婚約は刃傷沙汰で
「グラーシア、婚約は無かった事にしてくれ」
苦渋の決断を下す美青年、まるでお芝居の一場面のようですわねぇ〜
手にした扇の内で呆れの溜息を一つつく。
「突然公衆の面前でそのような仰りよう、
王子は私に恥をかかせるおつもりなのでしょうか?」
目の前の金の巻き毛に青い目の美青年さんは私の婚約者のキリアラナ王国王家の
三男 ベオヘルク王子、彼との婚約のお話は王家より是非にとのお話だったはず。
父に連れられて上がった王宮でベオヘルク王子のご尊顔を拝した時に、
昔観たハリウッド映画の子役みたいな男の子と思ったのは
今の家に令嬢として生を受ける前の人生を覚えていた影響かしら。
長生きして人類が月へ行ったり蒲鉾板みたいな電話機で相手の顔を見ながら
お喋り出来る事に驚いたりもしたけれど、
輪廻転生が本当だったりとかグリム童話みたいな世界のお家の
お姫様になったりしたのも驚いたわ。
人間何でも経験してみるものねえ…
そちらから持ち出した縁談を一方的に反故にしろだなんて私と我が家を馬鹿にしてるのかしら?
そもそも何故私が王家の三男と婚約したかなんて、軍部に強い影響力を持つ父を国に繋ぎ止める為の政略結婚だと聞いているわ。
長男は王太子だから他国の王家の姫を娶られる予定だし
次男は妾腹の庶子なので伯爵家に婿入りの予定、
長女は他国の王太子妃として嫁ぐ日まで務めを果たせるだけの
政治や教養を学んでいる最中。
まだ予定なのは次代を設けるのが義務だから子を成す力があると
確認が取れるまで仮としているから、二次性徴の証を見て
子を産む能力があると確かめた上で結婚となる。
その点ウチは私の上に兄が三人いて後継ぎには困っていないのは王家と一緒。
それに王家も三男は所詮後継ぎのスペアのスペア、これから結婚に備えて
臣籍降下させて一家を立てさせる予定だけど
昔のお武家様の家で言うところの部屋住みと変わらない扱いだから
後継ぎが出来ずに絶家になっても困らない。
そういった理由で早々に結ばれた縁でしたけれどねぇ…
「聞いているのか!?」
「聞いておりますが王子、婚約破棄の話なぞ初耳でしたので
何か行き違いがあったのではと愚考仕りますわ」
だってウチで父から何にも聞いていない、
王家主催の夜会にエスコート役のベオヘルク王子の迎えも無く
仕方無く次兄のハミル兄様に付き添われ王宮に上がったのだけれど。
「行き違いなんかじゃない!
僕はグラーシア ファングルとの婚約を破棄し
このエレミア ダフラシア男爵令嬢と結婚する」
「王子の仰る事は分かりましたがそのお話を耳にするのは初めてでしたので、
当家に何の通達も無く然様な仕打ちとは私は兎も角ファングル家、
"ファングルの獅子"と呼ばれる我が父を侮られましたかと受け止めますわ」
「煩い!元は貴様の父も男爵だっただろう、
何かと言えば"ファングルの獅子"の二つ名を振りかざしての横暴三昧な
グラーシアを妻になんて絶対に嫌だ!それより心優しいエレミアと結婚する」
あぁ、王子の腕にぶら下がってるあの娘がエレミアさん…つまり私は
王子に二股かけられて捨てられるのね、
隣に立つハミル兄様が私と王子の間に割り込みますけれど。
「兄様、これは私の問題にございます」
手にした扇を閉じてハミル兄様に下がって貰います。
「横暴三昧とは如何に王子のお言葉とは申しましても
心当たりの無い事と否定いたしますわ」
「白々しい、僕との婚約は貴様の母親で我が叔母の降嫁した
グロリアーナ公爵夫人の死に伴って王家との繋がりを欲して
無理矢理成されたものであろうが!」
「何を仰られますの?」
言い出してきたのはそちらじゃないのかと王子の言い分に、
頭の血が昇って急激に下がります。
亡くなった母親を、大事な母を損得ずくで語られ
この場で怒鳴らなかっただけでも耐えたと思いますの。
「高々男爵の庶子がドラゴンを倒したと、
王妹を娶った成り上がりの家の娘風情が僕との婚約を嵩にきて
エレミアに嫌がらせをしたのだろうが」
鼻の穴を膨らませて有りもしない罪科で私との婚約を破棄すると喚く
無知で愚かな王子に私も遠慮を捨てる事に。
いくら王家に忠誠を誓う公爵家の娘とはいえ
ここまで公衆の面前で虚仮にされてニコニコ耐えてる阿呆と思われては
父や兄達も迷惑致しましょう、それに王子に侍る側近やら側仕えは
王子に教育とか情報収集の大切さを教えなかったのかしら?
「何を根拠に…私がそちらのダフラシア令嬢に嫌がらせをしたと?
それに王子との婚約は王家よりのお話でしたのでお
断り出来なかっただけで私どもはこの婚姻を全く望んでなどおりません」
閉じた扇を左の掌に叩きつけパンと音を立てて己が気持ちを鼓舞する。
「何だと!」
「そもそもそちら様からのお話でお否み申し上げるのも不敬かと
仕方無く結びました婚約でしたのに…まさか言い出した王子様が結婚も前に二股、
私を妻とは名ばかりのお飾りに据えるつもりの婚約でしたとは
本当に人を馬鹿にしていらっしゃる」
不敬と言うなら言えばよろしい、それ以前に当家を軽んずる振る舞いの代償を
身を以て思い知らせてやりましょうか。
「煩い煩い煩い!兎に角貴様との縁は無かったものとする!」
「こちらこそ婚約者がいながら二股かけて相手をポイ捨てする
不実な尻軽王子なんか願い下げですので喜んで破棄に応じますわ」
実際私の言葉通りこの振る舞いで王子の評価は下がったでしょう、
後は父や兄がキッチリ慰謝料巻き上げてそれなりの報復に動くでしょうから
私の出番はこれまでと退場致しましょう。
「待て」
ハミル兄様を促して帰ろうと王子に背を向け出口へと足を進めようとした
私の首にヒンヤリとした感触、
今度は脅しですか…何ともまぁ。
「恥ずかしいお人ですわね」
こんな所で剣を抜いたのですかと扇でその無粋な物を払い除けて振り返る、
癇癪を起こした坊やに怯えて公爵家令嬢が務まると?
ハリウッド俳優さんみたいと思った印象も、日夜乱痴気騒ぎを起こし
麻薬だ乱交だとかパパラッチやマスコミとの下らない諍い事で
ゴシップ記事を量産する方の偽レブかと疑いますわ、
まだその偽レブさんの方が気合いが入ってたわね。
王子なんて剣一本じゃない?
どうせ暴れるのなら泥酔してキャデラックで暴走しながら
銃乱射とかパパラッチを一方的にタコ殴り血祭り位してからいらっしゃいよ。
「謝れ!思い上がった物言いを反省せよ」
「剣を抜いて脅しにございますか、王族ともあろうお方が恥ずかしい」
所詮威嚇か脅しと扇でいなし、下がろうとしたのですけれどねぇ。
攻撃魔法の剣に炎を纏わせた《灼熱の剣》
赤く焼けた刀身を見て昔読んだ時代小説を思い出しますわ、
鉄火者と呼ばれた男達が意地を競うのに鉄火の勝負とかいう湯起請なのか
ヤクザの度胸試しなのか判断に迷いそうなそれかしらと、
赤々と焼けた刀身を見つめながらそんな事を思ってましたわ。
「臆したか」
優位に立てたと確信した王子の思い上がった声が癇に障わりますわ。
「東方の秋津島、瑞穂の国に伝わる古い古い神問いの焼けた鉄を握って
真偽を神に問うクガタチなるものを気取るおつもりなのかしら?」
口許が釣り上がる。
私を慈しんで下された父の血が、ドラゴンと魔物の迫る大災害を一身を以って
防がんと立つ英雄の血が、我が身に宿るその誇りと栄誉が謂れなき中傷と
脅しに臆してなるものかと扇を持ち替えた手が燃える刀身へと伸びる。
「焼けた剣一本で私を脅せるとでも?憚りながらこの私、痩せても枯れても
"ファングルの獅子"の血を引く娘にございますればこのグラーシア ファングル。
謂れなき罪を被る事を良しとせず脅しに屈する訳にはゆきませぬ」
魔法適正があってそれなりの力をお持ちでしょうが覚悟の無い坊やに
戦中戦後を生き抜き百年近く生き抜いた私が負けるとでも?
そんな事は私の誇りが許さないと眼前に突きつけられた焼けた刀身を握り締めた。
「グラーシア!?」
「止めるんだ!」
夜会の会場に悲鳴と怒号が響く、
けれど私の意地と矜持が今着せられた濡れ衣を許せそうに無かったのよねぇ。
「謂れなき嫌がらせの言いがかりやら悪評と父への暴言は
死んだって認める訳には参りませんわ、それにこうして御誂え向きに
鉄火の勝負の焼けた鉄がありましたのなら腕の一本位くれてやりましてよ」
焼け付く痛み。
汗を流すのは労働者階級の者だけで貴婦人はただ暑さを感じるのみと
教育されておりましたけれど額に浮かぶ脂汗、
肘上までの絹の手袋が焼けて黒くなりボロボロと落ち白かった手から
ジュワジュワと厭な音がして見る間に肉が炭化してゆくけれど、
剣から手を離せないのは鉄肌に肉が焼き付いて剥がれないのと
王子がヒィヒィ言いながら腰を抜かして失禁している所為。
「単なる貴族の令嬢ならば剣一本の脅しに震えて
王子の言いなりになったでしょう、でもこの身に流れる獅子の血を引く誇りが
謂れなき罪を許さず、魂が侮られる事を良しとは致しません!」
叫ぶように冤罪を訴えれば何時の間にか駆け付けた魔導師達の詠唱で
鉄火の剣が冷やされ、張り付いた鉄から焼け爛れた手が剥がされ
即座にヒールをかけられていた。
そしてその一連の流れを認識する前に、
私はハミル兄様の腕の中に倒れ意識を失っていた。