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花は蕾を経て咲き誇る。

作者: さと野

「おはようございます」

少女、否、美しい女性という名称に咲きつつある蕾の子が言う。

流れる黒髪は弦のごとくしなやかで強く、瞳は宝石よりも輝きを携えて。花と華が混じり合い、菊や牡丹でさえも蕾の少女の美しさと鮮やかさに頭を垂れる魔法の種をその身に宿していた。

それはもはや蕾の少女を形容するにはとにかく美しいとしか言えなかった。


空には流れるのが目に見えて分かる雲と、藍色を濃くしたキャンパスに白色や橙色の粒がいくつか点々と存在し、鋭さの残る三日月が大地を照らしていた。

場所は公園。遊具は危険と言われ、もはやベンチと何もない空き地しかない誰にも使われなくなった寂れた場所。

そこに蕾の少女と、男がいた。

「おはようは違う気がするんですが」

ベンチに座り、ただ月を眺めている男が視線も向けずに言葉を返す。

男の格好は小汚いと言われてもおかしくない程には汚れていて、無精ヒゲと適当に伸びた髪が無造作に括り付けられていた。唯一評価されるのはその身は清められているのか臭気や垢といった汚れは存在しないことだろう。

「もし王子様のキスで起きるお姫様が、夜に起こされたらなんと言ったらいいのでしょうか」

蕾の少女は男の隣に座りながら言う。

「ありがとう、でいいのでは」

「見知らぬ王子様にキスをされて?」

男は相変わらず月を眺めながら、問の答えを考えるように表情を少し変える。

その様子を見て蕾の少女は楽しげに返答を待っていた。

月が流れる雲で隠れる。辺りを照らす光がほんの少し暗くなり、蕾の少女と小汚い男は隣にいるお互いの表情が確認出来なくなるほど暗くなった。

元よりあまり明るくなかったのと、公園であると主張する数少ない桜の木の下にベンチが置いてあったことがその原因であり要因であろう。

「お姫様は起きたくなかったのかも知れません」

薄暗い暗闇の中、蕾の少女はそう付け足す。

ガシガシと頭をかきながら小汚い男は答えた。

「降参、この問にはどんな意味があるんですか?」

とうとう男は月から目を外し、蕾の少女と目を合わせる。ほとんど見えないその夜の中、確実に二人の目線は交差する。

「小さな意味はありません。貴方と話したかったのです」

蕾の少女はそう告げ、男の手を取りギュッと握りしめる。

「大きくて、ゴツゴツしてます」

「繊細な作業も、大胆な作業も、大は小を兼ねる必要があるんで。このご時世、庭師として生き延びてこれたのは、お嬢さんと旦那サマのお陰なんですよ」

小汚い男、改め庭師の男は蕾の少女の手を優しく外しながら、また雲に覆われた月を見上げてそう言った。

「何故こんな遅くにこんな場所に? 旦那サマは許さないと思いますが」

「誰にも告げずに隠れて出てきましたから。きっと貴方はここにいると思って」

庭師の男の表情が固まる。自分からは見えていないが、きっとこのお嬢様のボディガード役の人がどこかにいると思っていた。まさか一人でこの夜更けに出歩いてきたとは思いもしなかったのだ。

「そ、それを知ったら旦那サマは俺を殺しそうなんで。今すぐ帰りませんかね、お嬢さん」

「お断りします。先程言ったでしょう? 小さな意味はありません、と」

「では、小さくない意味をお聞きしても?」

その言葉を待っていたと蕾の少女は輝く瞳

を更に輝かせる。月夜の晩に相応しくない程のきらめきを感じ、庭師の男は思わず目を細める。実際に光っている訳ではない筈なのに。月は雲に覆われ、とても暗いはずなのに。それほどまでに蕾の少女は生き生きとして美しかったのだ。

「貴方の側に来たかった。というのが大きな意味です。が、もう一つ大切なことがあります」

蕾の少女は少しの間をあけて、続きを述べる。

「どうして、私の前から居なくなってしまわれたのですか」

今度はその輝いた瞳に水分を纏い、万華鏡のように不思議な花を創り上げる。

「……王子様ではないからですよ」

庭師の男はもう蕾の少女と顔を合わせない。


庭師の男は記憶を探る。否、隣の少女の存在が否が応でも記憶を呼び覚ますのだ。

遠い遠い過去の記憶。庭師の男が旦那サマと呼ぶ者との出会い。

庭師の男は庭師として、至って普通な人生を歩むと思っていた。

一般家庭の盆栽や少し大きな木々の手入れをし、それだけでは糧を得られきれないと思い何かしら副業をしながら生きる。

親から受け継いだ技を使い、親よりも劣る人生を踏みしめるのだと。

しかし庭師の男の運命は大きく変わった。それが旦那サマとの出会い。

偶然以外の何物でもなく、旦那サマが庭師の手入れした庭に告げた一言。

「ふむ、良いではないか」

初めてだった。庭師の男が誰かに認められたのは。

親は天才だった。故に、出来損ないの自分は誰からも認められなかった。

数々の賞をお前の歳には取ってきたと罵倒され続けてきた。

それでも、もはや庭師の男には庭師として生きるしか術を知らなかった。

だからこそ続けてきた、苦痛でしかなかったこの仕事を。

旦那サマとの出会いは庭師の男を変えた。なんとか名前を調べようとインターネットに手を伸ばせば一瞬で見つかった。

大金持ちの大社長。庭師の男は横文字が苦手だがCEOという文字に何となく凄さを理解した。

そこまで分かれば何も考えずに、会社に乗り込んだ。もちろん、つまみ出された。

それでも張り込んで、一言お礼を言いたかった。

そしてその機会は訪れた。

有名人を一目見るような一瞬だったが、庭師の男は必死に届いてほしいと叫んだ。

「ありがとうございます! 俺の仕事を、庭を認めてくださって!」

傍から見れば頭のおかしな男に見られているかもしれない。だが、そんなことは関係なかった。

どうしても告げなくてはいけなかった。救われたこの人生を。

そして偶然は重なり、出会いは強く結ばれた。

蔓と蔓が絡み合うように。縁という種が花を咲かせた。

「私の家には庭があるんだ。君の技術をそこで見せてくれないか」

「ッ……!! もちろんです……是非、俺に……!」


遠い過去の記憶。辿れば十年を超える年月の記憶。

この隣にいる、蕾の少女が生まれる前の話だ。

故にこの明らかな好意は受け取れない。

無造作に結んだ髪、無精ヒゲで清潔感のない小汚い男。唯一の救いは臭気や垢などは綺麗にしていることだろうか。

若く見られることもある。庭師の職人としてはまだまだ若造と言えるのかもしれない。

だが実年齢はそれと比例したりはしないのだ。一回り、いや、二回りは蕾の少女と年齢が離れている庭師の男には、その好意を受け取る資格がないと考えている。


「先日、お父様が結婚相手にどうだ。と殿方をお連れになりました」

蕾の少女がそう切り出した。過去にさかのぼっていた意識が引っ張られる。

「しかし私には意中の相手がいるのです。ずっと昔から近くにいた。そう、とても昔から」

月を覆っていた雲が通り過ぎる。徐々に先程より強い光が大地を照らし、暗夜に少しの光を満たす。

蕾の少女はその光を待ち望んでいたかの如く、月を見上げて光をその身に浴びる。

庭師の男は月を見上げていたはずなのに、いつの間にかその目には蕾の少女がいっぱいに広がっていた。

鈴蘭。光り輝くスズランのようだ。

庭師の男はそう思う。

「改めて問います。どうして辞表なんて、私の側からいなくなったのですか」

ああ、どういえばいいのだろう。この花を前にしては嘘は酷く醜い。そして真実はとても残酷だ。

「俺は、庭師ですから。もう、あの庭は、完成なんですよ。俺の技術では。あとはその、定期的な手入れぐらいですからね。できることといえば」

はぐらかす言葉。嘘ではないが、本当の真実ではない。庭師の男の胸にイバラが巻き付く。

「知ってますか、お嬢さん。俺、今年で43になるんですよ。はは、知らないですよね。まぁ、そんなおっさんでもまだ若造でしてね。色んな場所でいろんな技術を学ばないといけないんです」

きつく、きつくイバラが刺さる。血が流れて大地を染める。ああ、せっかくの青い芝生に汚れが。なんて、庭師の男の心の芝は既に薄汚れているか、と自嘲する。

「私は貴方が好きです」

脳を貫く一言。蕾の少女は今聞いたすべてを投げ捨てて、告げてきた。

「今年43歳? しってますよ。誕生日だって知ってます。もうプレゼントだって用意してるんです。それに貴方の技術は凄いです。私いつも、友人に自慢しているんですよ。我が家の庭はとても美しいんですよって」

美しいのは、貴方だ。庭師の男はその言葉で頭が埋め尽くされる。

いや、だめだ。俺なんかが好意を受け取っていいはずがない、こんなおっさんで、旦那サマには返しきれない恩があるんだ。

抱えきれない恩の上に娘さんを貰う? そんなのお伽話ではないか。お伽話ですら、きっと悲恋になろうて。

と、そんな時、蕾の少女は驚きの言葉を零す。

「お父様には、もう告げてきてます」

「……は、い?」

庭師の男には理解できなかった。もう告げてきている? なにを?

「お前の好きにしろと、仰っていました。ただしあの男とでは裕福にはなれんぞ。節約術を覚えるんだな。なんて言われましたけど、それくらい楽勝です!」

「いや、待ってくださいよ」

「私は今こうして隣にいるだけで幸せなんです。裕福ではなくても、幸せにはなれます。歳が物凄く離れていても、そんなの関係ありません」

蕾の少女の言葉は止まらない。庭師の男の頭に衝撃的過ぎる情報が無理やり押し込まれ、もう何から理解すればいいのか分からなかった。

「関係、ありすぎで、色々と。本当に……」

「でも、私と貴方なら乗り越えられる程度の壁です」

「お、俺はそんな立派な男じゃないんですぜ」

もう決着はついているのだろう。既に痴話喧嘩の領域だ。しかし庭師の男は抵抗する。

だが結末は変わることはないだろう。

庭師の男はもう何十年も前から絡み取られていたのだ。

その蕾が結婚装束を纏て咲き誇るのは、もうすぐの話だった。

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