恋はじめじめ
「八木内さんってじめじめしてるよね」
体育館裏に呼び出された私は、いきなりそんな失礼なことを、マニアで有名な華美原くんから言われた。
まさかこれが恋の告白のことばだなんて、最初はとても思えなかった。
「俺、陰湿な感じの女の子が好きなんだ。付き合ってください!」
やっぱコイツ、マニアだ。
色んなもののマニアとして有名だもんな。
じめじめ女子マニアでもあったか──と思いながら、私は他をオススメしてみた。
「そ、それだったら蕪田さんのほうがいいと思いますよ……。あのひと、サダコみたいじゃないですか?」
「あぁ、あの子は偽物だよ。メガネを取って、鬱陶しい前髪を退けたら、じつはキラキラした美少女なんだ」
美少女じゃない方が好きなのか……変わってるな。
まぁ、私も相当変わってる自覚があるから、類が友を呼んでしまったのだろう。
うーんと考えてから、これを逃したら一生恋人なんてできないだろうという予感に、私はコックリとうなずいた。
「では……、お試しで」
華美原尚人くんは、結構女子から人気があったはずだ。人気トップには程遠いけど、学年で19番目ぐらいにはモテ男だと思う。
そんな彼が、なんで私に──などとは思わなかった。オシャレに見える髪型は真上から見るとドクロのマークになってるし、趣味は黒魔術らしい。家で飼ってるペットはGのつく虫だと噂されている。
見た目はよくて、笑顔が爽やかでも、そんなマニアに似合うのは私みたいなお化けっぽい女の子だろうなと普通に思えたのだ。
「待った? 八木内さん!」
「い……、今来たとこ」
ほんとうに今来たとこだった。
お互いにほぼ時間ぴったりだ。
初めてのデートは普通に遊園地だった。
もっとじめじめしたところに連れて行かれると思ってたのに──普通すぎて、かえって警戒した。
「知ってる? 今の時期、この遊園地って、あっちこっちに素晴らしいカビが生えるんだ」
やっぱりそうだった。
華美原くんは、アトラクションそっちのけで園内の隅っこに私を案内して回った。
園内でも一番古そうな、誰かの別荘みたいなところへ二人で忍び込んだ。
そこは一日じゅう日が当たらないみたいな場所で、じめじめと苔が生した土の上に、カビを纏ったようなキノコがいっぱい生えていた。
華美原くんがそこにある色んなものの名前を教えてくれたけど、覚えてるのはムカデがじつはゴキブリとかを食べてくれる益虫だってことぐらいだ。
華美原くんが夢中になるものに、私はことごとく興味がなかった。
それでも一緒にいると、楽しかった。
私もアトラクションには興味がない。
陽キャのひとたちみたいに騒ぐのは苦手なのだ。
「お腹空いた? 何か食べに行こうよ」
レストランで、示し合わせたわけでもないのに、二人ともカレーを頼んだ。カレーに付いて来るなめこ汁に二人とも激しく心を引かれたのだった。
私たち、結構気が合うかもしれないと思った。
お化け屋敷に入るかなと思ってたら、入らなかった。
お化けみたいな私が側にいるから必要ないのだろうか。
結局、乗ったのは観覧車だけだった。
広々とした高原の見渡せるゴンドラの中で、華美原くんは私をじっと見つめて、言った。
「下の名前で呼んでもいい?」
私は油っこい前髪で赤い顔を隠し、うなずいた。
「焼子ちゃん。……へへ、恥ずかしいな。俺のこともナオトって呼んでよ」
恥ずかしい──
恥ずかしいけど、勇気を出して口にした。
「な……、なななななな……」
最初の1音だけ言って、あとはカタカタと歯が鳴った。
「ふふ……。かわいい」
かわいいって言ってくれた!
「呪いの市松人形みたいにかわいいよ」
嬉しい! 市松人形みたいだって言われたことはたくさんあるけど、市松人形をかわいくしてくれて、嬉しかった!
それから何度もデートを重ねて、私は彼のことを本気で好きになっていった。
恋すると乙女って、変わるものだ。
私は鬱陶しかった髪の毛をさっぱりショートにし、一週間に一度だったお風呂を毎日入るようになった。
リップクリームなんか塗ってみた。
ネットで勉強して、流行りのティーンズ・ファッションにも挑戦してみた。
彼……、もっと私のこと好きになってくれるかな。
四回目のデートは図書館だ。
やっぱり私たちには静かな場所が似合う。
一緒に図鑑を見ながらきのこの話をしようって約束していた。
待ち合わせ場所に姿を現した私を見て、華美原くんが驚いたような顔をした。
「へへ……。似合うかな」
顔を隠すのに便利だった前髪は、もう、ない。
私は挙動不審な手つきで顔を見せたり隠したりしながら、かわいいTシャツとベージュのロングスカートも見せつけた。
彼が爽やかに笑った。
「うん……、似合うよ」
そしてすぐに背中を向けた。
それきりだった──
その、あまり楽しくならなかったデートを最後に、彼は私を誘ってくれなくなった。
学校で彼を見かけるたび、私は物陰から念を送った。声をかけるなんてとてもできないから、『振り向いて!』『デートに誘って!』と念を送った。
でも彼は気づいてくれる素振りもなく、どこかにカビが生えてないか探すように、私じゃないところばっかり見ていた。
元の髪型みたいなウィッグをつけた。
彼はこのヘルメットみたいな髪型がお気に入りだったのだ、きっと。
でも彼がこっちを見てくれることはなく、やがて隣のクラスの蕪田さんに近づいて、仲良くなったようだった。サダコみたいな髪型をした、メガネをはずしたら美少女だという、あの蕪田さんだ。
美少女は好きじゃないんじゃ……なかったの?
思えば彼が気に入ってくれるわけがなかった、私のイメージチェンジを……
彼はマニアなのだ。鬱陶しい市松人形みたいな私のことが好きだったのだ。
普通になんて、なろうとするんじゃなかった。
マニアックなままでいればよかった。私は、私らしく。
そうすれば、彼との楽しい日々が続いていたかもしれなかったのに……。
鏡の中に、色んな体液でびしょびしょな自分の顔を見た。
この顔なら──この顔を見せれば、また振り向いてくれるかも……
一瞬そう思ったけど、恋するひとにこんな顔、見せたくはなかった。
意を、決した。
はっきりさせたかった。
私は学校帰りに待ち伏せた。
「あっ……」
彼の帰り道の途中、柳の木の下に立つ私を見て、華美原くんが小さく声をあげた。
そしてそのまま急いで通り過ぎようとする。
「待って!」
その背中に声をかけると、立ち止まってくれた、怯えるように。
幽霊を見るように振り返る彼の、胸に思いっきり飛び込んで、その胸ぐらを掴んで、私は喚いた。
「なんで避けるの!? なんで避けるんだよ!? 私のこと激しくじめじめにさせて遊んでんのか!?」
恐ろしいものを見るような目で見られたけど、私は止まらなかった。本物の呪いの市松人形になってやるわ!
「ねぇ!? なんで避けるんだよ!? 私のこと、かわいいって言ってくれたんじゃなかったのか!? 呪うぞ!?」
「だって……」
彼の声がようやく聞けた。
「だって……、八木内さん……」
焼子ちゃんって、呼んでくれなかった!
私は逆上した。
「しょーこちゃんだろーがよ! しょーこちゃんって呼べよ! ア‼⁉ ナオトくんよォ!!」
言葉と口調に反して、涙が止まらなくなった。
血走った眼球から涙を迸らせて、私は泣き叫んだ。
「私……! ナオトくんのことが好きなのォッ!! 好きだから、あんなにお洒落したのに……ッ!!」
彼の表情が、変わった。
とても美しいカビを見つけたように、驚きと、嬉しそうな笑顔が、そこに現れた。
「……嫌われたんじゃなかったんだね!」
「えっ……?」
「焼子ちゃん……、急に俺に嫌われるような姿に変身しちゃったから……、てっきり嫌われたんだと……」
「な……んで……私がナオトくんのこと、嫌うのっ……?」
「カビとかきのこの話ばっかりするから……。いい加減にしないとなって、思ってはいたんだけど……」
「してよ! 私、カビとかきのこの話をするナオトくんの──楽しそうな顔を見るのが好きだったんだからっ!」
「焼子ちゃん!」
「ナオトくんっ!」
初めてのキスは、ハナミズの味がした。
彼はその後、高校を卒業し、大学院を経て、カビときのこの学者となった。私は彼の奥さんだ。
幸福な日々を送るうち、私は周りから「綺麗」と言われるようになってしまったけど、それでも尚人は愛してくれる。見慣れたのだろう。
産まれた双子に彼がカビにちなんだ名前をつけようとしたけど、さすがにそれは私が止めた。長女の名前が『しめじ』、弟の名前は『マッシュルーム』にした。
私は心の中までじめじめした、カビやきのこが生えてるのが似合うような女だったけど、どんなものにもマニアはいるものだ。
私はそんなマニアを捕まえた。
そして今は、輝くようにじめじめした、この笑顔が自慢だ。