婚約破棄はなりましたが…
王宮の大ホールでの騒動を知らされ、当事者の親であるキリアラナ国王夫妻と
ファングル公爵が婚約破棄からの刃傷沙汰へと発展した現場へと駆け付けた。
床に転がる抜き身が側で失禁し床へと崩れ落ちたベオヘルグ王子の愛剣で、
更には左腕が焼け爛れ失神したグラーシアが兄のハミルに庇われ
回復魔法を施されている最中であった。
その凄惨な状況は何事と王が問い質せば、ベオヘルグ王子が一方的に
グラーシアに婚約破棄を迫り剣を抜いたという。
「これは何とした事だ!」
格式高い王宮での刃傷沙汰に主催者の王が怒りを滲ませた声を上げる横で、
柳眉を顰ませた王妃が翳した扇の内から怪我をしたファングル公爵家令嬢を急ぎ
休ませるようにと部屋を用意する事と、嫁入り前の淑女の肌に傷が残っては大変と
宮廷魔導師を差し向けハイポーションを届けるようにと手配し、
目の前で醜態を晒す息子を下がらせるように命じ、床の汚れを洗浄魔法で清めた。
王妃も流石に自身の息子のしでかした事の
文字通り尻拭いを臣下や側仕えの者にさせる訳にはいかぬと、
恥ずかしさを堪え切れずに早々に済ませたのだ。
その間にも王の下問に警備の騎士や魔導師が壁や柱の装飾のように配された
記録魔石を回収したり目撃者を集めたりと忙しく働く、
醜態を晒したままでは不味いと当事者なのに
騎士に引きずられて退場するベオヘルグと、
ハミルに抱かれ王妃の侍女の案内で用意された客間へ下がるグラーシア。
そうして落ち着いたホールで先程の様子を王の手元にて
記録魔石で再生すればベオヘルグの愚行が詳らかとなる。
突然の婚約破棄騒ぎから発展した刃傷沙汰を固唾を飲んで
見守っていた夜会の参加者達には、すっかり興が削がれたであろうと
眉間に皺を寄せる王の一方的な閉会の言葉と、王妃が詫び代わりと
メイド達に急ぎ用意させた守護の魔方陣を刺繍したリボンで束ねられた
ブーケを受け取らされて王宮を後にするよう促される。
「ベオヘルグはこの婚約が何の為かすら知らなんだのか…」
閑散とするホールで記録魔石の再生を見終えた王が呟けば
王妃はこめかみを押さえて緩く首を振る、
ここでは話も出来ぬとグラーシアの休む客間へ。
流石に王家の客間だけあり他国からの客人の長逗留を考えての設計故、
王宮の中に一軒の邸宅があるかの造り。
グラーシアの休む寝室の手前にある応接室に
王と王妃の下座にグラーシアの父クリストフと兄のハミル、
騒ぎを聞いて駆け付けた長兄のカルロが揃う。
「クリストフ、此度の事済まなく思う」
王が非公式な場ではあるがと謝罪を口にする。
「いえ」
悪いのは婚約者がありながら別の女に現を抜かし、手順を踏まずに
いきなり別れる等と一方的に棄てるような二股とも取れる不誠実な対応をした上、
ありもしない誹謗中傷でグラーシアを怒らせた挙句に刃傷沙汰で
傷まで負わせたベオヘルグ王子ではあるが、
王族である彼の振る舞いを面と向かって非難する言動は憚られると
王に対し何と答えて良いのやらと言葉を詰まらすクリストフに、
済まなかったと息子の愚行に頭を下げる王。
「王が私如き者に安々と頭を下げてはなりません」
王の謝罪に更に身を低くするクリストフに漸く王も頭を上げたのだった。
「…あの馬鹿息子が!あのように一方的にグラーシア嬢を
公衆の面前で貶め恥をかかせ、剣を抜き突き付けた挙句に腕を焼くとは」
王妃の嘆きに王も悔しげに言葉を継ぐ、
「グラーシアの器量を見誤っておった!
誇り高く恐れを知らず己が命より矜持を尊ぶあの血と魂の有り様、
あれこそが王に相応しい王家の欲する女であったとは。
臣籍降下する第三王子には惜しい…ベオヘルグとの婚約は当然破棄だが
やらかした事の大きさを考えれば
クリストフにグラーシアを王太子にくれなぞと図々しい事は言えぬではないか」
ソファーの肘掛けに拳を打ち付けながら悔しがる王にクリストフは、
婚約破棄騒ぎの責を問われる事は無いとは思っていたが
まさかここまで娘を買われるとまでは思ってはおらず対応に困る。
「至らぬ娘に過分のお言葉、生涯の誉れとグラーシアも報われましょう」
クリストフは娘がベオヘルグ王子に一方的に貶められ
婚約破棄を言い渡されただけで、その身に一片の非も無いのは解っているが、
仮にも一国の王子に対し挑発するかの言葉を投げ掛けたとあっては
不敬の謗りを免れまい。
そして婚約は結婚と同義である、破棄された娘は出戻りと変わらず
傷物と謗られ二度とまともな縁に巡り合う事は殆どと言って良いほど無い為、
領地に引き籠るか修道院入りして俗世と縁を切る者が大半だ。
だから娘もそのような道を辿るであろうとクリストフも覚悟を決めたのだが。
「許さぬ!何の非も無い令嬢の未来を息子の愚行で潰したとあっては
我は自らを子供可愛さに臣下の娘を蔑ろにし犠牲にして
恥を知らぬ愚王としてこれから先を生きてゆかねばならぬ、
何よりそのような愚かな王たれば臣と民は我と王家を見限るであろう」
王の大喝に侍立する騎士や侍女がビクリと震えた。
「ベオヘルグは王籍より名を削り王族より追放と致す!
然すれば婚約自体も無かったものとなろう、それで何処の馬の骨とも知れぬ
配偶者のいる男に手を出す淫らな娘と一緒になろうがどうしようが
ファングル公爵家にも王家にも関わり無い、
無論不敬だの醜聞だのと後ろ指は指させぬからな」
王の怒りは本物であった。
考え無しに公衆の面前でやらかしたベオヘルグは知らぬ所で、
尊貴の身分を剥奪され近日中には王宮を逐われる事となるのだった。