31.ストレスの日々
郁と暮らしていたと聞いた覚えのある中学時代までの写真だけは、丁寧に見たが収穫はない。少女や女性を見つけたが、いつどこで誰と撮ったか説明書きのない写真では、その中にマリコがいるのかわからない。
高校時代らしき写真は集合写真だけ。大学時代らしき写真と結婚前の社会人時代らしき写真は大量にあった。しかし一枚一枚写っている人物の名前が書かれているわけではないので、女性が写っていても誰だかわからず、その女性に郁が関係しているかもわからない。それらのページはざっと見て終了として、アルバムを元の場所に戻した。
二冊目三冊目のアルバムには一冊目の続きの、仕事の付き合いの写真が貼られているようだ。アルバムの最初・真ん中・最後あたりからランダムに数ページ選んで見た。京一郎が段々と老けていくので年代順にどんどん貼っていったのだろう。ほぼ半世紀分だから量も多いし、全部見る気は全くおきない。
早苗は三冊目のアルバムを元に戻した。
今日も空振りか。
早苗は溜息をついた。今日はここまでにして部屋を出ようと思う。次回は来週月曜日。後回しにした手紙を読むつもりだ。量は多いが京一郎から与えられた情報から手紙の優先順位がつけられる。郁からの手紙がなん通かあったから、それから読んでいこう。その後はとにかく、古い手紙に注目だ。それでマリコの正体がわかり、新しい手紙のチェックをしなくて済めばそれが一番楽なのだが、果たしてどうなるか。
車が家の前に着いた途端、弥栄子が家から飛び出してきた。平然と駐車場を横切る。車をバックで駐車しようとしているので、危ないからエンジンを切るまで駐車場をうろつかないで欲しいのに。
「どこ行ってたのよ!」
早苗は車を駐車スペースに斜めの状態でおさめると、エンジンを切らないままで運転席の窓を開けた。とにかく駐車よりも先にさっさと話を聞かないと、弥栄子の怒りのボルテージは上がっていく一方だから。そして逃がさんと言わんばかりに運転席側のドアにへばりつくように寄って来た弥栄子に、まず大声で言われたのがそれだった。
「どこって、病院のお義父さんの所に」
「家を出たのは大分前じゃない! 洗った物を届けるだけでしょ! 何時間かかるの! どこで油売ってたのよ!」
隣を監視しているのだった、と早苗は弥栄子の行動を思い出した。でもさすがに調べ物になん時間も費やしてはいない。
「病院の駐車場で、車の中で居眠りしてたんです。毎日夜遅くて、朝早くて、疲れてたんで」
適当な言い訳をした。
「京弥みたいに働いてるわけでもないし、亮弥みたいに新幹線通学しているわけでもないし、あなたがどうして疲れるの! 病院の駐車場で寝てるなんて、知人に見られたらみっともないわ」
「はい、気をつけます」
弥栄子は返事が気に入らないのか早苗を睨む。
「出かける所があるの。車に乗せて」
弥栄子は睨んだまま威圧するような声で言うと、車の前方から助手席側に回り込んで、ドアを開け助手席に乗り込んだ。出かけたい所があるのに早苗がちっとも戻って来ないのでしびれを切らし、車が戻るのを見て外へ飛び出して来たのだろう。
「どこへですか?」
「スズエさんの家へ」
「スズエさんの家?」
スズエは元農家の女性で、空いている元農地で野菜を作っている。
「ジャガイモをもらいに行くのよ」
「ジャガイモって……先々月にいただいたのがまだ、ほとんど減ってないです。だからいりません」
弥栄子の紹介で、ジャガイモはほぼ毎月から隔月でわけてもらっているのだ。
カレー。肉じゃが。ポテトサラダ。シチュー。なん通りもの使い道がある食材であっても毎食ジャガイモを食べるわけではないから、三人家族で成長期の男の子がいても、そうは減らない。
「ちゃんとご飯を作ってるの? あれくらい使い切らないなんておかしいわよ! 減らないならあなたが率先して食べなさい!」
自分だって三人家族を経験したことがあるだろうに、ジャガイモがどれくらい減るのかくらい想像がつくだろう。最初これは嫌がらせかと思ったが、ある日そうではないことがわかった。
『あなたの口から、『食費へのお気遣いありがとうございます』の、感謝の言葉が聞きたいのよ』と弥栄子に言われたからだ。面倒臭い人。
「でも」
「もう頼んじゃったの! 恥かかせないで!」
「わかりました」
弥栄子は早苗の方を一度も見ず顔を正面に向けたまま、イライラした声で言った。『ありがとう』という言葉を聞きたいのに返ってきた言葉が『でも』では、弥栄子もイラつくだろう。しかし相手をしている早苗だってイラついているのだ。
「早苗さん、遠慮はしないの」
車を発進させると弥栄子は、何を思ったか急に優しい声でそう言った。
遠慮。彼女は本気でそう思っているのか。遠慮なんてしてないし迷惑千万なのに。早苗は怒鳴りつけたい衝動を抑えて車を走らせた。
スズエには『ありがとうございます』と言った。弥栄子にも車の中で感謝の言葉を伝えた。そんな気持ちは微塵もないのに。
帰宅すると弥栄子は少量のジャガイモの入ったビニール袋を持って、車からさっさと降りて家に入った。その少量のジャガイモが弥栄子の分なのだ。そして早苗の分は、いくら成長期の子どもがいるとはいえ、三人家族なのにその五倍以上、みかん十キロ用段ボール一箱。弥栄子はそれを疑問に思わずに、あらかじめスズエに用意を頼むのだ。
弥栄子が家に入るのを見届けた早苗はトランクを開けると、段ボール箱を持ち上げて出し車の横の地面に置いた。手が千切れそうなほど重い。段ボール箱の中にはぎっしりとジャガイモが入っているのだから。これを保管しておく物置まで運ばねばならない。数回の休憩を挟みながら、早苗はなんとか家の裏の物置の前まで辿り着いた。重労働をして苦しい呼吸を、深呼吸して整える。
片手で縋るように物置の端に手をついて、逆の手で物置の扉を掴んで開けると、最下段に置かれている段ボール箱の蓋を開けた。箱の中には芽が出て表面がシワシワなジャガイモがぎっしりと入っている。芽をかいて、食べられる部分を探して料理するのにもう疲れた。京弥にもそう告げたが京弥は、『お袋の気持ちを考えろ』としか言わない。
早苗はその段ボール箱をひっぱり出すと、代わりに今運んできた段ボール箱をそこに入れる。そして前から物置に入っていたジャガイモ入り段ボール箱は、その上に積んだ。これで古い順にジャガイモを取り出せる。力仕事に再び息が切れた。そしてやっとやりたくもない、息が切れる作業が終わった。
段ボール箱の横には新聞紙にくるんだ白菜も二玉ある。先日ヤスエに分けてもらった白菜で、これも弥栄子の食費へのお気遣いの一つ。そして当然大量にもらうので、なかなか食べきれない。
早苗は力任せにバタンと大きな音を立てて物置の扉を閉めた。何もかもが無駄な時間だ。本当に腹が立つ。結局大半のジャガイモは食べきれず、傷んで捨てられるのだ。
今日の晩御飯は京弥にだけ、ジャガイモしか入っていないカレーにして、ライスの代わりに蒸かし芋を盛りつけようか。明日の夕食は肉ジャガ風・ジャガイモのみ入った煮物と、ジャガイモの味噌汁にしようか。
読んでくださってありがとうございました。




