転生令嬢の以前は天然お嬢
「確かにブーヨさんでしたっけ?何処の悪代官かって腹が立ちましたから、お母様のしたように
婦人会で"ちょっとあの人ねぇ"ってお話しをしただけですわ」
「婦人会!?」
何の事だとハインリヒが問い返せば、キョトンとしたグラーシアが此度の一件を説明し始めた。
「此方を婚約破棄された傷物娘、お情けと体面だけで担ぎ上げられた王太子殿下の
名ばかり婚約者だとでも侮ってるのが丸わかりの態度でしたわよ。
慰謝料代わりに押し付けられた未開の地の開拓員の二人や三人、何にも判らん小娘から擦り取って
クラウド君一家を連れ戻せばいい位の認識で来てたわよ、あの遣い」
何時しか戦後の混乱期の嫌な記憶の蓋が開いて、昔の人格で話し出ているグラーシアは
終戦から引揚者が続々と帰ってくる中、中々帰ってこない亭主を待つ中
GHQの指導による農地解放で土地を手放さなくてはならなくなったり、怪しい投機話を持ち掛ける
詐欺師に骨董商の押し掛け、食べ物を分けて欲しいと自称"家宝"やら"国宝"を手に
やって来る都会者ならまだマシ、田畑から農作物をパクる泥棒に、母子家庭だから御しやすいと
夫が帰ってくる前に既成事実を作ってしまえと財産目当ての押し掛け婿を連れたインチキ仲人。
武器にしたら物凄い性能の竜骨を削り出して作られた筈の扇子が、握られた手の中でミシミシと
嫌な音を立てているのに笑顔を崩さないグラーシアは、流石公爵令嬢といった所。
「一方的に税を収めず逃げ出した罪民を引き渡せと書類一枚寄越したきりで
自分の所の子女を側妃に推す工作でも企んでるのか、未来のお飾り王妃はどんな者かと
品定めしておけと使者が喋っていたとも聞きましたしね」
グラーシアの側で聞いたのは私です!とばかりに肩を怒らせ頷くメイド。
「ホントにもう頭にきちゃって、それにクラウド君のお母さんって長男の嫁に似ててね
あんまりにもあれで…ついつい工場で皆さんに水戸のご老公様みたいな人がいたら良いなって。
それに少し前にお母様に連れられて参加させて頂いてた貴族の婦人会?で
よくそんな噂話をしてたから同じ感覚でアレがご老公様みたいな人に成敗されたらいいのにって」
王妹で公爵夫人の呼ばれる茶会を婦人会と言い切るグラーシアにクラウドは驚き、ハインリヒは
有閑マダム達の茶会が実は立派な組織で、国を動かすまでの力を持っているとはと驚いている。
「で、受けてた歴史の授業の中で老公役にピッタリな方がいらしたので
それっぽくなるように王家の記録とか年表とかベンタロン家の家臣録やらを探して
あの時代劇風になるように話を練り上げてみたのですけれど?」
「おグラさんの事だから兵法三十六計の指桑罵槐を仕掛けたかと…
寡兵で以って大軍を退ける昌幸公の再来、企む事と裏に回って仕掛ける事に関しては
天下一品の上田人、トップに立つには不向きだけれど参謀やNo.2をやらせるなら
右に出る者が無い信州人の面目躍如だと思ってたのに」
口を挟むクラウドの言ったソレは、直接相手を批判するのでなく別の者を批判する事によって
間接的にソイツを批判し、その者を憎むようにと主に味方の人心をコントロールする
立派な戦術なのだが、グラーシアにとっては単なる主婦の愚痴吐きといった感覚だ。
「まさか一介の老婆がそんな御大層な事が出来ますか?私が桑の木を指して槐の木を罵った所で
普通の人なら馬鹿言ってると思うだけでしょうに」
ヤレヤレとばかりに扇子を開閉しながらカリンを摘むグラーシアにハインリヒは更に驚きを込めて
グラーシアの前世、シンシュウなる地はどんな危険地帯だったのだと問い質す。
「グラーシアは本当に平民で、糸を扱う商会の娘だったんだよな?
何故兵法だの戦術と聞いて意味を理解しているような答えを返せるのだ!?」
クラウドの言葉に意味を理解して引用までしたらしき返答をした事で、グラーシアの以前の身分に
ハインリヒだけでなく、兄であるカルロも疑念を抱いたようだった。
「何でって申されましても…一応尋常小学校には皆通いますから字は読めますし、私は女学校まで
出させて貰いましたからそれなりに本は読めますし、子供の学校では母親の為の"母親文庫"という
貸し出し図書が置いてありましたから、ビジネスや人生哲学としての孫子や六韜も読みましたわ」
「あ、孫子や六韜ってのは日本の隣の国の古代の兵法書です」
そのまま本の題を言われても判らないだろうキリアラナ人にクラウドが補足と、口を添える。
「一般の婦人が兵法書に触れるだと」
紙が貴重であり、一冊の値段が一般庶民一家の一年の生活費を上回る程の価値を持つ世界で
士官以上は男子貴族のものであり戦争は男の仕事である常識から考えれば異常としか言えない事で
庶民の婦人が有する知識では無いと、カルロが思わず声を漏らす程の常識の違いだった。
「孫は翻訳されてないってボヤきながらクラウゼヴィッツの『戦争論』をドイツ語辞典並べて
読んでたわねぇ、簡単なのなら岩波文庫にあるからって貸してあげたら泣いてたけど」
「凄ぇ、流石ノワール先生」
母親のコレクションから、漆黒黒羽宵闇先生はプロシア贔屓だしなぁと呟く
クラウドの呑気な感想を置いて驚くキリアラナの軍事にも関わるハインリヒは
更にシンシュウへの危機感と誤解度を高めてゆく。
「女だからって軽く見られては困りますわ」
糸繰りを初めとした女性だからこその仕事で現金収入を得た女達は家庭内でも発言権が強く
共働きが当たり前で、元々男女同権の意識が高い長野県。
更に生涯学習運動があり農民美術の山本 鼎を輩出し自由教育の成功例と呼ばれた上田自由大学の
お膝元で、熱心な教師に子供を任せる内に夜食を提供したりする程度には
教育ママだったグラーシアの、信濃の女性の見識の面目躍如と胸をそびやかしての発言。
違う!そうじゃ無い!
そう言葉を飲んだクラウドは、信州女の誇りと胸を張るグラーシアと
一般庶民の婦人にまで軍事を叩き込んで徴兵でも課しているのかと"軍事大国シンシュウ"への
畏怖を募らせる王太子以下、キリアラナ人の誤解を解くのもきっと面倒で時間が掛かると
両者のすれ違いを見守るしか無かった。




