清濁併せ呑む気概と君臨と
「それでな、今日リヴィエールの子爵だった者が内宮入りしたぞ。
まぁその内、病を得て病没とはなるがな。
持って5年といったところであろうがリヴィエールはそれで溜飲も下がろうて」
姑殿がそう発すると、脇から一歩進み出てカーテシーし紹介された内宮女官がいた。
「彼女は?」
「この者はケミスト、彼女は王城全ての薬草園と薬剤に関して管理統括を任せている者だ。
次代のケミスト、其方に付けるつもりの者も此奴が仕込んでいる最中ぞ」
紹介された女官は髪をきっちりと括り、白いエナンと呼ばれる中世ヨーロッパの貴婦人が被る
三角帽子を被って髪を完全に覆っている。
此処を担当している女官の殆どが同じようなエナンで髪を隠しているが、
彼女だけ大振りな鍵をペンダントに仕立てて首から下げていた。
「当代のケミストを拝命しております、ザアタルど申します」
「初めましてハインリヒ殿下の妻となりましたグラーシアです。
それでザアタルさん、けみすととはどの様な御役ですの?」
「ケミストとは王妃様の申されました通り、王城全ての薬草園及び生薬薬剤の管理を任されております。
そしてこのエナンを被る者は魔法使いの血統の者の印にて、内宮女官の采配を司ります。
ケミストの男子はエナンでは無く白のトーク帽を被っておりまして、やはり内宮官の采配をしております」
「ケミストとは御役なのでしょうか、それとも家名なのでしょうか?」
「はい、我々ケミストは魔法使いの腹から出た勇者と聖女の血に連なる者に御座いますれば
家名とも言えますし、御役を示す役名ともいえまする。
世間に伝わる勇者の仲間の魔法使いは男子とされておりますが、男子でありながらも
女人の腹をも持ち合わせていたそうで勇者と聖女の子、初代キリアラナ王国国王の弟と番い
我等の始祖 ケミストを設け、王城と王都、そしてキリアラナ王国全域の護りを担う御役を頂戴しました」
ザアタルが滔々と語る昔語りは王家の成り立ちと共に生まれ、王城建設にも関わりを持ち
強大な魔法陣を敷き、医学と薬学に精通し、王妃を助け
王家と国家に仇なす罪人すら利用し得る魔力回収システムを維持している一族であり時に王族より
種を貰い受け、高貴な血を持つ罪人を取り入れてキリアラナ王家に次ぐ
勇者と聖女の血統を色濃く維持している家なのだけれど、一切表に出る事は無いのだそう。
ケミストの一族が何よりも尊ぶのは魔法使いの血。
その次に必要だからと取り入れた聖女の血、その2人の血統が色濃いからこそ
キリアラナ栽培と管理に関われるのだし、もう一つの御役目を務めるのに足る資格を有すと言う。
「もう一つ、重大な御役が嫁してこられた姫君が王妃となり得るかの裁定に御座います」
ひたと見つめる目、このケミストを名乗る夫人のお眼鏡に敵わなければ
王の子を産もうとも王妃にはなれないと告げられた。
「王妃の条件は、聖女と魔法使いに認められる事」
首に掛けていた鍵を握るザアタル、剃り落とした眉を上げてニッと笑った。
「お目出度う御座います。
只今ご覧頂きました『原罪のリンゴ』畑にて罪人の死体に取り乱す事も無く
猛毒の胞子にも耐えられました、第一の試練合格に御座いまする」
そしてザアタルは小さく頷き、壁側に侍立する同じエナンを被る侍女等に目配せをすれば
そこから3人、ススと進み出て一礼。
「グラーシア様にお仕えするケミストの候補に御座います」
「私のケミストですか、ではザアタルは」
「私は陛下のケミストに御座いますれば陛下のみにお仕えし、殉じるだけに御座いまする。
このザアタルの名も陛下より授かりましたものなれば」
目の前に並んだ3人は顔を上げ、口を揃えて言った。
「私共事はヒソップとお呼び下さりませ。
この3人の中から1人が正式に妃殿下にお仕えする時に名前を頂戴する事となりますれば」
「3人ともヒソップ、ですか」
「「「左様に御座いまする」」」
3人とも是と答えたので、ヒソップというのも役名か立場を示す階級かなにかなのだろうと思った。
「ではその様に、今からヒソップは妃殿下付きとなりますのでその様に」
ススと足音無く移動した3人、そしてその話は終わりとばかりにザアタルは茶器を取り上げ
新たな茶葉でお茶を淹れ直してカップを差し出す。
その茶葉には先程見た死体から収穫した『原罪のリンゴ』とよぶ赤い実を乾燥させて
砕いた物が薬茶としてブレンドされている。
それを察しながらも平然と口に運び、効能を問うグラーシアに目を細めるザアタルは再び口を開く。
「この国の王妃の第一の条件はキリアラナ花を咲かせられる、聖女と魔法使いに認められる事。
次に清濁併せ呑む器量がある事、これが罪人を利用し尽くし死骸さえ薬種の宿主にしても
それを受け入れられる胆力が今の試しに御座いまする。
少しでも怯えがありますとアレの胞子はあっという間に取り付き寄生します故」
「婚礼の際に其方の為に精霊共がキリアラナ花を咲かせ、車列に振り撒いておるのを皆は見ておる。
だからこそキリアラナ花の開花については心配してはおらん、聖女の許しを得たと。
そして今日の罪人の扱いを見せた、それから最後に一つ」
姑殿がザアタルに目配せ、ザアタルも承ったと鍵を握り魔力を巡らせた。
「其方は小箱を開けた時、どの様な毒を盛る」
宝石を散りばめた両の掌に乗る程度の小箱、チィンと留め具を外し蓋を上げれば
蓋には何の飾りも無い騎士が普通に所持する程度の短剣一振り、
本体側に銅製の小振りなゴブレットが納められている横に縦長の指2本分くらいの薬瓶がある。
「これが暗君を弑し国政を正した"女王の剣"、そして王妃の名の下に裁きを下す毒杯よ。
歴代の王妃は此処に各々の考え得る相応しい毒を注いできた、私は眠る様静かに逝く毒を注いだ。
よく考えよ、キリアラナに害を齎した不忠者を、王を歪ませる佞臣を、政道から外れた王族を。
そして国にとって重荷となる自身を裁く毒を」
王妃としての覚悟を問う。
停戦と和平の印としてマムクールから嫁いで来たサフィール ムハンマド アルマムクール改め
サフィール キリアラナという女の越し方。
敵国へ嫁し、両国の和平を担ってきたという自負と、この国の王妃となってキリアラナ花に触れ
キリアラナに殉じる運命を受け入れざるを得なかったが故に
二度と祖国に戻る事もキリアラナから出る事も許されず生きてきた婦人の問い。
王族として王妃として民を導く立場が故に甘えを許さず、赦せずに実の子にすら
容赦を見せる事の出来なかった彼女の顔には諦念と矜持とも取れる静謐。
「では、私は静かに眠ったまま逝く毒を。
私はその様にしか死んだ事が御座いませぬ、眠ったまま体を弄られての延命は望むところではありませぬ」
グラーシアの返答に小箱に納められた薬瓶が鈍い光を放つ。
そして段々と強く発光し部屋中に光が満ち、やがて光が引いて収束する。
「お目出度う御座います、魔法使いにも認められまして新たな毒の生成が済みまして御座いまする」
にっこり微笑むザアタルが深々と一礼すると壁側に侍立するケミスト一族の内宮女官一同も
揃って深々と頭を下げ、次代の王妃の誕生を寿いだ。
「今暫くアンドレアスと私の治世が続くであろうが、ハインリヒの代も安泰だろうて」
満足そうに小箱を仕舞うよう命じた姑殿は、既にリヴィエール子爵の事なぞ気にする風も無く
為政者特有の非情を備えねば宝冠の重さに潰されるぞとばかりに念を押す様に頷き、
側近となるケミストの候補を置いて先に王妃宮へ戻ると立ち上がった。




