34.テルテル坊主
日曜日の夜。早苗はリビングのソファに一人で座り、明日院長室に侵入したら何をすべきか考えていた。
今朝病院から戻ると食卓には京弥がいた。『すぐ戻ります』と書いたメモの隣に置いた、ハムとチーズとレタスを挟んだサンドイッチを仏頂面で食べていた。『日曜の朝っぱらから、どこに行ってたんだ』と不機嫌そうな声で言われたので、弥栄子からの電話の内容を告げた。その途端に京弥は仏頂面をやめて、予想外だったのか少しだけ目を見開いた。そして引きつった笑顔を浮かべてから、『なんだお袋か、そうか、なら、しょうがないな。メモにそう書いとけよ』と不機嫌とは感じられない声で言った。それから早苗から目を逸らし、無言で食事を続けた。
ああ、お義母さんの命令だったから。偉そうに言ってしまって気まずいのね。
早苗も病院から持ってきた洗濯物を抱え、無言で洗濯機に向かう。朝食を食べ終えた京弥は病院へ仕事に向かうという。『いってらっしゃい』と送り出してから十時間以上が経過したが、いまだに京弥は帰って来ない。夕方六時頃、先に食事をしていてくれという連絡が早苗にきた。
弥栄子が強引に夕食にやってくるのは京弥に会って話がしたいからだ。それなのにお目当ての京弥がいない。お陰で夕食は、早苗・弥栄子・亮弥という最悪の組み合わせとなり、会話は弾まず味がしない食事となった。
京弥は最近、月に一、二回は日曜日の夕食の場にいない。早苗と弥栄子に挟まれての夕食が大嫌いらしい。弥栄子はよく食べながらそこまで口が回ると感心するくらい、京弥に向かって喋りっぱなしで、言いたい放題となり騒がしい。それが早苗についての愚痴だと、目の前に本人がいるのだから、京弥も心底納得したような相槌を打つわけにもいかない。だからといって曖昧な返事をすると弥栄子がキレる。
きっと今日も弥栄子から逃げたのだなと思った。もしそう指摘したら京弥は、『そんなことない、忙しい』と言い訳をするのだろうけれど。
そして緊張が解けた夕食後。
見るからに京弥がいなくて面白くなさそうな弥栄子は帰り、夕食中終始早苗に気を使わせてくれた、無表情だった亮弥は自室にこもり、晴れて早苗はリビングに一人。ソファに浅く腰かけ背凭れにだらしなく寄りかかった姿勢で、明日からの作戦を練る。
まずはバッグの中の読み終わった手紙をあの煎餅の缶に戻さねばならない。次に読んでみたいのは郁つながりで、京一郎の親戚たちからの手紙。
しかし郁からの手紙は酷かった。多少は縁談などの真面そうに見える手紙もあったが、それでも根底にあるのは彼女が手にする金の話だ。さすがに郁以外の人から手紙は、もう少しマシな内容だろうと思う。でも誰から読んでいけばいいのか。というか親戚って誰がいたのか。こうなったらもう、缶から手紙を持ち出しては戻すをチマチマと繰り返すのはやめて、煎餅缶を丸ごと持ち出してみるか。
それから、また京一郎に話しかけてみよう。何か新しい情報が聞けるかもしれない。
月曜日の朝。この日は雨だった。病室に着くと京一郎は少し起こしたベッドの上で外を見ていた。
「今日は、山は見えなさそうですね」
早苗は話しかけてみた。
「そうだな」
京一郎の声はどことなく寂しそうだ。もうすぐ冬も終わる。春がくる。そうしたら雨の日が増えて、春霞も出て、山が見える日も減るだろう。
「雨は嫌ですね」
「そうだな」
あまり会話が弾まない。朝ベッドから青空が見えないと京一郎は口数が少なくなるし、浅間山の話も自分からはしないのだから二人の会話が続かないのも当然だ。
「テルテル坊主、作りましょうか」
早苗はそう言ってみた。京一郎は興味を持ったのか、首を動かして早苗の方を向いた。
「マリコさんが作ってくれるのか?」
「一緒に作りましょうよ」
早苗は床頭台のティッシュケースから、ティッシュを二枚取り出した。京一郎の両手は布団の外に出ていた。
「手で丸めてください。ボールにするみたいに」
一枚を京一郎の動かしにくい方の手に乗せる。京一郎は手の上のティッシュを、逆の手を使ってぐちゃぐちゃに丸め始めた。その間に早苗はバッグの中を漁る。そしてそこから薄青いデニム地のペンケースを取り出した。ペンケースの中には元から家で使う自分用として、シャープペンシル、消しゴム、ボールペン、細・極細書き用の黒マジック、ハサミ、ホチキス、定規、が入っている。この中に輪ゴムも五本ほど入れた。これにメモ帳をプラスして、早苗はマリコ調査グッズなどと勝手に呼んでバッグに入れた。しかし今まで使ったのは、メモ帳とシャープペンシルと、手紙を束ねるための輪ゴムだけだ。
張り切って用意した割には大半が、実際には使い道のない無意味な文具だった。だが今こうして輪ゴムとマジックの二つは、違う意味で役に立ってくれそうだ。
早苗はペンケースのジッパーを開けると、中から輪ゴム一本と黒マジックを取り出した。
京一郎が丸めたティッシュを早苗は受け取ると、もう一枚のティッシュの中心で丸めたティッシュをきっちり包むように、外側のティッシュを絞った。そして絞った部分に輪ゴムをぐるぐる巻いて、ティッシュが解けないように留めた。テルテル坊主の形ができ上がった。
次に早苗はマジックの細側のキャップを取ると、マジック本体を京一郎の左手に持たせた。そしてテルテル坊主を右手でしっかり持つと、その頭を京一郎に突き出すようにして、京一郎のお腹あたりの布団の上にのせた。
「顔をお願いします」
「マリコさんの顔を描くよ」
「笑顔をお願いしますね」
京一郎は右利きだ。慣れない手つきで目鼻を描いていく。横棒を二本眉毛として描き、その下に点を二個描く。その下に縦棒一本、これが鼻だろう。そしてその下に口として横一本線。
「顔ができましたね」
「でも笑顔じゃないな」
「でも優しそうな顔ですよ」
「笑顔にしたかった」
「私が書き足して、笑顔にしてもいいですか?」
「頼む」
早苗は京一郎からマジックを受け取ると、横一本線の口の下にUの形を描いた。これで笑った口の出来上がり。
「これで笑顔でしょう」
「ああ、笑顔だ。マリコさんの笑顔だ」
京一郎は目元や口元に深い笑いジワができるほどの笑顔で、テルテル坊主を受け取った。
お義父さんが、あんな顔して、笑った?
早苗は驚いた。
マリコという名を気にかける前の早苗は、毎日、挨拶後一言二言交わして、用がなければ病室から逃げてしまっていた。京一郎とは特に何か話したいとも思わなかったし、この場に長居もしたくなかった。そんな頃の京一郎が早苗に見せる表情は、無表情か少し悲しそうな顔。最近マリコのふりをする早苗に対しては少し笑った優しそうな顔。早苗は病室ではそんな顔しか見たことがない。
二人でテルテル坊主を作っただけなのに、それだけで京一郎はこんなに嬉しそうな顔をした。今までで最高の笑顔だ。拙いながらも楽しいコミュニケーションが取れている。面倒臭いなどと思わずに、以前からもっと話しかければよかったのだろうか。
「窓際がいいでしょうけど、丁度いい下げる場所がなさそうですね。どこかに置きますか?」
「このまま持っているよ」
京一郎は手の中のテルテル坊主をじっと見詰めていた。
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