8.凛ちゃんはピッカピカ
部屋に着き、彼女を寝かせるまではそう時間はかからなかった。私の布団に彼女を寝かせ、狐さんたちもそれを囲うように眠っている。
眠りから覚めた松太郎さんと千弥さんはお部屋にいて、神妙な顔付きをしていた。
分かっている。彼らがこんなに神妙な顔をしているのは、私が約束を破ったせいだ。
「ご主人様、彼を、どこで…」
沈黙を破ったのは、松太郎さんだった。
「どのような罰も受け入れます。許可なく手入れした事、約束違反だということも重々承知の上で治癒を行いました。
ですが、彼女が目を冷めるまで、彼女の側に居させて下さい。」
「……この大和小隊、隠密部隊隊員、凛は行方不明になっていた獣人間だったのです。」
「……え?」
「政府も、小隊帳に記載はございましたが屋敷内、どこを探しても見つからなかった獣人間です。
実の所、この屋敷の前任使役者はこの騒動が発見されてから自害しておりまして、他の獣人間たちも分からない、と。諦められ、もうどこぞに埋められていたとばかり思われていた彼女を、一体…?」
松太郎さんは俯きながら喋る。
お顔の表情は見えないけど、きっと優しい彼のことだ、これから起こるいろいろなことを考えて、悩んでくれているんだろうな。
「私にも、わかりません。
狐さんが台所にいらっしゃって、傷だらけのリンさんが後から私の目の前に現れたんです。
その後一言二言会話をした後に、倒れられました。彼女状態は酷く、治癒は一刻も早く行うべき状況でした。
皆様の許可を得ず、治癒をしたこと、反省はすれど後悔は一切ございません。」
でも、それはキッパリと断言できる。
彼女をあのままにしておくくらいなら、代わりに殺された方がよっぽどましだ。
すやすやと眠る彼女の髪をさらり、と撫でる。
こんなに綺麗だった。
それを、あんな風に放置することなんて出来ない。
「ご主人様。この千弥、ご主人様を主人とした以上はもう一連托生の身にございます。
同胞とあれど、ご主人様を脅かす輩から、ご主人様をお守りいたします故、御安心下さい。」
リンさんを撫でる反対側の手を握り、スリスリと頬を寄せる千弥さん。
…いつの間に、認めてくださったんだろう。
でもわたしよりこの界隈にずっと詳しい千弥さんがそう言い、松太郎さんがうんうんと頷くならばきっとそうなんだろう。
「でしたら、千弥さん。私の望みを聞いて頂けますか?」
きゅっ、と千弥さんの手を握る。
1人じゃきっと出来ない、私の目論見。
殺されてもおかしくない、そのリスクしかない。でも、でも。
「まず、この子のように死にかけの重症になっている方がいるか教えて下さい
お話できるようなら、リンさんの目が覚め次第、直接今からお話に参ります。
かすり傷程度の方は意思を尊重致しますが、この様な重症の、大怪我をしていたり病気をしている方は只今より、問答無用で治癒を致します。その方を運ぶお手伝いをして頂きたく思います。
松太郎さん、治癒用の生命エネルギーが足りない場合がありますので、増幅剤は買うこと可能ですか?」
「は、はい可能です!ですが、その、過度の生命エネルギー放出は体に負担ですので使用上のオーバードーズを防ぐ為にも政府資金で降りない仕様となっておりまして…」
「私の使役者になった際に頂いた前金と、貯金。全て使って頂いて構いません。それで買えるだけの増幅剤を用意して下さい。
用意していただいている間、松太郎さんに何かあってはいけないので、私の部屋に研修で習った結界を張っておきます。気休めですが、ないよりはマシでしょう」
「ご主人様は、その間どうされるので?」
「その間に、皆さんとお話をして参ります。」
「せ、せめて、増幅剤の準備が出来次第向かわれては如何でしょう!?薬の準備はたしかに、数刻ほどお時間がかかります。ですがそれを差し引いても危険すぎます!!」
焦ったようにひしっとわたしの膝に擦り寄る松太郎さん。
ありがたい事に、松太郎さんや千弥さんからは信頼を得ることができているらしい。
モフモフの松太郎さんを撫でる。昨日よりも、毛艶が良くなっている。良かった。
「松太郎さん。
わたしは、怪我の方への認識が甘かった。軽んじていたわけじゃないのに、甘くみていたんです。
昨日お二人に笑ってご飯を食べて頂いてとってもとっても嬉しかった。
この屋敷のみなさんは、きっとたくさん辛い思いをされた事でしょう。
なので、これからその倍、更に倍、百倍幸せにならねばいけないのです。
その、お手伝いをさせて頂けるのなら、これ程わたしにとって、幸福なことはありません。」
ね?と、松太郎さんと千弥さんを交互に見やる。
泣きそうに歪められた松太郎さんの表情。
ああ、こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
ぐりぐりとおでこを膝に押し付けられる。ごめんね、の意味をこめてモフモフしておいた。
千弥さんはなぜか、ぽかんと呆気にとられた顔をしている。そして、少し間を空けてへにゃり。頬を染めて笑った。
「ご主人様。
僕は、いえ、僕たちは、ご主人様をご主人様と呼ぶことができる事、とても幸運だったと。心から思います。
皆にも是非、あの炊き込みご飯とやらを作ってやって下さい。ぜひ、ぜひに。」
両手で私の手を包むように握った千弥さんの手はとてもあたたかい。
私が知っている彼は、ニコニコと美味しそうに炊き込みご飯さんを口いっぱいにほうばって、お風呂あがりに髪の毛をとかしてあげればすごく嬉しそうにする千弥さんだけだ。
以前、なにがあったのかなんて聞いてもいないし、知らない。
でも、あの笑顔が一番だ、というのはわかる。
言葉を返そうと口を開いた所で、横でもぞもぞと動くのが見えた。
「……あれ、わ、たし…?」
遠慮がちに目を擦りながら起き上がった彼。赤く染まっていた瞳は、綺麗な黄金色に戻り、こびり付いていた血も取れ、ふわふわな髪の毛と立派なふわふわとした大きな耳が小さく揺れる。
元気になった姿にまた少し涙腺が緩くなるけど、ぐっと堪えた。
千弥さんがそっと手を離して、近くに、と小声で囁く。
わたしは彼女の隣に腰を下ろした。
「おはようございます。ご気分は如何でしょうか?覚えておいでですか?」
「しえきしゃ、さまですよ、ね。わたし、たすけていただいたんでしょうか…?」
「助けた、なんて大層なことはしておりません。ここまで頑張って耐えてくれた、貴女の強さのお陰で、わたしはあなたを治療することが出来ました。
…本当に、ここまで、よく…!ありがとう、ありがとうございます…っ!」
「しえきしゃ、さま…?」
だめだだめだ。この子が一番泣きたいんだ。なぜわたしが泣く必要があるんだ。拳を握りしめて、歯を食いしばる。
爪が食い込み、掌が裂けるのが分かるけど、そんなの、この子の痛みに比べたら、
「……
……わたし、ずっと、ずっと冷たい、暗い、真っ暗な場所にいました。
ある日、ごしゅじん、さまによばれて、お、おこらせて、しまって、それから、と、とじこめ、られて、しまいました…」
ポツリポツリ、と彼女は言葉を紡ぐ。思い出したくない記憶を、教えてくれようとしている。
使役者として、この屋敷でなにがあったのか。わたしにはきちんと聞いて、理解する義務がある。そして、二度とそんなことが起きないようにこの小隊を守る責任がある。
「きつねさんも見えなくて、こわくて、かなしくて。痛くて痛くてしかたがなくって。
おにいちゃん、や、れい、もいなくて、いつからかどこにいるのかもわからなくなって、わたしは、なんで、このせかいにうまれたんだろう、と。
でも今日、どこからか優しい気持ちが流れてきたんです。ふわふわしていて…すごく、すごく気持ちの良い、暖かいひかりみたいなものが。それで目が覚めて、
…使役者さま、きっと、あ、あなたです。あなたが、わたしを助けてくれました。
いま、私の中はあったかい優しいもので満ちています。それが、すごく幸せです。冷たいあの気持ちから、ようやく抜け出すことが出来たんです。
……わたし、りん、です。あの……凛。凛とした背筋をまっすぐと伸ばした女性になります様にと名付けられました。
ご、ご主人さまと、よんでも、いいですかぁ…っ?」
大きな、それでいてとても綺麗な紫色の眼からボロボロと涙を零しながら、凛さんは私に向き合った。
なんて、獣人間とは強くて綺麗なんだろうか。
虐げられ、邪険にされて尚、私達、人間を許し、これから幸せになろうとしている。
私は、ぐいっと自分の眼をぬぐって凛さんの前で土下座の形で礼をした。
「昨日より、この小隊に参りました。新米の使役者にございます。
此度の人間による悪行、決して許されるものではございません。前任に代わりまして、わたしが謝罪をさせて頂きます。
申し訳、ございませんでした。
引き継がせて頂いたからには、これからはそのようなことが起きないよう、わたしが誠心誠意お勤め致します。より一層、気を引き締めて参ります。
…凛さん、私のことは、どうぞお好きにお呼び下さい。
どうぞ、これからよろしくお願い致します。」
「…あ、あ、ご主人さまぁぁあ…っ!!」
顔を上げれば、泣きながらタックルかのように私の胸に飛び込んできた凛さん。ぎゅうっと抱きしめ返す。狐さんたちも私たちに身を寄せて、鳴いていた。
ポワポワとした光が舞う。まるで蛍のようなそれを気遣っている余裕なんて、私達にはなかった。
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「さて、松太郎さん。凛さん。千弥さん。わたしは今から皆様の説得に行って参りますが、何かあってもいけないのでお三方の願いを先に聞いて起きたいと思います。
いま、一番して欲しいことはなんでしょうか?」
今の所、埋まっているのはキッカさんののんびり暮らしたいだけなノートを片手に、危険な場所に行く前に聞けたらと書く準備をする。
昨日のうちに2人には聞いておけば良かったのだが、掃除で1日が終わってしまったので聞くことが出来なかったのだ。
「この松太郎、我儘を言えるのであればご主人様のお作りになられるお魚料理をたまに食べとうございます!」
はい!と手を挙げ涎を出す松太郎さん。毎日、じゃないところに彼の謙虚さを感じる。
「…そうですね、ご主人様に髪を撫でてもらうのがとても心地よかった。僕は、当分風呂上がりに髪の手入れをして欲しいです」
昨日、確かにすごく気持ちよさそうだった。わたしの櫛で簡易的に行なったので、猫さんの耳用のブラシを買おう。
「わ、わたしは、その、たまにぎゅうってしてもらえれば…っ!
あと、お兄ちゃんとレイを、直してあげて欲しいです。」
…凛さんにはこれから沢山色々なことを経験してもらおう。
その後に聞いた方が良さそうだ。取り急ぎぎゅうっと抱き締めておいた。
パタン、とノートを閉じる。4人。獣人間の皆様の願いを1つずつ叶える為にも、まずは大怪我をしている方の治癒を早急に行わなければならない。
わたしは意を決して、立ち上がった。