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まぐろレストラン

作者: 松本育枝

父と子の思い出話。ほのぼの系ではないけれど…

名前こそ「まぐろレストラン」と言うものの、そこはどちらかと言うと食堂だった。入り口にメニューがたくさん書かれていて、それを見て選んだ食券を買い、カウンターで料理を受け取る。

「フミヤ、なにがいいんだ」

太い声でとうちゃんが俺に聞いたので、なんでもいい、と答えそうになったが俺は言葉を飲み込んだ。どうでもいい、なんでもいい、べつに。そういう返事がとうちゃんは大嫌いなのだ。俺は少し考えて、

「ミックスフライ定食」と答えた。

「マグロ食いに来たのに、それでいいのか」

とうちゃんが眉を寄せて俺を見下ろす。

「うん」

俺は、バットが空振りした時みたいに肩をすぼめた。

父ちゃんは、俺のミックスフライと自分のまぐろ漬け丼大盛の食券を買った。カウンターでおばさんに渡して席で待つ。とうちゃんが俺の前に水の入ったコップを置いた。俺はとうちゃんと差し向かいになって緊張した。とうちゃんは身体が大きい。身長は180cm、体重も80kgだ。それなのに俺は来年は中学生なのに150cmもなくてヒョロリとしている。とうちゃんはそれも気に入らないみたいで、かあちゃんによく文句を言っていた。もっとうまいもん作ってフミヤにいっぱい食わしてやれ。フミヤがちっこいのはお前のせいだ。

俺は食が細い。かあちゃんのご飯がまずいわけではなく、とうちゃんみたいにたくさん食べられないのだ。だから、そう言われたかあちゃんが怒って言い返してケンカが始まると、原因が自分にあるみたいで辛かった。


「なあ、フミヤ。俺と会う時にはうまいもん食わしてやるからな。いっぱい食えよ」

「うん」

俺は緊張してさらに食慾がなくなってきた。

「あいつ、どうしてる。メシ作ってくれるか」

「うん」

とうちゃんは「うん」に続く言葉を待っていたようだったが、俺はそれ以上なにを言っていいのかわからなかった。

とうちゃんとかあちゃんは半年前に離婚した。かあちゃんは俺が帰ると家にいない事が多いけど、夕飯はテーブルに置いてある。ない時は千円札が置いてある。俺は千円札の方がよかった。パンを少し買って、あとはこづかいにできたからだ。


食券の番号が呼ばれた。カウンターに取りに行くと、丼みたいな茶わんに白米がたっぷり入っている。でも減らしてほしいとは言えなかった。テーブルに戻ると、とうちゃんと俺はだまって食べ始めた。いただきます、は心の中で言った。とうちゃんはメシを食う金は俺が稼いだんだと言って、決していただきますとは言わなかった。かあちゃんと俺にも言う必要はない、と言っていた。でも、かあちゃんはとうちゃんがいない所では、いただきますって言うのよと言ったから、俺はいつも心の中でつぶやいていた。


「フミヤ、全部食えよ」

「うん」

ミックスフライ定食は食べても食べても減らない気がした。まだ半分以上あるのにもう腹がふくれてきた。でも残すことはできない。今日俺がとうちゃんを満足させることができるとしたら、これを全部食べることだけだ。俺はがむしゃらに食べ続けた。味なんかわからない。


「マグロはうめえなぁ」

さっさと食べ切ったとうちゃんが言った。とうちゃんは昔マグロ漁船に乗っていた。そして港にあるこの食堂で働いていたかあちゃんと出会って結婚したのだ。

「ここも随分きれいになりやがったなぁ。昔はもっと小汚くていい感じだったんだけどな」

とうちゃんが椅子にもたれて店内をぐるりと眺めまわす。俺は口の中がいっぱいで「うん」とすら言えなかった。


「あとでプリンも食うか」

俺は首を大きく横に振った。これ以上はとても無理だ。俺はもうなにも考えずに残りのミックスフライ定食を口の中に押し込んだ。とうちゃんが初めてにっこりした。目尻にシワが寄る。

「食えるようになったじゃねえか」

「う…」

まだ口の中にいっぱい残したまま俺はうめいた。声を出したら吐きそうだ。とうちゃんは満足そうにうなずいた。

「男は食わなきゃだめだ」

俺はなんだか泣きそうになった。メシが食えるからってそれがなんになるんだ。そう思った。かあちゃんはとうちゃんと離婚してから、逆に俺の食の細さを人に自慢するようになった。

「この子、あんまり食べないの。勉強が得意な子って食が細いのよ、きっと…」

俺はそれを聞くとさらに食べられなくなった。



「…だから俺は食べ物なんかどうだっていい。そう思ってたな、あの頃は」

つい昔の話なんかしたことを薄く後悔しながら、俺はマグロカツを箸でつついて言った。目の前には頬杖をついて俺を見ているカナコがいる。

「今も?」

彼女は自分が注文した海鮮丼をペロリと完食して、プリンも食べようかなぁ、などと言っている。

「今はふつうかな」

「あたしは食べるの大好き。フミヤがそれ食べないなら食べてあげるよ」

「これくらい食えるよ」

そう言って俺は最後のひときれを口の中に入れた。彼女は笑って、やっぱりプリン食べようーと言って席を立った。


とうちゃんはあれから一年後に事故で死んだ。いくら食えたって死ぬ時は死ぬんだ。俺は悲しいというより、裏切られたみたいな気持ちだった。かあちゃんはやせて食が細い男と再婚した。でもそいつはケチで意地がわるく、俺は高校を出てから一度も家に帰っていない。


彼女がうれしそうにプリンを手にして戻ってきた。

「いただきまーす」

カナコと初めて一緒に食事をした時、俺は彼女の「いただきます」の声を聞いて突然涙が止まらなくなったのだ。彼女はびっくりしていたが笑わなかった。それから俺は少しずつ人並み程度には食べられるようになった。

彼女は目の前で実にうまそうにプリンを口に運んでいる。

俺は、プリンも食うか、と言った時のとうちゃんを思い出す。決して「いただきます」と言わなかったとうちゃん。ばかで口が悪くて頑固なとうちゃん。笑うと目尻にシワが寄ったとうちゃん。

俺はなんだかまた涙が出そうになって、ごまかすように大きな声で言った。

「プリンも食ってやるかー」

彼女が顔を上げてにっこり笑った。あの時のとうちゃんみたいに目尻にシワを寄せて。

「まぐろレストラン」は三重県に実在していますが、お話はもちろんフィクションです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 父母の関係性と食の太さ細さ、そして主人公の心情がよくリンクしていて、とても心に残る作品でした。 食の趣味や捉え方が大きく違う相手と長い人生を歩んでいくのは辛いなぁと思います。お互いが相手のそ…
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