37.ばったり
今日から二泊三日。弥栄子がいない。早苗にとっては、なんのストレスもなく過ごせる貴重な時間である。弥栄子を駅まで送り届けたあと京一郎の病室を訪れ、いつもよりも一時間以上遅れての帰宅となった。今日は薄曇り。洗濯を急がねば乾かないかもしれない。早苗は急いで洗濯機のスイッチを入れると、リビングで手紙のチェックを始めた。
昨日の夜は日頃よりも早く京弥が帰宅した。そのために夜、手紙をチェックしている時間がなかった。それなので今日は昨日の午前中の続きのチェックをするつもりだった。弥栄子がいないのだから午前中にスーパーでの買い物や、その他の何かの用事を頼まれることもない。掃除機も昼までにかければいいだろう。なんならスーパーは昼食後にゆっくり行こう。今日の自分は比較的自由に時間を使える。東京にいた頃と同じ過ごし方をしていいのが嬉しい。何も気を遣う必要のなかった、懐かしい日常が期間限定だが戻ってきた。
原田家からの手紙はあと一通残っている。しかしこれは京一郎の祖父・原田孝道からではなく、伯父・孝弘からの手紙だ。洗濯機が仕事を終える前に、これを読んでしまおうと思った。
『……郁が亡くなりほっとしている……』
郁が亡くなった時の手紙だ。一応京一郎への労りや慰めの言葉もあるが、郁がいかに厄介者だったかわかる強烈な言葉もあった。実母がこんな言われよう。京一郎はどんな気持ちでこの手紙を読んだのだろうか。
とりあえずこれで石川家と原田家からの手紙のチェックは終わった。さらに『南雲京一郎様』『原田京一郎様』宛ての手紙を探したが、マリコに繋がりそうな内容の手紙は見つからなかった。
午後は『南雲京一郎先生』宛てのチェック。差出人が会社・医療機関などの、個人からのではない手紙を避けていく。さらに中を確認すると、大体は病院と契約している会社の営業や知り合いの医者からの手紙。地元のお偉いさんたちからの親書。
結局これ以上の手掛かりが何もないまま、早苗は全ての手紙を読み終えた。
午後、いつもよりも少し遅めに、早苗は京一郎の病室を訪れた。
「遅くなりました。このお天気なので洗濯物の乾きが悪くて」
車椅子に座る京一郎の後ろ姿に声をかけた。特に反応はない。それはいつもの話なので、早苗は自分の仕事を始めようとしたのだが。なんとなく首を傾げたような京一郎の体勢が気になり、早苗は車椅子の隣に立つと京一郎の顔を覗き込んだ。
京一郎は静かな寝息を立てて眠っていた。それで体が傾いていたのだ。膝にのせていたのであろうテルテル坊主が床に落ちてしまっている。早苗は覗き込むのをやめて車椅子の逆側に回り込むと、落ちているテルテル坊主を拾った。汚れがないか確認する。大丈夫なようだ。一応、テルテル坊主の床に落ちていた側を、埃を払うように軽く数回叩いた。
「起きる前に気がついてよかった」
早苗はそう小声で言ってテルテル坊主を窓の額縁にのせる。膝に戻したらまた落としてしまうかもしれない。でもここに置けば落ちることはない。京一郎も以前自分でのせたことがあるのだから、すぐに気がつくのではと思ったのだ。
「ねえ、お義父さん。マリコさんって誰なんですか?」
早苗は眠る京一郎に尋ねた。
「間違えるなんて、その人、私に似ているんですか?」
京一郎は眠ったままだ。何も答えてはくれない。早苗は京一郎から離れると、洗濯物を片付け始める。タオルを全部しまい終えたところで、窓際にちょこんと置かれたテルテル坊主をチラリと見た。
テルテル坊主の座布団でも作ろうかな。
窓際に置かれた姿がすごく寒そうで、敷物をあげたくなってしまった。リボン同様喜んでくれそうな気がする。
「また明日来ますね」
早苗は声に出してそれだけ言うと病室を出る。早苗の仕事が終わっても京一郎は起きなかった。
恒例、院長室侵入曜日木曜日の午後。早苗は院長室に入り込み、私物が入っている段ボールに手紙の入った缶を戻していた。これで京一郎の私物の調査は終わった。さて、次は何をしよう。昨晩も今日も考えたが、何も思いつかなかった。ここで調査は一旦終了とするしかないのだろうか。収納の扉を閉めようとしたその時、ドアの鍵をガチャガチャと回す音がした。その瞬間、早苗の心臓がドキリとした。廊下に誰かいる。そして院長室のドアを開けようとしている。でもなかなか入って来ない。院長室に入ろうとしている人物は鍵がかかっていると思っているから、部屋の鍵が開いている状態に戸惑っていてもたついているのだろう。その間も早苗の心臓が早鍾を打つ。
しゃがんでいた早苗は立ち上がり、どこか隠れる場所はと必死で部屋を見まわすが、そんな場所は執務机の下くらいしかない。しかし入ってくる人物が用があるのが机だったら、その下に隠れていたら簡単に見つかってしまう。
どうしよう、どうしよう。
とりあえず執務机の下に逃げ込もうか、このままこの場で動かず何かうまい言い訳をするか。結局早苗はその場から一歩も動けぬまま、勢いよくドアを開けて入ってくる人物を、ただじっと見ていた。
入って来たのは細身で、ワイシャツ・ネクタイの上に白衣を羽織り、フチなし眼鏡をかけた神経質そうな中年男性。当然、早苗とその人物の目はすぐに合った。
「早苗?」
「京弥さん」
入って来たのは京弥だった。京弥は部屋に一歩入って立ち止まる。
「鍵が開いていると思ったら、早苗だったのか。どうしてここにいるんだ?」
もっともな質問だった。そして早苗の足元を見る。私物の入った収納の扉がまだ閉められていなかった。
「何をしていた?」
京弥は眉間にしわを作り、不審そうに早苗を見た。
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