第29話 狩人の矢
クラース村を再び魔獣が襲う。巨大なオオカミの姿をした魔獣は、大きなツノを弓にして、背中のトゲを射る。
なんとかして村を守りたいステラは善戦するが、激闘の中で吹き飛ばされてしまった。
そこに、村人を避難させるべく馬車隊がかけつける。その案内人として先頭にいたクリスが、クラース村の戦場にエントリーしたのだった。
褐色肌のクリスにとって、狩人アルカスは、初めて憧れた人だった。
自分より強く、はるか前を進んでいて、いつか手に入れたい輝きを放っていた。
いつか隣に並びたいと思っていた。けれどアルカスの隣には、既に美人なオラーレがいて、クリスの居場所はもうなかった。
だからクリスは、拾ってくれたリベールを残して村を出た。いつか見返してやろう、なんて考えながら。
だからだろうか。クリスは、クラース村を襲うオオカミに、アルカスの魂が見えてしまった。
ストイックで、己を磨き続け、困難に出くわすとニヤリと笑う。言葉は少ないが、そういうアルカスを格好いいと思っていた。
──ギュオッ……!
──チギィッ!
その一瞬を、狩人は見逃さない。
クリスの殺気の間を縫った矢に、かろうじて槍の穂先が合う。
だがかろうじてだ。
軌道はそれ、勢いも削れたが、それでもまだ十分な威力の矢が、クリスのふとももをえぐった。
(マズった……!!)
「クリスっ!!」
後ろからかかる声に、戦士は怒号を返す。
「状況報告ゥ!!もう全員乗せたかッ!?」
「あ、あと34人!村人16人とプラーガ兵16人です!」
のこる2人は案内人。ナキとクリスだ。
「よォし!踏ん張れ!!」
褐色肌のクリスは、自分に刺さった巨大なトゲを抜き、地面に突きさして仁王立ちした。
黒髪の少女ナキは、長老と、白ヒゲの老人リベールと一緒に、重症を負った肉屋のグラディウスを治療していた。
長老が傷口を圧迫し、患部の処置を進めながら、ナキとリベールは魔術を施していた。
老人リベールが痛みを和らげ、ナキが生命力を強化。どうにか血が止まり、一命を取りとめたと言えるところまで持ちなおした。
「これなら馬車まで運んでも大丈夫じゃ。リベールは麻酔を続けておくれ」
長老はそう指示を出し、兵らにケガ人を運ばせる。
「お嬢ちゃん。助けてくれてありがとうね。でも、私ら年寄りのために、若いモンが命を使っちゃあイカン」
腰の曲がった老婆は、そう言ってナキの目を見た。
「ダメ!それはダメ……」
長老が何をするつもりか、ナキに分かったわけではない。
けれどその目が、自分の命を捨てた目だということは、ナキにも分かった。
巨大なオオカミは、いかに力を削がれたとは言え、馬車程度には簡単に追いつくだろう。
戯れのような歩みであっという間に村の中を縦断したのが証拠。
ならば、彼から逃げるため、誰かがしんがりを務めなければならない。
それはこの日、命を捨てた時間稼ぎと同じ意味だった。
長老にとって、クリスは自分の娘のような存在だった。
もちろん村人ひとりひとりに想いはあり、その安寧を願っている。その中でも、我が子に恵まれなかったからか、拾い子のクリスには特別な想いがあった。
魔石の交易人を連れて村へ来るのを、遠くから見守った。
戦場に立つ娘は生傷をよく作ったが、この日、自分のための傷を作ることに、老婆の心は耐えられなかった。
そうしている間に、褐色肌のクリスと巨大なオオカミの距離は10メートルほどになっていた。
互いにひと足で相手に肉薄できる距離。
だからクリスは相手の爪と牙を警戒し、槍の振り幅を抑えていた。
相手の矢を逸らすことに集中し、はじいたらすぐさま次に備える。
そのため矢は、人にこそ直撃していないけれど、いくつかは防御姿勢を取っている兵の盾に刺さっていた。
また他のいくつかは、クリスの脚を、腕をかすめ、その肌を裂いている。
「お嬢ちゃん。できるなら、あのオオカミの背中のトゲを、燃やしてやってくれないか」
長老は、懇願するようにナキへ言う。
「矢が尽きれば、あれもただの獣じゃろうから」
ナキが迷ったすえにうなずくと、長老はその黒い目を細めて笑った。
黒髪の少女ナキが炎を落とそうと、生徒バッヂの魔石を握り術式を展開する。
巨大なオオカミはその熱量に気付き、ターゲットを切り替えた。
「余計なことしやがって……」
褐色肌のクリスは、悔しさと切なさと諦めを奥歯で噛んで、動きの鈍い脚にムチを打つ。
そして長老のおばあは、広場のすみに立つやぐらへ向かい、吊り下げられた鐘を打ち鳴らした。
──ガラン!ガラン!ガラン!ガラン!
オオカミの注意が音へと逸れる。
「すきアリィ!!」
戦士クリスが、この日初めての攻勢に出た。
数十秒前に自分へ刺さった獣の矢。それを掴み、全身を引き絞って投擲する。
──コォンッ!
城門も貫く投げ槍が、魔獣のツノに当たる。トゲは砕け、きらきらと散った。
それが引き金だった。ナキが使えるのはあくまで初級魔術。
武器として使うには、何かしらの誘導が必要だった。そんな中、魔石でできたトゲの破片が、ターゲットの頭上に舞った。
──ゴォオオオオオオオオオ
一瞬で炎が逆巻き、オオカミの背が包まれる。
──ウォゥウ!!
驚きの声を上げた魔獣は、火を消そうとしたのか、すぐそばのやぐらへ体当たりした。
「危ないっ!」
ナキの叫び声。しかしそれは、ガラガラと崩れるやぐらの音で、かき消されてしまった。
一方で、ステラは爆風を受け、めまいから立ち直っていた。
崩れかけとは言え、家の中でも分かる熱と、それにともなう突風。
この村に大容量の火薬なんてないし、となれば大きな魔術が使われたのだろう。
ここまで大きなものを使う魔術師は、ステラの思いつく限り1人だけ。
ナキがクラース村に来ているんだと、姿を見ずしてステラは知った。
よけいに被害を出させらんないな、と苦笑して、ステラは立ち上がる。
反撃のために装備を見ると、愛用の弓が折れてしまっていた。
手斧も柄が折れていて、使えるものは、ナイフが1本と20本ほどの矢が入った矢筒だけ。
(まずは魔石を探さないと……!)
それでも諦めないステラ。
装備の補充も含め、使えるものは無いかと見回して、そこがかつての自宅だと気付く。
父アルカスと、母オラーレと過ごした小さな家。壁に穴が開き、柱がかろうじて屋根を支えているその中で、ステラは父の遺したものを見つけた。
巨大なオオカミの魔獣は、こする程度で火が消えないと悟ると、クラース村の西を目指して歩きだした。
本当はひと息に駆けたいのだろうけれど、左前足を負傷し、頭も揺らされた今、全力で走ることはできなかった。
体を引きずるようなはや足で、村の西を流れる川を目指す。
「チクショウ……待ちやがれッ!」
全身の傷からだばだばと血を流すクリスに、馬車から戻った老人リベールが駆けよる。
「待てクリス。皆で逃げるなら今じゃ。ナキとステラはどこじゃ!」
父親代わりの老人に、肩を掴まれて闘志がしぼむ。ナキに掛けられていた身体強化の魔術も、効果が切れつつあった。
「ステラは分かんねぇ。ナキは……そこだ……」
褐色肌のクリスは、崩れたやぐらの散らばるそばを指差した。
黒髪の少女ナキは、やぐらが崩される瞬間、そのもとにいる老婆に向けて駆け出していた。
いくつもの丸太が老婆の上で折り重なるまでに、ナキの足は間に合わなかった。
巨大な獣が西へ向けて歩き去るそばで、ナキは必死にガレキを持ち上げ、老婆に呼びかける。
「おばあちゃん!おばあちゃん!」
獣の足音も遠くへ去った頃、やっと、やせ細った老婆の体を抱き上げる。至るところの骨が折れ、息も弱く、その命は風前の灯火だった。
「おばあちゃん!」
ナキは老婆を抱え、その目を見て呼びかける。
「あら……オオカミは追い払えたかしら……」
長老はほほ笑む。
「うん……うん……!今、助けるから……!」
ナキは何度もうなずいて、生命力強化の魔術を使おうとする。
「いいのよ……私は、長く生きすぎたから……」
しかし、魔術はうまくかからなかった。術は発動しているのに、長老の心臓はエネルギーを取りもどさない。
「それよりも、あなたの名前を教えてくれる?」
ナキは諦めきれなかった。まだこのおばあちゃんとは、今日話したばかりなのだ。
「ナキ、です。ナキという名前です」
けれど、少女に残された手はなかった。
「そう。良い名前ね。東の国の言葉で、純粋、という意味だわ……」
ならば、とナキは考える。終わりを受け入れたこの人のために、できることをしてあげたい。
「私はフリーヤ。自由に、自分の好きに生きた女よ……」
ナキは、自分ではもう持ち上げられない老婆の手を取り、そっと握る。
「ナキ……あなたの目はきれいね……」
瞬きも忘れて、2人は互いの目を見つめる。
「さいごに、見るのが……あなたの目で……幸せだわ……」
それが、クラース村の長老、かつて魔女と呼ばれた人の、さいごの言葉だった。
狩人の最大の武器は、遠距離攻撃ではなく知識である。
ステラは、持てる知識の全てを動員し、自分と自分の故郷を襲った脅威に立ち向かう。
魔石を帯びた魔獣の心臓を止めるには、体内へ魔石を放り込むしかない。
そのための魔石、できるだけ大きな物の在り処には、心当たりがあった。
村の西のはずれにある墓地。そこに立つ、母オラーレの墓標だ。
なかなかバチ当たりな選択だけど、母さんなら許してくれるだろう、とステラは思う。
のっそりと、村を囲う壁を超えて近づくオオカミは、コツリ、コツリ、と足音を立てる。
肉球で音を消す余力もなく、爪が地面を叩く音が、うれいを帯びて墓地に響いた。
その足音でステラは確信した。
たぐいまれな射撃技術、狩人としての基礎基本、ほのかに青く光る体。
10年も前の嵐の夜に分かれた、父アルカスとおんなじだ。
城塞都市プラーガで読んだ歴史書も思い出す。巨大な獣の討伐なのに、なぜか倒した人間が1人だけ。
直観だけれど、きっと、魔石を帯びた魔獣は伝染するんだ。
父アルカスは大トカゲの魔獣の血を浴び、手足の先が魔石化していた。
その先の変貌を感じて家を出た。
村から離れて──おそらくメモリア山の奥で──命尽きるまで過ごそうとし、ついに魔獣と成ってしまった。
ただの予想だけれども、ステラには大きく外している気がしなかった。
「墓参り?」
母オラーレの墓標から魔石を外す。木材を十字架に固定する紐を切り、魔石を矢に縛りつける。
──ウォウフ……
足を止めたオオカミが、意味ありげにひとつ吼える。
「やっぱり父さんなんだね」
チリチリと背の焼けるオオカミに、ステラは矢を向ける。
「あとは俺がやるから。ここで母さんと休んでくれ」
──ウゥゥ……
オオカミはうなり、ゆっくりと目を閉じる。
ステラは矢を放ち、オオカミは倒れた。
どうにか血を止めた褐色肌のクリスが、老人リベールとともに墓地へと駆けてくる。
オオカミは足元に血を吐いて倒れた後、背中から広がった炎に全身を包まれた。
毛が焼け、皮が焼け、肉が焼けていく。けれども獣が焼ける独特の匂いはなく、幻想的な光景だ。
疲れ果てたステラは、母の埋まる墓の隣で座っている。
オオカミの火が燃え広がる気配はなく、ただただぼうっと眺めていた。
手元の弓は、最後の仕事を終えて弦が切れ、ただの曲がった棒きれになっている。
「お前……」
炎に包まれ焼け落ちていくオオカミと、座り込む少年をクリスは交互に見つめる。
「おぬし、やったんじゃな……」
信じられん、と言わんばかりに、老人リベールがステラの前にしゃがみ込む。
「まあ、親のやったことは子が引き継ぐモンだし」
ステラは笑ってみせながら、巨大なオオカミから何かが自分に伝わってきているのを感じていた。
時を同じくして、クラース村の広場では、金の目の少女ナキの腕の中で、長老が息を引き取った。
動かなくなった長老の体が、薄い緑に発光する。
ケガ人の手当と村人の避難に気を取られていた兵士たちは、それに気づく様子もない。
長老の胸元から、こぶしほどの大きさの、しずくのような形の光が浮き上がった。
淡い緑の光のかたまりは、吸い寄せられるようにナキの胸元へ近づき、触れ、とけていく。
その全てがナキの中に入ると、長老の体は枯れるように、いっそう細くなってしまった。
ナキは、自分の中で新しい何かが起こるのを感じながら、ガシャン、と、老婆フリーヤの左ひじから、鉄の義手が外れて落ちる音を耳にしたのだった。




