王と生まれし者と反骨の姫君
移動手段が魔力を使える例外を除いて、魔獣に騎乗するか馬に乗るか馬車か徒歩の世界である。
「で、何で俺如き平民が王太子殿下と同じ馬車なんすか?恐れ多いっしょ!?」
「異世界人の聞き取り調査兼、興味本位というのかな?」
「そういう事にあらせられるから畏まらずにどしどし答えれば良い」
既に過去の異世界人がサスペンションという物を広めておいてくれたのか、ほぼ揺れずにいる
快適な乗り心地の車内にはハインリヒ殿下とファングル公爵嫡男で王太子侍従のカルロの向かいに
一平民のクラウドが小さくなって同席している。
王族と同席というあり得ない状況の理由をクラウドが恐る恐る訊ねれば
ワイングラスを弄ぶハインリヒが気にせず答えた。
「…判りました、でも後で不敬罪でバッサリとかは無しでお願いしますよ」
長い道中の無聊を慰めんと並べられた珍味に舌鼓を打ち、ワインの酒精に浮かされた気分に
良い趣向とばかりに鷹揚に頷くハインリヒが給仕に侍るカルロにクラウドにも
グラスを渡せと命じ、相伴を許して無礼講と言ったので漸くクラウドも答える気になった。
「グラーシアが軍事に関した書物に通じているのは何故だ?
シンシュウなる地は戦乱に明け暮れていたような場所だったとしても、庶民の子女にそのような
知識は不要であろうが」
「それなんですがまずこの世界アッチじゃ本の価格からして違うんですよ。
製紙技術がコッチとはレベルが違うんで新聞なんて朝夕発行してるし、安い雑誌なんて其処らで
エール2杯程度の額で売ってますよ、それに長野は教育県なんて言われてた時代もあって
女の人だろうが誰だろうが皆んな本を読んでますよ」
カルロに注がれた甘口のワインに思わずクラウドの口も滑らかになって、以前の世界について
特に平成の頃の日本と長野県について色々と話し始める。
「俺ン家の側に古本売買で有名なチェーン店があったし本屋は結構地元じゃ敬意を払われる
仕事っすよ、なんてったって信州の農民の右手には新聞 左手には岩波文庫なんて言葉もあったし」
先日グラーシアの口から岩波文庫という言葉も出たのもあり、岩波文庫の創業者は諏訪出身で
言わば"オラが村の偉人"という意識から異世界で耳にした懐かしい名前に思う所もあるのだろう。
「おグラさんは女性ですけど戦前戦中を生き抜いた強かな庶民ですよ。
一緒にシナノ領の開拓作業ん時に色んな話をしたんですけど、俺がアッチの学校で教科書で習った
歴史上の事件の目撃者であり当事者です、知識だって知恵だってあります」
「随分とグラーシアを高く評価しているのだな」
「そりゃ助けて貰ったんで、あの人、俺が助けてって言ったからあんなに怒ったんだよ」
綺麗に盛り付けられたチーズを無造作に摘んで口に放り込むクラウドの言に
ハインリヒの眉が上がる。
「何故彼女が怒ったと言える?」
グラーシアは世話話のついでの結果論としてブーヨ伯の不正が王家の耳にまで達したと言った。
「いくら俺が異世界人で精霊と仲が良いからって普通なら俺等一家の引越し転籍程度
おグラさんの身分だったらブーヨ伯爵を呼び付けるなり、使者を送るなりして札ビラ切ったり
身分を盾に談判すりゃ解決した話だよな?でも、それをせずに王家まで巻き込んだ大事にした」
「それは結果に過ぎないだろう、グラーシアは身分を笠に着て威張り腐るような下種な行いとは
無縁の心優しい淑女なのだからな」
デキャンタを傾けクラウドの杯にワインを注ぎながら、妹がそんな器用な真似が出来るかと
カルロが窘めるように反論するが既に野郎同士の飲み会の体を成していて遠慮も身分差も
礼儀も置き忘れたクラウドは、カルロの注いだワインをグッとやって更に言い募る。
「んな訳あるか、マジで言ってんのかよ?全国にあれだけ悪名を轟かせたら
ブーヨ伯爵本人だけじゃなく、家族親戚なんか身の置き所なんか無くなるだろ?跡取りだって
ブーヨって姓を改姓したいとか言ってくるんじゃね?」
「確かに既にブーヨ元伯の夫人は離縁して、子供を連れて実家に戻ったと聞くな」
クラウドの真似をしてピックを使わず指で生ハムを摘み、酒精の高いブランデーの瓶を開けさせた
ハインリヒが続きを促す為にクラウドにもとブランデーを勧める。
「んな名誉毀損レベルの嫌がらせを仕掛けたのは俺がおグラさんに俺はどうなってもいいから
父さんと母さんを助けてくれって頼んだからなんだ。ブーヨ伯爵の家来が俺等を捕まえに来るって
村長さんがナイショで教えてくれた時に父さんが斧と少しの荷物だけ持って逃げようって
家とか田畑や家畜を諦めて村を出たからなんだ、父さんはオシカの森を知り尽くした木樵でさ
母さんはヤギのチーズを作る名人なんて言われてて、オシカの森を捨てたら生きて行くのが
困難になるって判ってて俺を守る為に色んな物を犠牲にしたんだ」
アルコールの影響を受けて涙脆くなっているクラウドの言葉にハインリヒは身を乗り出して
お涙頂戴な逃避行劇とその後のグラーシアの対応はと聞き入る。
「子供の為に頑張るのが親と云うものよって言って、自分を犠牲になんて言うもんじゃないって
おグラさんは俺等をシナノに置いてくれてあの物語を作って広めたんだ。
父さんと母さんにも安心するようにって言ってくれて足りない家具とか集めてくれて
開拓村の人達や製糸工場の皆んなにもブーヨ伯爵の横暴を暴露して俺等が困らんようにって
色々気を使ってくれたんだよ…で、おグラさんにとっては子供が飢えるとか食えなくなるとか
家や土地が無くなるってのは地雷なんだと思う、そういった苦労をしてきた人だから」
「ジライ?」
「地面に埋めといて踏んだら発火する兵器の事、その人にとって触れて欲しくないとか
不用意に踏み込まれたくない話題って意味でも使う言葉かな?」
ムシャムシャと干し肉を齧りながら地雷を説明するクラウドにハインリヒは先日のグラーシアの
様子を思い返して、本音を巧みに隠した喰えない女と判断すべきなんだろうが
その根底にある体験の悲惨さを思えば仕方無い部分もあるのだろうなと、ブランデーを一口含んで
淑女の微笑みの下に隠された激情を思った。




