13.雪の日
「おはようございます」
「おはよう」
今日の天気は薄曇りだ。青空も山も見えない。
「生憎のお天気ですね」
ベッドの上に横になっている京一郎は、頭を窓の方へ向けていた。早苗はいつも通りに洗濯物を袋にまとめる。
「昼から雨で、夜には雪に変わるようですよ」
「そうか。明日の朝は冷えるな」
「あまり積もらないといいですね」
「マリコさんは雪が嫌いかい?」
「え?」
突然早苗に、会話のそのままの流れで答えられない質問がきた。マリコの好みを知らなければ答えられない質問だ。でも尋ねてくるということは、京一郎もマリコの雪への『好き』『嫌い』を知らないのだろう。どちらを答えても問題ない気がする。しかしその理由を聞かれた時に早苗はマリコらしい理由を答えられなければならない。しかしそれはわからない。だからまずは無難な答えを選んでみた。
「あまり好きではありません。だって、寒いですから」
世の中は冷えるのが嫌いな女性が多い。よくありそうな大人の女性の答えだ。これで京一郎の反応を見ようと思う。
「そうか」
しかし京一郎の反応は薄かった。一言返しただけだ。そしてぼんやりと外を見たままで、それ以上は何も言いそうもない。早苗は自分からも話しかけてみようと思った。
「京ちゃんは雪が嫌いですか?」
早苗は自分が聞かれたことと同じ質問をしてみた。
「俺か?」
京一郎は窓の方を見ていた顔を天井に向けた。
「俺も雪は嫌いだ」
そう言って目を閉じる。
「子どもの頃、風邪をひいて怒られたから」
京一郎は雪の日に風邪をひいたと言う。子どもの頃というなら、無邪気に雪に興奮して雪だるまでも作ろうと、薄着で外に長時間いたのだろうか。
「雪の日にどうして風邪を? 外にいたんですか?」
「いや。部屋の中にいた」
部屋の中にいたならなぜ風邪などひいたのだろうか。
「部屋が寒かったのですか? 暖房は?」
マリコについて以前に早苗の好奇心で、京一郎の雪の日の話を聞きたくなった。どんどんと質問を重ねていく。
「親は仕事。留守番の子に火はない」
「だって寒いでしょう」
「俺は落ち着きがない。火鉢に水を零して、蒸気で部屋を灰塗れにしてしまった」
「落ち着きがないって、子どもは皆そうでしょう」
「馬鹿は火を扱ってはいけない」
「馬鹿ってそんな……それで寒い部屋で風邪を?」
「怒られた」
「そんな。だってそれは仕方がないでしょう。それに馬鹿ではないです。京ちゃんは悪くないし、寒ければ風邪をひくのは当然です」
「そう考えられるのは平成に入ってからだ」
それは短い言葉だが、京一郎の口から偶に出る、意味ある言葉のような気がした。その言葉を最後に、京一郎は、それ以上は何も言わなかった。早苗も何も言えず、部屋の中を気まずい沈黙が占める。何か言ってあげたいでも何を言おう、早苗がそんな風に考えて困っていると、ドアから看護師が入って来た。話しかける言葉が見つからない早苗は、この話を打ち切りにできることにホッとした。
家に着いて早々。なんとも気分が悪い。
マグカップの底形の、輪形のコーヒー染みが残る食卓上に、ガチャっと音がするほどの強めの力で、家の鍵と車の鍵を放り出す。早苗は上半身を脱力させ前屈みになりながら、ストンと食卓の椅子に座った。リビングの隅には今持ち帰って放り出した洗濯物の袋が転がっている。
雨は昼からと予報されているが、今から洗濯して外に干しても昼までには乾かないし、運が悪ければ昼前に雨が降り出して、洗濯物を濡らしてしまうかもしれない。今日の洗濯物は乾燥機にかけるのが賢明だろう。
しかし、朝から気分が悪い話を聞いてしまった。子どもの京一郎は真冬に暖房の一切入っていない部屋で留守番をし、風邪をひき怒られたのだ。早苗には怒られねばならない意味がわからない。そこでふと京一郎の子ども時代についてどんな話を聞いていたか思い出してみた。
京弥と結婚が決まった時、京一郎は婿養子だと聞かされた。南雲弥彦に子どもは娘・弥栄子しかいなかったので、医師免許を持つ京一郎が弥栄子と見合い結婚し婿に入ったのだと。ではそれ以前の京一郎はどんな人生を送っていたのか。
それを京弥から聞いたのは、結婚して数カ月後だったような気がする。京一郎は母親の郁が女手一つで育てた。郁の夫、京一郎の父親が、京一郎が小さいうちに女を作って家を出て、結局京一郎の両親は離婚したためそうなってしまったと。
京一郎の父は郁と離婚後、その愛する女性と入籍した。そのため京一郎には母親違いの弟がいるらしいが、親戚づきあいは全くないと言っていた。京一郎の父親の二度目の妻についてもその子どもについても、早苗には存在しか教えられなかった。実際に会ったこともない。
まさかその父親の二度目の妻の名前がマリコ……それは絶対にない気がする。
先程の京一郎の話で、一人で留守番ということは、離婚前なら京一郎は両親どちらからも放置されていたということだろう。離婚後なら父親は京一郎を見捨て、京一郎を押しつけられた郁が生活のための仕事で忙しく、京一郎を放置児にしたのだろう。
京一郎にとって両親が離婚した原因になったような女性には、親しみなど感じるはずがなく逆に腹立たしかっただろう。あんな優しそうな声で話しかけるはずがない。
そこまで思考を巡らせると早苗は急に立ち上がる。現状、グズグズしてはいられない。
早苗はリビングの端まで歩いて行き、洗濯物の入った袋の口部分を右手で掴んで持ち上げた。早く洗濯をして乾燥させなくては。例え雨の日だって、夕方までに乾かした洗濯物を届けなければならない。それが弥栄子の希望だから。
それから、今日は雨が降り出したらいつ雪に変わるかわからない。寒い廊下を突っ切って洗濯機の前まで来た早苗は、口を広げ逆さまにした袋の底を持って振る。袋の中の洗濯物を、洗濯槽にぶちまけるように突っ込んだ。
さっさと洗ってさっさと乾かす。天から落ちてくるものが、まだ雪よりましな雨のうちに仕事を終えて、速やかに洗濯物を病院に届けてしまいたいから。
読んでくださってありがとうございました。




