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灰のマリコさん  作者: 我堂 由果
24/65

24.停滞

『そちらの家はお姉さまがお継ぎになるのよね。早苗さんは南雲の苗字になっていただけるのよね』


 ホテルでの結納の食事の席で、弥栄子はそれが一番大事とばかりに確認してきた。


『もちろんです』


 早苗の父はそう答えて大きく頷いた。


 その日、早苗は両親とともに結納のため東京へやって来ていた。対して南雲家の方も、京弥と弥栄子と京一郎が来ていた。しかし先程から口を開くのは弥栄子ばかり。京一郎は、挨拶後はほとんど喋らず、ただ静かに座っているだけ。この時、早苗は弥栄子の異常さを気に留めるべきだったと思う。しかしだからといって当時の早苗の立場で、この縁談を破談にできたかは疑問だが。早苗には実家に居場所はない。会社での仕事もない。家を出て行く当てもない。


『父も母も反対していないよ。うちは普通の家族だから何も問題はない。嫁入り支度など気にせず身一つで嫁いでくれて構わない』


 そう言ってくれる京弥を早苗の両親はとても気に入って、この婚約を喜んだ。早苗もこれ以上の縁談はないと、なんとなく納得していた。


 京弥と早苗は南雲家の格に合わせた結婚式を挙げた。


『あなたとの結婚を許したのはあなたが若いからよ。あなたに子どもを沢山生んでもらうためなんだから。男の子が生まれるまでどんどん生んでちょうだい。必ず男の子を生んでね。男の子なら、なん人いてもいいわよ。ほんとは京弥の相手には看護師免許とか医療系の免許を持っている人の方がよかったのよ。子育てが終わったら病院を手伝えるでしょう。でもなかなかいい人が見つからなくて、若いってことで、あなたで我慢したんだから。しっかりと役に立ってね』


 入籍をすまし後戻りができなくなった途端、弥栄子は頻繁に電話をかけてきて、早苗に対して言いたい放題になった。嫁をこんな風に扱うことが正しいと思っているのか、または正しくないと思っていても養子だから何も言えないのか、京一郎は弥栄子を窘めたり早苗を気にかけたりすることはなかった。それは京弥も同じで、早苗には、極力弥栄子を刺激しないでくれとしか言わなかった。


 これのどこが普通の家族なのだ。


 早苗に帰る場所はない。穴を捲って激しく言い返してから南雲家から子供を連れて出て行き、裁判で徹底的に親権を争って相手を完膚なきまで打ち負かし、更に離婚後子供を一人で養うほどの経済力を生み出せるような――天才強気の姉・沙紀ならできるだろうが――そんな甲斐性はない。弥栄子の暴言への不満を弥栄子でなく京弥に愚痴ってみたり――しつこいと京弥がキレることもあるが――、弥栄子の嵐が過ぎるまでじっと耐えたりの繰り返ししか、早苗にできることはないのだ

 早苗がランチに出かけた今日もこれから、弥栄子は荒れる。今晩は早苗の悪口が止まらないため、深夜まで京弥を離さないだろう。忙しい京弥は睡眠時間が削られ気の毒とも思うが、だからといって早苗が出かける管理まで弥栄子にされるつもりはない。


 実家は無理だけど、せめて東京に戻りたいな。


 早苗はそう思う。東京なら少なくともそばに弥栄子はいない。中学受験も終わってしまい今更となっても、亮弥は帰りたがっている。

 今日もこれから乾いた衣類やタオルを京一郎に届け、一旦家に戻って夕飯の支度をし、亮弥を駅まで迎えに行く。西に傾いた太陽の、オレンジ色の冬日の当たる人けのない田舎道を、早苗は高級車で走り続けた。





 結局、英子からも環からも、マリコの情報は得られなかった。亮弥は早苗に対して相変わらずの態度だし、亮弥の様子は気になるが早苗は亮弥に何も言えない。

 京弥にはどちらの件に関しても相談する気が起きない。そんな騒ぎダブル勃発の素になりそうな話はしたくない。

 朝五時ちょっと前に起きてお弁当を作り、亮弥に朝食を食べさせ車で駅まで送る。家に戻ったら京弥に朝食を食べさせ出勤を見送る。朝食と弁当で使った、調理器具や食器が積まれたキッチンを片付けたら京一郎の元へ。マリコさん扱いをされて汚れた洗濯物を持って家に戻る。洗濯、掃除、買い物。小うるさい弥栄子からの電話。京一郎に乾いた洗濯物を届け夕飯の支度をし、亮弥を迎えに行く。京弥は大体深夜に帰宅する。夕飯が必要ならたとえ日付が変わっていてもそれに対応。そんな日常が続いた。


 マリコさん探しは停滞していた。こうして日常の流れに乗って漫然と過ごしていては、マリコの情報は手に入らない。ではどう行動すればいいか。一番の情報源は京一郎本人。京一郎の口から新たな情報を引き出すしかないのだ。


 京一郎の部屋への午後の訪問。いつも通り京一郎は車椅子に座って窓の外を見ていた。


「こんにちは。洗濯物が乾いたので持ってきました」

「そうか」


 京一郎は窓の外を見たまま言った。


「今日も山が見えますね」

「ああ」


 今日も冬らしい晴天だった。雪をかぶった山が日光を反射し、くっきりと見える。早苗はそれをチラリと見てから収納の中にタオルを詰めていく。


「早くマリコさんと浅間山へ行きたいな」


 京一郎は相変わらず一心に窓の外を見ている。


「雪解けはまだまだ先ですよ」

「そうだな」


 早苗はこのタイミングで尋ねてみようと思った。


「ねぇ、京ちゃん。私と初めて会った日のこと、覚えてますか?」


 今まで窓の外を見ていた京一郎の顔が、ゆっくりと早苗の方を向いた。早苗はその京一郎と目が合う。京一郎の顔に表情はない。しばらく見詰め合う。

 早苗は質問がまずかったのだと思った。初めて会った日のことは聞いてはいけなかったのだ。京一郎が怒り、騒ぎが起きたら早苗は叱られる。なんて京一郎を宥めようかと考えていると。


「よく覚えていないんだ。初めて会った時は、マリコさんがここまで気になる存在になるなんて思わなかったから」


読んでくださってありがとうございました。

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