玉依の焦燥 plus 櫻子 × 伍
漸くにして、櫻子もワガハイの声に聞く耳を持ち始めてくれたようだ。
自らが張った、この堅牢強固な多層異次元膜結界の中で不用意に異能を解放などしてしまった場合の、その危険極まりない可能性について。
◇
「それは…… 確かに。 何だかとてもまずそうですわね…… 」
「だにゃ。 まぁ 今の平和な世の中で、ワガハイや槍慈が教えた攻守何れの術も、オマエは良く会得し、研鑽しておるよ。 それは本当に認めるにゃ――― いや、むしろ舌を巻く程だ」
「あ…… えーっと、それは… どうも」
櫻子はぺこりと頭を下げる。
「だがにゃ、普段何かと徒らによく使用しておる『結界の展開』までであれば、まぁそれなりに経験を積んでおるとして……。 しかし攻撃の方はと言うと実際に放ったことも少ないであろう故、どの程度の加減でどれ程の威力を示すかが、正直まだ解ってはおらんだろう。 またそれと同様に、自らが全力で張った結界が、一体どの程度の力で破れるものであるか…… などということについても然りだ」
「はい、確かに……。 まぁ、玉さまが消し炭になるのは別に良いとして…… でもワタクシまでそれに巻き込まれてしまうというのは、少々間抜け過ぎて困りものですわ」
「おい」
「解りました。 では取り敢えず こちらも少々頭を冷やしまして…… まずは玉さまの弁解でも、一応お伺い致しましょうか」
櫻子は、ひとまず薙刀の八相の構えだけは解いてくれたようだが―――
しかし残念なことに、ワガハイへの諮問の件自体は忘れておらんかったようだ。
ふん、なかなかに聡いヤツめ。
「やれやれ…… しかしまぁ、そいつは取り敢えず有難いか。 ふん… 櫻子ぉ、オマエ命拾いしたにゃあ」
「そちらこそ、あまりお調子に乗るものではありませんことよ…… このお喋り四本足が」
だから言い方よ――― あと、眼がコワイから。
「そ、それにしてもだ…… 何で最近、ワガハイにここまでいろいろと突っ掛かってくるんだにゃ。 昔はよくじゃれついて、一緒のベッドで寝たり 毎日風呂にも入ったりなどして…… 」
「い、ぃいぃ いゃ…… ぃやぁぁぁめぇてぇぇぇぇぇえーーーーーーーー!!!」
ふん、まぁにゃあ…… お年頃の娘だしにゃあ。
「いや、お年頃とかは関係なく――― まったくのユニバーサルにバリアフリーに、ただっただ今はもう、本っっっ当に玉さまの存在が『目障り』なのですわよ! デリカシーの欠片もないし、話もウザくて超長いですし…… そして… そして何より……『ありとあらゆる過去の事実』を……… 抹消… いえ、滅殺し尽くしたい゛ぃぃぃ……ぃ………… くはぁ!」
「おい…… その、血の涙でも流しそうな苦悶の表情やめろよ。 最後 何か吐いたし」
はぁ…… 一体 何だというのだ全く。
それにしてもにゃぁ…… 何で寄りにもよって、ひとつ屋根の下で共に暮らさねばならん相棒の孫娘が、『動物の心を読める』などという 傍迷惑な異能を持って生まれてきてしまっておるのか……。
半獣異形のワガハイにとっては、相性最悪ではにゃいか。
「まぁ… それについては多少お察し致しますけれど。 でも、もう4000年も生きていらっしゃるというのであれば、逆に玉さまの方で『心を読まれない術』か何かを身に付けていただくことは出来ないんですの? だって龍岡さんたちは、玉さまと同様の種であるにも関わらず、ちゃんと思考をブロックしてこられてますわよ?」
龍岡というのはこの屋敷の、一見穏和そうな執事だ。
因みに、ヤツの下にはワガハイと同じように、半獣人型の配下のモノたちが 今は確か…… 14人程付いておるのだが、何れも相当にクセのある――― しかし非常に頼りになる連中だにゃ。
「いやいやいや…… アイツらは一応、使用人の体で日々ソツなく勤めつつ、のほほんとこの屋敷に出入りしてはおるがにゃ、本来は星系軍特殊部隊の中でも生え抜きのエキスパートどもだ」
「ええ、そのようですわね」
「しかもアイツらはだにゃあ、あらゆる苦痛やら拷問やらにも耐え得るため、数多の地獄のような訓練を潜り抜け…… そして そう、例え自白剤なんぞをシコタマ飲まされてさえ、そもそも自らの記憶すらも意識的に完全抹消出来る程の驚異的な精神構造を獲得しておるという… 謂わば、ある種の『ど変態ども』なのだぞ?」
そんなヤツらと一緒にされても困る。
同じ軍人であるとは言え、ワガハイには絶対に無理だにゃ……。
「いや、『ど変態ども』って……。 仮にもアナタ直属の優秀な部下の方々なのでしょう?」
おっと、コイツはいかん…… 今のは無しだ。
「はいはい… って、そんなお話はさておき…… でもワタクシにしたって 玉さまのお心の声など、別に好き好んで聞いているわけではありませんわ。 だって生まれつき、頭の中に勝手に流れ込んでくるのですから 仕方がないではありませんか」
「それは…… まぁにゃあ」
「でしょう!? それにそのせいでワタクシ…… 変に理屈っぽくて、まるで中二病みたいな思考や…… あと、話し方なんかもいろいろと… その…… 正直、お父さまやお母さまよりも 玉さまの方にどんどんと似てきてしまって…… 」
「そうかぁ? ワガハイはそんなお嬢みたいな話し方はしにゃいだろう。 てか、ワガハイに似てきて『中二病』って何だよ」
いや、それにコイツもまさか あの両親たちなんぞに似たかったという訳でもあるまい。
「あはは…… まぁ確かに、お父さまやお母さまたちに似てしまうことの是非は置いておくとしまして――― でもワタクシね、普通に話そうとすると、なんだかだんだん玉さまっぽい話し方になってきてしまっているような気がするのです。 それで敢えて 何年か前から多少無理やりに、こういう口調でお話しするようにしているんですのよ?」
そうだったのか、それは知らなかったにゃあ……。
「そうかぁ、物心つく前…… 言葉も解らん頃から、ずっとワガハイの心の声を聞き続けておる訳だからにゃあ。 何だか、すまんことをしたにゃあ…… 」
「あ、いえ… ワタクシの方こそ、玉さまが悪いわけでないのは充分解っておりますのに……。 取り乱してしまって、先程は本当にごめんなさい」
漸く落ち着いてきた櫻子は、そう言うと手にしていた光性武器や部屋中に張った複雑堅固な位相膜結界を、まるで拍子抜けする程にいとも呆気なく解くと、それらを両掌から吸い込むように、身の内に納めてくれた。
「ふぅ…… じゃあ櫻子よ、仲直りの印として 久々に一緒に風呂にでも入っ…… 」
「だ・か・らぁ…… 調子のってんじゃないですわよ、このネコ科動物がぁ…… 」
顔コワ―――
「で…… ですよにゃーーー 」
でもまぁ、派手なことにならんで本当に良かった。
コイツとも、取り敢えずは仲直りも出来たことだし―――
普通の家族って、こういうものなんだにゃあ。
「いえ、たぶん『こういうもの』では絶対にないですわよ」
で… ですよにゃー……。
◇
結界が解けたことで、窓の外が漸くにして見えるようになってきた。
陽は既に暮れ、時刻は午後6時を回っておるようだ。
飯の前の茶の時間はとっくに過ぎておるが…… 誰も呼びに来んということは―――
ふん、槍慈たちめ…… 中の様子を察して、櫻子のことをワガハイに丸投げしおったにゃ……。
いや… 下手をすると、まだその辺から 高みの見物を決め込んでおるかも知れん。
ふん、まあ良いわ―――
そういうことであれば、今日はもう少し この娘の我儘に、付き合ってやるとしようかにゃ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
【 一掬 ❁ 幼少期譚 】
13年前、櫛名田邸内 和館 奥座敷―――
櫻子(幼) 「ねぇねぇ玉せんせ! 今日はなんのおべんきょうをするの?」
玉依 「そうだにゃあ…… よし、今日は『本音と建前の使い分け』について教えてやろう」
櫻子(幼) 「ほん… ね? たてま… え? それってなぁに、玉せんせ? おしえて おしえてー!」
玉依 「うむ…… それらはにゃ、この星の人間社会の中で生きていく上では、絶対に欠かせにゃいルールのひとつだ。 ワレワレのような高位次元の存在にとっては全く意味を成さにゃい場合も多いが――― しかし この星の人間たちのように、精神や心の共鳴による意志の疎通が出来んモノたちにとっては、他人に自らの本当の立ち位置や思惑などを明かさずに、敢えて正論…… ないしは日和見的な、謂わば『偽りの主張』をしておくことにより、ある種の『保険』をかけておく場合があるのだにゃ」
櫻子(幼) 「うーーーん、よくわかんなーい!」
玉依 「ふむ…… だろうにゃあ。 かく言うワガハイ自身も、言ってて何を言わんとしておったのか、すっかり見失っておるところだ」
櫻子(幼) 「あはははは! ちょーうけるんですけどー!」
玉依 「ほぅ、そうか。 別に笑うところではにゃいのだが…… 面白かったのなら良かった。 でだ、今さっきのワガハイの状況を例として見てみるとだにゃ…… 」
櫻子(幼) 「うんうん」
玉依 「本当は、言ってるうちに何だか解らんことになってしまっておったのに、それでも格好をつけて小難しい感じに誤魔化しにゃがら、さも何事もにゃかったように話し続けておった……。 あの不毛極まりない状態こそが、つまりは『建前』というものだ。 全く…… 人とは実に、くだらん生き物だにゃあ。 そしてだ――― 」
櫻子(幼)「わかったー! ほんとはオツムがちょっとアレなせいで、なにいってるのか じぶんでもよくわかんなくなっちゃってたー! …… ってゆうのがぁ、さっきの玉せんせの『ほんね』だったってことなんだねー! かっこわるぅーい。 あっはははははー!」
玉依 「お、おう……。 うーむ、何やら気になる言い回しや謗りの言葉が随所に散りばめられておったような気がせんでもにゃいが…… まぁ良い。 うん、だいたいそういう感じかにゃあ」
櫻子(幼) 「うっわぁー! 玉せんせは いっろぉーんなことしってて、すっごいなぁーー! そんけーしちゃう!」
玉依 「ほう、ワガハイを尊敬してくれるのか。 うんうん、なかなかに賢くて可愛いヤツではにゃいか」
櫻子(幼) 「 …… ってゆうかんじのがぁ、『たてまえ』?」
玉依 「何ぃ!? ぉぉ… おぅ。 う、うーん…… そういうことに、なる… のかにゃあ……。 ふん、なかなかに賢しくて――― あんまり可愛いもんでもないにゃあ、子供なんぞというものは…… 」
櫻子(幼) 「あー、それが玉せんせの『ほんね』だぁー!」
玉依 「あぁ、そうだそうだ。 くそ…… 賢いのは良いが、3歳の割には 妙に飲み込みが早いにゃ――― ん? もしかしてコイツ、人の心の内でも覗けておるのではあるまいにゃあ…… 」
今からおよそ13年前――― 櫛名田邸内での、とあるひとコマ。
当時 玉依は、勿論 単なる戯れ言のつもりで言っただけであったのだが―――
しかしそれは図らずも、まさに正鵠を射抜いた『衝撃の真実』なのであった。