第35話 夜空のむこう
王都プラエタリアから遠征してきた魔獣討伐隊は、手柄欲しさにクラース村の人々の命を狙う。
ステラたちはそうさせまいと、城塞都市プラーガの人の手を借りながら街を脱出した。
みんなが無事か、作戦がうまくいったのか、確かめるすべはステラにない。
彼はわずかな仲間とともに、生まれた村の人々と分かれ、ナキを追って夜の山へ入るのだった。
ステラは、地図を仕込んだ手斧をクリスが掴んだのを見てから、城塞都市プラーガを脱出する。
登り慣れた反りたつ城壁を登り、夜のとばりの降りた山野へ向け飛び出す。
星明りに照らされて、ステラの手はきらきらと光った。
城塞都市の中でも感じたけれど、身体能力が上がって、感覚も鋭くなっている。そしてなんでか納得してしまった。
(ああ、俺、魔獣化してるんだな……)
かつての父アルカスも、こんな心境だったのだろうか。
自分の終わりが目に見えて迫っていて、けれど心は達観している。
自分のことより気にかかる人がいて、残された時間で何ができるか、ふと気付くと考えている。
(ナキは今、どうしているだろうか……)
ステラは夜空のむこうにそびえるメモリア山を眺めて駆けた。
城塞都市プラーガを飛び立ったナキは、音よりも速く空を駆けた。
混乱していた頭が落ち着いてくると、メモリア山の中腹の上を、小鳥と一緒に飛んでいることに気付いた。
「え!?私、ほんとに飛んでる!?」
状況を把握するやいなや、またもビックリするナキ。
びたりと止まると、並んでいた小鳥がすこし先のところで止まり、ぱたぱたとホバリングしながら振り向いた。
「ああ、ごめんね」
ナキも、大きな翼でホバリングしながら、ゆっくりと近づく。
文字の書き方や魔術の使い方とは違って、誰からも教わっていないのに、空の飛び方は知っていた。
金の目の少女ナキは、ついてくる白い小鳥と戯れながら辺りを眺める。
眼下は一面の森なのだけど、少し離れたところに開けた草原が見える。
逆に、山を降りる方へやや離れたところには、村らしい家の集まりがあった。
「小鳥さん、あっちへ行ってみようか」
自分の姿じゃあ人を怖がらせちゃうだろうし、小鳥さんも人のそばは嫌だろう。
ナキはそう思って、草原の方へ向かうのだった。
草原を上空から見ると、四方を森に囲まれて、中央の北よりに大きな岩があった。
草原の広さは高校の敷地ほど、大きな岩も高校の校舎くらい大きい。
中でもナキの目を奪ったのは、その岩の形だった。
大きな大きな首長トカゲが、手足もしっぽも首も丸めて、眠っているような形。
ただ、普通のトカゲと違って、背中には折りたたまれた大きな翼もある。
まるで、そういう生き物が、命を終えて石になったみたいで、厳かな、神秘的な雰囲気があった。
「……お母さん?」
口をついて出た言葉に、ナキは自分で驚いたけど、なんだかしっくりくるのも事実だった。
草原へ降りると、ナキはやっと、そこが自分の生まれた、初めてステラと会った草原だと気付いた。
そして生まれた場所ならば、母の亡骸があることにも納得がいく。
ナキは、小鳥を肩へ乗せながら、ゆっくりと草原を一周した。
ところどころにある、ナキの体ほどの魔石の結晶が、森の動物だったのを感じる。
体が魔石化していって、命が尽きるのを感じて、仲間から離れてここで眠った動物たち。
人が踏み入った跡もなく、動物が争った跡もない。その草原は、平和な滅びの場所だった。
一周したナキは、母のもとへと歩み寄る。
そして巨大な鼻先へ手を当てて、いつくしむようにつぶやいた。
「ただいま、お母さん」
おかえり、とでも言うかのように、母の大きな亡骸は、青白くぼうっと光った。
白い石の体から、青い光が流れ込む。それはナキのまぶたに、母の思い出を映し出した。
言葉も文化も違う土地で、一生懸命にお仕事した。隣にいる人が好きだったから、どうしても力になりたくて。
やっとのことでお仕事を終え、2人で王宮へたどり着くと、倒れて意識を失ってしまった。
次に目覚めたとき、体に異変が起きていた。
全身が熱く、痛く、居ても立ってもいられなくて、王宮を飛び出した。
気付いたらこの地にいて、いつの間にか巻き込んでしまっていた付き人が、手の中でぐったりしていた。
近くを流れる川の水や、見つけた木の実を食べさせても、なかなか彼女は元気にならない。
けれどあるときから、体を石が覆い始めて、少しずつ、人じゃなくなっていくのが分かった。
人じゃなくなっていくのは自分も同じで、体はどんどん大きくなり、石の鱗がどんどん体を覆っていく。
そんなある日、ふらりと、付き人はいなくなった。
胸に埋まる宝石の力だろうか、彼女が人を襲う獣になってしまったのが分かる。
山を降り、街を襲おうと歩く彼女を止めたくて、必死になって頭をひねった。
人の体が変わっていく、不思議な力の源が、この胸の石だってことは何となく分かった。
だから彼女を止めるなら、この爪で胸を裂き、脈打つ石を砕けばいい。
そう、分かっていたのに、できなかった。
胸元へ爪を突き立てたとき、あの人の顔が浮かんだ。
長く生きていれば、大好きなあの人と、また会えるかもしれないと思ってしまった。
そうしたら、もう、爪は先へと進まなかった。
王女の資格がなくなったのが分かる。
人々の平和より、自分の望みを取ってしまう、そんな浅はかな女なのだ。
体のほとんど全てを石の鱗に覆われながら、来る日も来る日も泣いてすごした。
石の獣となった付き人は、街の人に倒された。
けれどそのとき、彼女の中の石の力が、倒した人へのり移った。
獣になりつつある人は、自分の定めを感じると、この草原へとやって来た。
そして人としての終わりまで過ごし、獣となって山を降りる。
それが幾度も繰り返され、そのたびに、自分が責められているような気持ちになった。
さいなまれていたある日、大好きなあの人が、この国の王様が、この場所へとやってきた。
まっ白な長いおヒゲをたくわえて、すっかりおじいちゃんになったあの人。
会いに来てくれたのが嬉しくて、けれど、人々のために死ねなかった自分が恥ずかしくて、かつての姫は体をまるめ、岩のふりをした。
「ああ、サラーハや。そこに、いるのか?」
王様は、目の前の大岩こそが王妃であると、ついに分からなかったのだけど、その草原に妃がいるのを感じ取った。
「ああ。来るのが遅くなってすまない……わしも、やっと勇気が出たのじゃ」
風に、木に、岩に語りかけるように、王様は言った。
「わしのせいで、おぬしは飛び立たざるを得なくなってしまった。それを責められるのが怖くて、ここにいると知りながら、足を運ぶことができなかった」
王様の声はだんだんと震え、ついには目から涙があふれた。
「ああ、ごめん。ごめんよ、サラーハ。つらい思いをさせてごめんよ……」
老人となった王様は、日が暮れるまで泣き続けた。
そしてこの地の近くに家を建て、そこで暮らしては毎日祈りを捧げるようになったのだった。
お姫様は、年老いた王様を慰めたかった。
けれどこの巨大な体は、彼を抱きしめるようにできていない。そのまま握りつぶしてしまうだろう。
もしも目を合わせ、言葉を重ねたとしたならば、その衝動を抑えられる自信がなかった。
そしてもうひとつ、ショックだったことがある。
王様は、お姫様に会うために、自分の命を延ばすべく、お姫様とおそろいの、宝石を胸に埋めていた。
全ての石の力の源が、お姫様の胸の石だから、これを壊したら獣と一緒に、大好きな王様の命も終わってしまう。
それを感じ取ってしまったお姫様は、よりいっそう、自分の胸を裂けなくなってしまった。
王様の言葉を受け取って数日の後、お姫様は子を産んだ。
普通の人間の形でなく、それは卵だったのだけど、お姫様は名前を与え、片時も離れず言葉を送った。
「ナキ。純粋なナキ。いつか運命の人があなたを迎えにくるわ」
「私とあの人が、数日しか得られなかった温かな日を、あなたが永く過ごせることを祈っているわ」
王妃はついに話せなくなり、体も動かなくなっていった。
そうして卵の割れる音を聞きながら、娘の未来を想い、意識を手放したのだった。
ナキは、大好きだった本の、大好きだったお姫様の記憶をその身に受け取る。
そして同時に、大好きなステラが人でなくなっていくのを理解した。
「それは、嫌だな……」
まだ白い肌のあらわな胸元へ、青く透きとおった、ナイフのような爪を突き立てる。
冷たい感触のあと、気絶しそうな痛みと熱が体を走り、ドポリと血があふれだした。
けれどもそのとき、ステラの顔が頭をよぎる。
(会いたいな……)
手が止まり、涙があふれ、ぷちぷちと小さな泡を立てて傷口が塞がっていく。
(また一緒にご飯を食べたい。いっぱいいっぱいお話したい!)
とさり、と、崩れるように腰を降ろしたナキは、空を見上げた。
(私も、お母さんと一緒なのかな)
母サラーハの苦悩を想い、泣きそうな笑顔で溜め息をついた。
ぴぴぴ、と鳴く小鳥を頭に乗せ、さらさらと吹く風に髪を遊ばす。
深い黒だった髪は毛先が青く透きとおり、まっ白な肌は青い石が鱗のように覆っていく。
少しずつ少しずつ、自分が人間から離れていくのを感じて、金の目の少女は寂しくなった。
自分が自分でなくなることよりも、大好きな人から離れたものになっていくのが、何よりも、何よりも寂しかった。
(少しでも、人らしい何かを残せないかな……)
ナキはひとりで、一生懸命考えたけれど、服も、くつも、言葉も、想いも、人間らしいと感じるものは、全部ステラがくれたもの。
大好きなその人は、ああ、この空の向こうにいるんだな、なんて想い、夜に染まっていく東の空を見つめていた。
夜のメモリア山のふもとでは、2つのグループが登山を始めていた。
片方は、ナキの捜索と討伐を目的とした、王都の軍の暗殺部隊。
20人あまりの集団で、ウマに武器や兵站を引かせ、たいまつで辺りを照らしながら、山道を登っていく。
平野での焼き討ちや、街の中での反撃があったから、予定よりペースを落としている。
それでも、夜明けの前にはクラース村を超えるだろう。
もう一方は、狩人ステラ、老人リベール、戦士クリスの3人だ。
森の入口で合流し、白ヒゲの老人を馬に乗せ、川沿いの急傾斜を登っていく。
メモリア川のしぶきの向こう、大きな飛び石が沈むずずん、という低い音が、クラース村の人々の脱出を感じさせ、3人の足を軽くしていた。
若者の足腰が強いことと、地元民ならではのルート選択で、極力、他の人間に合わないコースを進む。
さらに言えば、普通の人より5感が鋭くなったステラが、夜の暗がりでも昼と変わらぬ視界を確保していた。
こちらは真夜中にはクラース村へ入っていく。
数日ぶりにクラース村へと足を踏み入れたステラたちは、中央の広場で焚き火を起こした。
ステラは別れ際にグラディウスから聞いていた、布と革をもらいにいく。
狩人が狩ってきた森の獣を加工するのがこのお店で、皮のなめしもやっていた。
そんな革の加工を、併設した被服店でやっていた。
もとはグラディウスの奥さんがやっていたのだけど、お子さんが生まれるときに一緒に亡くなってしまった。
以降は、従業員だった村のおばちゃんたちが切り盛りしていた。
「こんばんは」
無人なのを分かっていながら、ステラは挨拶をしてお店に入る。
そして肌触りのいい織布と、きめ細やかな革をもらい、お代を置いて広場へ戻った。
褐色肌のクリスは、城塞都市プラーガでの戦闘で浴びた返り血と、山登りでかいた汗を流して、温まりつつ仮眠を取った。
白ヒゲの老人リベールは、自宅の床下に貯蔵していた、243個もの魔石を回収した。
それは彼がこの地に来てから、年に2~3個ずつ集めた魔術資源だ。
それを、クラース村を歩いて回りながら、地面に、壁に、井戸に、森に置いていく。
もう人の戻らない村を歩くと、この地を拓いたときからの思い出が頭をめぐった。
生涯を懸けた、かけがえのないこの場所を、自分は戦場にしようとしている。
そこに葛藤がないなんてことはないが、ステラとナキの顔を思い出すと、それこそ、それに勝るものはなかった。




