17. お客様の安全な宿泊を守る義務
実家の民宿"喜瀬屋"が燃えている。
そんなカオスな状況下にいる実李の
肩を強く叩き、現実に引き戻した人物がいた。
それが、近隣のホテル、リゾート・イン・ブルーの支配人、実李の上司でもあった、黒崎雪乃 であった。
しかし、いつものノンフレームメガネはしておらず、化粧をしている様だった。
髪も、いつものただ髪を一つに括っているのではなく、ハーフアップにしていた。
服装もいつものパンツスーツに、ベスト、フープタイではなく
水色のサラサラとしたワンピースを着ていた。
おそらく、今まさに東京から帰ってきたのであろう。
黒崎支配人は、肩に手を置きながら、はあはあと息を切らせている様子だった。
「黒崎支配人・・・」
実李は、突然の支配人の出現に、先ほど、肩を叩かれて、物理的にハッと引き戻された感情が見たことの無い黒崎支配人の女性らしい格好に驚き、また新たな混乱を産んだのだった。
シチュエーションがもっとマシであれば、「何その格好、可愛いですね」とでも言っていそうだ。
・・・こんな時に何考えているのだろう。
「本日!!お客様は!!!何名様いらっしゃるんですか!?!?!?!?」
黒崎支配人が唐突に叫んだ。
あの、普段のにっこり顔からは想像もできない怖い顔をしていた。
「え・・・その、本日は、4組のお客様がいらっしゃる、はずです・・・」
「御連絡先は!?!?!?」
また、叫んでいる。
「台帳を見ないと、フロントは旧館に近いから、まだ燃えてないかも・・・」
と言いかけたところで
「戻っちゃダメです!!!」
また、黒崎支配人が叫んだ。
やがて野次馬の何名かは、何事かと、こちらのことも野次馬もしているのが分かった。
「良いですか?火事の掟は、おかしも、です!!押さない、駆けない、戻らないですよ!!!」
実李は、そんな小学生のような原則を、ほぼ忘れていたのだが、やはり、義務教育時代に教わった掟を
何となくだが、守らねばならぬという気持ちになった。
後に思えば、何とも偉大な教えである。
「あ、じゃあ、すみません、わからないです。皆様が無事かも、わからないです・・・わからないんです・・・」
幼子の様な回答だった。
”おかしも”の様な、そんな小学校の教えすら覚えていなくて、自分が情けなくて、父さんと母さんが心配で
色々な感情が芽吹いてきて
目から溢れ出る涙を止めきれなくなってしまっていた。
「喜瀬屋にご宿泊の方ーー!!安全確認の為に、名乗り出ていただけませんかーー!?!?!?」
黒崎支配人がまた、叫び始めた。
「お願いしますーーー!!!喜瀬屋にご宿泊の方ーー!!安全確認の為に、名乗り出ていただけませんかーー!?!?!?」
以前と叫んでいる。
やがて、黒崎支配人は、実李の腕を掴み、引き上げた。
「どんなに、辛くとも、他のことが気に掛かっても、自身の宿にご宿泊のお客様には、安全に過ごしていただく事を監督するのが、ホテル事業者の義務です。今は、ご両親の無事を信じて、今後の再興を確信して、お客様の安全確認に務めましょう。」
実李はいつの間にか、地面にへたり込んでいることに気がついた。
・・・他人事だからそう言える。
実李はぐちゃぐちゃになった頭でそう考えてしまった。
実家の民宿が燃えて、両親も安否はわからない。今後も生活がままならないかもしれない。
そんな、状況・・・
「あなたには、わからない・・・そんなことしてられる余裕なんてない・・・何で家が燃えてるの・・・何で・・・どうして・・・」
また、幼子の様な回答だった。
もう、何もできず打ちひしがれる思いがする。自分はなんて無力なんだ。
そもそも何故燃えているの?火の手なんてどこから・・・
「実李さん!!しっかりしてください!!後々苦労するのは実李さんですよ!?」
黒崎支配人は、相変わず大声で喋っている。
だが、気づけばいつもと変わらないテンションであった。
おそらく叫んでいるのは、燃え盛る火のパチパチ音と、サイレン、人々の騒めきに負けないように大声でしゃべっているだけだと、後から気づいた。彼女はいかにも冷静であった。
黒崎支配人は、今度は、実李の両肩をしっかり掴んで、清々しくも、こう言ったのだ。
「良いですか?ここで、お客様の安全確認を確認しなければ、実李さん、と言うか、喜瀬屋さんが後悔することになるんですよ?家事の現場で、責任者がいなかった、お客様の安全確認に務めなかった、とあったら、それを口コミにそうやって書かれるんですよ!?報道もされるでしょうし、そうしたら、新聞にも書かれますよ!?そうなったら、喜瀬屋さんが安全性に欠ける宿とか言われちゃうんですよ!?火事の理由が何であれ、営業再開した時に、真っ先に被害を被るのは、喜瀬屋さんなんです!!今はできることを、精一杯しましょう!?悲観する事は、後でも思う存分できますよ!!!」
今の話で、ぼーっとした頭でも、この一点は理解できた。
営業再開した時に、真っ先に被害を被るのは、紛れもなく喜瀬屋である。
そうだ、口コミの怖さ、お客様の理不尽な解釈はホテル・イン・ブルーでも学んだじゃないか。
おそらく、オーナー家族が、どれだけの被害に遭おうと、お客様にとっては関係がない。
私たちが、生身の人間が営む宿であるということは、お客様には関係がない。
お金を払っていただいて、宿泊の安全と、快適さを提供する義務が
やはりホテル側には存在するのだ。
実李いを決して、立ち上がり
「喜瀬屋にご宿泊のお客様ーーー!?!?いらっしゃいましたらこちらにお申し出くださいーーー!!!」
実李も叫び始めた。
黒崎支配人は、突然の大声に少々びっくりした様子だったが
少々にっこりとし
「喜瀬屋にご宿泊のお客様ーーー!?!?いらっしゃいましたらこちらにお申し出くださいーーー!!!」
と一緒に叫び始めた。
それを見ていた、野次馬の近隣住民たちも
「おーい、喜瀬屋のお客さんはいるかー?」
などと一緒に呼びかけ始めてくれた。
実李は、思い出した。数日前の、中国人家族のことを。
「Mr. Kim te yojon!! Please reply if you have any !!!」
「I'm here」
どこからか、声がした。
若いご夫婦と、その子供、あの時、実李自身でチェックイン対応をした、その人たちがそこにいたのだった。
「Do you have any injuries?」
実李はもう、泣きながら聞いていた。
「We are OK・・・but, Your hotel has become a misery. I wish I could help us with something・・・」
そこまで聞くと、目から溢れる涙を止めることができなかった。
若いご夫婦の、奥様にギュッと抱きしめてもらった。
情けないことに、その腕の中で、シクシクと涙が止まらない自分がいた。
先ほどの考えは、撤回する。
旅行先で、ホテルが火事にあい、不安に思っているのはお客様だ。
そんな目の前の自分の宿泊先のオーナーが苦しんでいるところを理解して、包み込んでくれている。
お客様は、私が守らねばならない。。
「実李さん!!!こちら、301号室の大木様御一行様、全員無事だそうです!!!」
黒崎支配人の声であった。
「実李ー!こっち、も黄瀬屋さんのお客さんだってよ!」
これは、近くの居酒屋"与平"の主人の声である。
「ちょっと、与平さん、部屋の番号と名前も聞いてください!!あと全員無事かも!!」
以外にも、与平の主人と気安くしゃべる黒崎支配人。
「あいよお、101号室、安達さんってよ。全員いるってよ!!」
その後、喜瀬屋の宿泊客の捜索は、その場にいた全員で行われた。
後の1組は、その後、食事から戻ってきたとかで、合流することができ。
宿泊客全員の安全を確認することができた。




