第36話 親父の背中
城塞都市プラーガで、体の一部を魔獣のように変形させたナキを追って、ステラたちはメモリア山を登った。
ナキを追う討伐隊よりも先に、メモリア山の中腹、クラース村の跡へ到着したステラたちは、ひと息入れて体勢を整えていた。
パチパチとはぜる広場のたき火で、ステラは湯を沸かして暖を取る。
本当はここに、ミルクとかココアみたいなエネルギーになる物が欲しいのだけど、今日はシンプルに白湯だ。
コトコト煮立ったらカップへ注ぎ、井戸の水を足してまた火にかける。
「おい、それアタシにもくれよ」
そばで横になっていた、褐色肌のクリスがぶっきらぼうに言う。
「いいけど、起きないとヤケドするよ」
カップを持ちながらそばに立ち、クリスが起きないと届かないくらいの高さにキープしてやる。
「ああ、はいはい。お前、ナキにも同じようにやってんのか?」
ムスッとした顔を見せながら、クリスは上半身を起こして手を伸ばす。
「いいえ?ナキは寝ながら飲み食いしないので」
クリスの手に熱いカップを持たせてやりながら、ステラは意地悪な顔を作ってみせた。
「へいへい。どうせアタシは悪い子ですよー」
げんなりした顔のクリスに笑いながら、ステラはかつてを思い出す。
ここへ来る前、つまりは転生する前のこと。
星崎奏汰として生きていたころは、寝ながらの飲み食いどころか、寝たばこもよくやっていた。
けれどコッチへ来てからさっぱりしなくなった。
父母のアルカスとオラーレは、実の親とは言え、本来の自分の半分くらいの年齢だった。
ナキに対してもそうだけど、ステラは何となく、年下にみっともない姿を見せたくなかった。
それがつまらないプライドだってのはよく分かってる。自分で自分を檻に押し込んじゃってるな、とも思う。
でも、だからこそ生まれる力もある。
冬の寒い日に、布団から出たくないのをこらえて暖炉に火を入れるべく起床するとか。
疲れてご飯も翌朝に回してベッドへダイブしたいときに、気合入れ直して夕食の準備をするとか。
そしてそのたびに、ナキが金の目を細めて喜ぶものだから、知らずに心も満たされて。
(守んなきゃいけない誰かのおかげで力が湧くんだ、って知れたのは、転生して良かったことだな)
「そんなにナキがいいのかよ?」
褐色肌のクリスが、カップを両手で包みながら、上目遣いで言う。長いまつ毛が、たき火に照らされた湯気できらきら光った。
「いいって言うかさ、ナキには楽しく暮らしてほしいんだよ。今、どっかで楽しくやってんならそれでいいさ。でも──」
あんな泣きそうな顔で飛び去っておいて、楽しくやってるとは思えない。そう言おうとしたステラの言葉を、褐色肌のクリスが奪う。
「お前といる以上に楽しくしてるナキが想像できんのかよ?」
射貫くような女の視線に、ステラは二の句が継げない。
それは、現代日本を知るステラとの、価値観の違いだった。
世界には、それこそ星の数ほどの男がいて、同じくらいの女がいる。
1人の人が生涯に会えるのはそのうちのほんのわずかで。
「だからこそ、もっと良い人がいるはず」と考えるのが現代人で。
「だからこそ、会った人を大事にすべき」と考えるのがこの世界の人だ。
「そんでお前が。一緒にいて、ナキ以上に楽しいヤツがいんのかよ?」
褐色肌のクリスは、切れ長の目を突きつけたまま、ずずず、とカップをすする。
「それは……まだ、いないけどさ」
楽しさで言えば、ナキとヤマダ将軍が2トップだ。
だけど、ヤマダ将軍との楽しさは、SASUKEトークという、話題を消費していく楽しさ。
新しいネタが生まれなければ続かない、期限付きの感情。
対してナキとの楽しさは、一緒にいるだけでなぜか笑みがあふれる、ぽこぽこと生まれていく楽しさだ。
温かくて、穏やかで、満ち足りていて。
時間がゆったり流れていると感じるのに、気付いたらお日さまが沈もうとしている、空間が歪んでいるのでは?と思うような楽しさ。
「それはもう、好きじゃん。ナキのこと」
溜め息混じりにクリスは言う。
「そりゃ嫌いじゃないよ?嫌いじゃないけどさぁ!?」
「うるせぇ!」
褐色肌のクリスは、手元の槍を掴んでステラへ向ける。
「『でも』とか『けど』とかウダウダ言ってんじゃねぇ!お前の人生、これっきりなんだぞ!?」
あおって空にしたカップを置き、褐色肌のクリスはステラをにらむ。
「この距離ならお前の弓よりアタシの槍のが速いんだぞ?死ぬぞ?それでいいのかよ?」
ステラは、前回の死の記憶があるからか、恐怖を感じなかった。そりゃあ痛いのは嫌だし、できるなら回避したい。
けれども前世のときほど、死そのものへは恐怖を感じていなかった。
ただ、死を目の前に突きつけられて、最後を感じた瞬間に思い出すのは、金の目の少女のこと。
「クリスは、楽しくない殺しはしないでしょーよ」
ステラはそう言って、自分のカップをあおった。
「でもありがとう。やりたいことは、ちゃんと見えたと思う」
すこしサッパリした顔のステラ。それを見て、クリスもそろそろと槍を下ろす。
「ほっほっほ。こんな夜にケンカかの?」
そこへ、白ヒゲの老人リベールがやって来た。
「ハッ!アタシらがマジでケンカしたら、この村潰れるだろうが」
「怪獣大戦争かよ。さすがにそんなことには──」
言いかけたステラの脳に、ひとつの光景がよぎる。
巨大なオオカミの魔獣。あれが父アルカスの成れの果てならば。
巨大なトカゲの魔獣。父アルカスが、あの血を浴びたのだとすれば。
自分の手足にわずかに浮かぶ結晶と、野生に近付いていく五感が、気のせいでないのなら。
(きっと俺は、遅かれ早かれ、父と同じ、魔獣になる……)
もし魔獣と成ったなら、槍ひとつで十分にやり合えるクリスとの戦闘で、廃村を更地にすることは──
「──あるかもしれないな」
やけに長いための後、ステラがトンチキ話にうなずくものだから、クリスは思わず吹き出してしまった。
「あんのかよ!?ハッハッハッハッハ!そりゃあ面白そうだな!!」
その戦いを想像し、心の底から『面白そう』と笑うクリス。
「俺は絶対イヤだけどね」
クリスと戦うのも、魔獣になって人を襲うのも。ステラは想像して肩をすくめる。
「まあお前はそう言うよな。てか『怪獣』って何だよ?」
ひいひいと笑うクリスに、老人リベールが答える。
「デカい魔獣みたいなもんじゃと。昔将軍か誰かに聞いたわい」
そう言いながら、白ヒゲの老人はたき火に薪──かつての物見やぐらの柱をくべた。
「いいねぇ。怪獣大戦争!ワクワクする響きだ」
ソフトビニールフィギュアで遊ぶ少年のような、けれど少し切なそうな目で、その戦士は火を見つめた。
白ヒゲの老人リベールは、湯気の立つ鍋からわずかにカップへ湯を注ぎ、ゆっくりと腰を降ろした。
「さて。迎えうつ準備はできた。ヤツらも、もう1時間ほどでここに着く」
舐めるようにカップを傾け、火に枯れ木をくべながら、クラース村の賢者は若い狩人を見る。
どうするんじゃ?どうしたいんじゃ?そんな改まった問いかけを帯びた視線を、ステラは正面から受け止めた。
初めてかもしれない。
転生して、周りの人はみなもとの自分より若く、みっともないところを見せられないと思っていた。
皆が恐れる死の体験が、妙な優越感になっていた。
ここまでは大丈夫、ここからは危ない、と、自分で線を引いていた。
だからこそ自分の望みを持たなかった。持っても目をそらしていた。
抱いた望みが叶わず、ついえる痛みを知っていたから。本当にいたいことから逃げていた。
前世を、星崎奏汰の人生を思い返しても、これだ、という思い出に当たらない。
できるかどうか分からないことに、自分と他人の人生を賭けるようなこと、怖くてやってこなかった。
人生を左右する、なんて言われるときほど、勝率の高い方を選んできた。
受験だって、就職だって、人付き合いだって。
自分がこうしたい、というものより、周りの望みや、客観的に「良い」方を選んできた。
だからきっと、初めてのことだ。他人の人生を無駄遣いして、自分の望みを押し通すような願いを告げるのは。
「リベール。頼みがあるんだ」
ステラはたっぷり1秒呼吸を止めて、お腹に力を入れる。どくん、と心臓が脈打って、熱を体にめぐらせる。
「俺はナキに会いたい。会って、ナキが笑って生きていけるような、そんな道を探したい」
そうして深々と頭を下げる。
「そのために、どうか、力を貸してほしい。お願いします」
いつもは誰かの願いを聞く側にいた少年が、自分の願いを口にした。そのことに、父親代わりのリベールはほくほくと頬を緩ませる。
「任せなさい。追手は全て食い止める。言ってやりたいこともあるしの」
白いヒゲの老人はそう言って笑った。
「では、クリスや。ステラについていってくれんか」
老人リベールからそう言われ、褐色肌のクリスは心底驚いた。
「はぁ!?アタシは明らか、軍人とやり合った方が役立つだろうが!!」
呆れや怒りの混ざった口調で、切れ長の目をさらに鋭くするクリス。
「そう言うな。ナキの居場所に目をつけとるのはステラだけじゃ。戦いたいなら、道を覚えてから戻ってきてくれんかの」
ほっほっほ、と笑って、老人リベールはクリスをさとす。
女戦士がうんうんとうなってからようやくうなずくと、老人は自分のヒゲをなでながらまた笑った。
「じゃあもう行こうぜ?あと1時間もないんだろ?」
そう言って、褐色肌のクリスは立ち上がる。
「ああ、それなら、ステラ。これを」
戦士に促されて立ち上がったステラに、老人リベールは細長い包みを渡す。
「これは……矢……?」
ステラは手にしたときの重量感で、矢じりに石を取り付けた矢だと直感する。
「そうじゃ。これで魔石は取り除ける。その後には、人の部分だけが残るじゃろう」
これが、リベールの用意した解決策だった。
魔石を無効化する魔石を使い、ナキの人の部分のみを残す。
魔石でできた卵から生まれた彼女に、どれほど人の部分があるのかは分からないが、このままでは確実に石に飲まれてしまう。
あとは信じるしかない。
「何から何までありがとう、リベール」
ステラは老人に握手を求めた。
枯れ木のように細い手が伸び、それをそっと握る。
そして老人が返してくる確かな力に、彼の覚悟を感じたのだった。
「じゃあの」
「ああ」
手を放し、老人はたき火の前へ戻る。
「元気に」とか「達者で」とか「無事で」とか、脳裏に浮かんだ言葉は数あれど、老人と狩人は互いの想いと調子を察し、それを胸に押し込んだ。
狩人の少年ステラと褐色肌の戦士クリスは、クラース村を出て山へ向かう。
最後に振り向いて見えたのは、たき火にあたりながら黙々と「その時」に備える、年老いた父の大きな背中だった。
息子と呼べる少年ステラと、娘と呼べる女戦士クリスを送り出し、リベールは耳を澄ます。
パチパチとたき火のはぜる音、さらさらと夜風の過ぎる音、ざあざあと川の流れる音。
その奥から、がらがら、がしゃがしゃと、鎧の集団の進む音が、少しずつ近づいてくる。
ややして、クラース村を囲う石壁の間から、揺れるたいまつの火が見えた。
それは同時にたき火の明かりを見たようで、ピタリと動きを止める。
数分の様子見と話し合いを経て、ナキの討伐を目的としたその部隊は、クラース村へ足を踏み入れた。
「ようこそ。何のご用ですかな?」
たき火に当たり、沸いた湯を傾けながら、白ヒゲの老人リベールは客人に問う。
「人によく似た獣を探しておりまして……」
周囲を警戒しながら進んでいた隊を、正面への警戒を重視した陣に配置して、20人あまりの部隊はたき火へ近づく。
「獣?知りませんなぁ」
隊の全てが村へ入るのを待ちながら、老人リベールはゆるりゆるりと話をする。
「そうですか……ところでご老人。あなたはここで何を?」
隊の先頭に立つ若い兵士が、たいまつを掲げると、リベールはほっほ、と笑った。
「わしはアンタらを待っとったんじゃよ」
そう答えると、カップをぐいっと干して地面に置く。
「わしの名はリベール。ラピス・デ・テンプス・ヨセフ・リベール」
そう名乗り、かつての国王の名に身をこわばらす隊の中ほど、がっしりとした体格の兵を指差した。
「我が娘に狼藉をはたらいた、クストース家の魔導兵団、中でも特に、ラケルタ隊長に文句があっての」
父リベールはそう言うと、恐怖と緊張で固まる隊をにらみながら、ゆっくりと立ち上がった。




