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カナタのステラ  作者: 我龍天捿
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第21話 魔

 2年生になったステラが授業を受ける学校へ、ナキが飛び込んできた。

 どうやら、毎朝見回っている畑に大きな獣が現れたらしい。

 ステラは弓を担いで現場へ駆けだしたのだった。


「この先、開けたところに……!」


息が切れてうまく足の動かなくなったナキが、振り絞るように言う。


「分かった。先行く!」


案内してくれた金の目の少女を追い抜き、狩人ステラは速度を上げた。


 場所は王都プラエタリアの東の端。

 森を拓いて耕した農耕地域の、最も新しいエリアだ。

 開墾したてで、土を掘れば石ころと木の根が出てくる畑では、多少荒れていても元気に育つイモ類が育てられ、収穫の時期を迎えていた。


 近づくにつれ空気がピリピリと張り詰めていく。

 ついにステラが林を抜けると、何人かの人々と、巨大なイノシシが対峙しているのが目に入った。


 すぐそばの畑のへりに、馴染みの農家の老夫婦が座り込んでいて、その2人の様子を長男のお嫁さんが見ていた。

 奥の方でその旦那さんのスースが、畑を耕す用のすきを振りかざして、大きなイノシシを威嚇していた。


 イノシシは体長が3.5メートル、体高が1.8メートルほどか。

 ステラが前世で見た動物園のシロサイくらいのサイズがある。

 毛並みは黒々、牙も60センチ近く伸びて立派なことから、群のボス格であることは間違いない。

 興奮しきった様子で目を血走らせ、口の端からはダラダラとよだれを垂らしている。


「ご無事ですか?」


老夫婦のそばにひざまずいたステラは、視線をイノシシからそらさず尋ねる。


「ワシらはなんとかの。だが……」


 言いよどむお爺さん。

 隣のお婆さんもうつむいてしまい、前にいる奥さんが涙声で振り絞った。


「突然出てきたイノシシが、私に突進してきたの。でも、それをかばって、レプスくんが……」


レプスとは、スースの弟、この老夫婦の次男の名前だ。この人からすれば義理の弟になる。


「なんですって?」


ステラはもう1度目を凝らす。


 ステラから見えているのはイノシシの右側だ。

 どうやら左の前足に、今朝しかけたくくり罠がかかっているらしく、ツタだピンと張っている。

 そしてこれまた見にくいが、左の牙に刺さった何かがぷらぷらと揺れていた。


「すぐにナキが来るんで、皆さんは応急手当と、走る準備をお願いします」


 ステラは立ち上がる。

 矢筒に指を這わせ、磁石がくっつくように指を引きよせた1本の矢をつまみ、弓へつがえる。


「アレを動けなくして、レプスさんを引き剥がします。俺は仕留めるのに集中するので、後は頼みます」


 そう言うとステラは弓を引き絞り、すたすたとイノシシへ近づいた。


 近づきながら観察する。

 左の前足は折れているようで、地に着いていない。

 けれどそれを引っぱるツタは途中で切れかかっていて、突進を止めるには心もとない。

 長く伸びた毛皮には、泥浴びした泥が付着していて、鎧のようになっている。

 これでは首の動脈には届かないし、背中や尻に当てては怒らすだけだろう。

 ならば狙うは後ろ足。

 まずはかかとの腱を撃ち抜いて走れなくする。


 ステラは20メートルのところまでイノシシに近づいた。

 この距離だと2秒であの牙が自分へ届く。

 それはすなわち死を意味しているが、ステラにとっては慣れたことだった。


 正面でにらみ合いを続ける旦那さんへアイコンタクトを送る。

 向こうが気付いた様子はないけど、もたもたする余裕もなかった。

 すっと小さく息を吸い、お腹に力を入れて止める。そしてすかさず矢を放った。


──ピギィィィイイイイイイ!!


 巨大なイノシシは悲鳴を上げてのけぞる。

 矢は狙ったとおり右の後ろ足へ当たっていた。


 ステラはすかさず2の矢を放つ。こちらも狙ったとおり、1の矢の3センチ外へを貫いた。


──ベチン!!


 大きい輪ゴムが千切れるような音がして、イノシシは力が抜けたように膝をつく。

 2本の矢によってアキレス腱が切れたのだ。


 それでもイノシシは諦めない。

 まだ動く右前足で地面をひっかくようにして、ステラの方へ頭を向ける。


 そうしてステラは、今朝と変わり果てたレプスを目にする。

 腰から腹へと大きな牙で貫かれて仰向けになり、イノシシの鼻の上へ足を投げ出し、力無く腕をぶら下げている。

 その手は流れてきた自分の血と、擦ってついた土とが混ざってまっ黒になっていた。


(これは助からないかもしれないな……)


 胸の動きは確認できない。少なくとも心肺停止状態だ。


 狩人として。対獣のプロとして。

 襲われた青年の命を諦めるのなら、遠くから何本もの矢を射かけるのが最も安全な狩り方だ。

 兄のスースも泣いていて、助からないのは悟っている。


 けれども諦めないのがステラだった。

 矢をつがえ、相手の右前足を狙って撃つ。


──ズカン!


──ピギィィィイイイイイイ!!


 ひづめの根元を射られたイノシシは、反射的にのけぞって、矢を振り払うように前足をもたげた。


 その瞬間を待っていた。


 即座に放たれた次の矢が、顔の皮と胴の皮のつなぎ目の、やわらかい部分へ突き刺さる。


──ビギッ……ビィイ……


 声を上げられず、終わりを悟ったイノシシが、それでも血走った目でステラを見る。


 ステラは駆けだしていた。

 弓を放り、ナイフを抜き、一直線にイノシシへ。

 怯えを諦めが覆った目に、哀れみの感情が芽を出すけれど、手を抜くわけにはいかなかった。


 懐へ潜り込み、刺さった矢のそば、心臓に繋がる大きな動脈を狙ってナイフを突き立てる。


──ゴボボッ……


 頭上、イノシシの口から、血を吐く音が聞こえる。

 ステラは歯を食いしばり、ナイフを動かし、傷を拡げて引き抜いた。


 びしゃりびしゃびしゃと泉のように、真っ赤な血が噴き出す。

 静かな断末魔をすでに上げたイノシシは、さいごの痙攣を始めた。


 そのままではペシャンコにされかねないステラは脚の間から抜け出すと、呆然としているスースに声をかける。


「大丈夫ですか!?」


その声で我に返ったスースは、真っ赤な目をステラに合わす。


「あ、ああ。僕は大丈夫だ」


「それじゃあ急いでレプスさんを降ろしますよ!」


珍しく張りあげられたステラの声で、その場にいた人たちが動きだした。



 応急手当もむなしく、若い農夫レプスは息を引き取った。享年26歳だったそうだ。

 どうして若いモンが死ななきゃならんのだ、と、中身が50歳を超えるステラは嘆く。


 イノシシを仕留めて数分後、武装した褐色肌のクリスが現場へやって来た。

 血と泥にまみれたステラを見て初めは驚き、心配したが、バケモノみたいな獣を仕留めたのだと分かると、くしゃくしゃと頭を撫でたのだった。


 さらに遅れること数十分。

 街から重武装の兵が隊をなしてやってきた。状況を見分し、調書をまとめる。

 いち早く駆けつけたステラにもアレコレ聞いたのだけど、中でもしつこかったのは

「なぜ立ち向かったのか」

だった。


 もともとこの畑の見回りを任されていたし、技量にも自信があった。

 故郷でイノシシは何頭も仕留めたし、別の生き物だけどこれより大きなものと対峙したこともある。

 そんな説明を繰り返した。

 まあ、これより大きな獣について、仕留めたのが父親だった、というところは言わなかったのだけど。


 解放されたら装備を回収して体を洗い、ナキと一緒に帰るのだった。



 その日の晩。

 ベッドで横になったナキが、天井を見つめながらステラへ尋ねた。


「今日のイノシシさん、怖がってたね」


 ステラはすこし驚く。

 ナキがイノシシに怖いと思ったのではなく、イノシシの感情に寄りそったことにだ。


「まあ、新しい家を見つけたと思ったら、変なやつらに襲われたんだ。怖がりもするさ」


ステラは、久しぶりに実戦で使った商売道具のメンテナンスをしながら答える。


「ううん。違うの。森から出てきたときも、何かから逃げるみたいに怯えていて……」


「それはちょっと気になるな」


ステラは最後の矢を磨き終えて矢筒へしまう。


「イノシシってナワバリ意識が強いんだ。それが新たなナワバリを求めて降りてきたってことは、アイツが敵わないって思うようなのが山にいることになる」


 相手はクマかオオカミか。

 どちらにしても相手にしたくねーな、と思いながら、ステラは道具をまとめて片付けた。


「うーん……やっぱりかわいそうだよ」


 ナキは天井を見つめたまま──その先に森で暮らすイノシシを見ながら、心の中身を言葉にする。


「そうだな」


 弱肉強食は自然のおきてだ。

 あの巨大なイノシシは、山でのナワバリ争いに敗れ、この地でステラに敗れた。

 敗れたのだから命を落とした。勝者であるステラが奪った。

 それは自然の摂理というもので、だからステラに後悔はない。

 けれど、ナキの言う憐憫もよく分かる。


 ステラもベッドへ入る。ナキと同じベッドへ。


「ナキはやさしいな」


 もしも何かが違ったら、あのイノシシも、農夫のレプスも、幸せに暮せたのかもしれない。

 そうはならなかったのだけど、それでも、あったかもしれない『もしも』に想いを馳せて、思いやる。

 そうして心に余裕を持つのは、人間の持つ人間らしさだとステラは思う。


(ナキは俺より人間らしいな……)


 山の中で命のやり取りをして生きてきたステラは、山で出会った少女を見つめ、頭を撫でた。


「んん~?でも、私のやさしさって、ステラからもらったものだから……ステラがやさしいんだよ。きっと」


金の目の少女はそう言うと、ふふふ、と笑いながらステラを見た。


「いやぁ。俺、そんなあげた記憶ないぞ?」


 むしろもらった思い出ばかりで、ステラは首をかしげる。


 ナキはほほ笑んだまま、ひじとかかとだけステラにくっつけて、熱を交換しながら夜をふかすのだった。



 翌日からステラは大忙しだった。


 朝の農地見回りでは、たくさんの農家から声がかかり、1人でさばききれない量に。

 解決策として、近くの獣道にくくり罠を設置しまくり、畑を柵で囲うようアドバイスした。

 休みの日には、地域の住民からの要請を受けた軍や褐色肌のクリスに連れられて、森の警備をして回る。

 木の実は例年通りなのに、獣の量が増えていて、やっぱり違和感があった。


 と、そこまでは想定通りだった。

 もともと狩人だし、山と森の専門家として、知恵と力を貸すのはやぶさかでない。


 驚き、困ったのは、学校生活の変化だった。


 ひとの口に戸は立てられぬ、とも言うし、何より娯楽の少ないところでは、噂話にジェットエンジンがついて広まるもの。

 まあ、何があったのかと言うと、ステラが魔獣を倒したとの話が広まり、武勇を示したい貴族の子らが決闘を申し込むようになったのだ。


 田舎も田舎な、メモリア山のふもとのクラース村で生まれ育ったステラは、決闘の作法なんて知らない。

 前世でも、「決闘」と書いて「デュエル」と読むカードゲームくらいしかやっていない。

 そもそも現代日本じゃあルールを決めての私闘は禁止されてるし。


 だから、初めのうちは相手をしていたのだけれど、どうにも相手を怒らせてしまっていた。

 剣を使うのは慣れているけど、特別な技や型は無く、視線と呼吸を読んで当てるだけ。

 槍は全然慣れないし、弓じゃあ物が違いすぎる。

 腕相撲なんかでも、相手の腕をへし折る覚悟を持つステラは初速が段違いで、相手がパワーを発揮する前に終わってしまうこともしばしばだった。


 だからステラは、決闘を避けるようになった。

 果たし状や待ち伏せの気配を感じると、颯爽と窓からとび出しゆくえをくらます。

 メモリア山を駆け、動物を狩り、障害走を極めようとした彼にとっては造作もないアクションなのだけど、やはり級友は驚くのだった。


 それでも挑戦者は後を絶たず、中には他校からやってくる者もいて、どうしても諦めてくれないこともあった。

 そんなとき、ステラが頼るのが先輩レオだ。

 学生を卒業して魔術の研究生として学校に残るレオは、午前なら図書館に、午後なら校舎のすみの研究室にだいたいいる。

 研究室の窓は天気のいい日は開けてくれているので、ステラはよくそこから滑りこんだ。



 春の迫ったある日。

 いつものごとく待ち伏せの気配を察したステラは、これまたいつものように3階の窓を出て、2階の窓枠を伝って校舎の壁を移動し、レオの研究室へ転がり込んだ。


「失礼しまーす」


入り方は常識破りなのだけど、お世話になってる先輩へのあいさつは欠かさない。


「はいはい。今日もようこそ」


 ひょろっとした身長がさらに伸びたレオは、白っぽい金髪を伸ばして後ろで束ねるようになった。

 領主の息子だし、塩顔だし、女子の人気もあるのだけど、浮いた話はあまり聞かない。


「でもいいのか?今日お前を待ってたのは、クストース家の嫡男カテーナだぞ?」


 嫡男とは家を継ぐ男子のこと。

 そして跡継ぎを定めるほどの家とは、ずばり貴族の本家だ。


「クストース家……?」


 ステラはその名を記憶から探す。

 確か王なき後の城を動かしている重臣の姓だ。日本で言えば内閣の大臣クラスだろう。


「そ。王都の治安維持と軍備をつかさどる名家。プラエタリア御三家の一角。我が家の上司」


 ざっくりと説明しながらレオは魔石の粉末を水に溶く。


「ステラ。お前の姓アウローラって、うちのオヤジが出したんだろ?あんま無下にされると大変なんだぜ」


 そんなことを言いながらも、レオの顔には「ま、いいけどさ」とか書いてある。

 ステラはその顔を見て、安心と信頼を覚えるのだった。


 そうしてステラは、魔石の粉を溶いた水を小さな燭台の火で湯煎するレオを手伝っているうち、ふと思い出す。

 忙しく追われ、余裕のない日々で忘れていた疑問を。


「先輩。魔獣や魔石の『魔』って何なんですかね」


 魔術は「魔石を操るすべ」の略語だと、この学校で習ったけれど、そもそも魔石の深掘りはなかったと思う。


「ああ、それはね。人を食べた存在を呼ぶんだよ」


 湯煎するガラス容器をゆるゆると振りながら、長身の先輩レオは答える。


「ステラが倒したあのイノシシ、農家の人の前にもハンターを1人殺していて、その血を飲んでたみたいだし」


 ガラス容器の中で魔石の粒子が結晶化し、緑のかたまりができていく。


「そういう、人を食って、体内に魔石を生成した獣を魔獣と呼ぶんだ」


 レオは容器を置いてペンに持ち替え、実験の経過を記録する。


「そして魔石は、かつて王に仕えたという魔女さまの肉体から採れるらしいからな」


 レオの言葉にステラは背筋が粟立った。

 かつてリベールに見せられた、魔女の手を思い出したのだ。


「あ。でもクラース村だと山の獣からも採れるんだっけ?まだまだ謎が深いよな」


 そう言って、先輩のレオは実験を続けるのだった。


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