束の間の安寧と不確かなるものの胎動
普段女性は政治の場には出ないのが慣例ではあるが、男子たるもの妻を娶って一人前という
前時代的な価値観が跋扈する国の血流を尊ぶ貴族の頂点である、王の嫡子たる王太子夫妻だからと
御前会議の場に娶った妻を伴い、仲睦まじやかな姿を披露するのは、妃が王の正統なる嫡子を孕む事が
王家の私事では無く国事だからであろう。
グラーシアをエスコートしたハインリヒが政治に参与する資格を有した議会貴族の前に現れ
貴賓席へと付けば、割れんばかりの拍手の洪水で新婚夫妻を迎える。
昨日とは一転、濃い茜のドレスは立襟の首の詰まった胸元の露出を抑え手袋を嵌め、若妻の初々しさと
貞淑さを醸し出す小ぶりな貴石のアクセサリーと、黒髪を一つに纏め結いあげて王太子妃の象徴の
キリアラナの花を模したティアラを付けた姿のグラーシアは、元は東方の帝国より嫁いだ祖母譲りの黒髪と
蒲柳の質故に滅多に人前に姿を見せる事の無かった母 グロリアーナの白磁の肌が相まっての
キリアラナ王国では珍しいオリエンタルビューティー、先日の婚約破棄騒動で見せた
父譲りの激しい気性なぞ見る影も無い。
前世持ち特有の有益な知識とファングル公爵領での実務の手腕、父 クリストフ率いる軍への慰問や
領内でアラクネシルクの工場での視察や激励の様子、その活動や実務に裏打ちされた人望。
そして王子達の不始末による賠償金や貸しによる立場の強さに、嫡子さえ産めば
妃としての地位は益々盤石なものになるだろうと、貴族達の計算が働く。
正に絵に描いたような完璧な王太子妃、未来の王妃である。
故に何処ぞの物語のように運命の恋、真実の愛の末にくっついたような外面の良さだけで
内面の実力が伴わないお飾り王太子妃のような不穏さが無い。
ハインリヒの妃候補と一度は目されたが儚くなられた姫の国も、祖父王の時代に婚約破棄騒動を起こし
市井で育ったほぼ平民の男爵の庶子という素性の張りぼて令嬢を妃に迎え、貴族社会の慣例と
国政派閥パワーバランスを大いに崩して混乱させた女禍事件の余波が今だに尾を引いているという。
個人的にもお近づきになり、ファングルにもたらされたような栄華の種の一つも頂戴出来たらとの
下心も無きにしもあらずといったところだろう議会貴族達の上品で洗練されたおべっかを受けながら
グラーシアは扇を手に上手に受け流す、次に彼等の前に公的な場に姿を見せるのは
嫡子を産んで産褥の床を払ってのお目見得の儀式であろう。
成婚の祝いの言葉を受けて謝辞を述べれば議会貴族との顔見せは終わり、議場を出て長い廊下を歩いて
中庭へと進むと次は政治に関わる資格を持たぬ所謂"庭園貴族"と呼ばれる政治に関与する資格を持たぬ
貴族と夫人達からの挨拶を受ける。
何故"庭園"貴族と呼ばれるかといえば、この中庭は王宮のほぼ中央に位置し、長い渡り廊下が直ぐに貫いて
放射状に細かい廊下と繋がっていて、王家で全貴族や国の有力者までもを集めるような儀式なり
パーティーがあれば此処を使う。
中位以下の階級しか持たぬ貴族や有力な商人も入場出来る社交の場として、庭園とはいいながら
人目には分からないように雨風や強い日差し、紫外線や害虫や異物を防ぐバリアが張られ
魔法石で維持され空調管理も万全で、騎士達も常駐する便利な王宮でもオープンな場所である。
逆に此処は何処にでも通じる廊下が貫いているが、先へは階位なり職分なり正当な理由がない限り
足を踏み入れる事が出来ないようにバリアは機能している為に
庭園までしか踏み入る事の出来ない王宮での職を持たぬ、階位もそこまでの中位以下貴族を
何時しかそう呼び分けるようになったからだ。
今回の顔見せは大人数を迎える為、立食パーティ形式で催される形だ。
薄緑のテーブルウエアは全てアラクネシルク製、軽食を盛る大皿に取り皿は真白の陶器と
貴婦人の為の茶器はオパールの如き七色の光沢が眩しく、見慣れぬ宝石のようなそれは
目の肥えた有力商人が何処の物だと頭を回転させ、紳士方にと用意された酒器と喫煙具一式は
光を浴びて輝く透明度の高いクリスタルガラスと、地球の喫煙文化を知っていたら此処は
地球のサロンかと見紛う程似通ったマホガニー材を磨いたかの重厚な品のある逸品。
これら全てグラーシアの嫁入り道具として運ばれた物だ。
「皆様、今日は私達の為にようこそ足をお運び下さいまして」
立食パーティーの気軽さから王太子 ハインリヒの挨拶が終わると挨拶廻りとなり、それぞれのテーブルで
今日の目新しさか茶器や食器ついて聞き出そうとグラーシアの周りに鈴なりの人。
「ここまで白を追求した器は初めて目にします、これらの製法も妃殿下のお知恵でしょうか?」
真白のカップに映える琥珀のティーを楽しみながら問うのは、シランスと並ぶ交易で聞こえた都市
スレイプニルの領主 ヘルモーズ子爵、この目の覚める白さはハイクラスのサロンでも見劣りせず
様々なシーンに合わせて使える柔軟さがあると、商機の匂いを嗅ぎ付けている。
「そうですのよ、昔私が物の話に聞いたボーンチャイナという白い焼き物の製法を出来はしないかと
出入りの職人に命じて作らせてました皿ですの。
それがミノタウルスの骨を利用して成功しまして、此方の虹色の茶器は更に此方での素材を用いまして
何か新しい焼き物が出来ないかと工夫して作りました物ですの、そしてこれらはとても丈夫でしてよ」
グラーシアは何でもないようにすらすらと答えれば、周りから密やか騒めきが細波のように拡がる。
「でも私、王城に上がる事になりましたでしょ?
ですから製法から技術を習得した職人まで、全部お兄様にお願いして来ましたの」
ハラリと竜骨扇子が口元に翳されチクリと言葉の一刺し、早速ミノタウルスの骨を利用して焼き物の再現と
グラーシアの言葉に胸算段をしていたであろう貴族の目論見は潰える。
この技術はファングル領の新たな産業にするから手を出すなとの牽制だ。
「そうでしたわ、プラドー侯爵の領は畜産が盛んでミノタウルスの骨も沢山採れますよね?」
2つ隣のテーブルで、シナノ特産のキラービー蜜をふんだんに練り込んで焼いた菓子を夫婦で摘んでいた
銀髪を後ろに流した初老の紳士が皿を手にしたままグラーシアの元へ。
「ええ、ミノタウルスだけでなくコカトリスやカプロスなども飼っておりますから骨だけでなく
皮や殻も提供出来ますとも、それに採るのは肉や卵だけですから棄てている部位なら幾らでも」
「では申し訳ないけれど後日お兄様とお会い出来ません?私のサロンでも構いませんし、手紙を書くので
ファングル邸でもプラドー侯爵のご都合に合わせますわ」
お代わりの茶を給仕のメイドに淹れさせながら新たな商談が一つ纏まる。




