余波と予感
「お帰り」
オヤツにニラ煎餅を頬張りながらクラウドの二の腕を掴んでいるアーダルが出迎える。
「アーダル様、ありがとうございました」
ストラに包まれた手鏡を抱き締めたまま帰宅したグラーシアが見たのは食堂で寛ぐアーダルと、アーダルに言われるがまま
小腹を満たす"おこびれ"と呼ばれる信州の軽食を拵え、ハマったらしき日本の娯楽を提供しているクラウド。
「さ、早く仕舞っておいで、余人の目に触れてはならぬ秘宝なのだろう」
付き添っていた父 クリストフが娘を促し部屋へと帰す。
「娘へのご厚情、真に感謝致しまする」
グラーシアが下がってすぐ、クリストフはアーダルの前に両膝を着き左手を胸に当てて深く頭を下げた。
これは神に祈りを捧げる際の、祭壇前で行う最も改まった所作である。
「良い、気にせずとも馳走になる礼のようなものよ。
それより羽虫がブンブンと喧しいからな、虫除けの一つや二つ用意せねば心配であろう。
あまりに煩いのであらば適当に燃やそうか?」
「これ以上アーダル様の御手を煩わす訳には参りませぬ、痩せても枯れても私もアレの親に御座いますれば
何とか致しましょうし、いざとなれば此処を引き払って子供達を連れて何処へなりとも行きましょう」
決意も露わな眼差し、顔を上げて誓うようにクリストフはアーダルに答えた。
「是非そうしてくれ、グラーシアもだがクラウドが下らない争いに巻き込まれては折角の下界見物もつまらぬ」
張り付かれてウンザリ気味のクラウドは、二人?一人と一柱の会話を聞き流しながら目の前の
皿に積んだニラ煎餅に味噌ダレを塗っている。
いくら日本人といえども誰でも食チートを持ち合わせている訳では無い。
元々食べ盛りの中学生男子、手軽にインスタント食品や封を開けるだけの菓子や
冷蔵庫に買い置かれた出来合いの惣菜のラップを剥ぐ位で
頑張っても米を研いで炊飯器のスイッチを入れるか乾麺を茹でる程度。
クラウドに出来たのは、偶々あったニラを刻んで溶いた小麦粉にざっくりと混ぜて薄く焼くだけの北信から東信地方でよく食べられているニラ煎餅。
そのレシピも漆黒黒羽宵闇之輝星のイカれたBL短編で、僕っ娘真田幸村のピュアピュアクッキング☆in上田合戦で披露していた珠玉の一品だ。
どんな飯マズだろうが、ダークマター錬成の呪われし右腕だか左眼を持とうが誰だって出来る簡単レシピで
もっと手を抜こうと思えば市販の中濃ソースや焼肉のタレで美味しくいただける。
諏訪に住んでいるだけで氷餅だの寒天でササッとご馳走クッキングとはいかないのである。
卵と砂糖を用いた庶民からすれば少し贅沢な味噌ダレを賞味しながらアーダルは、何かを思い付いたらしく
近くに侍立するメイドを手招いて、テーブルの中央に置かれた白金で出来た燭台を所望する。
「宿代だ」
燭台に嵌められた宝石ごとドロリと形が崩れたかと思うとシュルシュルと渦を巻き、知る人が見たら
3Dプリンターのタイムラプス動画のようだと言うだろう光景。
白金の光沢はそのままに、柔らかな裾の質感や繊細なレースの質感もそのままに形作られて立ち現れた貴婦人。
正に神の御業と目を見開き言葉を失って口をポカンと開くクリストフ。
燭台に嵌められた宝石が胸元を飾る装飾品と瞳になり、薄らと笑みを浮かべた形良い唇も伏せた睫毛の様も生前と
毛筋一本違わぬ嫋やかな愛妻グロリアーナの微笑みは、かつて騎士鍛錬場から見上げた
渡り廊下の紗の日除の隙間より覗き見る高嶺の花そのまま。
蒲柳の質ながら武張った事を好み、武勇譚や戦記物を侍女に朗読させるだけでは飽き足らず、時にお忍びで
騎士や部隊の演習場へと視察をする程。
なれど陽に当れば熱を出し、風に当れば咳込む深窓の姫君の顔を目にする機会なぞ、男爵家の出ではあれど
冒険者と変わらぬ暮らしの一介のコマンダー程度が有ろう筈も無い。
それが何の運命か、侍女に掲げられた紗の日除が風に煽られて目が合ったその瞬間のときめきを思い出す
最期の時まで焦がれた美しい妻の在りし日の姿が立ち現れた。
声にならぬ呻きを漏らし像に手を伸ばすクリストフに背を向け、退出を促すアーダルに従って皿を抱えたクラウドと
部屋に控えていたメイド達。
「…御厚情、感謝致しまする」
背に告げられた感謝の言葉に振り返る事無くアーダルは厄介事の前金よと、小さく呟いた。




