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灰のマリコさん  作者: 我堂 由果
47/65

47.噂

「どんなことを書いたのですか?」


 早苗は尋ねる。


「近況、健康か。つまらない内容だ」

「そんなことないですよ」

「今はマリコさんがいる」


 毎日やってくる息子の嫁・早苗について、様子を見に来る息子・京弥について、偶に現れる妻・弥栄子について。そして書いた手紙を渡すことさえできない、今は会うこともできないマリコがこうして訪ねて来ることについて。京一郎の頭の中はどう処理されているのか。この矛盾だらけの己の認識を、京一郎は少しも気にしている様子はない。最も身近な人間である、弥栄子や京弥の存在はどこかへやってしまい、マリコのふりをする早苗に対して浅間山に行こうなどと言っている。体を自分一人で自由に動かすこともできないというのに。


 早苗は京一郎から離れるとバッグを椅子の上に置く。そこから洗った洗濯物を取り出して、ベッドそばのいつもの場所にしまおうとベッドに近づいた。ベッドの上の枕と逆側に、捲られた掛布団を圧し潰すように、開かれたままのアルバムが置かれている。あの少女の写真が貼られたページだった。

 あれが京一郎とマリコとの大事な思い出。これからも京一郎はあの写真を見て、マリコに思いを馳せるのだろう。





「全く! ぐっすり寝てたのに、電話で起こすなんて、なんだってんだよ!」


 朝、早苗が亮弥を駅に送り届けて自宅に戻ると、食卓に座った京弥が疲れた顔で、食卓上に放置したスマホに向かって悪態をついていた。スマホは画面が伏せられた向きで置かれているので、もう通話は終わっている状態なのだろう。それにしてもあの普通でない怒りようは、仕事の電話ではなかったからだろうと思う。仕事だとしたら睡眠を邪魔されてもあんなに怒らない。それに早苗がそう思うのには理由があった。

 昨晩遅くのこと、弥栄子から早苗に、京弥に話があると電話があったのだ。だからきっと今朝早苗がいない間に京弥にかかってきた電話は、弥栄子からで間違いないだろう。前屈みで座る京弥の服はパジャマのままだし、毛髪は後頭部に地肌がくっきり見える形に、笑える寝癖がついたままだ。

 今の時間はまだ、普段京弥が起きる時間ではない。京弥が起きてくるのは早苗が新幹線の駅より帰宅してから十五分後くらいだ。今朝、京弥はもっと寝ていられたのに弥栄子に電話で叩き起こされたのだ。


「おはよう」


 不機嫌そうな京弥に早苗は声だけはかけて、キッチンへ入った。


「お袋から電話だ」

「そう」


 早苗は京弥を見ずに返事だけはした。昨晩遅くの弥栄子からの電話で、早苗は京弥に伝言を頼まれたのだ。


「昨晩帰って来た時に、お義母さんから電話があったと伝えたじゃない。折り返してって」


 昨晩十時頃だったか、固定電話に弥栄子から電話がかかってきた。京弥に話があるので京弥を電話に出して欲しいと言われたが、その時間京弥はまだ帰宅していなかった。


『スマホにかけてみたら』


 早苗が弥栄子にそう言うと。


『さっきから何度もかけているんだけど、出ないのよ! 留守電を残してもかかってこないし!』


 きっと京弥は仕事中で電話に出られないのだろう。そして京弥からかける暇もないのだろう。


『帰宅したら電話があったと伝えます』

『折り返し電話させて』

『わかりました』


 早苗は弥栄子にそう約束して電話切ったのだが、京弥が帰宅したのは十一時半を回った頃だった。常識的に考えて、電話をかけられるような時刻ではない。


「スマホにかけられても、忙しい時は電話に出て話してなんていられないんだよ。メールくれれば暇な時返信するのに」


 京弥は愚痴る。弥栄子は常々、メールを打つのは面倒で嫌いだと言っている。送受信のメールのやり取りも、いちいち面倒だと言っている。用事は電話でさっさと済ませたいと。何かをメールで弥栄子に送っても、それへの返信はまずこない。メールを受け取るとすぐに、弥栄子は相手に電話をかけてくるのだから。


「昨晩は遅かったから電話できなかったのに、こっちだって疲れてるんだよ、大した用事じゃないのに、なんで待てないかな」


 更に愚痴は続いた。


「今日の朝、お袋は早苗と一緒に親父の病室へ行くそうだ」


 京弥は愚痴をやめ、弥栄子からの要件を伝えた。早苗は朝食の支度をしていた手を止める。


「え? どうして? 何があったの?」


 弥栄子が平日に早苗と一緒に京一郎の所へ行くと言うなどと、ここに来て初めてのことだ。


「近隣で噂が立って、それがお袋の友人経由して、お袋の耳に入った」

「噂?」


 噂とはなんなのか。早苗は弥栄子についての噂など聞いたことがないが。


「お袋が滅多に病院に現れず、毎日息子の嫁の早苗のみが親父を訪問しているという話が広まっているんだ」


 確かにその通りである。しかしそれがなんなのだろうか。弥栄子は当然のことと思っているだろうに。


「しかし世間の連中はお袋を悪く言った。嫁に丸投げして、妻であるお袋は元気なのに、数カ月に一度しか現れない。あれだけ病院のために頑張っていた院長先生を、随分とぞんざいに扱う。これだから人間、養子になんていくもんじゃない。偉そうにしてても南雲家は薄情だと」

「それでお義母さんがそれを気にしているって言うの?」

「電話では凄まじく、俺に反論を述べていたさ。でも世間は面白おかしく噂にして楽しんでいる」


 暇人が多いなと思いながら、早苗は朝食作りを再開する。


「お袋はカンカンに怒っているが、世間を馬鹿にはできない。噂を消すために、これからは週に二、三回は病室に行くそうだ」


 くだらない。本当にくだらない。

 まさかこれから京一郎の病室へ行く前に、毎回必ず弥栄子に同伴お伺いをしなくてはいけないのか。なんて面倒臭い事態。行くにしても決まった曜日と時間に固定してくれないものか。

 早苗の負担が増えるだけの噂話なんて迷惑この上ない。南雲家なんて放っておいて欲しいのに。早苗は今まで通り一人で行く方が、ずっと気楽だ。

 早苗はこれからの数時間を考えると憂鬱しかなかった。


読んでくださってありがとうございました<(__)>

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― 新着の感想 ―
[良い点] マリコさんの真実がーッ∑(゜Д゜) これは大分前進したのでは!? しかし箱や手紙にまつわる京一郎さんの一言(T . T) めっちゃプラトニック…というか。 色々な思いを隠してしまうのがもう…
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