表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰のマリコさん  作者: 我堂 由果
64/65

64.マリコを知っている人

「それで、聞きたいと思ってたんだけど、何があって京一郎君はあそこへ移されたんだい?」

「え? お義母さんから聞いていないのですか?」

「弥栄ちゃんからはね、京一郎君に暴力をふるわれたってだけ言われたけど、信じられなくて。京弥君は何も言ってこないしね、だんまり」


 確かに弥栄子の言い分は間違いではない。京一郎は弥栄子の体を床頭台に叩きつけていた。愛するマリコを守るために。


「それは……お義母さんがお義父さんを怒らせたから……それで」


 早苗は歯切れが悪くなる。どこまでどんな風に話したらいいのか。それとも恥を隠すために、思い切り嘘をつかねばならないのか。弥輔と康子は顔を見合わせている。早苗のはっきり喋らない様子を見て、二人は思わずそうしてしまったのだろう。


「言いにくいこと?」


 弥輔は早苗の方を向くと尋ねた。


「うっ、はい、まあ」


 弥栄子は弥輔に対して、あの日に起きたことを詳しくは話さなかった。というか、自分に都合のいいように話した。今ここで早苗が、あの日に何が起きたのかを暴露してそれが弥栄子の耳に入ったら、弥栄子は激怒するだろう。その対応は面倒だ。

 弥輔は信頼できる人物だと思う。弥輔は穏やかな性格で、ただの本家の嫁の早苗にも優しかった。本家の行く末を案じ、自己中な弥栄子を窘めることも多かった。それに対して弥栄子は、言い返したり無視したり睨んだりを繰り返して反発していたけれど。

 南雲家の人間にしては真面な心を持つ弥輔に嘘はつきたくない。話を誤魔化したくもない。隠したくもない。話すならあの日のことだけでなく、あの日以前からの、一連の何もかもを残らず話したい。

 それに早苗も、自分一人で抱えていたこの話を親身に聞いてくれる、誰かが欲しかった。


「長くなりますが、何があったか聞いていただけますか?」


 早苗はそう切り出していた。





「そうか……長谷川さんとこのマリコさんなら俺も会ったことあるし、よく知っているよ」

「え?」


 早苗は弥輔がマリコをよく知っているとは思わなかった。


「当時の女性は結婚や出産が早かったから、京一郎君が大学を卒業した時の郁さんの年齢は、今の早苗さんよりも若かったんだ。元気なうちは京一郎君に頼ってばかりいないで少しは働けと、郁さんは身内たちから半ば脅され説教されて、本人渋々だが長谷川家にパートとしてご厄介になっていたんだ。でもあの性格だから、しょっちゅう長谷川家に迷惑をかけていた。その度に京一郎君が長谷川家へ謝りに行ったり、郁さんの問題解決を助けたりしてたんだ。しかし若い京一郎君一人に彼女の全てを背負わせては気の毒な気がしてね、できるだけ俺が京一郎君について行ったり、京一郎君の相談に乗ったりしてたんだよ」

「そうだったんですね」


「長谷川家に行った時、マリコさんにはなん度か会ったよ。綺麗な人だったけれど、明るくて大声で笑う、親しみやすい人だった。最初、小学生の京一郎君はマリコさんを『お姉さん』と呼んだそうだ。その京一郎君を、郁さんの伯父の妻が叱り飛ばした。『マリコはあんたの姉ではない。立場を弁えな。マリコは社長の孫娘、お嬢様だ』と。京一郎君が『お嬢様』と呼んだら、マリコさんから『そんなの変だよ。でもお祖母ちゃん怒るし。じゃあ、マリコさんって呼んで』と言われた、なんて話を聞いたことがある。マリコさんは実の姉のように接して、世話を焼いてくれたらしい。だから拝啓、なんて書き出しの堅苦しい手紙が弟のようにかわいがっていた京一郎君からきたら『やめてー! 鳥肌! 蕁麻疹も出そう!』とか言いそうだね。それで送らない手紙でも、京一郎君は気取らない手紙にしたんだろう。そのくせにマリコさんは医者になった京一郎君に対して恐れ入ってて、『京一郎先生様』とか言って緊張して、敬語も使って話してた。マリコさんが京一郎君に対して敬語なのはよくあったから、早苗さんの言葉遣いが気にならなかったんだろう」


 弥輔からこんなに沢山マリコの詳しい情報を聞くことができた。


「京一郎君が医師を目指したのも、仕事に対して真摯だったのも、いつマリコさんに見られても恥ずかしくない人間でありたかったからと聞いたことがあるよ」


 早苗は最初、近所の女性たちにそれとなく、マリコという人物を知らないか聞いて回った。その時は何も情報は手に入らなかった。しかしこんなに身近にマリコを知る人物がいたとは。

 そういえば京弥と話した時も、弥輔から情報をもらったと言っていた。弥栄子の叔父の弥輔にもっと早くに相談すればよかった。そうしたら京一郎のあの大暴れもなかったし、京一郎はこんな場所に追いやられることもなかったかもしれないのだ。


「京一郎君は婿入りしてから南雲家の人間として頑張ってくれてたし、兄さんが溺愛したせいか我がままでプライドが高い弥栄ちゃんとも、これと言って問題はなく暮らしていた。尻に敷かれていたけど、いい夫婦に見えたよ。京弥君という跡取り息子も生まれて、二人の孫にも恵まれて、いい人生を送っていると思っていたんだが。心の奥底ではマリコさんを忘れられなかったんだろうな。彼のことをもっと気にかければよかったよ」

「私ももっと早くおじさんに相談すべきでした」

「仕方ないさ。義父の口から出た聞き覚えのない女性の名前なんて、話しにくいだろう」


 弥輔にそう言ってもらえて、早苗は少し肩が軽くなった。


「私、マリコさんに似てますか?」

「いや、全く似てないね。早苗さんは良家のお嬢様タイプだけど、マリコさんは近所の面倒見のいい、世話焼きおばちゃんタイプだ。周囲を楽しませ笑わせるのが好きで、賑やかで明るい彼女を花にたとえるなら、どちらかというと向日葵かな。大輪の向日葵。しかし京一郎君には、彼女がたおやかな藤や桐の花に見えるのか」


 弥輔は「惚れた欲目かな。まぁ、彼女、美人ではあったからね」と言ってクスクスと笑う。早苗は自分がお嬢様に見える自覚はない。弥輔にはそう見えるのかもしれない。しかし早苗は近所の世話焼きで明るくて優しい、でも美人なおばちゃんタイプでもない。早苗とマリコとの共通点はなさそうだ。それでも京一郎には早苗がマリコに見えるのか。


「毎日病室に来て、声をかけて世話してくれていた早苗さんと、子どもの自分の面倒を見てくれたマリコさんが重なって見えたのかもしれないね」


 そこまで聞いて早苗は、この決心を弥輔には話そうと決めた。


「おじさん、ごめんなさい。お義母さんの身内のおじさんを嫌な気分にさせてしまうけど、私、これからもこうして偶に来て、マリコさんのふりします。お義父さんが私をマリコさんと呼ぶ限り」

「気にしなくていいよ。京一郎君は今まで頑張ってくれたんだ。残りの人生は穏やかに過ごさせてあげたい。京一郎君もきっと嬉しいだろう。ただ、弥栄ちゃんには知られないようにね。俺も、かわいい姪っ子が悲しむ、いや、激しく怒るのを見たくはないから」


 おじさん、姪っ子をよくわかっている。


 弥輔と康子を車で家まで送り届けると、早苗は一人帰途につく。西に傾いたオレンジ色の太陽光の中、高速道路を一定速度でひた走る。

 あれから南雲病院には弥栄子の付き添いの時くらいしか行かない。院長室の鍵も交換したから、もう院長室にも入れない。院長室の窓から見える桐の木の蕾は開いただろうか。いや、もう花は盛りを過ぎ終わっているかもしれない。

 院長室の窓から桐の花を見ることはできないけれど、窓の下に行って見上げることはできる。明日行ってみようか。そしてまだ花が終わっていなければ、薄紫色の花の写真を撮ろう。次に京一郎の面会に行く時に、浅間山の写真以外にその写真も持って行こう。

 夕日は少しずつ山の稜線に近づいていく。家が近づくにつれ、燃えるようなオレンジ色の夕焼けを背景にした黒い浅間山のシルエットが、どんどん大きくなっていった。





 後日、早苗に弥輔から連絡がきた。弥輔はマリコの消息について調べてくれた。

 マリコは長谷川家が商売を畳んだ後、縁あって、妻を亡くした男性の後妻に入り、男性と前妻との間の子どもたちを育てたそうだ。マリコの人柄のお陰か子供たちも懐き、男性との夫婦仲もよく、その後の人生は幸せだったようだ。そして彼女は昨年遠くへ旅立った。

 でもそれを今の京一郎が知る必要はないだろう。


ここまで読んでくださってありがとうございました(__)

次話が最終話となります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 最終話が今日更新だぁぁ(((o(*゜▽゜*)o))) 全話までの激動が嘘のように、静かに穏やかに過ごす京一郎さん…亮弥くんと繋がっていたとは∑(゜Д゜) 意外と策士?な一面まで見られて、早…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ