第2話 王様とお姫様
ステラとして生まれた男の子には、前の人生、星崎奏汰として生きた記憶がある。物心ついた頃、激動だった青年期、そしてさいごの瞬間まで鮮明に。
それがあまりにくっきりとしているものだから、自分が奏汰としてここに喚ばれたような、過ごしていた日本から地続きであるかのような感覚を持っていた。
そのせいか、言葉を発せるようになる前から、両親に対して遠慮のような、申しわけなさのような感覚があった。
季節がひと巡りする間、母に抱えられての散歩や、少しずつ理解できるようになっていく大人たちの会話を通して、ここがどんな世界かを知っていった。
ステラが生まれたのは、メモリア山のふもとにある、クラース村という小さな村だった。
人口は400人ほどで、ほとんどが白い肌と明るい髪色をし、コーカソイドの雰囲気を強く感じる。
メモリア山には四季があり、人間は山に寄りそい生きている。
クラース村のインフラは、ガスや電気の無い、近世以前のもののようだったが、特殊な鉱石を使った見たことのない設備も見られた。
飲み水は村の外れに湧いている泉から汲んでいて、農業用には近くの沢から水路を引いている。
農業と林業にたずさわる人が多いようだけど、鍛冶屋や鉱夫など、日本の生活であまり接さなかった職業もあり新鮮だった。
父アルカスは村で1番の狩人だ。
日が昇るはるか前に家を出て、毎日昼過ぎには獲物を担いで山を下りてきた。
山に面した村の裏口へ狩人が姿を表すと、彼を待ち構えていた肉屋に当たる人々が歓声を上げ、他の村人もそわそわしだす。
一団が村の中央広場まで移動すると、肉屋が獲物を解体し、フレッシュミートが配られる。
少し離れた軒下から、ステラを抱える母はそれを眺め、中心にいる父とほほ笑みを交わすのだった。
母オラーレは、この1年でほとんど仕事をしていなかったが、村の何でも屋のようなポジションらしい。
ステラを背負ってイモの収穫を手伝ったり、催しものの相談に乗ったり、長老と並んで作付け計画にたずさわったり、防寒着を補修する針仕事を引き受けたり、近所の奥さんと保存食をおいしくするレシピを研究したり……と、多くの村人と言葉を交わし、笑顔を交わして過ごしていた。
またひとつ、ふたつと季節が巡る。
クラース村はとてものどかで、ステラはすくすくと育った。
ひたすらに純粋にほほ笑みを注いでくれる両親への遠慮は変わらないものの、温かな家を大切に思っていることは確かだった。
村人の中にも顔と名前が一致する人が増えた。
生まれたての自分を取り上げたおばあは村の長老で、そんなに偉い人なのかと緊張したものだけれど、孫を見る祖母のように、シワだらけの細い腕で遊んでくれた。
肉屋のオヤジ、グラディウスは、もしゃもしゃのヒゲの奥から白い歯を覗かせて豪快に笑い、父が山から戻るまでの間、的当てやチャンバラのようなアグレッシブな遊びの相手をしてくれる。
3歳になってから母が連れていってくれた村の外れの一軒屋は、図書館みたいに本が押し込まれていて、生まれた日に窓から覗いていた白ひげのおじいさんが住んでいた。
そのおじいさんはリベールと言った。
母は長老と同じかそれ以上にうやうやしく挨拶をしたが、リベールは長老と同じように、ステラを実の孫のようにかわいがった。
蔵書のほとんどは難しくて読めなかったが、絵本のような、説明のついた画集のような一冊を、母が読んで聞かせてくれた。
むかしむかし、あるところに、とし若い王様がすんでいました。
王様は、父上からうけついだ国を守って、おおいそがしです。
ひとびとの話を聞き、家をたてたり、井戸をほったり、ケンカをおさめたり。
あらしのあとには、お城のひともみんな、こわれたものをなおしました。
まじゅうが出たときには、ゆうかんな兵をつれて、たいじしに行きました。
ひとびとは、みんなのためにはたらく王様が、だいすきでした。
あるとき王様のもとに、はなよめ道具をたずさえて、お姫様がやってきました。
山のむこうの国からやってきたお姫様を、王様もひとびともかんげいします。
大きなパーティが開かれて、たくさんのお祝いが届きました。
かんげきしたお姫様は、ひとびとのためにはたらきます。
王様とてわけして、街のひとびとの話を聞いたり、お城のひとびとを手伝ったり。
ひとびとはすぐに、王様とおなじくらい、お姫様のこともすきになりました。
しかし、しばらくして、お姫様がやまいにたおれてしまいます。
「ああ、王様。ラピス様。おちからになれずごめんなさい」
お姫様は、ねつにうかされながら、王様に、ひとびとにあやまります。
「ああ、姫や、サラ姫や。しんぱいはいらぬ。ゆっくり休んでおくれ」
王様は、お姫様の手をにぎり、夜が明けるまでよりそいます。
ひとびとも、ふたりのために祈りますが、お姫様は元気になりません。
ついに、お姫様が目をさまさなくなった日。王様は大きな声でひとびとにたずねます。
「ああ、だれか。だれでもよい。なんでもよい!姫を、サラ姫の目を、さますことのできるものはおらぬか!」
ひとびとが目をふせる中、海辺のまじょが手をあげました。
「もしかしたら、目をさますことは、できるかもしれません」
王様は、まじょをお城によびますが、ひとびとは反対しました。なにせ、なんにんものひとをころした、おそろしいまじょなのです。
しかし王様は、わらにもすがる思いで、お姫様をまじょに見せました。
まじょは言いました。
「お姫様がもってきた、はなよめ道具の中に、3つの宝石があるはずです。それをつかえば、お姫様は目をさますでしょう」
それを聞いた王様は、りっぱな箱に入れられた、3つの宝石をとりだして、はじまりの1つをお姫様に使います。
宝石はひかりかがやいて、お姫様は目をさまします。ひとびとはおどろき、王様はおおよろこび。
しかし、そんなおおさわぎのお城に、1匹のまじゅうがとびこみました。
兵士をよけ、ひとびとをふきとばしたまじゅうは、お姫様をつれてお城をとびさってしまいました。
王様は、あわてるひとびとを落ちつかせて言いました。
「わたしは姫をとりもどす!みなのもの、この街を、国を、まかせたぞ」
王様は、ゆうしゅうな大臣や騎士に国をまかせ、旅にでようとします。
「王様。まじゅうは人をころします。そんなまじゅうにさらわれたお姫様に、会ってどうするおつもりですか」
大臣がたずねると、王様はどうどうと答えました。
「まずは会う。まだ『おはよう』も言っていないのだ」
そうして王様は、すうにんの部下をつれて旅にでたのです。
目のいい弓つかい、ちからのある戦士、かしこい召使い、そして海辺のまじょ。
みなでちからを合わせました。
迷いのもりをぬけ、けわしい山をこえ、はげしい川をわたりました。
そうして、かなたの地の山おくで、まじゅうにとらわれたお姫様を見つけたのです。
お城からとおくはなれた山の中、お姫様に会えた王様は、いっしょにすえながく、くらしたのでした。
「これはね。お母さんの、お母さんの、そのまたお母さんが生まれたころのお話なのよ」
読み終えた後、母は決まってそう言いながら、ステラの頭をなでた。
タイトルは『王様とお姫様』。真にせまる母の語りもあり、ステラはどきどきしながらお話にひたった。
少しずつ文字も読めるようになり、時を見てはリベールの家を訪れるようになっていった。
ステラが3歳の冬のこと、クラース村を悲劇が襲った。
それは雪がちらつく冬の初め。
ステラはいつものように、メモリア山に面した、村の裏門付近で父を待っていた。そばにはいつも通り、母と、肉屋のグラディウスもいる。
ガサリと枝葉の揺れる音がして、父が来たと思ったステラはぴょいっと立ち上がった。
門とは名ばかりの、扉もない柵のすきまから、山へ続く曲がりくねった道を見る。つやつやした葉っぱをつけた茂みが揺れて、そこから人影がひとつ、ゆらりと出てくる。
普通の子どもなら、仕事帰りの父へかけ寄るだろう。
しかしステラはそうしなかった。
星崎奏汰だったころの記憶が、違和感というかたちで警鐘を鳴らす。
いつもの狩人たちならば確かな足取りで茂みをよける。枝に獲物をひっかけてしまえば要らぬ傷をつけたり、よろけて自分がケガをしたりしかねないからだ。それに何より、獲物を担いでいるならば、『人影』と分かるほど人らしいシルエットは浮かばない。
「おう。首尾はどうだい?」
がはは、と笑いながら出迎えようとする肉屋のグラディウス。
彼はいつも持っている大きなナイフ──奏汰の知識に照らすと、牛やマグロの解体に使うような、日本刀や長剣みたいなサイズの刃物──の収まる革のケースを持ち、鯉口にあたる留め具を外した。
ステラは、いつも通りの調子で出迎えようとするグラディウスのズボンを掴んだ。
「どうしたの?ステラ……」
その様子を後ろから見ていた母、オラーレのつぶやき。
しかしグラディウスにそれが届くより先に、人影がお日さまのもとへ姿をあらわした。
それは村の狩人のひとり。
父アルカスの元でハンティングを学んでいる、サギッタという若者だった。
「おい。どうしたサギッタ……?」
グラディウスはおそるおそる尋ねる。
サギッタは元気がとりえの若者だが、肩で息をし、自分の腕をかかえるようにたたみ、どろどろに汚れた衣服を引きずるようにしていて、いつもの様子からかけ離れていた。
「…………だ……」
息もたえだえ、震える口を懸命に動かす若者に、グラディウスは近付いて肩をゆすった。
「おい、どうした。サギッタ」
精いっぱい息を吸った若者は、残る元気を振り絞って声を上げた。
「魔獣だ……!魔獣が出たぞぉぉおおおお!!」
若者の叫び。
森の鳥たちが飛び立って、西日に照らされながら小さくなる。一瞬の静けさのあと、物見やぐらの半鐘がけたたましく響く。
──カンカン!カンカン!カンカン!
村の中が騒然とし、家々の扉があけ放たれ、ハチの巣をつついたように人々が駆け回る。
──ズズゥン……!!
大きな木をなぎ倒すような、地面をひっくり返すような音と衝撃。
それが、目の前の森のすぐ向こうでした。
続いてバキバキという乾いた音が、右へ左へヨレながら、少しずつ、けれど確実に近づいてくる。
「おじさん!」
逃げなきゃ、と声をかけようとして、ステラは母に抱えられた。
「逃げるわよ、ステラ!」
懸命に走る母の肩ごしに、サギッタと、彼に肩を貸すグラディウスと、その後ろで揺れる木々、そして梢の上でときおり光る巨大な何かの一部を見ながら、ステラは冷静に命の危機を受け止めていた。