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想い涙  作者: 水瀬 一希
5/9

捜索

重い瞼を押し上げ、力尽きてまたすぐに閉じる。

あと五分。

いつもより天井が高く感じられた気がしたけれど、押し寄せてきた眠気に勝てずに寝返りを打つ。

ごとりと鈍い音がして、頭を抑えた。

「痛い、痛い」

ベッドから落ちたのかと体を起こせば、元から床の上で寝ていた。

体の下には簡易敷き布団が敷かれていて、少し離れたところに、払いのけられた薄手の掛け布団が丸まっていた。

この部屋にベッドは一つしかなく、友達を部屋に泊めると一人が床で寝るしかなかった。

昨日は誰を泊めたんだっけ。

ベッドの端に手をついて、眠り続けている人物を覗き込む。

「え……誰?」

とても大学生には見えない、幼い顔立ちの少女はようやく眠りを妨げられたようで、目を擦り始めた。

「……誰?」

少女自身も、わたしをその瞳に映すと同じ問いを返した。

もう一度、昨日の行動を思い返す。

昨日は准のいそうな場所を探して、見つからなくて、公園に行き着いて。

月明かりに照らされ、池の中をゆっくりと進んでいた少女がいた。

「ああ!」

二人して、ほとんど同時に声をあげた。

こんな状態の自分を親に見せて心配させたくないからと、漫画喫茶で夜を明かそうとしていた少女を引き留めて泊めたのだった。

「寝ぼけすぎたね」

「ですね」

気を取り直して、冷蔵庫から食パンを取り出す。

「柚穂ちゃん、でいいんだよね。朝食はパンでもいい?ごはん派?」

「パン派です。でも、さすがにそこまでしてもらうのは悪いです」

「いいのいいの、むしろわたし一人だけで食べるのは嫌だし」

袋から食パン二枚を取り出し、トースターに入れる。

パンを焼いている間にケトルにお湯を注いで、粉末スープをマグカップの中に開ける。

「あの、せめて何か手伝わせてください」

「手伝うって、もうほとんどやることないよ。むしろ簡単なものでごめんね」

柚穂の両肩を押さえつけて、むりやり座らせる。

「いいから待ってて」

手持ちぶさたになった柚穂は、スクールバックからクリアファイルを取り出して、何かのプリントを読んでいた。

「宿題?」

「違います、時間割です」

差し出されたそれをよく見れば、区切られたマス目の中に教科名が書かれていた。

「学校には行けそう?」

「一応行くつもりです。もしかしたら、誰かが覚えているかもしれないので」

「そうだね……」

沈黙を破るようにトースターの停止音が鳴る。

トーストを皿に乗せて戻ってくると、柚穂はファイルを携帯に持ち替えていた。

「これ食べたら帰らせてもらいますね。いったんうちに帰らないと、教科書がないので」

「わかった」

持ち上げたトーストの半分にマーガリンを、もう半分に苺ジャムを塗り、半分に折って齧りつく。

柚穂はトーストにマーガリンだけを塗って口に運んだ。

「わたしは自主休講しようかな」

「自主休講?」

「サボりってこと」

「行く気になれないですよね」

「うん。それに、わたしと准は大学が違うから、手がかりもありそうにないし」

トーストの最後の一口を、水で流し込む。

「今日は准の実家に行ってみる。家自体がない可能性もあるけど、何もしないでいるよりは良いし」

「会えると良いですね」

「うん。あ、五時までには戻って来れるから安心して」

柚穂はきょとんとして、手を止めた。

「何か用事があるんですか?」

「あれ、その時間までに帰って来ないといけなかったような気がして……なんだっけ?」

いくら考えてみてもその時間帯にある用事なんて記憶になかったし、手帳を見ても、何も書かれていなかった。

「まだ寝ぼけてたみたい」




青々とした稲が、風に吹かれて葉先をたなびかせる。

そのわきで、溢れんばかりに用水路を流れる水に足を浸し、子供たちが騒いでいた。

懐かしい光景に目を細めながら、田畑に囲まれた一軒家の前で足を止める。

蔦が縦横無尽に這う塀の中から表札を探し出して、文字を確認する。

准の家であることに間違いはなさそうだった。

未だにインターホンを鳴らす習慣が根付いていないこの地域の風習に則って、引き戸を開ける。

「こんにちはー」

「はーい」

返ってきたのは、息子と違って愛想の良い、准のお母さんの声だった。

首にかけたタオルで濡れた手を拭いながら、暖簾の奥から顔を出す。

「未花ちゃん?」

「はい、お久しぶりです」

「あらまあ、すっかり都会に染まっちゃって」

「こっちにいた頃はメイクなんてしてませんでしたからね」

世間話をしているうちに、お母さんは玄関に腰掛けて長話をする体勢に入ろうとしていた。

こんな話をするためにここに来たわけではない。

「あの、准のことで話があって来たんですけど」

「准?」

「実は最近連絡が取れなくて、何か知ってたら教えてくれませんか?」

お母さんは首を傾げた。

「ごめんなさい、准くんってどこの子かしら」

足下がぐらりと揺らいで、倒れるように玄関の縁に腰を掛ける。

「……覚えてないんですか」

「ごめんなさいね」

間近で見たお母さんの瞳は、一瞬考えるようにさまよったあと、まっすぐにわたしを見つめ返した。

「いえ、わたしこそ突然すみません」

母親ですら、准のことを覚えていない。

その事実に絶望的な気持ちになると同時に、なぜ准のお母さんはわたしのことを知っているのかという疑問が浮かぶ。

「ただいまー。誰か来てんの?」

沈黙を裂くように、制服姿の准の弟が帰宅した。

客人がいるとわかっているのに、母親に向かって部活用のボストンバックを投げつける。

「よろしく」

「秀!洗濯機に自分で入れなさいって言ってるでしょう!」

母親は文句を言いつつも、受け止めたボストンバックを隣に置いた。

「あれ、敦の姉ちゃんじゃん。今帰省してんの?」

秀の口からこぼれたのは、わたし自身の弟の名前だった。

そういうこと、だったのか。

学区が近いから仕方のないことなのだが、同い年の弟たちは同じ高校に進学した上に同じ部活に所属し、姉と兄の知らないところで親友と呼べるほど仲良くなっていた。

二人にとって今のわたしは、准の彼女ではなく、秀の友達の姉だった。

「おじゃましました」

「未花ちゃん?」

「もう帰んの?東京の話聞かせてよー」

呆然とする二人に背を向け、家の前の道路に飛び出す。

目の前を走行する軽トラックを追うように道を駆け抜ける。

初めて准の家族に会うことになった日と同じ、青い木々の匂いがして、熱いものが頬を伝った。




揺れる景色の中に、見慣れたビル街が現れた。

剥き出しのままの卒業アルバムを抱きしめる。

これが、最後の希望だった。

准の実家に立ち寄ったあと、自分の実家にも顔を出して卒業アルバムを持ち帰った。

実家でも、新幹線に乗っている間でも、電車に揺られている今でも、いくらでも見る時間はあったが、開く勇気がどうしても出せなかった。

そこに准がいなかったら、どうしたらいいのかわからなかった。

「すみません」

ふいに声をかけられて、隣に座る男へ振り向く。

「次の駅ってどこですか?うっかり寝てしまって」

それなら車内アナウンスを聞き逃したとしても、電光掲示板を見れば済む話だ。

電車に乗り慣れていないのか新手のナンパかと考えつつも、次の駅名を告げる。

「よかった、乗り過ごしてはいませんでした。ありがとうございます」

男は立ち上がってドアの近くに移動した。

その手には、白いステッキが握られている。

どうりで、と納得して、昨日のできごとを思い出す。

柚穂の衝撃が強すぎてすぐに思い当たらなかったが、男は愛里と一緒にいた人物だった。

「あの」

同じようにドアの近くに移動する。

「昨日、公園にいましたよね?」

「ああ、あのときの」

男はふわりとほほえんだ。

「今さらですけど、昨日のことはここだけの話にしてくれませんか。愛里ちゃんは隠さなくて良いって言ってくれるんですけど、ぼくみたいな男と仲が良いって、愛里ちゃんにとってプラスにはならないと思うんです」

「そんなことはないです。逆に、ファンの一人としては、こんな優しそうな人と付き合ってることに好感を持てました」

「お世辞が上手ですね。ありがとうございます」

笑みを深くした男につられて、頬がゆるむ。

人柄が顔ににじみ出ているような人だった。

「そういえば、あの公園にいたってことはご近所の方なんですか?」

「はい。わたしは公園前の坂を下ったあたりに住んでます」

「あそこですか。駅が近くていいですよね」

「そうなんですよ。駅前のお店で何でも揃いますし」

「ぼくらは住宅街の方に住んでいるので、駅まで来るのが大変で」

「そ、そうですよね」

ぼくら、という単語を聞き流すべきか悩んで曖昧な返事をすると、男ははっと口元を押さえた。

「言わないので、大丈夫ですよ」

男は小さくため息をついて、頭を下げた。

「ぼくって、いつもこうなんですよね。愛里ちゃんの足を引っ張っちゃうんです」

「きっと、そうゆう正直な人柄が、愛里……さんは好きなんじゃないかと思いますよ」

「そうですかねえ」

「そうですよ、きっと」

タイミングを見計らったようにドアが開いて、男に続いて降車する。

「これからそのまま帰ります?どこかに寄る予定はありますか?」

多少おぼつかない足取りでホームからの階段を下りる男の背に問いかける。

「そのまま帰ります」

「わたしも帰るので、途中まで一緒に帰りましょう」

「そうですね」

改札を抜けて同じ方向に曲がろうとした瞬間、肩に衝撃を感じる。

「すみません!」

軽く当たっただけだというのに、ぶつかった相手の体格が災いしてよろける。

がっしりとした肩は、何らかのスポーツ経験者であることを思わせた。

人の良さそうな目尻の下がった細い目と、すぐに謝罪をしてくれたという事実がなければ、下手に関わり合いになる前に逃げ出したくなる相手だ。

「いえ、こちらこそよそ見していてすみません」

「俺が悪いんです。人を捜していてよそ見をしていて」

ぶつかった男は小さくお辞儀をして、また辺りを見渡していた。

「どうかしましたか?」

「人とぶつかっただけです。行きましょうか」

男の手を引いて、人並みをかき分けながらロータリーに向かって進む。

さすがに駅前だからなのか、サングラスに帽子を被った愛里がバスを待つためのベンチに座っていた。

「瑞人!」

愛里はわたしの顔を見た瞬間、サングラス越しにもわかるぐらいに表情を険しくして、立ち上がった。

わたしを行き過ぎたファンだと思ったのか、走り寄ると同時に男の腕を掴み、足早に離れていく。

「愛里ちゃん!勘違いだよ、あの人はここまでぼくを送ってくれたんだ」

速度に着いていけず、男はよろけながら弁解をするが、愛里が止まる気配はない。

諦めたらしく、男は首だけ後ろへと回した。

「僕、瑞人って言います!また、機会があったらお会いしましょう」

手を振り返そうとしたが、それでは男にはわからないことに気づいて声を張る。

「はい、また!」

横道に入った二人はあっという間に姿が見えなくなり、濃い数分間の疲れを感じながら歩き出す。

山の向こうは茜色のグラデーションに染まっていた。

夕方には間に合ったと、息をつく。

間に合った?

何に間に合ったのか。

今朝と同様に何か用事でもあったかと考えるが、思い当たることはなかった。

駅を振り返ると、まだ誰かを捜している男が見えた。

目が合った途端、貧血のときのように地面が揺らぐ。

中学校の全校集会以来だと思いつつ、倒れる前にその場にしゃがむ。

心配されているのか視線を感じるが、しばらく何もできずに、蹲るしかなかった。

「大丈夫?」

スーパーの袋を提げたおばさんに背中をさすられながら、ゆっくりと体を起こす。

「大丈夫です。少しめまいがしただけなので」

数秒後、やっと頭の中がすっきりして立ち上がれば、違和感を覚えた。

ロータリーを走るバスや送迎の車の喧噪に紛れて、耳の奥で、小さく、杖がアスファルト打つ音が聞こえる。

背筋が冷たくなり、ずり落ちそうになっていたアルバムを抱え直す。

「ありがとうございました」

おばさんに頭を下げて、重い体を引きずるように歩き出す。

何かから逃げるように、自然と歩みは早くなっていた。

いつもよりずっと短い所用時間でアパートに着くと、部屋の前に立ち尽くしている影があった。

「ずっとここで待ってたの?」

晴れ上がった目、固く結ばれた唇。

きっと、同じ結果だったのだ。

柚穂の脇に手を入れて、立ち上がらせる。

「とりあえず中に入ろう」

部屋に入って電気を点ける。

シンクの中では、トーストを乗せていた皿が蛇口からこぼれ落ちる水滴を受け止めていた。

柚穂をベッドの上に座らせて、テレビを点けてからその隣に並んだ。

二人分の重みに耐えかねたように、安い造りのベッドが軋む。

「連絡くれればよかったのに、連絡先は教えたよね?」

静かに問いかければ、柚穂はスクールバックの中を漁りだした。

取り出したのは、真っ二つに割られた折りたたみ式携帯の片割れ。

「そっか」

震えだした柚穂に手を伸ばし、その頭を肩に抱き寄せる。

「……おかしくなったのは、わたしたちの方、なのかな?」

テーブルの上に投げ出した卒業アルバムに視線を預けたまま、首を振る。

きっとあそこに准の姿はないが、准は確かに存在していた。

「一人だけならまだしも、同じ状況に陥っている人が二人もいるんだから。そんな偶然、ないでしょ?」

「じゃあ、宇宙人に洗脳されたって言うんですか!?ここは映画の中ですか!?」

やけくそになったらしく、柚穂はテレビを流れる洋画のCMを見て投げやりに言い放った。

「そこまではいかないかもしれないけど」

あながち、否定できない。

「宇宙人じゃなくても、ほら、変なウィルスに感染したとか、記憶を操作されているとか……」

何を口にしても、柚穂は聞く耳持たなかった。

「やっぱり、わたしたちの方がおかしくなっちゃったんですよ」


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