第5話 春の日の午後
メモリア山のふもとにあるクラース村を襲った魔獣を撃退した狩人のアルカスは、その際に負った傷を癒していた。
ステラは、そんな父の傷が癒えるまで、一緒に家で過ごしていた。
春になり、先の巨大魔獣の襲撃によるクラース村の傷も癒えてきた。
村の外周にあった柵は強固な壁となり、そのさらに外に広がる畑や林を、さらに取り囲むように柵が設けられた。村の外壁にはやぐらが四方に建てられ、全体がより堅固になった。
そんな壁の外、柵の内側で、幼いステラは父アルカスと、雪の下から頭をもたげる山菜を摘んでいた。
アルカスはクラース村で1番の狩人だ。
射撃の腕、罠を仕掛ける技術、獣に関する知識だけでなく、野草にも詳しかった。
「そこの木の根元、周りから包むように雪をすくってあげな。くるくるっと丸まったのが、何本も出てるはずだから」
言われた通りにしてみると、ワラビのような植物がいくつも顔を出していた。
「大きくも小さくもない、中くらいのを、うーん……3つくらいかな」
大きいものはその種が残るように、小さいものは後から山菜採りに来る人のために、ひと株からの採取を最低限にするようアルカスは教える。
「はーい。でも、お父さん。下の方にたくさん、綿毛に包まれたのが生えてきてるよ」
ステラだって、山菜採りのマナーは、それこそ生まれる前から知っている。
その上で、思った以上の群生の種を見つけたのだった。
「おお!よく見つけたな。そうか。そんなにあるなら、もう3つばかり採っておくか」
ステラの隣へ来た父アルカスが、しゃがんでそれをみとめる。
頭を撫でながらカゴを出し、ステラはぷちぷちと採取した山菜を、そこへ入れていく。
採取のあとは雪をもとのとおり戻し、次のポイントへ。
低木の新芽はアルカスがステラをかかえて採り、高いところの木の芽は肩車をして採った。
いずれも1つの木に3つ以上の芽を残して、親子でテクテク歩いて回る。
そうしてカゴもいっぱいになってきた頃、母オラーレもそこへやってきた。
村の再建がひと段落して、その設計や指揮にたずさわっていたオラーレも、任から解放されたのだった。
「ふたりとも、調子はどう?」
ツタを編んだバスケットを持ち、ブロンドの髪をたなびかせ、残る雪に跡をつけながら母オラーレは2人のそばへ走る。
「すごいぞ!ステラは飲み込みも速いし、スジがいいぞ。弓が引けるようになったら、すぐに良い狩人になるんじゃないかな」
迎えた父アルカスもまた、ブロンドの短髪を揺らす。
(美男美女のお似合いカップルだよなぁ)
お日さまのもとでの父母のハグを、ステラは眺める。
2人とも20代半ばくらいだろうか。星崎奏汰の生とステラの生を足したら、倍までいかないけれどもそれに近い差があって、ついつい新入社員を見守る中間管理職みたいな心境になってしまう。
「じゃあ、お昼にしようか」
オラーレからバスケットを取ったアルカスが、近くの倒木の雪を払った。
「ふふ。お外用にごはんを作るの、ちょっと手間取っちゃった」
息ぴったりのコンビネーションで、オラーレが持参した敷き布をそこへかける。
「久しぶりだったし……お口に合わなかったらゴメンなさいね」
3人で、ステラをはさむように腰かけて、バスケットから取り出されたのはサンドイッチだった。
冬の保存食だった燻製肉のスライスへ改めて火を通し、タマネギのスライスとレタスのような葉物野菜と合わせ、表面をパリッと焼いたパンに挟んでいる。
手に持てば燻製の香りが漂ってお腹を刺激する逸品で、謙遜してはいるけれど、オラーレはクラース村でも有名な料理上手だ。
「いただきます」
「ふふ。召しあがれ」
朝から歩き回ったステラと父アルカスは、サンドイッチから伸びる香りに辛抱たまらずかぶりつく。
燻製の香り。パリザクッとしたバケットの歯応えと、口に広がる麦の香ばしさ。シャキリと音を立てる野菜。そして塩っけある肉の旨味。鼻も舌も耳も歯応えも楽しくなる。
「やっぱりおいしい……」
ポロリとステラの口から感想がもれると、母オラーレは溢れそうなほど笑みをたたえた。
「うん。うまい。これ、新しいスパイスとか使ってる?」
父アルカスの感想を聞いて、ステラも改めて一口かじる。
言われてみると、山椒とか胡椒のみたいに後に引く香りが、燻製の濃い匂いを口の中でリセットして、新しいひとくちへのループを作っている。
「あ。分かった?そうなの。燻製チップにも使う木の若い葉っぱをね、刻んで火を通してみたの。後味が良くなるかなって」
にこにこ、うきうきと話すオラーレ。
「いいよ。すごくいい」
うんうんと頷きながら、父アルカスは目を細める。
「あのぅ……お母さんがお料理するとき、どんなふうに考えてるの?」
ステラは、気になっていたことを聞いてみる。
「ええと、そうねぇ。食べてくれる、ステラやお父さんのことを考えてるかな」
子どもにも理解できる言葉を選んで、母オラーレは言う。けれどそれは、言葉の意味は伝わっても、必要な情報は伝わらないものだ。
「うーんとね。そうじゃなくって……食べたときの、ザクッ!パリッ!シャキッ!ふわっ!みたいな、食感の組みたてとか、パンの味とお野菜の味とお肉の味の順番とか……」
現代日本と比べて、食材も調味料も少ないこの地で、それでも自分に「美味い!」と唸らせるものを作る腕前に興味は湧く。
特別に料理好きというわけではなかったものの、長い1人暮らしでそれなりに作ってきて、けれど確実に敵わない人がこんなに近くにいるのだ。聞いてみたくもなる。
ステラの問いを受け、オラーレは子の頭の上でアルカスと目を合わす。
「な。すごいだろ?」
「ええ。本当ね!この子は村を救う英雄にだってなれるわ!」
母オラーレはステラを抱きしめる。
「お……お母さん?」
まだ半分ほど残るサンドイッチを落とさぬよう、踊るように手を動かしながら、ステラは困惑の声を出した。
「ああ、ゴメンなさいね。ええと、味の作り方、みたいなものよね」
母オラーレは、自分の分のサンドイッチを取り出す。
「食感、歯応えは、噛んだときに歯が当たる順番だから、サンドイッチみたいな食べ物だったら、上からも下からも同じ順番になるようにすれば、うまくいくんじゃないかしら」
そう言いながらオラーレは、パンをめくって見せる。なるほど、中央のお肉を軸に対称となるような配置だ。
「味の方は、言葉にするのがもっと難しいわ。うーん……やっぱり、1番は、食べてくれる人への気持ちじゃないかしら」
困ったような、照れたようなほほ笑みを浮かべながら、母オラーレは続ける。
「味ってね、味そのものと、匂いと、食感が全部あわさってできてるの。だから、自分や食べてもらいたい人の好みに合わせて、味を整えながら覚えていくのが1番だと思うわ」
母オラーレのやや伏せた目からは、申しわけなさが伝わってくる。
子どもに聞かせる言葉がないと言うならそうだろう。
けれどステラは、母オラーレの言葉をそのまま受け止めた。
まだ3年だけだけど一緒にいて、思ったままを言葉にする、彼女の人となりを感じていたからだ。
きっとオラーレは、料理を言葉で表してレシピの形にするよりも、感覚に任せた方がうまくいく人なんだろう。
(もしそうなら、ここまでうまくなるのに、とんでもない数を作ってきたんだろうな……)
そうしてステラは、母オラーレの重ねた時へ思いをはせた。
「そうなんだ……じゃあ、お母さんはたくさん頑張ったんだね」
素直な感想だった。
奏汰の分と合わせても追いつけないほどの調理技能に、素直な尊敬を抱いている。
オラーレはびっくりして、大きく開いた目でステラを見詰める。
そうしてすぐに満面の笑みを浮かべ、我が子を抱きしめた。
「ふふふっ……ありがとう。ステラ」
回された腕は細く、しかし確かな力が込められていた。
母と逆隣りに座っていた父アルカスが、立ち上がり、ステラの頭をわしわしと撫でる。
母にホールドされたまま、それを受けきったステラが目を開けると、父アルカスの背中が遠ざかるのが見えた。
手には板きれを持ち、林の方へ向かっている。
彼の座っていたところへ目を移すと、アルカスが使っていたよりもひと回り小さな弓と、午前に集めた山菜が残されている。
「ねえ、お母さん。なんでお母さんはお父さんと結婚したの?」
美男美女でお似合いだけど、職能を考えるとどうしても不思議だったことを聞いてみる。
母オラーレは、そっと腕を解いた。
「前の冬の日、お父さんが守ってくれたでしょ?」
オラーレは、悲しいような、悔しいような目をしている。
ステラはうなずく。
きっと忘れることはない、あの大きな背中を思い出しながら。
「あの人はね。やりたいことより、自分のできること、自分にしかできないことを選ぶ人なの。そして、怖さを飲みこんで、手足を動かせる人なのよ」
誰もが恐怖で震える中、毅然として立つあの背中。大きな影にも舞い上がる火の粉にも揺るがない、あの背中。
「だから……なんて言うのかな。自分のことより、ひとのことを選んじゃうのよね」
語るオラーレの顔は、悲しさに、だんだん照れと誇りが混じっていく。
「そんなお父さんが、一緒にいてほしいって言ってくれたの。それまで何度も守ってくれたし……けど、やっぱり、いっつもひとのことを選んじゃう人が、初めて自分の望みを言ってくれたの。そんなの、叶えてあげたくなっちゃうじゃない」
母が浮かべる乙女の顔。
普通の子なら気まずくなるところだけれど、ステラは達観していた。
こんな2人をほほ笑ましく思うし、永く幸せでいてほしいと思う。
風がそよぎ、母が笑うそこへ、父アルカスが戻ってくる。
持っていた板は林の入口へ立てかけられ、刃物でつけられた円形の模様がステラにも見える。
アルカスは、妻と子にほほ笑みかけ、隣に置いた弓を取った。
冬の日にステラと削った矢も1本持つ。
「あなた……」
オラーレは不安な目をして、けれどすぐに悟り、信じるように真っ直ぐ見詰める。
「ああ。見ててくれ」
妻に、そして子にそう言って、アルカスは的へ向いた。
額の傷と、開かない右目を見て、ステラも悟った。
魔獣と戦い、負った傷からの復活を確かめる儀式が、これから行われるのだ。
ブロンドの髪が揺れる。
まっすぐに立ったアルカスは、矢をつがえ、引き絞る。
その背中が、あの夜よりも少しだけ小さい気がして、ステラはなんだか寂しくなった。
──ヒュッ
指が離され、矢が風を切る。糸を引くように、その矢は、まっすぐに飛んだ。
──タンッ
しかし的には当たらなかった。
「…………ッ!」
オラーレの頬を滴が伝った。
「…………ふぅ」
少し悔しそうに、でもどこか満足げに、アルカスは弓を降ろした。
矢は、的の右がわをかすめ、にある木へ刺さっていた。
(そうか。右目が開かなくてズレるんだ)
アルカスの腕前を思えば、1つめの矢で試し撃ちすれば、2つめの矢で中てられるだろう。
けれど狩りの獲物は、動かずに2の矢を待ってはくれない。
戦争に出る弓兵だったら十分つとまる腕前だが、なんにせよ、この射撃はアルカスの狩人引退の儀式となったのだった。
「こういうわけだ。今後は見張り番とか、畑仕事とかに精を出すかね」
顔にムリヤリ笑みを貼り付けたアルカスが言う。
「まあ、しばらくはのんびりしましょう?」
同じように泣きそうな笑顔のオラーレが言う。
ステラは2人を見て頭を回した。
間違いなく努力を積み重ねてきた2人の生き方が、こんなに突然、変わってしまっていいのだろうか。
(何か、自分にできることはないか……?)
生んでもらった。育ててもらった。守ってもらった。
その恩はあるけれど、それより何より、2人のまっすぐな生き方が、ステラは好きになっていた。
(アルカスが、オラーレが……2人が本当にやりたいことって何だ……?)
分からない。分からないけれど、ひとつ、思い出す。
それは星崎奏汰の記憶。
大学院の2年めのこと。
夏の日にいつも通り研究室へ入ると、教授から別室へ呼び出された。
聞けば、附属校の講師が盗撮で逮捕され、人手不足に陥り、緊急かつ内密に講師を探しているとのこと。
そうして学部で免許を取っていた奏汰に白羽の矢が立ったのだ。
任期は半年。
その間は休学扱いで、それは留年を意味していた。
断ることも考えたが、それは自分の卒業をにぎる教授との関係が崩れることを意味する。
結果として奏汰は講師の依頼を受け、なぜか任期も1年半に伸び、そのせいで就職で苦労することになったのだが……それはそれとして、この間のできごとは悪いことばかりじゃなかった。
教科書の読み返しは新たな発見があったし、おかげで生活力が上がった。
それに、ひとに思いが伝わったときの、心地良さと興奮があわさったような、どきどき胸が高鳴る感じは、ちょっと珍しい感覚だった。
そう。その感覚だ。
ステラの脳裏で、コテリン!とアイデアが光った。
「父さん。ぼくに狩りを教えてくれない?」
もともと父アルカスの仕事に興味はあった。
それに加えて、もし、知恵や技を伝えることで父アルカスの心が軽くなるなら、それより嬉しいことはない。
思わず口走った言葉には自分でも驚くけれど、ステラに後悔はなかった。
(でも、いきなりすぎて驚かせちゃったかな……)
おそるおそる両親を見上げると、2人とも目を丸くしてステラを見ていた。
「えっと……ダメ、かな?」
これまたおそるおそる聞いてみると、母オラーレはステラの肩を抱き、父アルカスは膝をついて子の目を見た。
「いいとも。ステラがそうしたいのなら、俺は全部を教えるとも」
そう言ったアルカスの目から伝った小さなしずくが、春の風に舞い、散っていった。
こうしてこの日、メモリア山のふもとのクラース村で、1人の狩人が弓を置き、1人の子が狩人になるべく弓をとったのだった。