破鏡の危機とバブリシャス信州
「一度詳しく調査し、王とファングル閣下に報告書を提出するが…ショーン」
異界からの落ち人である恵美子こと、ショーンを得て悪所通いとは無縁の人生を選択したクレールが
しょんぼりしながら妻を呼べば、パチと再び竜骨製の扇子の音。
「此処で見聞きした事は一切口外無用と言いました筈ですわね、ご家庭で一言半句たりとも漏らして
恵美子さんを責めてご覧なさい、私が承知致しませんわよ」
王太子の婚約者として王家と、実家のファングル公爵家、そしてドラゴンを征伐した功を挙げた
父 クリストフの名誉将軍の軍閥の威を借りた、まさに悪役令嬢の面目躍如
ヒロインをいびり抜くかの恫喝。
「せ、責めるだなんてとんでもない!」
たらればの話程に不確かな未来と、してもいない浮気に放蕩を妻から他人に触れ回られた感のある
クレールとすれば、妻に向かってボヤキの一つもぶつけたくあったが
目の前のキリアラナの花冠を頭上に頂いた華麗で、年若いが威厳に満ちた少女が許さなかった。
切れ長の目に力を入れ、原作では華やかな縦ロールに巻かれる筈だった艶やかな黒髪は巧みに結い上げられ
クイーンアラクネ糸を織り出した白を基調としながらも、光の加減で虹色に輝くドレスは裾に向かうにつれ
五色の珠を磨いたビーズがあしらわれた豪奢なそれを自然と着こなす令嬢は、他人に対し命令し慣れた
特権階級に属するハイレディそのものであった。
「リヴィエール卿、私は恵美子さんとの婚前に確かに忠告いたしましたわ。
恵美子さんは婚家で苦労をなさられた方なのだから大事になさいとね、それを選ばなかった未来の一つを
口にし、日本での生活に口出しなさって恵美子さんを苛めるのでしたら離縁結構、私のシナノにて
身柄を引き取るのも吝かでは御座いませんわよ」
「しませんから!お許し下さい」
父の暮らすシランスの要塞然とした離宮に落ち、父の後見を受けて冒険者として活躍していた
恵美子を見初め、長い長いアプローチの諸々は女性向け恋愛小説を煮詰めて焦がしたかの
聞いているだけで胸焼けを覚えるクレールの猛アタックの末に漸く娶る事の叶った
恋女房を逃してなるものかと叫ぶ亭主の焦り振り。
だが、そんな一途な亭主の執着も思慕もなんのその、肝心のショーンの方は瞳を輝かせてシナノへとの
誘い?に腰を浮かせて興奮している。
「シナノに呼んでくれるの!?だったら私、松本城建ててパルコ作って信州のトレンドとか発信する!」
「まぁ素敵、陽子も好きで良く出掛けていたわ」
松本住民自慢のアノ店を異世界で再現しようと野望を滾らせるショーンは、立ち上がって拳を握る。
その目には既に夫の姿は映っていない。
「そして深志高校を設立してイケメ…優秀な人材を育成しつつ、太ネクタイの似合う地位と金持った
イケメンを育ててヤンエグに仕立てて、常勝ってエンブレム付けた素敵馬車走らせるわよ」
「止めてよ、何で乙ゲー世界をサイキックアクションBLの世界に変えようとするんだ…
キリアラナでやおいが流行ったらショーンさんの所為だからな」
フンス!と鼻息の荒いショーンにツッコむクラウドは、諏訪に遺してきた母と瓜二つの行動に走ろうとする
貴婦人、いや、貴腐神に振り回される予感に慄いた。
「素敵じゃない、クラウド君、松本城下に乙女通りを作ってよ。
そうしたら執事喫茶とかノワール作品を楽しめる書店や魔道具を沢山置いたミステリアスな店とか
新たな才能ある文人を発掘するバーを誘致するわ♪」
振り返ったショーンに手を取られ、一部の発酵したお姉様にとっては魅力的な都市計画を語られ
僅かにだが腐のケがあるクラウドもグラリと傾きかける。
「…ちょっと興味あるかも、パルコってあのパルコみたいにメイトとか入ってる?」
「ショーン!!マツモト城でもぱるこ?でも何でもウチに作って良いから出で行かないでくれ」
結界壁の消えたテーブルに寄り、クラウドを突き放すようにして妻の手を取って懇願するクレールは
その後、本当にシランス領にマツモトシティを作る。
キリアラナ一の貿易港を抱えたシランスに、シランス辺境伯の弟夫人であり
未曾有のモンスタースタンピートからシランス領を救った伝説の女冒険者 山吹色の乙女こと
ショーン デ リヴィエールの為に築城された異世界情緒溢れるマツモトジョウ離宮を中心とした
マツモトシティは後に文学の都、世界のモードの先駆けといった文化の発信地として発展を遂げ、
学術国家キリアラナの文化の興隆に寄与する。
まさか貴腐神妻の為に作られたBL天国な街が巡り巡ってそんな事になろうとは
此処に居る誰一人として思いも至らないずっと先の話。
そして発酵する妻に、名の挙がった人物の調査と松本市を作るからと縋り付くリヴィエール子爵に
生温い視線を向けながらこの場はお開き、お暇しましょうと面倒事が嫌いなグラーシアの一声で
その場から離れる事を許された騎士や女官達は、小さく安堵の吐息を漏らして部屋を辞する令嬢に付いて
面倒臭い夫婦の愁嘆場を後にしたのだった。




