第10話 革のくつ
ステラはメモリア山の主の広場で、青く光る球体が割れ、女の子が出てくるのに遭遇した。
女の子は「ナキ」と名乗り、ステラの胸へ飛び込んだのだった。
人なつっこい子イヌや子ネコみたいな黒髪の少女ナキをあやして、ステラはどうにか彼女に自分のシャツを着せた。
ナキは10歳くらい、ステラより2~3歳ほど年下に見える。
登場のしかたこそファンタジックだったけれど、ケモミミやしっぽも見当たらない、実に人間らしい見た目だ。
胸のあたりまで伸びた黒髪。まっ白な肌。うっすらピンクの頬とくちびる。
着せたシャツはミニワンピくらいの丈になり、無邪気なナキが駆けまわると、ひらひらとひるがえった。
パッチリと大きな目は、黄金色をした太陽みたいだ。空や草木を映し、まっすぐにステラを見る。
瞳はネコみたいに縦に細く、それが彼女の小動物っぽさを増していた。
ステラは、じゃれつくナキをあやしながら、どうしたものかと考えていた。
「ナキ、お母さんは?」
ナキは不思議そうに首をかしげた。
「ナキはここに住むの?」
ナキは不思議そうに首をかしげた。
「ナキのごはんはどうするの?」
ナキは不思議そうに首をかしげた。
言葉が通じない、というより、ナキは知っている言葉が極端に少ないようだった。
「ダメだこりゃ」
質問して方針を考える、という手順が崩れて、どうしたらいいか分からなくなったステラは草原に寝ころんだ。
「だめだこりゃー!」
ニコニコしながら、ナキもステラの横へ大の字になって寝ころぶ。
日差しで汗ばんだ肌に、夏草と風が心地いい。
ステラが頭をリセットすべく、流れる雲を眺めていると、ナキはもぞりと寝返りをうち、ステラにひしっとしがみついた。
ステラの胸にすっぽりと収まったナキは、木にとまるセミみたいなポーズのまま、顔を上げてステラを見つめ、ししし、と笑ったのだった。
(……懐かれちまったな)
胸元にひっつくナキの背中を、ぽむ……ぽむ……と叩きながら、この後を考える。
(ひとまずリベールに相談だな。俺ひとりじゃどうしようもない)
それではどうやってクラース村へ行くことを伝えようか、なんてことに考えをシフトしていたら、ステラの上でナキが寝息を立てはじめた。
子どもの高い体温に、じんわり汗ばんできたステラは身じろぎした。
触れていた部分は、風が当たると一気に涼しくなって、温度のギャップが心地いい。
ただ、ナキはそれに慣れないようで、眠ったまま体を縮めて丸まった。
ステラは自分の体を起こし、膝の上でナキを寝かせたまま、辺りに転がった荷物を引きよせた。
中から、敷物として使っていた革と、クマの牙を加工した針、そして愛用のナイフを引っぱり出す。
ステラは頭に描いた設計図をもとに、ナイフの切っ先で革にアタリをつけ、ケガなどしないようゆっくりと作業を始めた。
2時間ほどが経った。
ステラの脚がしびれ始めたころ、ナキがお昼寝からさめた。
「ン……ンンンン……ンぅ……」
めいっぱいに伸びをする。その足は空を蹴り、その腕はステラをかすめた。
「ん。おはよう」
終わりに近づく手を止めて、ステラはナキに目を落とす。
「お、ぁよう?」
「うん。おはよう」
ナキの目を見つめながら、ステラはうなずく。
「おはよう!」
ナキはきゅっと笑って、元気にそう言った。
しゅるりと起き上がったナキは、ステラの手にある物を見て、目をキラキラさせながら跳びつく。
「ステラ!」
「待て危ない」
ナイフはもうしまっていたけど、それでも危ないことに変わりはない。
初めての圧ある声に、ナキはビクリと体をこわばらせた。
「ステラ……?」
大きな金の目をうるうるさせて、腕に抱きついたままステラを見る。
ステラはひとつため息をつく。
そうして、ナキの手を取り、自分の隣に座るよう導いた。
「こう……こうして、待つ。いい?」
目を見てゆっくり話しかける。
ナキは否定も肯定もしないけれど、じっとステラを見つめた。
その視線を受け止めながら、ステラは作業を再開した。
革を4ミリ幅にカットしたヒモを、メインパーツに空けた穴へ通していく。
隣の少女がその様子にテンションを上げていくのを感じながら、最後まで通しきると、ナキの方を向く。
「ナキ、立てる?」
革のかたまりに興味津々だったところへ声をかけられ、ナキはきょとんとした顔を返した。
「……立つ?」
ステラは笑う。
「そう。立つ」
言いながら、ナキの脇の下を支えて持ち上げる。
「立つ!」
言葉の意味が分かったナキは、元気に笑って立ち上がった。
「よし。じゃあナキ、足を貸して」
言いながら、ステラはナキのくるぶしに手をやる。
「あし!」
ものと名前を結びつけはじめたナキは、ニコニコ、ウキウキしながら、触れられた左足を上げた。
ステラはナキの白い足をとる。
ゆらりとよろけた彼女が転ばぬよう、自分の肩へ手を置かせたら、とった足を自分のひざへと乗せる。
そうして、先ほどまで作っていた靴へ、ナキのつま先を挿しこんだ。
ふわりとした感触に、ナキは目を丸くする。
ソールのふかふかと、足全体をきゅっと包む感触が、むずがゆくも温かく、心地いい。
ステラは、ナキの足に合わせて革ヒモを引き、サイズを調節。
くるぶしに沿って履き口に指を入れ、フィット感を確かめたら次の右足へ。
最後の調整まで終わって手を離すと、ナキはキラキラな笑顔を振りまいて、ぴょんぴょんと草原を跳ねまわった。
「ステラ!ステラぁ!」
「あんまりはしゃぐと危ないぞ」
口ではそう言いながら、ステラも口の緩みを隠せていない。
(昔取った杵柄ってやつだな。せっかくならもうチョイしっかりしたものを作りたかったが……ま、いいか)
作るのに使った道具と端材をしまってナキを呼ぶ。
せっかくだから、少し遅いけれども、一緒にお昼にしようと思うのだった。
「ナキー!おいでー!」
名を呼ばれた女の子は、風のようなスピードで走った。
「ス~テラ~♪」
今回もドハデにタックルを食らうのか、とステラが身構えていると、駆けてきたナキは彼の周りをしゅるると回って減速した。
まあ結局その後に抱きついたのだけど。
「よしよし。ごはんにするぞ」
ナキの頭を撫でて、彼女が出てきた卵のあった、岩場へと腰を降ろす。
荷物の中から、水筒と昼食のサンドイッチを取り出す。
サンドイッチはナイフで切り分け、すこしだけ大きくなった方をナキへ渡した。
「いただきます」
「いたぁきあーす!」
発音はおぼつかなくても、ステラをまねして手を合わせ、食べ物を口に入れる。
もぐもぐと噛んでいくにつれ、その目はサンドイッチへ夢中になった。
ステラはポイッと完食し、ナキの食事を手伝う。
彼女が噛むたびにパクッと開いてしまうサンドの隅をつまむ。
そしてなおもパンの間から、指のすき間から、口の端から、ピョロピョロと出ていく葉っぱやお肉をキャッチ。
それもそれも、と求めるナキに食べさせてやってから、パンくずのついた彼女の頬をぬぐった。
「ステラ……」
完食し、切なそうな目をするナキ。
食べたのだから無くなるのは当然なのだが、そこに無常を見出した女の子にステラは笑った。
そして水筒の口を開ける。
(水でパンを膨らせたら満腹になるだろ)
ひと口、水を飲むのを見せてやり、ナキへパスする。
ナキはキラキラした目でそれを受け取ると、両手で大事そうに抱えながら、グイッと水筒を逆さにした。
──びしゃぁああああ
浴びるように。いや、文字通り水を浴びながら飲むナキ。
「待て待て待て」
飲み口を指で覆い、そっと水筒を降ろさせるステラ。
ナキは鼻から下をべしゃべしゃにして、目を白黒させている。
「ステラ、ステラ……」
そのまま震えるように、男の子の名前を呼ぶ。
(なんだ?気管に入ったか?でも声はちゃんと出てるな。ビックリしてパニクった?)
頭をフル回転させながら、ナキを落ち着かせようと、ステラは膝をついて肩を掴んだ。
「ああ。大丈夫だよ、ナキ」
「ステラ……」
ナキはステラの目を見ながら、なおも呼び、自分の濡れた頬をぺしょぺしょと触る。
「ステラ?」
それを見て、ステラは先ほどまでと同じ問いなのだと気付いた。
「ああ、ナキ。それは水だ」
「みず……」
ナキは頬から離した手を見つめる。
「みず……みず……!!」
何をそう興奮しているのか分からないけれど、大事でなくてステラはホッとした。
ナキが落ちつくのを待ってから話してみる。
「ナキ。名前を聞きたいときは『何?』って言うんだよ」
「『何?』……?」
「そう」
水筒に残った水を左手に出す。そして、右手でそれを指してみせる。
「『何?』『水』」
自分で問い、答えてみせる。
「おぉ……!!」
ナキは小さな驚きと理解を──その知的なリアクションは1秒だけだけど──示して、喜びで飛びはねながら、目に映る全てを対象に、『何?』の絨毯爆撃を開始したのだった。
草、花、木、森、岩、風、雲、空。
ステラがヘロヘロになった頃、ナキも満足し始めた。
日が傾きはじめ、そろそろ山を降りないとステラは帰れなくなってしまう。
荷物を背負った彼を見て、ナキは不安そうに彼の服を掴んだ。
ステラは少し迷った。
この世界の人々に、親にすら、どこか遠慮があった。
自分が触れていいのか。どこまで踏み込んでいいのか。よく分からん仕組みでここに呼ばれた自分は、突然別の世界に転生させられる可能性もあるのだから……
けれどステラは、夕日に向けてそれを放り投げた。
そして空いた手で、ナキの手を握った。
「一緒に行こう?」
金の目の女の子は、生まれて1番の笑顔でうなずいて、男の子の腕にしがみついたのだった。
ステラはナキを気にかけながら、できるだけ急いで山を下った。
下りながらも繰り出される『何?』に、可能な限り答えながら、最終的にはナキを抱きかかえて走っていた。
クラース村の明かりが見えたころには、日は落ち、空は真っ赤な余韻ときらめく星がせめぎ合っていた。
村に近付くと、ステラはナキを降ろして目を見つめた。
「ナキ。これから、『いいよ』って言うまで、シーッ」
「『シーッ』?」
マネをするナキにうなずいて口を閉じる。
ステラは小石を2つ拾ってポケットに入れると、ナキの手を取ってクラース村を囲う壁へ近づいた。
門の周りはかがり火がたかれていて、見張りが1人立っている。門番ではなく、あくまで見張り。
今夜の東門は葉物農家の若旦那だ。
ステラはナキを抱きかかえ、かがり火の向こうへと石を放った。
──カツン!コロロ……
「ん?」
旦那の目がかがり火を向いたスキにダッシュ。そしてすかさず、彼の視線の先へ2投め。
──カランカラン……
「何かいるのか?」
若旦那は、かがり火の台から火のついた棒を1本持ち、たいまつ代わりにして暗がりの先を見つめる。
村の中へ駆け込んだステラは、建物の軒や庭木の陰を伝って動く。かがり火が目に映った見張りには見つけにくいだろう。
ここまでする必要があるのかは分からないけど、小さなコミュニティが異物を許さないことを、ステラは知っていた。念には念を、というやつだ。
暗がりを伝いながらリベールの家に向かう。
これでリベールがナキを拒絶するようなら──そんなことはないと思いたいけど──ステラはこの女の子を連れて、メモリア山を離れることまで考えていた。
空の朱がほとんど藍に塗られたころ、ステラは、白いヒゲの老人と住む図書館みたいな家に着いた。
そっと開けた玄関扉から滑りこみ、ピタリと閉めてから、ナキへ小さく「いいよ」と告げる。
ナキは初めて見る本の山に、キョロキョロ、キラキラ、落ち着かない様子だ。
「ただいま。爺さん」
いつもより気持ち抑えた声を投げると、ダイニングから老人リベールが出てきた。
「おかえり。ステラ。客人か?」
白いヒゲのリベールは、ステラの後ろへ目をやる。
「そう。内緒でね。驚かないで聞いてほしいんだけど……」
言いかけたステラを、リベールは手で制した。
「待て。先にやることがあるじゃろ。なあ?」
ステラはリベールの視線を追う。
ステラの背後、ナキのさらに後ろ。
「そうそう。でないとお前、この先タイヘンだぜ?」
いつの日か追ってきたハスキー女が、気配も無く扉にもたれて見下ろしていた。




