第8話 主の広場
父アルカスは嵐の夜に家を去り、母オラーレは雪の日に生涯を閉じた。
残されたステラは、村はずれに立つ図書館のような家に住む老人リベールのもとで過ごすことになったのだった。
生まれた家を出ることになっても、ステラは狩りに精をだした。
10歳になる頃にはクラース村の猟師でも上位に入る成果を上げるようになり、村を支える一員と認められている。
ともに暮らすようになった老人リベールは、日がな1日ひとりで本を読み、時たまにその知識を求める村人や長老に呼ばれて現場へ出向いた。
呼ばれるのはだいたい輝石に関することで、家庭で使っている物のトラブルシューティングだったり、鍛冶屋の加工の監修だったりした。
さらに珍しい場面では、年に2~3回だけ、他の街からの客人が訪ねてくることもあった。
どんな人が来るかはまちまちだけど、いずれも街から来る人なのは分かる。
ステラの記憶に照らすと、田舎のキャンプ場で東京や大阪から来た人を見ると一発で現地人じゃないと分かる、あの感じ。小ぎれいで山奥の集落では浮いているという感じだ。
求める物は輝石の加工品。鍛冶屋ガレアの腕前は、他の地域でも有名らしい。
そんな訪問者たちのうち、リベールと言葉を交わす人たちは、決まって同じ案内人を雇っていた。
すらりとした赤毛の女の人で、歳は20歳くらいか。
長いまつ毛と意志の強そうな口元の、トゲがありそうな美人だ。
慣れた様子で村の中を歩き、人々と話して笑うけど、その身のこなしから何かしらの戦闘技能を持っていることはステラにも分かった。
ある夏の日、ひと狩り終えて家に帰ると、例のおっかない美人が玄関前の柱に寄りかかっていた。
中でお客とリベールが話でもしているのだろうか、と思ったステラは、邪魔するのも悪いと思ってきびすを返した。のだが。
「おい、チビ」
ハスキーな声がステラの背を呼び止める。
「……どうも。こんにちは」
顔を向け、ペコリと頭を下げる。
「おう。お前、アルカスの子なんだってな?」
品定めするような視線は、ステラにとって少しばかり苦手なものだった。
「そう、ですけど?」
女は、ニヤリと舌なめずりするような笑みを浮かべた。
「よし。じゃあ、お前、アタシと勝負しろ」
その言葉の『しょうb』の段階で、ステラは一目散に駆けだした。
「けっこうで~~~す!」
狩猟道具も背負ったまま、おまけに今日のハンティング報酬である、シカの左後ろ脚まで担いだままだ。
(やだやだ。こういう悪しき体育会の化石みたいなの、苦手なんだよぉ!)
ほとぼりが冷めるまで、近くの川で魚でも釣っていようかと、ステラは考え始めた。しかし。
「いいぜ!捕まえてみろってことだな!」
後ろから、ハスキーな声をはずませて女が追ってくる。
(嘘じゃん!えぇ!?コレまくの?)
相手の方が速い。装備品のハンデもある。
どうすべきかと頭を回したステラは、晴れた日に通うトレーニング場を使うことを思いついた。
村を西へ出て、すぐを流れる川へ向かう。
幅5メートルほどで水量豊富な川の中、ちょこんと顔を出す岩の上を、ぴょんぴょんぴょんぴょんと跳んでいく。
最後は陸上競技の幅跳びみたいに足から向こう岸へ着地して、すぐさま再び走りだす。
「待てぇぇえええ!!」
ハスキー女は走力に任せ、ひと息に川を跳び越えた。
(マジかよ)
彼女の跳躍に驚きつつ、ステラはあくまで冷静に、次の障害へ向かう。
倒木を踏み台に、垂れ下がるツタへ飛びつき、振り子の要領で森の中を進む。
開けた先では切りたつ岩肌を駆け上がり、すぐさま逆サイドを滑り降りる。
降りきる前に、横からのびる木の枝へとジャンプ&ハング。
シカ肉を持ったままだとやりにくいことこの上ないけど、どうにか逆上がりして枝の上へ。
振り向くと、ハスキー女もその枝へ跳びつく。
ゆっさゆっさと揺れる枝から落ちないよう、ステラは幹の方へ逃れ、他の枝、他の木へと移る。
(何なんだアイツ!前世はハリウッドのスタントウーマンか!?)
追手の身体能力に舌を巻きつつ、それでも捕まるまいと森を走る。
地の利がステラにあるというのに、ハスキー女はつかず離れず追ってくる。
狩人としてのクセでステラが走力を8割くらいに抑えていることを差し引いても、パワー、スピード、ボディバランス、そしてスタミナまで、女が上回っているように思えた。
(あんまりやりたくないけど……仕方ない)
ステラは背負っていた弓を手にし、手近な枝を折ってつがえた。
狩人として山を駆けるうち、ステラに身に付いた技能は3つある。
1つめは、8割ほどのスピードで長く走る呼吸法。これで、逃げる獲物を追う。
2つめは、音を抑えて移動する走法。これは、警戒する獲物へ近付くのに役立つ。
そして3つめは、歩いたり走ったりするさいに視線を上下させない体の使い方。これが、いち早い射撃体勢への移行を可能にしていた。
ステラはトレーニングサーキットから外れた獣道へ身を隠し、すぐさま振り向いて枝を放った。
ターゲットは、村の側のしげみ。
──ガサガサガサ!
「あん?」
狙ったとおり、葉音を聞きつけたハスキー女がそちらへ向かうのを確認して、ステラはそのまま獣道をつたって脱出した。
どこへ行く宛てもなく、ステラはふらりと、かつて父と訪れた山の主のもとへと向かった。
日は傾き始めているがまだ暑く、時おり吹く風が涼しい。
青々と葉を茂らせた木々は元気に空へその手を伸ばし、この様子なら秋にはたくさんの実をつけるだろうと分かる。
父アルカスと祈りをささげた広場へ着いて、ステラはすこしの呆気なさを感じた。
(こんなもんか)
あの日、寄り道をしながらとは言え半日かけた道のりが、今では1時間もかからない。
これなら夕日がメモリア山にかかっても、暗くなる前に村へ戻れるだろう。
そうなると、ステラに湧くのは好奇心だった。
(この先ってどうなってんのかな)
父アルカスと来たときにはここまでだった。立入禁止の看板も立っていなければ、しめ縄がかけられているワケでもない。
ステラは立ち並ぶ木々の間を抜けた。
森の開けた先は広い草原だった。
陸上トラックくらいは入るだろうか。
そよそよと吹く涼しげな風に、鮮やかな緑をした草の葉が揺れている。
中にはまばらに花も咲いていて、春になったら一面の花畑になるだろうことが想像できる。
そんな草原の中で、1匹のシカが首をもたげた。
横たわり昼寝でもしていたのだろうか、首だけ上げてステラを見ると、また横になった。
その頭には三つ又に分かれた立派なツノがあり、その根元からまぶたにかけては、ラメ入りのアイシャドウが引かれたかのようにキラキラと光っていた。
しかしそれよりも、ステラの目を引いたものがある。
草原の奥、剥き出しの岩壁がそびえるかたわらに、不自然なほどまん丸の球体がちょこんと座している。
淡い青色で、キラキラと日の光を反射しており、月がそのまま降りてきたんじゃないか、なんて、ステラに感じさせていた。
おそるおそる、ステラはその球体に近付く。
遠近感がおかしくなるほどまん丸なそれは、もしかしたら神様が置いた卵なのかもしれないな、なんて思いながら。
その卵は、直径が80センチくらい。縮こまればステラがすっぽり中に入れそうなサイズだ。
そのかたわらに立つと、ステラは持っていた水筒をひっくり返し、浴びるように水を飲む。
──ごくッ……ごくッ……ごくッ……
半分ほどを飲みほして、口元をぬぐう。
そうして残る半分を、その卵に注いだ。
(こうやって祀るのが正しいか分かんないけど、まあええやろ)
お供えとかお清めを嫌う神様もいないだろうし、もし本当に卵なら夏の日の乾燥は大敵だろうし、などと考えながら、ステラは濡れた卵を撫でた。
初めての場所へのドキドキが収まってきたステラは、改めて辺りを見渡す。
よく見れば、先ほど首をもたげたシカ以外にも、ウサギやヘビなどの動物たちがいるのが分かった。少し離れた岩壁のそばには、ずんぐりしたクマも丸くなっている。
そしてそのいずれもが、体のどこかしらに輝石と思われる結晶をつけ、キラキラと日の光をはじいていた。
ステラは不思議と、無防備とも言えるその動物たちを狩る気にならなかった。
ここにいる動物を全て狩ったなら、向こうひと月分の収獲になるだろう。
けれどステラの心に湧いたのは、道端で捨てネコを見たときのような、ケガ人に遭遇したときのような、悲しみと慈しみの混ざったような想いだった。
もうひとつ不思議なことに、ここにいる動物たちも、他の動物を狩る気がないようだ。
肉食のヘビやクマも、ひなたぼっこをするだけで、近くにいるシカやウサギに目もくれていない。
(こんな平和を、人の欲で壊すのは、そりゃあ忍びないよな)
かつての父アルカスが自分にここを見せなかったことに納得して、ステラはゴロンと横になった。
高く伸びた草に埋もれ、ゆっくりと流れる雲を眺める。
思えばこの地へ生まれてから、自分が生きること、村の人びとを生かすことに忙しく、こんなにゆっくりと時の流れを感じることもなかった気がする。
前の人生では、服を縫っている時間がそんな感じだったっけ。
いつしかステラは、まどろみのふちを揺らめいていた。
目が覚めたのは夕暮れ前。日はメモリア山の峰にかかり、空は赤みがかっていた。
ステラは飛び起き、荷物を抱える。そして頭をペコリと下げ、草原を後にした。
老人リベールの家に帰ると、ハスキー女はいなくなっていて、聞けば客人と一緒にもう村を出たらしい。
ステラはホッとして、今日の収獲をリベールに見せ、遅めの夕食作りに取りかかったのだった。
それ以降、ステラはひとりになりたいとき、山の主の草原を訪れるようになった。
頻度は1~2ヶ月に1回くらい。
そのたびに水だったり村で採れた木の実だったりを備え、時には麦わらで編み物をした。
動物たちは、そのたびにそこにいたものは違ったけれど、いずれにせよ昼寝をしているようで、ステラや他の動物と争うことはなかった。
同時にステラは、リベールの書庫で輝石について調べ始めた。
天気の悪い日はこもるように本に埋もれて読みふけった。
本は整然と棚へ収まっているけれど、分野ごとではなく発行年ごとに並んでいて、おまけに手書きで読みにくかった。写本というやつだろう。
ステラは、活版印刷が人類最大の発明のひとつだと言われていたのが肌で分かる気がした。
本にこよみの表記は無く、1番古くて28年、1番新しくて99年。国の歴史にしては浅いな、とステラは思ったけれど、母の言葉を思い出す。
『これはね。お母さんの、お母さんの、そのまたお母さんが生まれたころのお話なのよ』
王様とお姫様の話。
あの王様が国をほっぽってお姫様を求めたのなら、新たな王が新たなこよみを始めて100年。そう考えても理屈が通る。
ともかく、ステラはリベールの蔵書を読み漁った。
分野ごとのまとまりもなく、記述も飛び飛びで、結局のところ蔵書のほとんどに目を通すことになったが、そのおかげでステラはこの世界にある程度は詳しくなった。
輝石は、都では魔石とも呼ばれる謎の多い石で、一部の山で採掘できたり、一部の動物の体内で生成されたりする。
今では、人工的に作る技術が王都で研究されているらしい。
用途は、ステラは着火剤代わりにしてしまっているけれど、そうした燃料として以外にも、導線や光源や生命力の活性化など、マジカルな使い方ができるらしい。
ただし使い方にもコツがあり、人によって適性があるほか、使うためのトレーニングもあるとか。
この輝石・魔石を使った超常的な行為を魔術と呼び、それを使いこなす人を魔術師と呼ぶ。
読んでから、ステラは初めての獲物のウサギから取れた輝石であれこれ試してみたものの、石はうんともすんとも反応せず、早々に弓へ持ち替えて山に入ることにしたのだった。