこと適当にまとめたりとか…… そんなんはできへんの?」
櫻子 「まぁ、お母さま!? それってワタクシがこの間から主張していたことと全く同じですわ! 良かったぁ…… 初めてお母さまが、ワタクシの本当の親で間違いないのかもしれないと、ほんの少しだけ感じられた瞬間ですわ! あぁ、ちょっとだけ感動…… 」
葉月 「おーーい」
槍慈 「それにしても玉依さん、よく昔のことをきちんと事細かに覚えておいでですねぇ。 ワタシなど、歴代で語ってきた自分の名前すらも、今 使っているのを含めて三つくらいしか思い出せませんよ。 あっはっはっはっは」
全員 「おーーーい」