知らぬところで奉られる祝福の
「本当に一般家庭、庶民の食卓に上がるものばかりですけれど」
給仕が恭しく置くクローエというイカ擬き魔獣と里芋の煮っころがしの鉢、
コカトリスの出汁巻卵、ホウレン草に似た野菜のおひたし、オーガ肉のカツと
チキンならぬコカトリス南蛮、セイレンの照り焼きとクラーケンの蒲焼きに白米、
そして隣国から輸入した転生者創業がウリの味噌蔵の味噌で作った味噌汁。
「そしてノザーナですね」
器用に箸を操りマティスは茶碗を取ると、習ったのだろうか見苦しくない程度の
マナーを守りつつも豪快にそれ等を口に運ぶ。
「おかわりも、デザートもありますから遠慮しないで召し上がって」
「デザートというと、菓子ですか?」
期待に満ちた目を向けるマティスにグラーシアは、お茶を淹れながら頷いた。
「馬齢を重ねただけの婆が拵えたものですけれど」
その一言で、食卓の作り手が目の前の令嬢だと解ってしまう。
「…グラーシア様程のお方が厨房に立たれたのですか?」
調理など、いや、労働全般は貴婦人がすべき事では無いのだ、
貴婦人が厨房に足を向けるとしたら、女主人として客をもてなす為の晩餐等の
手配や使用人の監督位の用事しかない。
「はしたないと思われましょうけれど"転生者"としての知識を
こうして伝えねばなりませんから、ウチでは特別に様々な事を行えるようにと
お父様から配慮と手配と許しがありますの」
「それで」
NAISEIだ!異世界技術でガッポリだ!文化で成り上がりだー!と
考える向きもあるだろうが、それなりの地位にある貴族の子であれば
先ず真っ先に"転生者"と判明して、国に届けられ知識を召し上げられるだろうし、
厨房や工房で作業しようとしても慣例から貴族は労働などしては為らぬばかりに
周りから制止されるのがオチなのだ、
だからグラーシアの境遇は珍しいながらも、父 クリストフの理解と
母 グロリアーナの威光の僥倖が重なっての自儘とグラーシアは言う。
それでもマティスはグラーシアの振る舞いに不快を覚えなかった、寧ろその
働きぶりと謙遜に、何時か見た野良仕事をする農婦の如き逞しさに宿る美しさに
つい、目が惹かれてしまう。
「この国の貴族として、こういった事は眉を顰められる行いなのでしょうから
きっと相容れない考え方だとは思いますけれど、私が過ごした世界の
一生を送った国では労働は尊いものと考えられておりましたのよ」
急須を置いて、湯飲みをマティスへと差し出すグラーシア。
「血や家に因る尊貴もありましょう、それでも一人の人間として
己が価値を決めるのは本人の努力と精進にございますれば」
「努力と精進ですか」
精緻な白磁の湯飲みを手にしてマティスは、その独特の思想に耳を傾ける。
「"若い頃の苦労は買ってでもしろ"なんて言葉もございました、
経験とは例え何人であろうとも絶対に奪われない財産ですわ。
労働は善、そうして真面目に努め行いを正し生きることが
自らの心身人格や魂といったものの価値を高めると信じていたのです」
デザートにと、葛粉の代わりに乾燥スライム粉を用いた葛饅頭?が供され
異世界庶民風晩餐は恙無く終わる筈だった。
だが、遠い異世界の故郷を見るかのグラーシアの直ぐな眼差しと、
鈴を転がしたかの美声でもって働く事の精神的意義を語る凛とした口調に、
貴族として枠にはめられ生きてきたマティスの中で何かが芽吹いた。
「つまりグラーシア様は、人の価値は何を成すかで決まると申されるのですか」
「成す事もですが、成す為に行った努力と辛抱もです」
嫣然と笑むグラーシアの言葉は天啓だった。
土魔法に長けているとはいえ、それは魔導師や魔法使いの世界では二流の魔法と
光魔法、神聖魔法、火魔法、その脇を固める水魔法、風魔法、白魔法、
更には黒魔法より下に見られ軽んずる空気がある。
ファングル領の整備以降、こうした大々的な土木工事など無くて
その気風は益々顕著であった。
それがどうだ、労働は善だ、尊いのだと直ぐな言葉で語る令嬢はその知識と才覚で
一領を下賜され、未来の国母へと昇ろうとしている。
黒髪の女神手ずからの甘味は舌に優しい、そして示された精進と辛抱という言葉、
テーブルに広げられた数々の美食…これは正しく天啓なのだ。
「グラーシア様、お願いがございます」
程良く冷めた緑茶を一息に干したマティスは天啓と思い込んだ決意を口に。
後に魔道で知られたカールゴン一族から一人の冒険家兼大商人として
サーの称号を得た男の名が伝説となり、
物語となって長く庶民の口に膾炙する事となる。
伝説の男、サー マティス カールゴンはキリアラナ王国王妃の化粧領 シナノの
開発事業で資金を貯め、一艘の商船を手に入れると大海へと旅立つ。
目指すは未だ未発見の香辛料を始めとした美食と食材と冒険家を志し、
トウガラシ、ナツメグの発見、トウモロコシとパイン材の流通で財を成し
キリアラナ王家の宝物『アクィラの心臓』と呼ばれる宝石の
発見献上が記録にあるが、趣味でありライフワークである美食を求める旅の中で
初恋である女神に似た黒髪の美女と恋に落ちて冒険を共にしその後結婚したり、
国宝となる宝石を採掘する事になった資金稼ぎの採掘の仕事や
恋人を狙う悪徳城主の奸計から逃れて反撃したり、さる帝国の貴族のご落胤を
暗殺の魔手から保護してその家まで届けたり、
海賊の襲撃を魔法で薙ぎ払ったりとそちらのエピソードの方が有名だ。
そのサー マティス カールゴンの商標と紋章はカールゴン本家の
ワンドと薬草の葉とは全く違う、薬袋と羅針盤である。
薬袋は本家の薬草葉との関連かとしたり顔で言う者もいるが、本人は
旅立ちの日に天啓の女神、グラーシアが餞けにと直接手渡してくれた薬袋を
図案化したのだとはっきり口にしている。
そして黒髪の夫人との間に授かった最初の子供にその人の名を名付け、
彼女への尊敬を永く残したのだった。




