夢から覚めた朝
王の血を引く僕が平民に落ちる!?
夜会のホールから引き摺り出され部屋へと連れ戻され軟禁された後、
父から告げられたのは王宮追放と王籍剥奪並びに税を使って育てられた
元王族の義務だと平民として兵役に就く事で責任を取れとの命。
何故だと問い返せば宰相からグラーシアの価値を知らなかったのかと、
婚約の意味と価値を改めて説明された。
グラーシアは"転生者"という国家にとって利をもたらす稀なる者であり、
その記憶からアラクネ糸の量産と救荒食の研究やファングル領より徴集される
民兵の士気高揚や予防医療という概念を広め衛生状態の改善を進め、
領民の死亡率を下げた等の功績がある為、僕に新たな家を立てて嫁がせ
王族の妻として領地を開拓しろとの内意があったという。
最近アラクネ布が安定して出回るからと、若い騎士の間で膝下まである
贅沢なマントを仕立てるのが流行っているから僕も何枚か注文したばかりだった…
それがグラーシアの記憶からだと!?
それに王都に呼び父上の御前で行われる閲兵式、
ファングル公爵の率いる首元に揃いの赤いスカーフを巻いた
一糸乱れぬ行進や演武を見せる士気の高い一団は女のグラーシアの仕込みなのか?
あの女の事を何も知らない…
「先の戦争でグラーシア嬢は学園を休学した事も知らぬのか?
母と共に領地に戻ると男手を取られれば畑を耕す者が足りなくなるからと
食糧不足に備え、救荒食を広め領地の女達を指揮し
兵のスカーフに無事の帰国を無事を祈る千人針なる刺繍を刺して回ろうと呼びかけ
残された兵の家族の不安を静めたのだぞ、あの若さで既に領主夫人として
立派に努めるグラーシアに対して貴様は何を成した?」
父上の問いに僕は答える事が出来なかった。
「グラーシアが国家と民に尽くしている間に
あのような稚拙な嘘を吐く女狐に誑かされおって、
その女狐も貴様が王族ではなくなったと告げれば
王子ではない貴様に価値は無いから結婚は考え直させてくれと言って
家を飛び出し、行方知れずとの報告が上がってきておるわ」
エミリアが家出?何時も王子とか王族なんか関係無い、彼女の為だけの
騎士として側に居る僕が好きだと甘く囁いてくれたのは嘘だったのか!
そんな、そんな…じゃあグラーシアは?
偽りの愛に逆上せ上がって傷付けたグラーシアに謝らなければ!
そう思って父上の御前を辞す礼もそこそこに、灼熱の剣を素手で握って
腕を火傷したグラーシアの休んでいるという客間に向かおうと駆け出した。
だが、彼女の怪我の原因の僕が今までのように簡単に彼女の側に近づける筈は
無いんだと扉の前に立つ衛兵の制止に思い知らされる、
そして扉の前で呆然と立つ僕の背後に回った母上に、扇で頬を強かに打たれた。
「今更何のつもりで彼女の部屋に参ったのですか?」
「騙されていたとはいえ、彼女に酷い事をしたから謝罪をしようと」
「無用です、寧ろ何の爵位も持たぬ無位無官の貴方が
公爵令嬢に目通り出来る道理がある筈無いと身の程を弁えなさい」
母上にピシャリと言い切られ、本当に地位を剥奪されたと思い知る。
だが、立ち去れと追う訳でも無く母上は眼差しを巡らせ扉へ…そこは王宮の客間。
他国からの客を滞在させる部屋だけに腹に一物ある者の
裏を探る場合もあるだろうと盗聴魔法が組み込まれており、
母上はその魔法陣を発動させた。
「お可哀想なお嬢様」
「まさかお嬢様が夜会の会場の満座で恥をかかされた上に、王子の手に掛かって
大怪我を負わされたと伺いまして私は胸が潰れるような思いを致しましたわ」
呼び寄せられた公爵家のメイドだろう若い女の声がして、
グラーシアを慰める言葉が聞こえてくる。
「平気よ、王様と王妃様に良くしていただいて腕だって何ともないわ、
それに王子様もいきなりあんな風にしないできちんと訳を仰って下さったなら
私だってサッパリと婚約位解消したのにねぇ」
「お、お嬢様…怒ってないのですか?」
「怒るって何故?」
「王子様がお嬢様を蔑ろにしていきなり浮気相手と結婚するからと、
公衆の面前で一方的な婚約破棄を言い渡しただけでなく
侮辱の言葉を浴びせかけられた挙句に剣を向けて…腕を焼くなんて」
涙声で僕の無法を詰るメイドの言葉に今更ながら自分の愚かしさを実感する。
「怒れないわよ、私だって覚えがあるから」
答えるグラーシアの声が何時も聞くそれとは明らかに違う響きで僕の耳を打つ、
ゆったりと想いを噛み締めるかのような深い声は"転生者"という
彼女であって、彼女以前の人生からのものなのだろう。
「私が生糸の商売で財を成した家の惣領娘だから親の言うままに結婚して、
祝言まで顔も知らない婿を貰ったのは貴女達にも話したわよね?
私もそのお婿さんが財産目当てで、私と結婚したんじゃあないかって
ずっと不安だったからあの人に思い切って聞いたのよ」
グラーシアの前世の夫だと?
「そしたらあの人はそんな了見で婿に入ったんじゃないって怒鳴ったの、
その頃は敗戦で皆が貧しくてお腹を空かせていた時代でね、あの人も復員してから
ずっと働き詰めで働いて私と子供達を食べさせてく事だけに一生懸命だったわ。
そんなある日、突然リヤカーに当時出たばかりで高価な洗濯機を積んで
汗だくになりながら引いて帰ってきたの、買ってきたなんて一言言ったきり
真っ白でピカピカな見た事も無い機械をくれたんだもの、驚いたわ」
「洗濯機と言いますと…洗濯をする魔道具でしょうか?」
「そう、あちらでは魔力じゃあ無く電気で動くけれど同じかしらね、
戦争が終わって家と僅かな畑しか残ってない何の財産も残ってない私に
あの人はどうしてそこまでして下さるのかと怖くなっちゃったの」
「魔道具を!?それは凄うございますわね!」
魔道具は魔力が無くとも魔石を乾電池みたいに填めれば誰でも使える
文字通りの魔法の道具であるが、製作設計には魔力と魔法回路や魔方陣といった
専門知識が要る事で大量生産が出来ずに高額な物である為、
メイドは食うや食わずの貧しい男が妻の為とはいえ買った事に驚いている。
「そうよ、まだ出たばかりで水も自分で汲まなきゃならなければ
洗った物をハンドル回して絞る簡単な構造の物だったけれど、バケツで水を
何度も汲んでから盥の前にしゃがんで洗濯板でゴシゴシ洗って濯ぐのに較べたら
ずんと楽になる夢の機械を一生懸命働いて買うてくれたのさ。
自分だって休みたいだろうに酒も飲みたかろうタバコだってやりたかろうに
我慢して、私の手が痛そうだからって…何でそこまでして下さるのか聞いたのさ、
したらあの人は財産なんぞ働いて貯めればえぇ、
真っ白な手をした私がニコニコ笑って待っているんなら気持ち良く働いて
家に帰れるんだって思えたから結婚したんだって言うてくれてな、
怒鳴られて嬉しかったんはあの時だけじゃあ。
だから王子様もそんな風に想える相手が見つかったんなら王様やウチのお父様に
言って筋さえ通して清算して下さったなら
私も喜んで二人の行く先をお祝いしたんだけれど」
そんな風にグラーシアが思っていたなんて、僕は知らなかったんだ!
母上が盗聴魔法を解除する、そうして母上に連れられて父上の居られる
もうすぐ出て行く僕の部屋へと戻る。
「グラーシアが我が身を捨ててファングルに対する貴方の言い掛かりに
あぁまでして反論したのは何故だか解りますか?」
父上と母上に向かう合うように席に着くと母上が、
あの時のグラーシアの行いの理由を考えろと鋭い声で問われた。
「彼女の潔白を主張したのでしょう」
「違います、彼女は己が瑕瑾は父ファングル公爵の公正と清廉を疑わせ
兵の信頼と忠誠を損ない軍の規律を乱すと恐れたのです。
そしてあそこまでの騒動となれば王家も内聞に収める事叶わずに
お前の病死を装おうと毒杯を下げ渡す事も出来ません、
貴方は彼女に命を救われたのですよ」
彼女は我が身を犠牲に影響を最小限に抑えた上に
僕の命を救ってくれたというのか!?
今更ながら手放した彼女の価値の重さに気付いて手足が急激に冷えていった。