18.透明な蛇
もう冬……ですね。枚帳気を付けて!
まだ薄暗い早朝、スタジオまでの遊歩道を早足で進む。
カーディガン羽織ってこれば良かった〜。
昨日、天気予報で初冬並みに朝は温度下がると言ってたのに、俺ってアホかな。
肌寒さに震えながら、私服選びを間違えた自分を自虐しながら歩道橋に差し掛かった時に、背中をぽんっと叩かれびっくりして振り向くと全身ブランドを纏った、広瀬海が笑顔でいた。
「立花くん、おはよう。昨日は俺の代役ありがとう」
気にしすぎかもしれないが、やたら『代役』を強調された気がして正直気分が悪い。
「いや」
大人気ない事に広瀬から顔を背けてしまった事を後悔した。
広瀬だって役者なんだから、人の表情や仕草には敏感だ。俺がメインを取れなかった自分に嫉妬していると思ったようだ。
「立花くんも大手に移ったら演れるよ」
千歳の様に張り付いた笑顔を向けて俺に話し続ける。
「そう言えばさ、橋本階段から落ちたんだって?」
「あぁ。広瀬くんは同じ事務所だから、何か聞いてる?」
「少しなら。意識は戻った様だよ」
良かった……。
あんなに多くの血を見た事は自分以外でほぼ無かったから、気が気じゃなかった。
「復帰はいつ?」
広瀬は首を横に振り、
「そこまでは俺も知らない。マネージャーが今日監督に伝えるみたいだよ」
「そっか……」
「月島さんの撮影は延期になったんだよね。だったら、月島さんが撮る日に俺で撮り直しもありかな?」
広瀬は俺の反応を楽しむように、ゆっくりと話す。
彼の中では自分で撮りなおす為に月島さんの撮影を敢えてしなかったという結論になっているみたいだ。
まぁ、あり得るよな。
広瀬のスケジュールが空いてるなら代役である俺のシーンを使う必要はないわけで…今までだって、使われなかった映像は山程あったじゃないか。
「監督に聞いてみたら?」
「そうだよね〜」
その後は世間話をしながら、スタジオまでの時間を消費した。
やっぱり、広瀬は苦手だ。
「じゃあ、また後で」
広瀬と別れ楽屋に入ると朝日が既に居て、忙しそうにポットの準備などをしていた。
朝日は俺に気が付き、
「陽向くん、おはよう!今日は寒いね」
「おはよう。私服選び間違えたよ」
「じゃあ、もう少しでお湯沸くからお茶かコーヒーでも飲むかな?」
俺は頷きながら、カバンを置いた。
カバンから台本を取り出し、台本に目を通していく。暗記漏れがないかチェックをするのが、仕事の時のルーティンだ。
木下優太、俺の本来の役だ。木下優太は両親がいなく、孤児院で育ったが高校で山野和也に出会い、唯一無二の存在が出来る。しかし、ここに和也を好きな小野麻美が加わる事によって、一番大切な存在である和也を奪われたと思った優太は壊れていき……。
木下優太…難しい役だよな。
始めの方のストーリーでは線の細い優しい奴。だけど、段々と狂気に取り憑かれて犯罪を犯してしまってから、自己の崩壊に至るまでの変化をじわじわと出す。
不安はあるが、それと同時に楽しみでもある。
「陽向くん、コーヒーどうぞ」
朝日は笑顔でコーヒーカップを俺の前に置いて、自分も向かい側に座った。
「ありがとう」
「うん。陽向くんはブラックだったよね?」
朝日は自身のカップにミルクのみを入れながら、スプーンで軽く掻き混ぜた。
「そう」
コーヒーを慎重に一口飲むと冷えた指先がコーヒーカップの熱でじんわりと暖まっていく。
「あのね、あの後、父にあの人の事聞いたよ。やっぱり昔の記憶の通りだった」
朝日は落ち着かないのか、スプーンでくるくる掻き混ぜ続けている。
「……そっか。昨日朝日に聞いてたとは言えちょっとショックだな。俺、そんなに恨まれる事してるかなぁ?」
思わず顔が歪んでしまったが、作り笑いを浮かべて朝日に問いかけた。
「陽向くんは悪くないよ! ……どうしてか、人の成功を許せない人間はいるの。悲しいけど……。だから、陽向くんには自分が悪いとは思って欲しくないなぁ」
最後は絞り出すように朝日は俺に訴えかけた。
「ありがとう……」
「うん。……陽向くん、どうしてこんな事が起きたのか、今日で真実がわかるよ」
それが、誰かの破滅へのスタートだとしても、俺達は今避けては通れない道を歩き始めたんだ。
「どうしてダメなんですか⁉」
広瀬が声を荒らげて監督に詰めよる。
周りにいるスタッフさんも息を殺して見守る事しかできず、監督の次の言葉を待っていた。
「広瀬くんは昨日撮影した和也を観たのか?」
「観てはいません。ですが、橋本くんの事故で月島さんの撮影が延期になった話は岸川さんから聞きました。彼女だけ別の日で良いなんて不公平ですよね?時間に余裕があるなら、本役の俺で撮るのが当たり前じゃないですか!」
目を血走らせながら広瀬は興奮気味に早口で喋る。
「広瀬くんの言う事はもっともだ」
監督の言葉に広瀬の口角が一瞬上がった。
「ですよね?」
「だが、君に陽向を超える事ができるか?」
静かだが圧を感じさせる様な監督の言葉に広瀬は目をギョロギョロ落ち着き無く動かし、体はブルブルと震えさせていた。
納得いかないだろう。
俺がもし広瀬の立場だとしたら、納得なんてできない。
『俺が本物なのに何故?』って…。
「でも、俺が和也です! あいつは偽物だ!」
「止めなさい!」
針で刺すように鋭い声が広瀬の言葉を制した。
声の主は広瀬の事務所の看板俳優であり、彼を溺愛する人物、千歳夏菜子だ。その斜め後ろにはマネージャーの岸川がいた。
「海、止めなさい」
「ですが!」
「止めろと言ってるの。見苦しいわ」
「え?」
味方であるはずの千歳の突き放した物言いに、広瀬は動揺し、信じられない物を見るように千歳に視線を向けた。
この場にいた者全てが一瞬時が止まったかの様に動けずに直立不動になっている。
「あなたは彼に負けたのよ。役を降ろされないだけ感謝しなさい。これも、事務所の力だけれどね」
広瀬は顔を真っ赤にして両手を握り締めていた。その手は力の入れ過ぎでブルブルと震えている。
「監督。昨日のシーンはそのままで結構です。そうよね?海?」
「はい…」
絞り出す様に漸く返事をすると、広瀬は頭を下げ誰に目を合わせる事もなく走って行った。
「撮影開始は予定通りでよろしいかしら?」
いつもの様におっとりとした口調で尋ねる千歳は、もう広瀬の事なんて気にしていないかのように、変わらない。
「あぁ。準備をして時間になったら集合で」
「わかりました。では」
その後ろ姿を見ながら、朝日がぽつりと呟く。
「やっぱりそうなんだ…」
「朝日」
彼女は俺の方を向いて話し続けた。
「もうクエストを終わらせよう。監督!立花も準備してきます!」
「分かった!」
朝日は俺の手を引いて橋本くんの事故現場に向かいかけたが、足を止め、
「陽向くん、私、1度楽屋に戻って衣装確認してくるから、先に行ってくれる?」
俺の返事を待たず、さらに朝日は俺以外には聞こえない声で俺に耳打ちした。
俺は覚悟を決め無言で頷く。
そして、朝日が見えなくなると階段をゆっくり登り始めたんだ。
11月14日 6時40分
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