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カナタのステラ  作者: 我龍天捿
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第1話 星の降る日


  第1話 星の降る日



 呼吸を止めてたっぷり1秒。その間に自分の鼓動をつかまえる。つかまえたら、ゆっくり、深く、静かに、息を吸いながら、自分の心臓の音を数える。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。


 そんないつもの手順で頭を冷やしながら、星崎奏汰ほしざきかなたは猟銃のスコープを覗く。

 ターゲットは42メートル先で青木の葉をつまむ若い雌鹿。すっかり焼きたてのパンみたいな茶色になった冬毛はつやが良く、お尻からももにかけてのプリンとしたフォルムがとてもきれいだ。


 レンズ越しの彼女と目を合わせないよう、肩から肩甲骨の辺りに、その先の心臓に狙いを定めて、引き金に指をかける。

 息を吐いて、短く吸って、軽く止める。

 クッとお腹に力が入ったら、利き手のひとさし指をしぼる。


 火薬がはぜ、ストックを伝って肩からお腹へ衝撃が走る。炸裂音は肌をびりびり震わせ、近くの木から小鳥のむれが飛び立った。


 音より速く飛んだ弾丸は狙ったとおり命中し、ターゲットの昏倒と、直後に響いた銃声で、周囲にいた他の雌鹿は泡を食って藪へと駆けた。

 森の全ての生き物が息をひそめたような静寂。それが徐々に薄れていくのを感じながら、奏汰はゆっくりとライフルを降ろした。



 星崎奏汰の人生は波乱に満ちていた。

 城南大学工学部を卒業するところまではどこにでもいる青年だったのだが、大学院の在学中に附属高校の教員に欠員が出て1年半の休学と就労。その後復学し、博士号まで取ったものの、空白の1年半が尾を引いて就職に失敗。

 教授の斡旋でどうにか技術系企業に入れたものの、そこでの扱いがブラック過ぎて病んでしまった。欠かさず観るのを楽しみにしていた年末特番のSASUKEすら観れなくなったことで転職を決意。院生時代に解析プログラムを自作したノウハウを生かして、IT人材を募集していた小さな紡績企業に勤めることとなった。

 現在38歳。入社から5年が経ち、社内の営業データを管理したり、取引先や展示会に出すプレゼン資料の素材データを作ったり、年配従業員が壊すプリンターを修理したりして働いている。


 奏汰は、大きなザックと相棒たる猟銃を担いで、倒れた獲物を目指す。藪をよけ、他の猟師が罠を仕掛けた場所を通らないよう気を遣い、斜面を下って、また登る。

 日の傾きかけた晩秋の森は足元が暗くなり始めていて、わずかな距離でも平地の何倍も時間がかかる。


(こんなことなら先に荷物を置いてきたらよかったな)


背負ったザックの底をさすりながら、そんなことを思う。

 ザックの中身は、獲物の解体・運搬に使う器材と昼食の空き容器。そして救急医療キットと、コスプレ衣装だ。この日は森に入るということで、某マンガのトランプで戦うバトルジャンキーと、某ゲームに登場するアメリカ先住民の衣装を用意していた。


 前者は、自社で新しく作った形状記憶繊維でできた布を試供品としてもらったことから、激しく動いても元のシルエットを維持できるのか確かめたくて作ったもの。後者は、自分で狩って、なめした皮革で作ったチャレンジャブルなもの。


 マニアックで割高な自社製品の布を買っていくお客さんの影響で、衣装を作るという世界を知った。初めは糊口をしのげればいいやと思っていた奏汰だったが、ひっそりコツコツと手を動かすのが好きなのと、いろんなことに興味を持てる性分があって衣装づくりの趣味に目覚めたのだった。そのうちに天然皮革にも興味を持ち、自分で革を手に入れようと狩猟免許まで取ってしまうのだから、そうとうな好奇心と言えよう。


 作ることがメインで、着ること、見せることに重きを置いていないのは、撮影機器がスマホひとつで済むという点で荷物の軽量化をおおいに助けていた。



 ともかく、奏汰は撮影直後に車へ衣装を置いてくればよかったな、と後悔しながら、獲物のもとへとたどり着いたのだった。



 手早く血抜きをし、獲物の体温がなくなっていく間に、この後の段取りを考える。解体しやすいよう足を紐でくくり、十数分歩いた先の沢で続きをやろうと決めて立ち上がる。獲物を担ぐと、ガサリ、と音がした。


 すぐそばに立つ若い鹿と目が合う。担いでいる仔の群の仲間だろうか。思わず息を飲んだ奏汰が、刺激しないようゆっくり後ずさると、相手も興味を失ったようにプイとよそ見をし、そのままポーンと目の前を駆けていった。



 その時だった。



 車にでもはねられたような衝撃がお腹を貫いた。


 吹き飛ばされ、獲物も荷物も手放してしまうなか、遠くのターン!という銃声を耳がとらえる。

 やけにゆっくりと、しかし体を制御できないまま斜面を転げ落ちていく。

 かろうじて倒木や切り株をかわしながら、頭ではぼうっと、


(流れ弾かな。さっきの鹿を狙ったんだろうな。きっと初心者さんだ。トラウマになっちゃったら可哀想だな)


なんて考えていた。


 どさがさり。

 大きな音を立てて谷底へ落ちる。転がりながら尻から落ちて、仰向けに倒れた。

 起き上がろうとして力めず、どうしたことかと腹筋のあたりをさすると、手のひらが血で真っ赤に染まった。


「なんじゃこりゃ」


思わず声が出て、それと一緒に激痛が走った。


 痛い。痛い。痛い。目のまえが白黒するような痛み。体は熱く、心臓ももがくようにペースを上げる。


(このままじゃマズい)


自分でもあきれるくらいイマサラに、命の危機を実感する。精いっぱいの力で傷口を押さえるけれど、血は止まる気配を見せない。


 一発でこれだもの。銃声ひとつで蜘蛛の子を散らすように逃げるアメリカ人の気持ちが実感できたぞ。なんて現実逃避をしていると、急に凍えるほど寒くなった。時間が経ったわけではなく、血が流れ出てしまい体温が保てなくなりつつあるのだろう。


 危機感が一周したのか、少し冷静さを取りもどした奏汰は、助けを呼ぼうとポケットを探る。

 しかし取り出したスマホは画面がバキバキに割れていて反応しない。

 仕方なく、うろ覚えの記憶を頼りに電源と音量のボタンを長押しし、緊急SOSが発信されたことを祈る。

 辺りを見回すとバッグと獲物がずいぶん離れたところに転がっていて、そこまで動く元気も残っておらず、救急セットの使用はあきらめた。


(ま、こんだけ押さえて止血し切れてないし、包帯ひと巻きじゃあ変わらないか……)


はたしてプラスなのかマイナスなのか。そんな思考のすえ、奏汰はペシャンコになっている胸ポケットに手を伸ばした。


 手の感覚がおかしい。念じてから、コンマ数秒だけだけど遅れて動く。処理が重くて遅延している通信ゲームか、子どもの頃に遊んだ緩いマジックハンドみたいだ。


 そんな手で取り出したのは、いつも下山してから吸っているタバコ。

 猟場では、匂いが残って動物のルートが変わると他の猟師が困るだろう、と思って吸わないのだけど、ギリギリでパニックを回避しているこの状況。少しでも『日常』を吸い込みたかった。


 震える指で曲がったタバコを咥える。お気に入りのガスライターを持つが、着火レバーが重くて火が出ない。仕方なく両手で抱えるようにして、やっとこさタバコに着火する。


 出血は収まりつつあったけど、それが傷が塞がりつつあるためか、流れ出るだけの血がもう残っていないためか、奏汰には判断がつかなかった。


 真っ赤に染まった手を見詰めながら、このまま死ぬんだろうな、と思うと、いろんな想いが去来する。



 長いあいだ会ってなかった友人たちはどうしてるかな。こんなことならもっと一緒に飯とか行ったらよかった。


 親はビックリするだろうな。警察ざたにもなるだろうし、迷惑かけちゃうな。


 会社の人たちは慌てるだろうな。残してあるマニュアルでどうにかやってほしいな。


 エヴァは完結したけど、ベルセルクとHUNTER×HUNTER、それに純白紳士のゆっくりレオンは最後まで見届けたかったな。あと、1回ダメ元でいいからSASUKEに応募したらよかった。


 次のイベントで会う約束してた同人作家さんにも申し訳ないや。特に年齢なんか関係無いって背中を押してくれた人。

「俺なんて本格的に描き始めて、本出したの40歳だから」

なんて、その言葉が無かったらここまでやれなかったもんな。ありがとうって言いたかったな……



 人の顔、景色、好きな物が、浮かんでは消えていった。



 そしてそれが途切れると、口元から昇る煙をぼんやりと眺める。ゆらりゆらりと左右に蛇行しながら、ゆっくりと薄まる白い煙を追っていくと、木々の梢と、その先に広がる空が目に映った。


 空は濃い紫色で、いくつかの星がまたたいていた。浮かぶ雲は西日を浴びて、オレンジ色のお腹を見せながら泳いでいく。


 そのすき間を縫って動くものへ、無意識に目がピントを合わせた。

 輝く一条の流星。火球というヤツだ。

 たっぷり3秒ほどか。長く長く尾を引きながら、終いには奏汰の頭上、目の前で大きな爆発をし、その閃光が奏汰の目を貫いた。



(ああ。きれいだな……)



 そのつぶやきを最後に、奏汰の意識はふつりと途切れた。





 星崎奏汰だった者は目を覚ます。そこは温かく、薄暗く、ほのかに赤い空間だった。すこし冷めたお風呂のような心地良さがあったが、それを楽しむ間もなくその場所は変化を始める。


 空間が急に狭まり、それによって、自分が厚い風船のような膜の中にいることを知る。

 頭上に小さな穴が開き、空間を満たしていた温かな水と一緒に吸い込まれる。

 抵抗することはできず、頭からその穴へ突入し、吸い込まれるように、押し出されるように、狭い狭いその道を通る。


 永遠のような、けれどごく短いその時間で、ああ、今、自分は新しい世界に産み落とされようとしているんだな、と直感した。


 星崎奏汰としての人生を悔いるとか、新たな人生を喜ぶとか、逆に怖がるとか、そんな感想を抱く前に、彼はその世界へ迎えられたのだった。



 一心不乱に泣く赤ん坊へ、産湯につけるおばあも、見詰めながら荒い息をする母も、母の手を握りながら涙をためる父も、皆がほほ笑んでいる。


「よかった……」


赤ん坊の泣き声と、その父のつぶやきを聞きつけた村人たちが、慌ただしく扉を開ける。


 その場で泣き崩れる者、隣どうし手を取って舞をおどる者、母の体調を気遣う者、おばあに手伝いを申し出る者……その様子はそれぞれだが、皆が皆喜んでいた。


「まったく……騒々しいったらないねぇ……」


おばあだって、そう言いながらも嬉しそうだ。


「数年ぶりの赤子じゃからのう。無理もないわい」


白い口ひげをたくわえた老人が、窓から顔を覗かせる。


 おばあはフン、と鼻を鳴らして、村の衆に声をかける。


「そら、どいた、どいた!親子のご対面だよ」


それが届いた村人たちは、潮が引くように壁へ寄り、寝台に横たわる母と寄り添う父までの道が姿を表した。おばあはそこをゆっくりと歩く。


「そら、あんたらの子だよ」


夫妻は、おくるみに包まれた我が子を、おずおずと、しかしこれ以上ない愛しさと慈しみをもって抱く。


 2人の手に抱かれた赤ん坊は泣き声をおさめ、その大きな目に世界を映した。


「大きな目だ。お前に似ているな」


「凛々しい口元。あなたに似てるわ」


互いにほほ笑み合った夫婦は、そっと我が子を撫でながらその名を呼ぶ。


「ステラ。私たちの子……」


呼ばれた赤ん坊はまた泣く。


 父母は困ったように笑いながら子をあやし、その名付けの儀式を見守った村人は歓声を上げ、おばあはすっかり腰を落としてそれを眺め、窓の外にいた白ひげの老人は、星の流れる夕空を見上げながらそっと立ち去るのだった。




 これが、星崎奏汰の死、そしてステラとして転生した日の様子である。



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