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灰のマリコさん  作者: 我堂 由果
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40.赤い表紙のアルバム

「ヤスエさんのご主人が、自・宅・ま・で、送ってくれたのよ」


 早苗が家に着くと、早速帰宅していた弥栄子が土産を持ってやって来た。ヤスエを駅まで車で迎えに来たヤスエの夫が、弥栄子も一緒に乗せて家まで送ってくれたのだ。


 あんな『自宅まで』を強調した、嫌みったらしい言い方をしなくてもいいものを。


 早苗とて弥栄子を駅まで迎えに行く気でいた。それをヤスエが『お嫁さんは午後院長の病室へも行くんでしょ? 息子さんの送迎もあるし大変だろうから、弥栄子さんはうちの車で送るわよ』と言って、早苗に連絡をくれたのだ。それでありがたくお願いした。

 その本日の一連の出来事のどこかが、弥栄子には不満らしい。駅まで行かずに済んだ早苗が楽な思いをしたからか、弥栄子の方が早苗に車を出させヤスエを送らせて礼でも言われたかったのか。とにかく嫌みが終わるまで黙って聞き流すしかない。それはそれで弥栄子は気に入らないのだろうが。


亮弥(りょうや)に食べてもらってね」

「ありがとうございます」


 土産の温泉まんじゅうの箱を早苗に渡すと、弥栄子は帰って行った。


 夕方帰宅した亮弥に温泉まんじゅうを食べるか聞いたが返事はなかった。ただ、蓋を開けて食卓の上に置いたまんじゅうの箱から、まんじゅうを二個だけ掴み取ると、スルリとキッチンカウンターを回り込んで冷蔵庫の前に立ちドアを開けた。中から五百ミリリットルのペットボトルのお茶を一本取り出すと、それらを持ってリビングを出た。その後は階段を上る足音からいって、自分の部屋に直行。そしてこの間ずっと無言。


 きっともう夕食まで出てこない。(たまき)が教えてくれた話を思い出す。父も母も姉も祖母も、亮弥は誰とも顔を合わせたくないし、口もききたくないのだろう。

 京弥がいたら、『親に対してその態度はなんだ!』と注意をするだろう。しかし早苗はそんなことを言う気になれない。亮弥の気持ちはわかるし、亮弥は中学生男子という、まだ精神が安定していない生き物だから。





「おはようございます」


 早苗は京一郎の病室へとやって来た。弥栄子のいない生活も終わり、隣家に気を使う、常に軽いストレスを感じる日常が戻ってきた。そしてこれも、いつもと変わらぬの早苗の日課、朝の洗濯物の回収だ。

 午前中の早い時間、京一郎はまだベッドにいる。ベッドの頭側を起こして座り、小鼻の少し上に若干右に傾けて眼鏡をかけて、膝の上に乗せた病院の五十年誌を見ていた。お気に入りのテルテル坊主は床頭台のテーブル上に、座布団を敷いて置かれている。


「おはよう」


 今朝は挨拶が聞けた。京一郎は山を見ていない時は、偶にだが挨拶するのだ。今日は機嫌がいいのか早苗に挨拶を返した。早苗は京一郎に近づいた。


「失礼しますね」


 そう言って早苗が眼鏡を正しい位置にずらすと、京一郎は照れたように「ハハハ」と小さく笑った。


「ありがとう。ああ、そうだ、マリコさん」


 礼の後に、早苗はマリコとして声をかけられた。


「はい」

「久しぶりにマリコさんの写真が見たくなった」


 京一郎は本から目を離してベッドサイドの早苗を見上げると、突然そんなことを言い出した。


「私の、写真ですか?」

「取ってきて欲しいんだ」

「取ってくるって、どこにあるんですか?」


 早苗は院長室の私物内の、古い昭和の写真を全部見たはずだ。あの中にマリコがいたというのか。子どもの頃の写真? 集合写真? 卒業アルバムではないだろう。あれには名前が書いてある。あとはよく見られなかった大学時代や社会人になってからの写真。


「俺の部屋にあるよ」


 俺の部屋というのはどこのことだろうか。まさか弥栄子と住んでいる自宅? それとも院長室のことなのか?


「アルバムに入っていますか?」


 部屋については聞くのが怖い。早苗は慎重に言葉を考え、まずはその写真がどういう状態かを聞いてみた。


「ああ、マリコさんは知らないか。赤い表紙のアルバムなんだが」


 院長室の私物入れの中の一冊目のアルバムが赤い表紙だったのを、早苗は思い出した。あれを取ってきて欲しいのだろうか。それではあの中にマリコの写真があったのか。早苗にはわからなかったが。


「部屋を探してみますね。今日はもう週末なので、週が明けたら行ってみます」


 早苗はあえて部屋としか言わなかった。でも今までから考えて、マリコに頼むのに、弥栄子のいる自宅の部屋のわけがない。部屋とは院長室で、あの赤い表紙のアルバムで、間違いないだろう。


 しかしおかしな会話だ。京一郎の頭の中で、早苗と、院長室の鍵と、マリコの関係はどうなっているのだろうか。院長室の鍵は早苗が預かっている。以前京一郎本人が早苗に渡したのだ。それをマリコが持っているはずがない。それなのに京一郎はマリコから五十年誌を受け取ったつもりでいるし、マリコに対してアルバムを取りに行って欲しいという。京一郎の頭の中では、早苗ではなくマリコに鍵を渡したことにすり替わっているのか。しかし早苗は京一郎にそれを尋ねる気はない。余計なことを言うと、京一郎が混乱して騒ぎになる可能性があるからだ。


「よろしく頼むよ」


 京一郎はそう言うと視線を本に戻した。





 今日は日曜日。京弥は仕事がしたいと言って、午後から出かけて行った。亮弥は食事やトイレ以外部屋から出てこない。ただ、亮弥は期末テストが近くなってきた。勉強しているのかもしれないが、本人が何も言わないのでわからない。今のところ亮弥の成績は、校内で上位二十から三十パーセントの間をウロウロしているというところか。トップクラスというわけではないが担任から注意を受けるというほどでもない。宿題や提出物も期限内にこなしている。勉強に関しては早苗や京弥が亮弥に喧しく言う必要もないので、本人が試験を前にしてどのように勉強しているのかを聞いたことはない。聞いたとしても『普通にやっているだけ』とかしか言わないだろうが。



読んでくださってありがとうございました。

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