16. 火事
唐突にその日は訪れた。
その日は、マンションタイプの部屋の方のみでアウトインが3つと少ない案件ではあったが
アウトが4件もあったのだ。
時期は梅雨入りを迎え、閑散期と言えるシーズンに入った。
本日は支配人不在のためか、廊下でお客様とすれ違うたびに
近くのスーパーはどこだ、良いレストランを知らないか、ラウンジは何時までやっているのか
など細々とした質問のために、声をかけられた。
そのためか、掃除が思うように早く終わらなかった。
本日は違う意味での疲れがあった。
最後の清掃をようやく終え、ようやく退勤を迎えることができたのだった。
外は暗くなっていた。
今日の昼過ぎの便で藤崎支配人は小河原空港に着いたと聞いているので、そろそろ帰って来ただろうか。
メッセージアプリの”Rain”に何やら通知が何件かあるのだが
今は、文字を読み取るほどの知性も残っていない様に思えたので未読スルーをしてしまっている。
それほどに、今日は疲労困憊してしまっている。
栄養分の届いていない脳みそを抱えながら
愛車のジムニーを運転して、いつもの帰路についていたところであった。
ウーウー、カンカン、カンカンカンカン
後ろから消防車の音がする。
どこかで火事が起きた様だった。
ぼーっとした頭で
「こう言う時、端に寄るんだっけ。」
と思いながら、左に寄り停車した。
赤色回転灯を携えた消防車はものすごい速さで通り過ぎていった。
と、ここで実李の心が騒めき始めた。
この先の道にはほとんど民家などない。あるのは・・・
喜瀬屋、実李の家である。
いや、そんな訳はない、うちに限ってそんなことは起きない
そこの角を曲がれば、いつもの我が家、と言える場所
”喜瀬屋”が建っていて、父さんと母さんが・・・
暗いはずの時間なのに、我が家の周辺は妙に明るかった。
明らかに、目の前の建物が燃えていた。
とても暗いのだが、何が燃えているかはよく分かる。
喜瀬屋の新館が燃えているのである。
「あああああ!!父さんは!?母さんは!?」
この叫びは、脳みそを通らず、ほぼ反射的に発された。
自分でもこの叫びを客観的に聞いている様にも感じる。こんな時に何を考えているのだろう。妙な気分であった。
人だかりができているのも分かった。とは言え、ほぼ近隣の住民であり、顔見知りの人達であった。
「実李、心配ないよ、広吉と和美は無事だからの!」
「さっき、念の為って、救急車で運ばれてった!新館の方にはお客さんもいなかったろ?旧館の客はもう全員避難できたって!」
「広吉はちと煙吸っちまったって!意識が混濁してたって聞いたがな。」
と、まだらにそんなことを、野次馬の皆様は教えてくださった。
火の手は、旧館の方にも行ってしまいそうなほどに激しい勢いに見えた。
消防隊員に話しかけて良いのかもよくわからず、周りの人があれこれ言っている言葉も理解できず
これから、うちの宿はどうなるのか、父さんが意識不明だという情報は本当なのだろうか。お客様はどうされてる?
自身の混乱も、極限に達してきた。
その時だった。方にドシっと、強く、誰かの手が掛かった感触がした。
ハッと気がついた。自身の目から涙が溢れているのも、今気がついた。
今まさに、強く、私の方を掴んだのは
黒くて長い髪、色白で面長の女性、唇の右下にほくろが見える。
他ならない、リゾート・イン・ブルーの
支配人 黒崎雪乃 その人であった。




