6.三毛猫さんとお魚さん
「せ、センヤ殿!?いつからいらっしゃったのですか!?」
「そうですねぇ、新たな使役者殿が昼飯を作っている時に、あなたが涎を垂らしながら見つめている間、でしょうか?
なになに、余りにも美味しそうな匂いに誘われてしまっただけの事ですよ。少し頂いたら去りますのでご安心を、危害を加えるつもりもありません」
笑みを絶やさないその方は、センヤさんと仰るらしい。松太郎さんは驚きながら警戒している様子だ。
茶色のふわふわとした髪の毛に、前髪だけ黒いメッシュの様になっている彼はおそらく三毛猫との混合なのではないだろうか?アーモンド型の猫目は昼間なので瞳孔が細い。バサバサとしたまつ毛は彼もまた、美形であることを物語っていた。
よいしょ、と彼は勝手知ったるのか、椅子に腰掛ける。先ほどのキッカさんとは違って黒のパンツに黒のシャツ、ベストと言った少しフォーマル寄りの格好なのは好みなのだろうか。
「ささ、僕も、ご相伴に預からせて下さいませ。腹が減って腹が減ってしかたがなかったのです」
幸い、ご飯は少し多めに作ってある。1人増えたところで、さして問題は無い。寧ろ、いい匂いと言ってもらえて少し嬉しいくらいだ。
私は追加のお味噌汁とお茶を入れて、お箸も差し出す。
「政府からの配給のお魚なんです。炊き込みご飯はわたしの祖母のレシピなので、味は保証いたしますよ~
松太郎さん、そんなに警戒しなくてもきっと大丈夫です。お昼ご飯くらい、ゆっくり食べましょう?美味しく出来たと思いますから。」
それでは、いただきます。
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つい先日、ご主人様と呼んでいた前任の使役者がとうとう悪事を暴かれた事であの地獄の様な日々が呆気なく終わりを告げた。
我が小隊での僕は基本的に夜伽を命じられる確率が多く、他の者のようにとても痛い思いをせずには済んでいたが、たかが人間如きに身体を暴かれるのなら、戦争でもなんでも参加して、この身が朽ちるまで闘いたいと、何度願った事か分からない。
もう、死んでしまいたい、と皆が皆願っていた。
それ程までに劣悪な環境だった。
政府の者たちは、屋敷をある程度浄化し、あの悍ましい前任者の物品を処分したあと、我らの治癒をさせてくれ、と申し出て来たが、手酷く扱われていた“彼ら”が、頑なに拒み、怒り、憎しみ、手の付けようがない程に抵抗をした。
対応しきれない、殺される、と悟った政府はその日のうちに帰っていったが、音沙汰がないと思ったら、数日後、新しい使役者がやってきます。と、どこかに閉じ込められていたらしい猫は俯き気味にか細い声で私達に告げた。
またひどい使役者だったら?
抗う術はないのか。
皆で話し合った結果、もし、その使役者が酷い者であったのなら、俺が殺そう。と言い出したのは橘花だった。
これ以上、二次被害者を生み出す訳にはいかないだろう?と。そう笑った橘花は、どこか寂しそうだった。
就任当日。
その使役者が入って来た瞬間に、淀んでいた屋敷が爽やかな風に包まれた。
大広間で待機していた我々は驚き、その使役者の足音が聞こえるたびにその方向を向く。
浄化しきれていなかった屋敷が、その使役者が歩くだけで、どんどんと浄化されていくのだ。前任者の匂いにより息をするのも苦しいこの屋敷で、なにも気にせずに息を出来たのは久方ぶりだった。
「本日より、この小隊に配属致しました使役者にございます。1年前、使役者の適性があると診断された、ひよっこもひよっこ、卵と言っていただいても構いません。そのような者が使役者として配属されること、皆さまお怒りかとは思いますが、どうかご挨拶をさせては頂けないでしょうか?」
障子の前に、使役者がいる。影だけで顔はわからない。だが、なんて、なんて清浄な匂いだろうか。
今まで人を憎んだ事など一度もないような、優しい、それでいて暖かい匂い。
頭を下げ、障子を開けない使役者に、どうしていいか分からず、皆固唾を飲んで見守る中、動いたのは橘花だった。
一言二言会話をした後に、橘花がした質問は、前任の使役者が行った所業の一部だ。それでも一部でしかないのだが、それに関連する望みを少しでも言えば、橘花は自分が殺されるのを覚悟の上で、噛み殺すつもりだったんだろう。
「………んーーーー。個人面談させてください。」
橘花に対する使役者の回答は、呆気をとるには十分すぎた。
願いを叶えたい?我らの?それはお前にとってなんの得がある??
そう問い質したくなるような答えに、橘花の口角が上がったのがわかった。
そこからはもう早く、ツカツカと障子の前に行き、前任が残していった政府印の結界を張っていた障子の結界を破り使役者と契約すら交わした。
障子を開けて見る使役者の容姿は平凡そのもので。化粧っ気のないその顔立ちは、前任と違うんだ、と、どこか安心できた。巫女服に長い黒髪をゆるく結び、フワフワと笑うその表情には毒気さえ抜かれる。
あれに触れれば、どれほどのこの体の中の染み込んだ気持ちの悪い匂いが祓われる事だろうか。羨ましい。とさえ思うほどに、遠くからでもわかるその使役者の生命エネルギーは心地いいものだった。
ああ、触りたい
ああ、笑いかけてほしい
ああ、彼女を、ご主人様と、お呼びしたい。
使役者が去った後も、話し合いをしている最中も、お開きになった後も。それしか考えられなくなったのは獣としての本能なのか、主人を書き換えられた事からくる忠誠心なのか。悶々としたその気持ちに頭を抱えている時。
とんでもなく芳しい香りが鼻孔を掠めた。
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「いかがでしょう?お口に合いますか?」
お茶を啜りながら、一口食べたあとに凄い勢いで無言で食べる2人(正確には一人と一匹)に、不安な思いを抱きながらおずおずと聞く。
2人にわたしの声が届いたのか、ピタッと止まり、首が取れるんじゃないかという勢いで私の方を向いた。
「このように美味しいもの松太郎め食べた事がございません!!
感動!感動のひとことでございます!出来うる事なら永遠にこの時が続けば良いと!そう思う次第です!!」
「…申し遅れておりました。
僕の名は千弥、と。
多くを愛し、大きな心で幸せを掴み取ることができる様にと名付けられました。
本日よりあなた様をご主人様さま、とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
松太郎さんは案の定涙目で、次いで、お名前を教えて下さった千弥さんは、ほっぺたにお米粒を付けたまま、キリッと私の手を握った。
カッコいいんだろうけど、ちょっとだけ格好良くないので、ほっぺたについたお米をとってぱくりと食べる。
うん、これで男前だ。
「千弥さんがお嫌でなければ、お好きなようにお呼び下さい。おかわりをお作りいたしますか?お魚さん、まだありますけど」
きょとん、とする千弥さん。直ぐにパァ、っと花が咲くように笑った。松太郎さんもいかがですか?と聞けば、とても嬉しそうに。
「「お願いいたします!!!!」」
我が屋敷のお魚消費量は、これからとんでもなく多くなりそうな気がする。