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灰のマリコさん  作者: 我堂 由果
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7.飯塚家へ

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。仲よくしてくださって嬉しいのよ」


 早苗は(たまき)と挨拶を交わした。亮弥は車から降りると礼儀正しく環に挨拶し、玄関前に立つ同級生・飯塚の隣で立ち止まった。環は飯塚の母親で、今日亮弥は飯塚の家に遊びに来ていた。

 早苗は運転席に戻ると車を発進させる。これから平日朝恒例の用事、京一郎に会いに行かねばならないのだ。


 飯塚の母親・飯塚環(いいづかたまき)。早苗と同年代の、スラリと背が高くショートヘアの似合う、洗練されたカッコいい女性だ。

 昨年春の父母会で互いを認識した時、早苗と環は連絡先を交換した。


『この駅から通う同級生はいないと思っていたのよ。心強いわ』


 早苗同様、環もそう考えていたようだ。


 飯塚の家は早苗の家から直線距離にして二キロくらいだろうか。東京なら歩いても不思議ではない距離だ。しかしこの土地ではまずこの距離は歩かない。ほとんどが自家用車移動だ。あとは、大きい荷物がないならバイクか自転車移動。しかし亮弥はここの土地勘がない。徒歩でもありえることだが、自転車で道に迷いでもしたら、例え亮弥が携帯電話を持っていても早苗はほとんど力になれない。早苗とてこの辺の土地勘はほぼない。運転だってカーナビが頼りなのだ。


 しかしそのカーナビの指示通り行っても、不安がつきまとう。本当にこれで合っているのかと。この辺の特徴は、一旦幹線道路から脇道に入るとそこは、ひたすら似たような景色の田舎道である。車で走っていると、同じ場所をグルグル回っているような錯覚に陥る。

 あとの交通手段はバスかタクシー。バスを利用したことは一度もない。バスだったらどう利用したら飯塚の家まで近いのか、考える気も起きなかった。例え利用する気になって調べたとしても、バス停まで歩く時間やバスの本数の少なさから、バスは真っ先に却下となる交通手段だろう。タクシーは数回利用したことがあるが、今回は自家用車で事足りる。

 結局今日、早苗は亮弥を飯塚家まで車で送り届けた。


 早苗と環は学校での初めての父母会の帰り、新幹線の中で色々話をした。お互いのこと、子どものこと、学校のこと、女性同士は話が尽きない。飯塚一家がここに住む理由も聞かせてくれた。飯塚夫婦はどちらもこの土地の出身であった。夫の方は地元の公務員、妻の環は自宅で東京にある会社の仕事をしていた。東京への出社は偶に、でいいらしい。

 飯塚夫婦は中学受験に興味があったので、淳也(じゅんや)を受験塾に通わせていた。結果合格した中で一番気に入ったのが、亮弥と同じ中学校だったのだ。


 車も人も見当たらず、かわり映えのしない田舎の風景が繰り返すように続くせいか、早苗はぼんやりと考えながら車を走らせていた。飯塚家から病院までの最短の移動経路を早苗は知らない。いつも通りカーナビの言いなりに進む。前からも後ろからも車が来ない。貸し切りの田舎道だった。

 ふと前方に、一瞬だが病院の看板が見えた。すぐに建物の陰になり隠れてしまったが。同じ所をグルグル回っているように感じても、確かに車は病院に向かっているのだ。

 やがて病院の駐車場が見えてきた。車は自宅からとは違う方角から病院の駐車場に近づいて行く。駐車場内は病院から遠いほどまだ空き駐車スペースが多い。早苗は車がほとんど停まっていない一角にある駐車スペースの一つに、高級車を悠々と駐車すると、車から降りてウールのコートを羽織り、荷物を持った。そして肺に冷たい空気を取り込みながら病院の建物の方向へ、舗装された広い駐車場を突っ切って行った。





「おはようございます。遅くなりました、すみません。亮弥を友達の家に送っていたものですから」


 開けっ放しにされているドアをノックのように軽く右こぶしで二回叩いてから、車椅子に座り窓の外を見ている京一郎の後ろ姿に早苗は声をかけた。聞こえているのかいないのか。理解しているのかいないのか。京一郎は何も言わない。車椅子に乗せられると京一郎はいつも、そこが定位置であるかのように窓際に移動して、窓の外を見ていた。


 今日も雲一つない冬晴れだ。突っ切った駐車場でも空気が冷たかった。京一郎が顔を向ける方角には青い空をバックに、雪を被った山々がくっきりと見えている。


「浅間山が見えるな」


 早苗が近づくと、京一郎はポツリと言った。近づかれて初めて人が入って来たと気づいたのだろう。ノックも声かけも意味をなさないようだ。

 そしてお決まりの浅間山の話。きっといつも通り京一郎は、部屋にマリコが入って来たと思っているに違いない。


「お天気がいいですから」


 早苗は当たり障りのない話を返す。


「暖かくなったら浅間山に連れて行ってあげるよ。行ったことはあるかい?」


 浅間山に行く話。予想通り、やはり京一郎は、部屋に入って来たのがマリコと思っていた。


「いえ」


 怒ると面倒なので、早苗は適当に話を合わせる。


「じゃあマリコさんを案内するよ。そうだ。鬼押出(おにおしだ)しに行こう。溶岩が見られるよ」


 先日と同じ内容の話をしている。


「楽しみです」


 あれから京一郎は浅間山が綺麗に見える日には必ず、暖かくなったら浅間山へ行こうと、早苗をマリコさんと呼んで誘う。早苗も京一郎を怒らせたくはないので、マリコとしての適当な返事をして話を受け流す。

 話は必ず毎回、鬼押出しにも連れて行く話になる。そして話が終わると早苗はやっと、お約束の内容の、義務のような会話から解放され、その後はなるたけ早く病室を出るのだ。


 しかし早苗は最近、適当に京一郎に合わせて話すのも苦痛になってきた。浅間山や鬼押出しの話を聞くと、忘れかけていたあることを思い出し、嫌な気分になるのだ。

 実は早苗は京弥のせいで、浅間山や鬼押出しにいい印象はない。浅間山や鬼押出しの話も数回なら我慢もできていたが、もういい加減、不快な話は聞きたくないのだった。


「すみません。洗濯をしたいので家に戻りますね」


 話はうんざりだ。さらに時間的にも今日はいつもよりも遅い。この洗濯物をさっさと洗って外に干したい。


「そうか」


 京一郎はただそれだけ言った。視線は相変わらず山々に向けられていた。



読んでくださってありがとうございました。

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