第9話 スローライフとは何か
クラーラの言葉を頭の中で何度も反芻する日々が続いた。「腹を満たして、明日も笑えること……」。だが、その「明日」を迎えるためには、まず今日の腹を満たさなければならない。俺の小屋の食料は半数どころか、とっくに底をつき、ディルクが時折置いていってくれる野菜だけでは、とても足りなかった。かといって、金貸しの目を恐れて市場で物乞いをする勇気もない。俺に残された道は、一つしかなかった。
「……クラーラさん、ディルクさん。何か、俺に手伝えることはありませんか?」
その言葉を口にするのは、想像以上にプライドが傷ついた。かつては彼らの忠告を「時代遅れ」と見下し、チューリップで一攫千金を夢見ていた俺が、今や彼らに頭を下げて仕事をもらおうとしているのだ。みじめだった。しかし、背に腹は代えられない。生きるためには、そうするしかなかったのだ。
クラーラは、俺の申し出を聞くと、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた(ように見えた)。
「ほう、あのマレイン坊ちゃんが、ついに土いじりをする気になったのかい? いいだろう、ちょうど人手が欲しかったところさ。ただし、タダ働きじゃないよ。働いた分は、ちゃんと飯で返すからね」
ディルクは、相変わらず無口だったが、俺が差し出した手を黙って見つめ、そして、力強く頷いた。
その日から、俺の「本当の」農作業が始まった。それは、俺が以前、自分の畑でやっていたような生半可なものではなかった。クラーラの畑では、来るべき冬に備えて、残った野菜の収穫と土壌の手入れ。ディルクの畑では、来春に蒔くための小麦畑の準備。朝早くから日が暮れるまで、鍬を振るい、土を運び、雑草を抜く。体中の筋肉が悲鳴を上げ、手のひらはすぐに豆だらけになった。汗と泥にまみれ、息は切れ、何度も地面にへたり込みそうになった。
最初は、ただただ辛かった。汚れるのも、疲れるのも嫌だった。なぜ俺がこんなことをしなければならないんだ、という思いが何度も頭をもたげた。だが、クラーラは容赦なかった。
「こら、マレイン! 手を休めるんじゃないよ! そんなんじゃ、日が暮れちまう!」
彼女の叱咤の声が、否応なく俺を動かした。ディルクは何も言わないが、その黙々とした働きぶりが、無言のプレッシャーとなって俺の背中を押した。
しかし、不思議なことに、数日、一週間と続けていくうちに、体の辛さとは裏腹に、心の中にわずかな変化が生まれていることに気づいた。泥まみれになることへの嫌悪感が、いつの間にか薄れていたのだ。土の匂い、汗の匂い、枯れ草の匂い。それらが、以前は不快でしかなかったのに、今はどこか「生きている」匂いのように感じられる。
鍬を振り下ろし、固い土が砕ける感触。種を蒔いた場所に、小さな緑の芽が出ているのを見つけた時の、ささやかな驚き。黙々と作業を続ける中で、頭の中を占めていた借金のことや、過去への後悔が、ほんの少しの間だけ、遠のいていく瞬間があった。ただ、目の前の土と、自分の体と、流れる汗に集中する。その没頭感が、奇妙な心地よさをもたらした。
クラーラは相変わらずだったが、休憩時間にくれる黒パンとスープは、驚くほど美味かった。
「あんた、少しは体力ついてきたじゃないか。顔色も前よりはマシになったよ」
そんな言葉の中に、気遣いが隠れていることにも、ようやく気づけるようになっていた。ディルクも、時折、俺の仕事ぶりを見て、小さく頷いてくれることがあった。言葉はないが、その仕草だけで、自分が少しは役に立っているのかもしれない、と感じられた。
ある日、クラーラが市場へ野菜を売りに行くというので、俺も荷物持ちとしてついて行った。市場は、チューリップの狂騒が嘘のように静まり返り、以前のような活気は失われていた。だが、人々は皆、それぞれの生活を取り戻そうと、懸命に働いていた。クラーラが威勢よく野菜を売りさばく横で、俺は自分が収穫を手伝ったジャガイモが買われていくのを、ぼんやりと眺めていた。
「おばさん、このジャガイモ、美味しいね。子供が喜んで食べるんだよ」
馴染みの客らしい女性が、クラーラにそう話しかけていた。その言葉が、なぜだか俺の胸にじんわりと響いた。俺が掘り起こしたジャガイモが、誰かの食卓で、誰かの笑顔に繋がっている。チューリップの投機で得た、あの空虚な興奮とは全く違う種類の、温かい満足感がそこにはあった。
畑仕事の合間に、俺はかつての自分の姿を思い返すことが多くなった。ビラや話師の言葉を鵜呑みにし、「楽」なスローライフを夢見て村に来たこと。地道な努力を嫌い、安易な一攫千金を求めてチューリップに飛びついたこと。クラーラやディルクの忠告に耳を貸さず、自分の都合の良いように現実を捻じ曲げていたこと…。今なら、あの頃の自分がどれほど愚かで、傲慢だったかがよく分かる。苦い自己嫌悪が込み上げてくるが、同時に、それを正面から認められるようにもなっていた。
スローライフとは何だったのだろうか。俺が追い求めていたのは、ただの幻想、都合の良い絵空事だった。クラーラの言うように、「腹を満たして、明日も笑えること」。そのためには、泥にまみれて働くことも、人との繋がりの中で支え合うことも、必要なのかもしれない。それは、決して「楽」ではないかもしれないが、確かな手応えのある、地に足の着いた生き方なのではないか。そんな考えが、ぼんやりと形を結び始めていた。
もちろん、問題がすべて解決したわけではない。借金は依然として重くのしかかっているし、この先どうやって生計を立てていくのか、具体的な見通しはまだ立っていない。だが、あの絶望の底にいた頃とは、明らかに何かが違っていた。体は疲れているはずなのに、夜はぐっすりと眠れるようになった。朝、目が覚めた時、「今日も畑に出なければ」と思うことに、以前のような絶望感ではなく、むしろ、かすかながらも前向きな気持ちを感じられるようになっていた。
再生、と呼ぶにはまだ早いかもしれない。だが、俺は確かに、泥の中で、ほんの少しだけ、前に進み始めた気がした。自分の気持ちを吐露できたからかもしれない。失われたものの大きさに打ちひしがれるのではなく、今、自分の足元にあるもの――土と、労働と、人とのささやかな繋がり――の中に、新しい価値を見つけ出し始めていたのだ。