第28話 魔獣の矢
クラース村へ里帰りし、念願の歴史書を読んだことで、白いヒゲの老人リベールが、かつて王都から旅立った王様であることを知ったステラ。
その衝撃もさることながら、巨大な魔獣が近くにいると聞き、村人の避難を進めることに。
その避難中、ついに魔獣が村への攻撃を始めたのだった。
──ツドッ!
しなやかな足つきで、それはクラース村に降り立った。
姿は巨大なオオカミのようで、体長約20メートル+しっぽ約10メートル、体高は約6メートル。縦横とも大型バスの倍ちかい。
体を覆う毛が魔石でできているようで、日の光を反射してきらきらと青っぽくきらめいている。
そして何より目を引くのが、額から生える大きなツノだ。
後方へと生えたツノが、首の辺りで2つに分かれ、すらりとなめらかなカーブを描いて伸びている。
あまりにも巨大。
いったい何を食べたらこんなになるのか。山のどこで雨風をしのいでいるのか。
そんな謎が浮かんでは、ステラの頭の表面を滑っていく。
どうやって逃げるか。どうやったら倒せるか。今何をすべきか。
そんな考えは、浮かびすらしなかった。ただその存在に圧倒され、狩人はその場に立ち尽くした。
それは他の村人も同じだった。
皆が口を開け、目を見開いて立ち尽くす中、その獣はゆっくりと足を踏みならす。
「いかん!逃げろ!!」
最初に正気を取りもどしたのは肉屋のグラディウスだった。
「できるだけ建物の陰に隠れるんじゃ!!」
追って、老人リベールの声が響く。
村人たちは、口から漏れそうな悲鳴を必死に噛み殺して、散るように家や倉庫の陰へ駆けこむ。
その中でステラは弓を取った。
巨大なオオカミから四方八方へ殺気が飛んでいるからだ。
もし村人に飛びかかるようなら、自分が狙われてでも撃つ。そのつもりで矢筒へも手を伸ばした。
その巨大なオオカミの、最も近くにいる村人は、集会所の陰へ退避した長老だった。
さいわいパニックにはなっておらず、ステラからは冷静そうに見える。
獣の移動に巻き込まれないことを祈って、次は殺気の伸びる先を探る。
今、1番オオカミのヘイトを向けられているのは、村の玄関口とも言える南門の付近で、指示を飛ばしていたグラディウスだ。
獣を観察し、呼吸を読むステラは、ヤツが飛びかかるタイミングで目か口を射ようと、矢をつがえる。
青白い毛の巨大オオカミは、すぅ、と息をひそめた。
しかしそれは、野生の獣が獲物を狩る際の、気配を消す動作ではない。
人が敵と対峙するような、全身に気をみなぎらせる所作だった。
ステラは目を疑う。
魔獣は、その頭から伸びる巨大なツノを立てた。
よく見れば、ふたまたに分かれたツノの先端同士を、細い糸のようなものが結んでいる。
糸は青く透きとおっていて、毛皮と同じく魔石を含んでいるのだろう。それをピンと張る。
そしてしっぽを器用に使い、背中に生えた長い毛を抜いた。毛はヤマアラシのトゲのように、細く固く鋭い。
(サギッタに刺さったやつか……!)
悟った瞬間、ステラは自分の血が冷たくなるのを感じた。
殺気。敵意。張られた糸。トゲ。遠距離。狙撃。
(あれを射る気か……!)
考えるより速く、ステラの体は己の弓を引いていた。
魔獣は、尻尾を操って、トゲをツノの弓につがえる。
そして音もなく引くと、ピタリと動きを止めた。
ステラは知っていた。
それは矢を射る直前の、狙いを定めて集中する姿だ。
そこからは早打ち勝負だった。
オオカミの魔獣と狩人のステラ。どちらの方が早く、正確に狙いを定めて矢を放てるか。
──ヒュォッ
風よりも速く、その矢は標的へ飛んだ。
先に放ったのはステラだった。
狙いは、魔獣の矢の先端。
コンマ数秒の間をあけて、魔獣の尾はトゲを放す。
そしてその2本の矢が、魔獣の頭上でぶつかった。
──ジィッ!
チェーンソーや回転ノコギリみたいな音を立て、ぶつかる矢は火花を上げた。
ステラの矢はくるくると回って宙に舞う。
しかし魔獣の矢は、力強く前へ飛んだ。
魔獣の矢は、逃げる村人を指揮していた肉屋のグラディウスへ向かう。
ステラの矢との交錯で、軌道はわずかに逸れたようだが、それでも獲物に突き刺さった。
「ぐぅうックッ……!」
心臓を狙っていた矢は、左の脇腹を、前から後ろへ貫通した。
そのまま数メートル吹き飛ばされ、ゴロゴロと転がっていく。
その途中でトゲは抜け、空いた穴からドボドボと真っ赤な血があふれ出た。
「グラディウス!」
近くの村人が悲鳴のような声を上げる。
「こっちはいい!テメーが逃げることを考えろ!!」
グラディウスは、肉屋の新人に怒るとき以上の剣幕でどなりつけた。
魔獣はその様子を見ていた。
それはまるで残心。放った矢の行方を見て、次の手に備えるみたいだ。
(基本がよくできてるこった)
ステラは次の矢をつがえた。
今ヤツがグラディウスに飛びかかりでもしたら、近くにいる村人たちも一緒に犠牲になる。
すこしでも気を逸らしてそれを防ぎたい。
そして前足の指先めがけて矢を放つ。
多くの生き物に共通して、皮膚が薄く、神経が集中している場所。
狙ったとおりに飛んだ矢は、魔獣の薬指の先に刺さった。
が、浅い。
つま先で小石を蹴ったくらいの影響しかないことが、ステラには分かる。
おそらく、皮膚も毛も、想像以上に硬いのだろう。機動力を削ぐのは難しそうだ。
それでも、自分の身に何かが起きたことを魔獣は悟る。
射かけられた殺気をたどり、ぐるり、と顔を向けた。
ステラは、自分に向いた魔獣の視線を受け止める。
ほっそりとしながらも、あご周りは発達していて、噛む力の強さがうかがえる。
まっすぐに通った鼻すじは、獣特有の美しさがあった。
そしてぱっちりと大きな目が、完全に焦点を合わせてくる。
目を通して、深い深い殺意が刺さる。
木のうろのような、吸い込まれそうな目をしていた。
ひとつ気になったのは、獣の目が左右で違う色をしていたことだ。
(よくやるぜ。どんだけ的当ての練習したんだ)
そのオオカミは右目が青白い色をしていた。
銀目とかブルーアイとか言われる。遺伝子異常かケガか、要因はいろいろあるのだけど、左右で視力差が生じやすい。
そしてそうなると、射撃や投擲などの間合いが掴みにくいのだ。
そんなハンデの中、正確に狙ったものを射抜く技術に、ステラは感服していた。
(それでも、好き勝手させらんないけどな)
浴びせられる殺気の中、ステラは矢筒へ手を伸ばす。
ヘビににらまれたカエルはゴメンだ。
普通のオオカミから見た野ネズミくらいのサイズ差だが、窮鼠のひと噛みくらいは受けてもらおう。そんな覚悟で矢を放つ。
──コォオン!!
左目へ向けて放たれた矢を、魔獣は首を下げてかわす。
それた矢はツノをかすめ、金属質な音と火花をばらまいた。
ステラはすぐさま第2射を構える。
対して獣は、狩人へ向けて走り出した。
建物の間から撃っていたとは言え、あの巨体が乗ったら木造建築は木端微塵だ。
ステラは覚悟を決め、矢を空へ放つ。
獣はあっという間に距離を詰め、家々をなぎ払う。
そして巨大な前足で、小さなステラを踏みつけた。
ステラは狩人として、この獣を逃がす気がなかった。
ハンティングベストから引き抜いた愛用アイテムのひとつ、木登りや石削りで使う鉄杭を持ち、踏みつけを受ける。
ステラの予想は当たっていた。
村の壁を跳び越えたときの着地音が、体のわりに静かだったから、立派な肉球がある。
そして肉球の周りは石のような毛も少ない。
その防御の薄い足裏に、10センチあまりの杭を打ち込んだ。
──ウゥゥゥゥ……
2本の杭を指の肉へ食い込ませたが、まだ浅い。
痛みも無くステラを取り押さえたオオカミは、左手で押さえつけた獲物をにらむ。
ステラはその間に、あばらのきしむ音を聞きながら、ナイフを抜いて獣の足裏へ突き立てた。
これも浅いが、まだ計算のうちだ。
──ヒュゥウウウウウウ……
牙で獲物の首を取ろうと口を寄せた魔獣に向け、矢の風切り音が空から降る。
ピクリと反応したがもう遅く、ステラの曲射が時間を超えてオオカミの左目に降り立った。
──ギィィィイイイイイイイイ……!!
頭を振り、痛みに耐える魔獣。
その拘束の緩んだすきに、ステラは前足から抜け出した。
(普通の獣なら痛みで暴れるところだぞ。コイツ何か違う……)
違和感を覚えながらも、ステラは攻撃の手を止めない。
牙を剥き頭を振る魔獣の歯ぐきへ1射。その痛みで開いた口の中へさらに3射。矢継ぎ早に連射する。
10年前を思い出し、体の中へ特大の魔石を放り込むため、口を閉じにくくさせる。
巨大なオオカミは、悲鳴を噛み殺しながら頭を振る。
自分を確かめるように地面を踏むと、足に仕掛けられた杭とナイフが深々と刺さった。
そしてまた痛みに悶え、大きなツノをブンブンと振る。
辺りの建物はバラバラに壊され、ガレキが雨のように降る。
その中をステラは走った。
小石を蹴ってわざと音を立てると、オオカミはそれを追ってくる。
それで他の村人たちが逃げられることを祈って、時に矢を射り、ときにガレキを投げてステラは走った。
クラース村の北の端までやって来ると、ステラは極力気配を殺した。
ズシリ、ズシリと巨大な足音が迫る。
赤い血を流す左目を見て、苦しませて悪いな、とも思う。
けれども他に選択肢はない。生物としての力が離れすぎているのだから、少しずつその力を削ぐしかない。
次は鼻を狙うか尾を狙うか、と考えていると、ガラガラと車輪の音が遠くから聞こえてきた。
見れば何台もの馬車が、クラース村の南の端へやって来ている。
巨大なオオカミも、耳をピクリと動かして、それを感じ取っているようだった。
(早くなんとかしないと……!)
ステラはチリチリと熱を帯びるほど、速く頭を回す。
このままでは村へやってきた人々にも被害が出る。その前に自分ができることは、いち早く目の前の獣を殺すことだ。
背負った小さなカバンの中から、お守り代わりにしていたものを取りだす。
初めて狩ったウサギから取れた小さな魔石だ。それを握り、チャンスをうかがう。
巨大なオオカミは、耳をいく度か動かした後、ゆっくりと村の広場を振り返った。
ステラはそれを逃がさず、痛みで半開きになった口へめがけて魔石を投げる。
だがそれは罠だった。
ステラをにらみつけたオオカミは、魔石を払いのけ、踏みつぶした。
バキャリ、と石の砕ける音。そしてシュウウ、と肉の焼ける音。
確かに魔石は効きそうだけど、体の表面には効果が薄かった。
そしてオオカミは、ステラに向けてその前足を振り抜いた。
──ヅドッ!
「ぐッ……!?」
獣は何かを成したとき、もっとも隙が大きくなる。それは狩人には常識だった。
だからオオカミは、ステラが「勝負を決めたぞ!」と思う瞬間を狙った。
このオオカミもまた、狩人だったのだ。
とっさにガードしたステラだったのだけど、恐ろしい速度で吹き飛ばされ、近くの民家へ突っ込んだ。
石と木を積んだ壁を破り、床板の上を転がる。
即座に立ち上がろうとしたのだけど、視界がゆがんでうまく立てない。
(クソッ……頭を打ったか?)
脳震盪だと自己診断。ゆっくりと息をして、めまいが収まるのを待つ。
その間に、巨大なオオカミのような魔獣は、ゆっくりと広場の方へ戻っていった。
クラース村へやってきた馬車隊は、城塞都市プラーガから駆けつけた兵士たちと、数名の案内人だった。
遠くに見える巨大な獣に恐怖する兵を、率いていた隊長、コルヌが叱る。
「我々の任務は領民を守ること!そして君たちだって領民だ。皆で無事に帰るため、一刻も早く任務を遂行する!」
自らが先頭に立ち、人々を馬車に乗せる。
若いながら隊を任されるだけあって、部下たちも彼に従い、テキパキと仕事をこなす。
村の出口に集まっていた人々は、あっという間に馬車へ収まっていくのだけれど、半分ほどが収まったタイミングで、ガシャン!と何かが壊れる音と埃が上がった。
「ああ……ステラが……」
広場から魔獣の方を見ていた長老がつぶやく。
オオカミは、ズシリ、ズシリと歩きながら、背中の矢を頭の弓につがえる。
「防御態勢ィ!!」
隊長コルヌの声が響く。村人を運ぶ役割の兵はそのままに、護衛役の兵が大きな鉄の盾を構えた。
──ギュオッ……!
音速に迫る矢が数百メートル先から飛来する。
鉄板をも貫くだろうその矢は、到着までコンマ数秒。兵や村人には、死を覚悟する暇もない。
だがそれも、隊をここまで導いた案内人には十分な時間だった。
「危ねぇから顔出すなよ?」
そばにいた女の子へそう言った案内人は、切れ長の目を敵に向ける。
炎のような赤い髪をなびかせ、槍を手に、馬車隊の前へ躍り出た。
──ギィンッ
褐色肌のクリスが、槍の穂先で魔獣の矢をはじく。
激しい金属音を響かせ、放たれた矢はくるくると宙を舞った。
「何かを守るってのは苦手なんだ。早いとこ仕事してくれや」
ナキの強化魔術で力と速度を増したクリスは、そう言って兵をうながす。
不敵な笑みに勇気づけられた兵の、元気な返事を背に受けて、クリスはオオカミをまっすぐ見る。
「こういう遊びが世界にはあるって、ヤマダのオッサンが言ってたなァ」
そうして、次々に発射される矢を、その槍ではじいていくのだった。
オオカミは、幾本もの矢を放ちながら、ゆっくりと前進した。
見えなくなった左目と、もともと弱い右目で、うまく狙いが定まらないのを修正していく。
褐色肌のクリスは、そのぶんだけ槍を振るまでの時間が削られる中、その全てに食らいついた。
その中で、なんともストイックな魔獣の中身に触れてしまった。
それは言葉によらない会話を好む、彼女だからできることで、彼女だからできてしまった。
20本めをはじいた辺りだろうか。彼女はつぶやく。
「あんた……アルカスか?」
数十メートルまで迫っていたオオカミは、それが聞こえたのか定かでない。
ただ、クリスには、『彼』が笑って見えた。




