第6話 山の命
クラース村を襲撃した魔獣との戦闘で片目を失った父アルカスの後を継ぐべく、ステラの狩人修行が始まる。
メモリア山のふもとにあるクラース村で、ステラは狩人見習いとしての生活をはじめた。
狩人の引退を決意した父アルカスに連れられて、村のそばを舞台に教わっていく。
まずは道具の使い方と、植物についてを教わった。
ナイフの扱いは前世の記憶もあって初めからよくできたが、ヒモの結び方を覚えるのにすこし時間が要った。
何種類もの結び方を、朝の出発前にためし、森で必要になったとき実践し、家に帰ってから復習。
そのどのときにも、父アルカスはステラがやってみるのをじっと見守った。
初めて使う手斧と、鉄製の杭のセットには、驚かされつつ楽しんで扱いをマスターしていく。
軽い力で振ってやぶを払ったり、道をふさぐ枝を落としたり、木材を加工するのに使ったり。
そうした、星崎奏汰の頃から知っていた使い方ももちろんしたけど、ステラを驚かせたのは、手斧のみねを使ったハンマーみたいな扱いだった。
ナイフで木を削るとき、堅い部分にあたると素手じゃあ進ませられないことがある。
そんなときに、ナイフのみねを、手斧のみねで叩くのだ。
地面に木材を打ちこむときにもそうするし、何よりステラが驚いたのは、鉄の杭とセットで木を登ることだった。
長さ15センチ、太さ7ミリほどの杭は、五寸釘よりすこし大きいくらいのサイズ感だ。
その先っぽを木の幹に当て、平たい頭部分を手斧のみねで叩く。
そうして3~4センチほどが木へめり込むと、安定した足場にできるのだ。
そうやって、電信柱に登る電気技師みたいに大きな木へ登り、高い枝についた実や、鳥の卵やハチの蜜を拝借するのだった。
弓と矢を使った的当ても毎日やっているけれど、それを使っての狩りはしていない。
ある日のステラはその理由を尋ねた。
「ああ、それはな。その弓じゃあ獲物を仕留められないからだな」
アルカスは説明した。
ステラはまだ幼く、強く張った弓を引けない。
そうなると当然、放つ矢も弱い。
すると、1つの矢で獲物を仕留めきれない。
これにはその通りだ、とステラも納得した。
獣は、手負いのときが最も危険だ。
生きるためになりふり構わず、後先も考えず、ただその場を突破しようと全力を尽くす。
弱い弓ではそんな状況ばかりを作ってしまう。
「でも、射撃の技は、かけた時間がものを言う。だから、狩りには使わないけど、狙ったところに当てる練習はするんだよ」
風に揺れる梢のように、静かにアルカスはステラを諭した。
そうした技術指導と同じくして、食べられる植物の採取も一緒にした。
春には木々の新芽と雪を割る山菜を。夏には逞しく伸びる草の葉を。秋には鮮やかに実った果物を。
山に生える植物についても、少しずつ知識を深めていく。
秋のごちそうである果物をつける木は、春に伸ばす新芽もまたおいしく食べることができる。
繊維が硬くて食べられないものは、逆にその繊維をヒモに加工して利用する。
中には毒がある草木もあるけれど、そこはアルカスが口酸っぱく注意した。
そうやって親子2人で採った山の恵みをクラース村の広場へおろし、母オラーレの待つ家へ帰るのだった。
ステラはそんな日々の中、技術も知識もぎゅんぎゅん吸った。
食べられそうな草を見つけては父アルカスに聞く。
そうして返ってくる答えで多かったのは、
「食べられるけどおいしくない」
というものだった。
クラース村は食料に恵まれていて、麦もよく育ち、飢える人はほぼいない。
しかしそれでも、凄腕の狩人アルカスが獣を狩れなくなった影響は大きく、お肉を食べる機会はぐっと少なくなっていた。
そこでステラは考える。
(おいしくない物をおいしくできれば、みんな助かるんじゃないかな)
元は研究・探求の大好きな男である。
思い立ったその日から、広場へおろすものとは分けて「おいしくない」とされる山菜を採り、家に帰って実験した。
母の調理を手伝い、スペースを借り、採ってきた葉っぱの「おいしくなさ」を分析する。
ジャガイモの葉みたいに食感がごわごわしているものは仕方ないけど、苦いとか、渋いとか、酸っぱいとか、味に難のあるものは、あく抜きなどの下処理を試せるだけ試す。
そんなステラを見て、母オラーレはいつもほほ笑んだ。
「本当に熱心ね。楽しそうな目元がアナタに似てるわ」
父アルカスも笑って見守る。
「この集中力は君に似たんじゃないか?俺は外に出るほうが性にあうから」
そうやってニコニコする両親のもとで、ステラは日々を過ごすのだった。
ステラが5歳になるころ、父アルカスの狩猟講座も次のステップに移った。
当然とも言えるなりゆきに、ステラも納得してついていく。
何せ5歳と言えば、平安貴族ならば現代日本へ転移しプリンに感動しているし、ステゴサウルスの子なら真っ赤な雪男の子とコンビでテレビに出てアクションパフォーマンスを披露するし、埼玉の営業マンの子なら嵐を呼んで世界を救うし、魚の女の子ならば海岸でジャムのビンに頭がハマっている頃だ。
ともあれそんな節目を迎え、父アルカスはとうとう、ステラに動物の獲りかたを教え始めたのだった。
秋の山を歩きながら、そろそろ肉を食べたくならないか?と、アルカスはステラに問う。
ステラも、そりゃあ食べたい。
保存食の干し肉も、母オラーレの腕によっておいしく食べられるけど、とれたて肉の、焼きたてのジューシーさは、他で替えが利くものではない。
「じゃあ問題だ。動物は、どんなところに来ると思う?」
それは、かつて狩猟免許を取った男には簡単な問いだった。
「食べ物のあるところ!」
ステラの即答に、アルカスは驚きつつも、笑ってうなずく。
「そうだ。いいぞ。じゃあ、動物の食べ物って、どんなところにあるんだろうな?」
これにはステラもすこし困った。
「それは、動物によって違うんじゃないの?」
しぼり出すような答えを聞き、父アルカスは、ホッとしたような顔をした。
「そうだ。そうなんだが、そんなに難しく考えなくていいんだよ。コトはもっとシンプルだ」
そう前置きして、近くに見える、下草で覆われたしげみを指した。
「あそこを見てみろ。あのしげみから、ピョンと出ている草が分かるか?」
それはワスレグサの仲間の葉だった。
春の若葉はスープにできるし、花やつぼみも食べられる。特に根っこは甘みがあり、生でも火を通してもおいしく食せてステラの好みだ。
「だいたいはな、俺たちが食べられるものは、森の動物たちも食べられるんだ。だから、動物を獲りたかったら、まずは自分の食べられるものを探すんだ」
そう言って、アルカスはそのしげみに近付いていく。
「生き物ってのは、物を食ってる間が1番スキだらけだからな。この辺に罠を仕掛けよう」
「罠……?」
てっきり、張り込んで矢を射るものだと思っていたステラは、気の抜けた声を上げた。
「そう。くくり罠。スネアトラップだ。そこのツタを使おう。結び方は覚えているな?」
父アルカスの指示にしたがいステラが手を動かす。30分かそこらで吊り上げ式の括り罠が完成し、落ち葉や下草を元の様子に戻した。
「よしよし。よくできたな。じゃあ次だ」
ぽすぽすとステラを撫でたアルカスは、そう言ってまた歩きだした。
そうして山を歩き、見かけたエサ場で罠を仕掛けていく。
6か所ばかりに仕掛け、いつと段違いに軽いカゴを背負ったまま、2人は山の奥の台地へと踏み入った。
そこはクリやクルミなど、山の恵みの代表とも言える木々が立ち並ぶ広場だった。
しかし動物たちの気配は薄く、木の実も成りたい放題に実っている。
「ここにも仕掛けるの?」
「いや」
「じゃあ、木の実をいっぱい拾ってくの?」
「いいや。ステラ、ここはな、山の主のすみかなんだ」
ステラに見せてきた中で最も真剣な眼差し──それは彼が狩りに向かうときの眼差し──で、アルカスは言う。
「山の主がこの奥にいらっしゃるんだ。ここは主の食事場所でな、生き物を傷付けてはいけないんだ。どうしても村の食糧が足りないとき、ここの木の実を分けていただくことはあるが……」
真剣な、緊張したような面持ちを、アルカスはステラに向ける。
「ステラよ。今日は、山の主に『これから狩人になります』って報告するんだ。さ、目をつむって……」
アルカスはステラの肩に手を置いて、目をつむり、空いた手を胸にそえた。
ステラも見よう見まねで目をつむる。
命の循環をステラは想った。
知識としてずっと知っていたことだったけど、改めて、自分がその循環の一部として、命とかかわるための儀式。ささやかで、静かな祈り。
穏やかな風が吹く。
アルカスがそっと肩を叩いた。
「よし。じゃあ、帰ろうか」
手をつなぎ、山を降りる。
そのとき、吹き下ろすような風がステラの頬を撫でた。
そこに、生き物の温かさを、命の気配を感じた気がして、ステラは振り向く。
揺れる梢の向こう、きらめく何かが見えた気がしたのだけど、ついには分からず家へ向かうのだった。
翌日、仕掛けた罠をステラとアルカスは回る。
しかし村の近くはどれも成果が無く、ステラは肩を落とした。
「せっかく父さんと一緒にやったのに、何か間違ったのかなぁ?」
ぶつくさ言うステラに、父アルカスは笑った。
「ハッハッハ!いやいや、ステラ。狩りなんて失敗がつきもの、と言うか、8割以上は失敗だよ」
そうは言うが、ほとんど毎日、何かしらを獲っていた男が言っても説得力は弱い。
「でも父さんはほとんど失敗しなかったじゃん」
口を尖らすステラ。しかし父はなおも笑って、子の頭を撫でた。
「まあ、父さんは、たっくさん歩いて、30か所くらいのエサ場を毎日回っていたからな。その内の1か所で成功してただけだよ」
「30!?」
ステラは跳ねる。
昨日の6か所を巡り、山を下るだけでいつもの帰宅時間だ。
となると、かつての父アルカスは、弓猟ゆえに罠を仕掛ける時間を差し引いても、ざっと計算して今の4倍近い速度で移動していることになる。
「そう。いくら失敗しても、それが自分の命や体に関わるものじゃなければ大丈夫。最後の1つで成功すれば、それでいいんだ。だからそのために、諦めず、足を止めず、目と頭を動かし続けるんだ」
ふっと、ステラの力が抜ける。
令和の世の日本人の性質だろうか、これまで、失敗を恐れすぎていたような気がする。
ステラはキリリとアルカスを見て、強くうなずいた。
さて、最後のポイントへ近付くと、しげみがガサガサと揺れていた。
親子は黙って顔を見合わせ、互いに笑いながら、シーッと人差し指を口に当てた。
そして、そろりそろりと近付いて、罠にかかった獲物を見つける。
それは野ウサギだった。
後ろ足を吊り上げられ、前足だけを地面につけた逆立ちスタイルでもがいている。
アルカスは野ウサギを持ち上げた。
近くのツタで前足も縛り、動けなくしたところでひと息入れ、ステラを見る。
「大きい獲物はここでトドメを刺し、血抜きをして村へ持ち帰るんだ。でもコイツは小さいし、村に持って帰ってから、肉屋のグラディウスに任せてもいい。……どうする?」
それは、父アルカスなりの優しさだった。
ステラは初めての獲物を見る。
冬毛へ変わりたてでふわふわの毛並み、ちょこんと丸い足先、じっと見詰めるつぶらな瞳。
前世の狩りでトドメ刺しだって何度もしたけど、この日はなんでか体が動かない。
ステラは悟った。
あの頃の狩りは、政府の敷いたお題目に助けられていたのだな、と。
名目は害獣狩猟。農作物を食い荒したり、泥浴びで地面をぐしゃぐしゃにしたり、糞害を引き起こしたり……そうした害をなす獣を駆除する、という正義が、奏汰には与えられていた。
命を奪うという行為を、その正義が軽くしていた。
人は酒以上に正義に酔う、なんて言葉を聞いたけれど、自分も正に、白昼から正義に酔っていた。
ところが、今、目の前にいる獣はどうだろう。
山奥で暮らす野ウサギだ。人里に悪さをするでもないその子を、自分の腹を満たすために殺す。
その行為を軽くするほどの正義はステラの胸に無く、また、持とうともしていなかった。
父アルカスはじっと待った。
狩人であれば誰もが通る葛藤を、息子が乗り越えるのを。
5歳のステラにはまだ早いかもしれない。
けれど、持っている知識や技術は、すでにその水準へ達している。
父として大いに悩んだが、子を信じるのも親の務め。どうなってもステラを支えるのが父としての自分の使命だと意を決めたのだ。
ステラはギュッとこぶしを握り、アルカスの目を見上げた。その目には涙がたまっている。
「やるよ。ちゃんと、やる」
ステラの決意を、父アルカスも受け取った。
「よし。じゃあ、やり方を教えるからやってみな。難しかったら、父さんが替わるから」
思っていたよりもずっと強い息子の心に、頼もしいやら寂しいやら思いながら、アルカスはナイフを抜いた。
頭を打って昏倒させ、胸を刺して心臓を止める。そして傷口を下にさせ血を抜く。
ステラとしては、覚悟を決めたらあとは前世の狩猟で慣れた手順だったのだけど、その手際と落ち着きっぷりにアルカスはたいそう驚いた。
それは以降、酒場で友人と飲むたびに、息子の自慢として披露するほどに。
そんなこんなで、2人は初めての獲物を持って山を降り、肉屋へ持ち込んでグラディウスにさばいてもらう。
そうして小さな毛皮とフレッシュミート、さらに、心臓のそばから出てきたキラキラした石のようなものを受け取って、家に帰る。
その晩に食べた野ウサギのステーキは絶品で、ステラは生涯忘れることはないだろう、と思った。
笑顔で食卓を囲むステラとオラーレを見て、アルカスは自分の役目が終わろうとしているのを強く感じていた。