33.日曜日
金曜日の朝。咳と鼻水が残るが、早苗の熱は完全に下がった。午前中の京一郎の病室訪問から戻ると、急いで洗濯物を洗濯機に突っ込みスイッチを入れた。早苗は洗濯機が回っている間に少しでも多くの郁からの手紙を読んでおこうと、ソファに座ってバッグから手紙を取り出した。
『月々に送ってもらうだけじゃ足りないの。来月から増やしてもらえるようにそちらのご両親に頼んでもらえない?』
郁は毎月いくらかのお金を弥栄子の両親から送ってもらっていたようだ。京一郎の父親は家を出て行った。郁がいつまで元気に働けていたのかは知らないが、年を取ってからは南雲家からの仕送りが、生活の頼りだったのかもしれない。南雲家は一カ月いくら送っていたのだろうか。こんなに頻繁に足りなくなるほどの少額だったのだろうか。いや、きっと十分な額をもらっていたと思う。
『五反田のお義父さんは随分といいお話を持ってきてくれたのね。奨学金も全額返済してくれるし、あなたを将来院長にしてくれるのでしょう? 私の生活費も援助してくれるのよ。文世さんがお近づきの印に、って言ってエメラルドの指輪をくれたの。今度一緒にお芝居も見に行くの。とてもいい方よ。養子のお話をお受けしなさい』
文世は弥栄子の母だ。これは内容からして京一郎の縁談ではないのか。この手紙からわかったが、京一郎を南雲家に紹介してくれたのは京一郎の祖父だった。京一郎の父方の実家は裕福で、その援助で京一郎は高校や大学へ通えたという話は聞いたことがあった。ただ奨学金と書いてあるということは、裕福とはいえ生活の面倒は見ても、学費までは出してもらえなかったのだろうか。京一郎の腹違いの兄弟がこの祖父の家を継いでいるらしいから、跡取りではない者にはお金をかけないということか。この手紙だけでは詳細はわからない。
とはいえ、南雲家は京一郎の母親をお金で懐柔したようだ。これだけお金に執着する人だから、南雲家の申し出を喜んだに違いない。一方の京一郎の気持ちはどうだったのだろうか。養子にいってもいいと思っていたのだろうか。それとも。
当時お義父さんには好きな人がいて、それがマリコさんとか?
郁の手紙だけでは確証がないし、手紙の中に具体的にマリコの名前も出てきていない。
早苗は手紙を次々と読んでいく。何かヒントがないかと思うが何もない。大半はお金のお願い。しかし京一郎はよくこんな手紙を取っておいたなと思う。早苗が京一郎だったら、見た瞬間に破いてゴミ箱に捨てる。でも京一郎にとっては大事な母親だったのだろうか。それとも実はこの何倍もお金頂戴の手紙がきていて、ここに残っているのはその一部だけだとか。
『京弥に会いたいわ。私にとっては初孫なのよ。いつ会わせてくれるの?』
こんな手紙も出てきた。孫をだしにしてお金をせびろうというのか。
『出産祝い渡さないと会わせてももらえないの? 私お金がないのよ。孫に会わせてくれるだけでいいの。その時お金をくれなんて言わないわよ』
京一郎はこの手紙に負けて郁を京弥に会わせたのだろうか。本当に孫に会いたいだけで会った時にお金の話はなかったのだろうか。京弥は自分の父方の祖母については一切語らない。母方の祖母については詳しく語ってくれるのに。早苗からも無理に聞こうとは思わなかった。
洗濯が終了したブザー音が聞こえた。午前中のうちに、洗濯物を干して、掃除機をかけて、スーパーに行かねばならない。
スーパーから戻ってからも読み続けたが、残りの郁からの手紙はお金に関するものばかりだった。マリコの名前も京一郎からもらったヒントのハンカチについても、手紙の中には全く見当たらない。早苗は夢中で読み続ける。全チェックが終わって時計を見ると、もう午後一時二十分だった。
昼食も食べずにチェックをしていた。収穫は京一郎を南雲家に紹介したのが、京一郎の父方の祖父とわかったことか。とりあえず病み上がりなので栄養だけは摂らないと。昼食を抜くわけにはいかない。冷蔵庫からお冷ご飯とお弁当のおかずの残りを取り出して、温めて食べた。ここ三日ほど掃除をしていない。京一郎の病室に行くまでに掃除をしておかなければ。早苗は食器をシンクへ置くと、掃除機を取りに廊下の収納へ向かった。
日曜日。さすがに日曜日まで洗濯物を取りに行けとは言われない。早苗の病院通いも月曜日から土曜日までだ。京弥も亮弥も日曜日、まず十時前には起きてこない。そのつもりでのんびりと一人で朝食を摂っていると、家の固定電話が鳴った。
『もう朝九時半よ! さっさと洗濯物を受け取りに行って、お父さんの様子を見てきて!』
電話に出た瞬間、弥栄子から怒鳴られた。
「ええっと、今日は日曜日ですよね」
早苗はそう言うとテーブルの上にある、カフェオレの入ったマグカップと、たっぷり塗ったバターがほどよく溶けているトーストを見た。温かいうちに食べたいのに。
『三日も休んだのにまだ休み足りないの? こんな時は日曜日に行くような誠意を見せなさい! 大体ね、あなたのお父さんが言っていたのよ。娘は風邪一つひかない健康体だって。だからいい娘が見つかったって喜んだのに! 嘘をついたのね。あなたの紹介者に報告させてもらうわ!』
早苗は見合いの席での父の話を思い出そうとする。あの時父がどんな話を弥栄子にしたのか。そういえば、言っていたような気がする。早苗を気に入ってもらうためのそんなホラ話を。
風邪をひかない人間などいない。軽いものから重いものまで年になん回も、早苗だって人並みに風邪をひく。なんで父は風邪をひかないなどと言ってくれたのか。理由はわかっている。沙紀のせいだ。
沙紀は生まれた時から体が弱かった。二歳までになん十回医者にかかったかしれない。入院に至るまでの病気もなん回もかかった。両親は医師から、小学校に入る年齢くらいまで油断ができないと言われた。早苗と沙紀に年の差があるのは、両親は沙紀が無事に小学校に上がるのを待ってから、二人目の子を作ったからなのだ。
一方で次女早苗は、両親に心配をかけない元気な子どもであった。成人するまで一度も入院したことがなかった。なにせ、生まれてこの方入院したのは子供を出産した時だけなのだから。
早苗の父にとって、仕事以外の話はどうでもいい話。適当に相槌を打つし、よく考えずに話をする。あの、『遺産放棄して戻ってくるな』と沙紀が話した時のように。特に丈夫だった早苗に関しては、『早苗は沙紀と違って、普通に暮らしていれば風邪さえひかない、風邪をひくのは不摂生をした時だけ』と思い込んでいるから、その後の影響も考えずそんないい加減な話を口にしたのだろう。そしてなぜそんなことを見合いの場で言ったと抗議したとしても、『そんなこと言ったっけ? 言ったとしたら深く考えてなかったんだと思う。でもほぼ正しいと思うぞ』と言われ、言った本人反省も謝罪も全くしないのが落ちだろう。むしろ風邪をひくなんて、早苗が不健康な生活でもしたのではと注意されるだけだ。
『聞いてるの!』
早苗はしばらくぼんやり考えてしまった。そのせいで弥栄子が電話で怒って何か言い捲っていたのが、全く頭に入っていなかった。それよりも、本気で父の友人に文句を言うつもりだろうか。まさかそこまではしないと思うが。もしされたら彼は悪い人ではないので、申し訳ないなと思う。
『わかりました。すみません。二人に朝食を作ったらすぐに病院に行きます』
それだけ言って一方的に電話を切った。こちらから電話を切られて弥栄子は怒っているかもしれない。文句を言い足りなくて、これから車を使う早苗を駐車場で待ち構えているかもしれない。とにかく言いつけを守ろうと急いでいたのだと言って、頭を下げ謝っておけばいいだろう。
病院から戻ったら、京一郎の洗濯のため洗濯機をもう一度回さねばならない。早苗の朝食はそのあとだ。そして夕方乾いた洗濯物を病院へ届けに行くのだ。今日は日曜日なのに。
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