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鉱業都市オースティンフェーロ 

 



 「あ、そうだ、旅に出よう」


 機械仕掛けの鶏が朝を告げたとある日、彼はそう決意した。




『鉱山夫、バイクと鞄一つで冒険に出る』




 “鉱業都市オースティンフェーロ”

 そこに、かつての一攫千金の夢はもうない。

 

 多数の鉱山が連なる険しい鉱山地帯に、その都市はある。鉱物の埋蔵量はこのまま掘り進めてもむこう数十年の余裕は有る。採れるものは主に鉄、銀、稀に金、そして電気石、石英。

 鉱物以外にも一つだけ特色とも言えるものがあった。それはこの地に伝わる古い伝説。誰が広めたのか、果たしてそれが事実なのかさえも不明な、“かつてこの鉱山で金鉱石のオオヤマを掘り当てて一夜にして巨額の富を得た者がいた”という伝説。


 大した有名でもないその話をどこから聞きつけたのか、かつては結構な人数の探鉱者たちが大陸各地から集まり、我先にと連日連夜に渡っては鉱山夫たちに混ざって坑道へ潜っていた。中には鉱山採掘を舐めているのかお前!というくらい軽装の者もおり、そのまま入山すると危ないからとしぶしぶ地元の鉱山労働者たちが使わなくなったお古の装備を貸していたこともあった───彼らもまた、熱気に当てられて黄金の夢を見てしまったのであった。

 しかし、いくら掘っても掘っても採れるのは鉄、鉄、たまに銀。金など影さえ見えないではないか。伝説は所詮伝説かと夢から覚めた彼らは、より高価で価値のある鉱物を採掘するために、颯爽とこの鉱山からその足取りを一人また一人と消していった。

 皮肉なことに、彼らが掘り残していった鉄や銀は、都市発展への礎の一部となった。


 鉱山と探鉱者により大きくなった都市、鉱山労働者と少数の住民だけの都市。オースティンフェーロとはそういう都市である。




 ───コケコッコー、コケコッコーと青銅(ブロンズ)の羽をカチカチとはためかせながら、機械仕掛けの鳥型目覚まし時計が朝を告げる。


(……最近、朝が来るのが早い…気がする)


 目を覚ました男は、ギシギシと頼りない悲鳴をあげる木製の安いベッドから起き上がり、体をうんと伸ばす。変な体勢で眠ってしまったのか、ボキボキボキと背中と首あたりから不穏な音がした。

 ベッド横の木製キャビネットに手を伸ばし、合金タンブラーを掴むと一気に飲み干す。中身は昨日のうちに採取した鉱山の地下水を飲料水用に濾過したもので、三層構造の金属フィルターを通し不純物や毒気のあるものを除いた地下水は、程よく冷たくて格段にうまい。朝はこれに限る。

 鉱山まで歩けば水汲み用の井戸があり、住民は特権で毎日水をタダで汲めるが、土産屋では観光客に値段を釣り上げて売っているらしい。と、同僚が話していた。

 まあそれくらしかここにはないしなあー、地元の名物料理とかないもんなー、とぼやきながら電自動歯ブラシで歯磨きを終わらせ、タイプライターの電源を入れる。ひとりでにカタカタと文章を刻み出したそれは、今週の回覧板。隣の爺さんめ、直接回せよんなもん、と一つため息。


 朝食にテーブルに置いてある適当なフルーツを齧りながら、携行食や耳栓、別のタンブラーをチェックしながら革製の丈夫なナップサックにつめる。食べ終わったら次は着替えだ。汚れてもいい薄手の服を着て、その上から防塵作業着を着る。山羊革の革手袋と、鉱石ライト付きのヘルメット、防塵ゴーグルを首から下げて、準備完了。あとは防塵防ガスフィルター付きの特殊マスクを装着し、ナップサックを肩に掛ける。

 今日は塊を狙いたいな、そろそろ酒も飲みたいし、大きめなツルハシにしよう。そう決めて玄関に雑に立てかけてある、背丈より一回り小さいツルハシを背負う。


(いつもと同じ、毎日の変わらない、ルーチン。

俺の人生は、こんな感じを繰り返して終わるのだろうか。)


 なんてね。

 男はため息をつきたくなる気持ちを抑えて家を出た。ふぁ、とあくびを噛み殺して、今日も現場へ向かう。愛用のバイクを使わずとも、徒歩で十分も歩けばもう目の前には巨大なアルルヤ鉱山に着く。


「おはようございまーす」

「おう、はよさん。今日もよろしくな」

「はあ、こちらこそ」


 入坑口まで歩くと、すでほかの鉱山労働者が集まっていた。みな鉱物ランプの付いたロードホールダンプに乗り、そのまま坑道をゆっくり進む。数年前に別の都市で作られたこの採掘用ダンプは、現場では大活躍をしていた。移動が楽、これに尽きる。これがくるまで、坑道の中部くらいまで徒歩だったのだ。

 それに加え、四方につけられた鉱物ランプは薄暗い坑道内を広範囲で交互に優しい青と黄色に光照らす。これがかなり良い。いちいちヘルメットの鉱石ライトを付けなくて良いから楽だ。


「よう、景気いい顔してるじゃねえか。なんか良いことでもあったのかよ」

「何言ってんだこの男は。マスクで表情なんてわかるかってんだ」

「ハハハ、どうですかねえ」

「さあて今日も一日中潜るかあ」

「〜〜…〜〜…♪」


 坑道を進む音と、隣に腰をかける中年の男性たちの談笑と鼻歌が聞こえる。やがて暗闇に近づくに連れ、それらの音は小さくなっていった。中部ほどまで進んむと、ダンプは停車した。ここから先は道を掘り進めるダンプと、ダンプが通った道から鉱物を採掘する人に分かれて作業に当たる。


 坑道内に吊るされている仄明るいカンテラの明かりとヘルメットの鉱物ヘッドライトを頼りに、薄暗い鉱山を俺を含めた数人で進む。ヘッドライトの鉱物には、この鉱山で採れるルゲラ石英というものを使用しており、小さな衝撃を与えると鉱物が反応を起こし光る性質がある。一度粉末状にしてから再度結晶化し衝撃を与えると12時間は光が持続するという大変便利な機能性から、このような現場や街の燈台に使われてしていた。


 さて、やりますかぁ。

 周囲と距離があることを確認すると、ツルハシを振り下ろして坑道内の岩や側面を掘る。大物鉱物が採れることを祈りながら。やがて周りからもカーンカーンと採掘する音が響き始めた。


 今日も今日とて鉄鉱石の採掘。明日も明後日も。

 そんな毎日を繰り返すうちに、男は、鉱山夫になって十数年が経っていた。


「うーん、硬えな。誰かピックあるか」

「俺ありますよ、どうぞ」

「お、助かる。」

「自分で用意しろよ」

「るっせ、今日はたまたま忘れたんだよ……」


 一旦手を止めて、ナップサックからピックと耳栓を取り出す。ピックは男に渡し、耳栓は片方は自分に。金属音は思ったより響くのだ。両方つけると異常があった時に気づけないから片方だけ。たまに交代する。

 ピックとは、圧縮空気でノミを叩いて石炭や岩石を掘削するもののことで、これを使うということはよほど硬い鉱石の塊でも見つけたんだろう。鉄あたりだろうか。


(…少し距離とるか。確かあっちの方はまだ人の手がそんなに入ってないはず)


 ほかの鉱山夫たちと少し離れた場所まで歩き、ゴロゴロ転がっている岩を見る。30センチはありそうなそれに狙いを定め、ツルハシを振り下ろす。

 キン、キンと音を響かせ、岩はツルハシを弾いた。確かな手応えを感じる。今度は少し強めに振り下ろす。弾く、割れない。硬いな、この硬さは鉄鉱石か、銀鉱石か。ひょっとして金鉱石だったりして。


(いや、それはないけど)


 とりあえず割ってみないとわからない。まずは二つに。

 つい防塵マスクの下でニヤついてしまう。この瞬間が毎回、緊張でドキドキするのだ。何が採れるかわからない、この瞬間が。

 そう、これが楽しみで鉱山夫をやっていると言っても過言ではない!


「……っし!」


 革手袋の紐を締め直して、ツルハシを握り直す。狙いを定めて思いっきり力を込めてもう一度振り下ろす。ガキンと音がして岩がちょうど二つに割れた。鉱石の破片があたりにパラパラと散らばる。出てきたものはブロンズ色の鉱物と、それに付着するように共生する水色っぽい鉱物。


「……銅鉱石と、電気石?」


 念の為に半分の岩をさらに半分にし、片方を慎重に砕く。ツルハシで簡単に割れる程度の硬度。カンテラとヘッドライトの明かりを最大にし、ゴーグルを頭にかけてよく側面を見る。電気石の方は透明度が高そうで、加工すれば装飾用の宝石に使われそうだ。


 価値の高い銀や鉄ではなかった。とはいえ電気石はなにかと生活用品に使われることも多いと聞くし、銅も使い道がある。これはこれで値がつくだろう。ナップサックから鉱物用の鞄を取り出し、ハンカチサイズの布で手早くそれを包んだ。

 

(大きさも充分だし、普通に良いものを見つけたなこりゃ……にしても、綺麗だったなあ……うん)


 一呼吸置いてからゴーグルを掛け直し、採掘に戻る。思わぬラッキーについ鼻歌を口ずさんでしまう。それは、先ほどの鉱山夫がピックを返しにくるまで続くのだった。




 ───その日の採掘が終わった帰りに、銅鉱石と電気石の塊を鉱山組合に持っていき換金した。これが幸運なことになかなか良い値が付いたため、都市の中央市場に寄っていつもの果物と豆類と、奮発して少し高級な蒸留酒を購入する。気分良く帰路につき、早速手を洗ってから豆ととうもろこしを潰して塩とミルクで茹でる。ふと先ほど採掘した電気石のことを思い出した。あまりにも綺麗だったから、半分の半分は自宅に持って帰ったのだ。オースティンフェーロでは鉱物は、採掘した時点から換金するまで採掘者のものになるため、持って帰ってもなんら問題はない。


(同僚が時たま家族に電気石をプレゼントする気持ちが少しわかった。あんだけ綺麗だったら、大事な人に渡したくなるわ)


 男には、家族はいなかった。男は今年で齢35を超えた。誕生日はとうに過ぎてしまった。


 出来上がったスープを一昨日市場で買った硬いライ麦パンに浸して食し、蒸留酒の入った酒瓶を煽る。もちろんストレートで。喉がひりつくように乾く感覚、訪れる酩酊感。一日の最高の楽しみと幸せ。

 彼は料理はうまい方ではないが、ずっと同じ仕事をしているうちに、自分好みの味と酒に合うものは少しだけ作れるようになっていた。一週間ぶりの酒はたいそう沁みた。あまりにも心地よくて、今ならなんでもできる気さえしてくる。


(この一杯のために生きている…)


 食事と酔いを楽しんでいると、テーブルに置きっぱなしのナップサックから、換金しなかった分の銅鉱石と電気石を包んでいた布がのぞいていた。それを思うまま手を伸ばして広げて、光度が高いとは言えないカンテラの明かりに翳す。電気石の部分が、光を透かしてきらきら耀く。まるで星のように。


「……ちょっと削って磨いてみるか。電気石のところだけとって…ピックで割って…目の細かいやすりと、なんか水……酒でいいか…」


 孤独だと思ったことがないわけではない。

 早死にした両親やどこか遠くにいるらしい親族を思っては涙を流したこともある。

 ただ、何事も縁がなければどうしようもない。仕事も出会いも。こんな都市とは名ばかりの片田舎ででやることなんて、それこそ仕事くらいしかない。だのに、


「うお、なんか久しぶりにワクワクしてきた…っ!」


 こんな些細なきっかけで、ときめくもんだ。

 そうと決まれば善は急げ。食事を放り出して別室から小道具を持ってくると、慎重に叩いて切り取っていく。おおよそ角柱に切り取った電気石を、さらに叩いて半分にし、軽く平らにする。目の粗いやすりで削り形を整え、薄い四角形になったところで、綺麗な研磨用クロスにかえ丁寧に磨いていく。艶が出てきたところで飲みかけの酒を二、三滴垂らし、耐水紙で拭き取る。紙をゴミ箱に捨てて、再度クロスで磨く。そっとカンテラにかざすと、向こう側が水色のフィルターがかかったみたいに透き通って見えた。


「はあ…綺麗だ…なんか、食べられそう…飴みたい…」


 ───こんなにわくわくしたのは、何年ぶりだろうか。

 世間のことを何も知らずに過ごしていたまっさらな少年時代に戻ったかのような、不思議な感覚。


(毎日毎日、同じように坑道に潜って、ツルハシ振るって、飯食ってたまに掃除して寝るだけの毎日だもんなあ。なんか、)


 もっとこういう経験をしたい…かも。

 でも、俺も歳だしな…将来のために稼がないと…でも、俺の人生だぞ。それに悲しいことにどうせ独り身だ。言ってて悲しくなってきた。

 ………。むしろ動くなら今なんじゃないか。


 そんな考えが頭をよぎった時、とうとう男に限界が来る。けして低くはないアルコールが回った状態で動き回ったツケがきた。朦朧とする意識の中、かろうじて磨いた電気石だけはテーブルの隅に寄せ、そのまま男はテーブルの上に伏して朝を迎えることになった……




 そして、冒頭に戻る。



「あ、そうだ、旅に出よう」


 寝室で機械仕掛けの鳥が鳴いている。

 さて、テーブルの上はなかなかに悲惨なことになっていた。飲みかけのスープはカピカピになって食器にこびりついているし、買ったばかりの酒瓶は転がって中身が少し漏れている。パンは今度こそカビた。

 …昨晩、そんなに飲んだか?テーブルに突っ伏した体勢で目を覚ました彼の第一声には、実は少しだけ現実逃避も含まれていた。


(………とりあえず起きて、片付けして…労組行こう)

 

 そうと決まればさっさと動くべし。仕事は今日から行かないと決めた。明日から旅に出るからだ。それにはしばらく休む、または退職する旨を鉱山労働組合に伝える必要がある。


 朝の訪れを知らせ続ける目覚まし時計を止めて、歯磨きをしつつ食器をシンクに下げる。そのまま綺麗に洗う。酒瓶を玄関に置き、テーブルを適当な布巾で拭く。端には、昨日磨いた綺麗な電気石があった。


(…これは、持ってくかあ。なんか癒されるし、旅のお供にしよ)


 歯磨きを終えると、居間にかかっているお気に入りの懐中時計に手を伸ばした。これは彼が初めて作った作品で、懐中時計と温度計、そして()()()()を併せ持つ、見た目は懐中時計に見える、ちょっとしたお役立ちアイテムだった。なぜこれを作ろうと思ったのか?壁にかけられる小さな時計と温度計が欲しかったからに他ならない。


(これの中入れておけば、無くさないだろ)


 厚みのある時計の下にはちょっとした収納スペースがあり、左側にある小さなつまみを2回回せば一段目が、3回回せば二段目が、それぞれ右と左にスライドし収納スペースができる。一段目に電気石が収納されたことを確認して、懐中時計の右側のスイッチを押す。


 すると懐中時計の盤上に、ヴン、と音を立てて文字盤の上に電気石が空中に投映された。これがこの時計の投映機能で、中に入れたものを立体的に映し出すことができる。必要であれば拡大もできる。

 が、しかし、今回はいつもと様子が違い、文字盤の上に映し出された映像は電気石だけではなく、どこかの空の状態まで投映し始めた。


「…ん?お、おおお?綺麗だな、どこの空だ?いやなんで?どうして空が映って……いや、まさかとは思うが……おお、すげー。同じだ」


 慌てて窓から身を乗り出し時計と見比べる。今日は鉱山都市にしてはめずらしく、風もなく塵も舞っておらず、雲一つない青空が広がっていた。そう、この時計の上に投映されているものと同じ空が。


(……この電気石…離れていても、オースティンフェーロのその日の天気がわかったりする?電気石にそんな性質があるなんて聞いたことないんだが……偶然かー?光の関係?労組に報告すべき?……たまたまかもしれないしバグっただけかもしれないし…考えるとキリがねぇな、とりあえず様子見したいし持ち歩こう)

 

 右側のスイッチを2回押し、投映を中断。その辺にあった適当な紐に通して首にかける。市場で買ったバナナとりんごを適当に食べ、ドリップコーヒーで流して、男は労組へ向かった。途中で酒瓶をゴミ捨て場に持って行くことも忘れずに。


「おはようございます、昨日ぶりにすみません。…パイロ・アルーンです、ちょっとお伺いしたいんですけど」

「あら、おはようございますパイロさん。昨日ぶりですね。住民データを照会しますので少々お待ちを…はい、御用件は?」

「急なんですが明日から旅に出ようと思いまして…」

「まあ!それは素敵ですね!急ですが!それでいつお戻りになられますか?」

「ハハ…自分でもそう思いますよ。すみません、期限は設けてないんです。…で、有給があればその全ての消化と、あと可能であれば一時退職……それと、虫がいい話なんですがその後の復職って、できますかね?」


 まあ無理だろうな。急な期限がわからない長期休暇の申請と、その後の復職希望だなんて。常識的に考えれば退職一択。けれども一応、一縷の望みをかけて聞いてみる。万が一があるかもしれないし。答えは男…パイロが予想していなかった、意外なものが返ってきた。


「できますよ。残りの有給全てと、その後は復職されるまで、無期限の休職という扱いになります」

「えっできんの?!良いんですか?!じゃなくて、普通に首になるかと思いました。いつ戻ってくるかわからないわけですし…資金が尽きたらそりゃ戻りますけど。いやーありがたい、助かります。あとは、借りてる家なんですが」

「ふふふ。あなたはこの都市鉱山にお若い頃から何十年も勤め、経済成長にも多大なる貢献をされてますよね。実は市長から数日前、もし貴方が旅に出るとかそんなことを言い出したら、彼の席はそのままにしておいて良いと言伝がありました。あと、そろそろ来る気がするとも仰ってました」

「し、市長?!市長俺のこと知りすぎでは??!怖い!」

「まあまあ。幼い頃から見てたんでしょう?ふふ、孫みたいで可愛いんですよ」

「……感謝はしてますよ、本当に。というか直接言ってくれればいいのに…」


 お喋りな労組の受付嬢は感慨深そうにパイロを見ながらしみじみと言う。この人はパイロよりいくつか年上で、いつだって困っている時に手助けしてくれた、姉のような人だ。この人の顔が暫く見ることができなくなるのは寂しいな、と胸の奥が僅かに痛んだ。


「んん、自分から言い出すのを待っていたんでしょうねえ。あ、家賃は最初の三年は組合負担管理、それ以降は市の管理する空き家として、たまにハウスキーパーが掃除します」

「そこまで?!流石にいち一般人にそこまでしてもらうわけにはいきませんよ!特別扱いは反感を招く」

「ところがどっこいパイロさん、鉱山夫歴が長いでしょ?市長だけではなく、近所のおばさん方とかほかの鉱山夫の方々も心配してましてねえ、あなたは勤勉で文句も言わない頑張り屋だから、何かあったら助けになりたいと。あと働きすぎだって」

「いやそれは買い被りすぎですよ。それくらいしかやることもないんで」

「彼には少し長めの休みが必要かも、とも。ちょうど良かったね!ではこちらの休暇申請用紙に一筆お願いしまーす。あと、はいこれ、大陸市民御用達のパンチカード。これだけは絶対無くさないこと!再発行にはけっこう時間かかるからね!」

「…はい、書いたよ」

「ありがとうございます。出立はいつ?」

「明日の朝、鳥が鳴く頃」

「早いね!承知しました、良い旅を!」


 受付嬢は書類を確認すると、ウインクと笑顔で敬礼した。感謝の言葉と共に苦笑を浮かべて労組を後にする。仕事と家は、ひとまずなんとかなった。


 次は、足の確保だ。幸い数日前から近所の車体工場に愛車であるバイクの整備依頼をしていたのだ。まさか旅に出るとは考えてもいなかったが、なんとタイミングが良いことか。あれは一人乗りだがコンパクトに折りたたみ持ち運ぶことができるし、動力源も充電した電気石なら丸一日は軽く動ける省エネ設計。ハンドルは旧型ラバー製で丈夫。車体はブロンズ系で全体的に固めなデザインで少しばかり古めかしいが、味がある。これ以上にない相棒だ。

 彼が唯一、大金を費やして買い物したものだった。

 それを引き取りに行って、明日、一緒に旅に出る。


(こいつと一緒なら、最高の旅になるかもな)


 通りを外れて二丁ほど歩くと、今にも崩れそうなボロな屋根の車体工場に着く。金属を溶接する音が響いていた。


「おーい、マルクの親父ー!頼んでたバイクどうよー?」

「…んあ?おお、パイロか。整備なら終わってるからはよ持ってけ、邪魔くさい」

「はいはい。で、いくらよ?」

「まずエンジンがだいぶガタが来ていたから丸ごと取り替えて、動力炉は二つに増やした。それと、ヘッドランプの光量の調節と取り替え、折りたたみ式クロムフレームの素材をチタンとカーボンへ変更。これで数年はなんとかなる。旧式にしちゃイケてんだろ。しめて二十万、だな」

「た、たっっっか!!いや、いやいや、誰がそこまでしろって行ったよ改造魔が!ジジイが!」

「あんだあその口の聞き方はぁ?!人の親切心をなんと心得える!」

「整備しか頼んでねーだろ俺は!くう、早速旅の資金にダメージが…」

「ああ、そういや明日だったか」

「え、情報早」


 ───車体工場のエンジニア・マルクはだいぶ歳を食った年寄りで、このオースティンフェーロでただ一人、小さな工場を数十年も切り盛りしているベテランだ。しかし、いかんせん彼は無類の改造好きだった。整備を依頼すれば一箇所は必ずどこかしら改造される。そのためある程度の覚悟はしていたが、まさか今回に限ってそんなに張り切ってしまうとは。大誤算だ。パイロはがくりと項垂れる。


「仕方あるめぇ、お前とも付き合い長えしなあ。まけてやる。五万でいいぞ」

「…え、本当に?」

「その代わりといっちゃあなんだが、後継者探しを頼む。わしもそろそろ長くねえし、技術を継ぐ後継者が欲しくてな。この都市には若者はそうおらん上に、わししかエンジニアはおらん故ここから離れられん」

「いや、いつ戻るかわからない旅なんだけど…」

「なに、ついでで構わんさ。ともかくお前はおもいっきり羽を伸ばせばいい。この改造は、餞別だ。ふむ、時にパイロよ、知っているか?鉱山労働者は特殊な環境と過酷な仕事故に健康に害を…」

「あーあー、わかった!わかったよ、ありがとうなマルクの親父!…このバイクで旅して、運が良ければ後継者候補探してくるよ」

「…ああ、楽しんで、色んなものを経験して、体を労って、また帰ってくるといい。ほら帰ってくるまでツケでいいから、さっさと帰んな」 

「はいはい、ありがとう。またな、親父…せいぜい長生きしてくれよ」

「うるせえ小僧が。…ああ、行ってこいパイロ。世界を観に」


 夕日が二人を照らす。

 それ以上の言葉は交わさず、パイロはバイクを受け取ると、早速二つに折り畳み右肩にかけた。うん、かなり軽くなっている。素材変更したって言ったもんな。これなら肩の負担にならないだろうし、このまま買い出しもできそうだ。彼は市場へ向かうことにした。


(本当素直じゃねえ親父。まあ昔から世話になってるし…後継者になりそうな奴が見つかるといいなあ)


 こうしてパイロの旅の目的が、一つ増えた。



 ───市場は朝でも昼でも夜でも、いつも通り賑わっている。鉱山都市とはいえ物流はきちんと機能しているのだ。輸送はアナログだけども。とにかく、労組で引き出しておいた現金を使い日持ちしそうな食べ物と携行食、鉱物水をとりあえず二、三日分購入する。簡単な大陸ガイドブックも忘れずに。

 最初の行き場所はもう、決まっていた。


(オースティンフェーロから一番近い都市はここから東南、バイクで二日かかるところにある、雨の都。珍しい雨と、鉱物が見ることができるらしい。まずはそこに行って、それからあとのことは考える。念の為に大陸地図と、雨合羽、常備薬…寒さ対策に電気カイロと電気毛布と…交渉や交換用に、採掘した俺のコレクション達も持ってくか)


 高鳴る鼓動が止められない。彼は浮き足立ちながら市場への消えていく。

 パイロの旅は、今、幕を開けた。


 彼の、残りの人生を楽しむ旅がはじまる。



◇続く◇





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